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Twitterネタバレ問題&マナー論争最終決着論。唯一の解決案「自衛」と伏字回避の有効性について

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

2016年2月上旬、「ネタバレ嫌」という単語がTwitterのトレンドに載った。放送中の人気アニメについて「まだ放送を観ていない人がいるからネタバレツイートを控えて欲しい」と主張するツイートが大量にリツイートされ、論争が白熱した。その少し前には、週刊少年漫画誌の表紙にスポーツ漫画の試合勝敗が記されており、コミックス派やアニメ派に配慮が欠けるのではとそれを載せた雑誌の公式アカウントに苦言を呈す人が出現。雑誌の早バレがタイムラインに流れてきて憤慨する人も日々後を絶たず、「Twitter」と「ネタバレ」についてはいつもどこかで意見が飛び交っている。

この記事では、「Twitterにおけるネタバレ問題」について、2014年の4月に当ブログで公開した『Twitterにおけるネタバレの扱い。ネタバレは「ダメ、ゼッタイ」なのか?』という記事をリライトする形で、「ネタバレは何が(誰が)悪いのか」「対抗策はあるのか」「どこまでの配慮が必要なのか」について、Twitterを長年やってきてこの問題について延々と考えてきた自分なりの“最終決着論”をまとめてみたい。

※例として、文中に漫画「デスノート」に関するネタバレを取り扱っています。


※※※


まずは根本的に、「ネタバレ」の定義から考える。




【意味】
ネタバレとは、小説や映画、ゲームなど作品の詳細や核心部分が文章の中に入っていること。

【解説】
ネタバレとはインターネットの掲示板、ブログ、SNS(mixiなど)の日記などで、小説やコンサート、ゲーム、映画といった作品の感想、批評を書く際、文章の中に作品の詳細や核心部分を書くことをいう。ちなみにネタバレのネタは種の倒語、バレは秘密・嘘などが露顕することを意味する「バレる」からきている。当初、掲示板で「ネタバレ禁止(作品の内容がわかる書き込みは禁止の意)」といった使い方が多く見られた。また、ブログやSNSの日記タイトルにネタバレと書いたり、文章の途中から作品の内容に触れる際に「以下ネタバレ」と書くことで、作品にこれから触れようとする人が読んでしまわない様、警告としても用いられる。

日本語俗語辞書



多くの人の認識として、ほぼ間違いなくこの意味で用いられているだろう。問題は、文中にある「作品の詳細や核心」の部分であり、それがタイムラインに流れてきてしまうことに対してモヤモヤを抱く人は決して少なくない、というのがこの問題の発端である。モヤモヤ、つまりなぜ「ネタバレ」がヘイトを集めてしまうかというと、それは「他人の想像する自由を奪う行為」であるから、と答えることができる。

例えば、週刊少年ジャンプで連載されていた漫画「デスノート」だが、その第一部にて主人公である夜神月と名探偵Lの決着が物語のクライマックスとなった。大量殺人犯・キラとしてデスノートの所有権や死神の存在を駆使して戦う月と、圧倒的な推理力と財力でそれを追い詰める変人L。ふたりの頭脳戦は「夜神月の勝利」という形で幕を閉じたが、この勝敗結果は間違いなく作中最大の「ネタバレ」だ。





これからデスノートを初めて読み始める人の横で、「実は夜神月がLを殺して勝つんだよ」と囁いたら、それは果たしてネタバレだろうか。月が勝つか、Lが勝つか、どちらが勝つかワクワクしながら読むのが楽しいのであって、その結果を先んじて知らせてしまうのは「他人の想像する自由を奪う行為」と言えるだろう。プロ野球の結果を、いきなり未来人が応援席にタイムスリップして来て「阪神負けるよ!」と叫んだら、間違いなくブーイングが起きるだろう。阪神の応援席でも、巨人の応援席でも。

知らないからこそ楽しい、想像できるからこそ面白い、という物事は、世の中に沢山溢れている。フィクションである漫画やアニメや映画なら、その性格は尚更強いと言えるだろう。


※※※


では、「ネタバレ」の定義は前述のとおりだとして、今度はその種類について考えてみたい。一概に「ネタバレ」と言っても、それは無数に区分けすることができる。引き続き「デスノート」を例に挙げながら、ネタバレラインをカウントしていくが、本作最大のネタバレである「Lは月に負けて死ぬ」、その展開が広まる一連の段階をサンプルとする。




第1次ネタバレライン:作者や編集者からの情報漏えい
色んな意味で最もあってはならないネタバレ。作者が書いたプロットがデータ流出、編集者の原稿紛失、流通業者が業務中に雑誌を撮影しネットにアップなどがこれに相当する。

第2次ネタバレライン:発売直前の一般人から
いわゆる「ジャンプの早売りバレ」がこれに当たる。本誌発売日である月曜日のその前の週の末には出回ることが多い。「【デスノネタバレ】L死亡ワロタwwwwwwww」というまとめサイトの記事等がネットを駆け巡るパターン。

第3次ネタバレライン:ジャンプ発売日
週刊少年ジャンプ本誌の発売日。皆が等しく正しく「デスノート」を読める段階。しかし、ジャンプを全国の読者が発売日に必ず読めるとは限らない。「ジャンプ読んだ? L負けて死んだな!びっくりだよ!」「え? 私はまだ読んでないけど…」。辺鄙な土地ではジャンプの流通も遅れるだろうし、買ったけどじっくり読む時間を確保できなかった人もいるだろう。

第4次ネタバレライン:単行本発売日
単行本派の読者も決して少なくない。週刊連載における最新情報の矢をかいくぐり、無事に発売日まで辿り着く。溜めた分を一気に読み進め、展開を目撃する。

第5次ネタバレライン:メディアミックス化
「デスノート」はアニメにも実写映画にもドラマにもなった。当然、そこからこの作品にハマった人もいる。例としての「デスノート」は現時点でその全ての放送・公開が終わっているが、今も絶賛放送中のアニメは沢山ある。置換して解釈していただきたい。Lが負けるという顛末を知らずにワクワクしている層は、確かにいるのだ。加えて「第3次→第4次」同様に放送・公開からソフト発売までのタイムラグも存在する。映画だと特にここがひとつの線引きと言えるだろう。

第6次ネタバレライン:興味はあるけど触れてない人たち
連載もアニメも映画も、何もかも終わった。ソフトも全て発売された。しかし、まだ安心はできない。「デスノート、興味はあるけどまだ読んでないんだよね!」、これである。この人相手に「めっちゃ面白いよ!L死ぬけどな!」と言い放ったら、それは「ネタバレするな!」と指を差されても否定はできないだろう。



地域格差や環境差によっていくらでも細分化は可能だが、大別するとこの6つと言えるのではないだろうか。ネット、そしてTwitterのネタバレ問題を語る上で、そもそもこの「どのネタバレ」について語っているのか、というのをごっちゃにしてはいけない。

更には、ネタバレには2つのタイプも存在する。分かりやすいように「悪意ネタバレ」「結果的ネタバレ」と分類するが、要は「わざとか否か」という分け方だ。Twitterにおいて、例えばまだ読んでいない人に向けて「L死んだぞ!!」とリプライを送りつけるのは立派な「悪意ネタバレ」であり(こんな酔狂な人はそういないだろうが)、「Lが死んだけどこの展開には納得がいかないな~」とツイートしたらそれがフォロワーの“まだ読んでいない人”に結果として届いてしまうのが「結果的ネタバレ」である。

「第〇次」すべてのネタバレラインにおいてこのふたつのタイプ別が存在しているので、つまり、図にするとこのようになる。





Twitterユーザーの数だけ、「ここまでは個人的にはネタバレではない」「この辺りまでは自分も注意している」というパターンがあるだろう。言うまでもなく、「悪意ネタバレ」は比較的“低い”ネタバレラインにて頻出し、「結果的ネタバレ」は第4次や5次で待ち構えている人が最もダメージを喰らいやすいだろう。

このように、「ネタバレ」と一概に言ってもその性質は多岐に渡る。大まかに「他人の想像する自由を奪う行為」と上で定義したが、誰がどこに「想像」の重きを置いているのか、「自由」を感じているのかは、千差万別だ。別に展開を知ってしまってもキャラクターが実際に動いて喋る部分が楽しみなのであまり痛くない人や、お話の起承転結こそが何よりのポイントという人もいる。つまるところ、「ネタバレ」の定義は「発信する側」ではなくそれを目にした「受けとる側」によって常に変化するのである。

私はTwitterで映画をよく観る人をフォローしているが、ある人がある映画の試写会に当選し、その感想を呟いていた。もちろん詳細な中身に言及はしておらず、「感動した」「楽しかった」という抽象的な表現に留まっていた。その映画を私も楽しみにしていたので、公開前の盛り上がりを共有したく試写会感想ツイートをリツイートしたのだが、フォロワーから「試写会の感想はネタバレです!リツイートしないでください!」とリプライが届いたことがある。

これはどちらが正しいとかそういう話ではなく、上で書いた「ネタバレの定義は受け手によって違う」ことを意味している。私は「ストーリー展開やキャラクターの細かな言動」“のみ”がネタバレだとこの頃信じて疑っていなかったが、その人にとっては「その映画に関する全ての感想」がネタバレなのだろう。是も非も何も目にせず、フラットで真っ白な認識のままで公開日を迎えたいのであれば、確かにそうなる。つまりは、発信側がいくら配慮してもそれは受け手によってネタバレになってしまうことがあり、そしてTwitterでツイートするということはフォロワーのみならず全世界に発信することと同義なので、極端なことを言うと、全世界70億人で70億パターンの「ネタバレの定義」が存在してしまうことになる。

受け手の数だけネタバレが存在してしまうとすれば、それは大変だ。だって、発信する側がどれだけ気を付けても完全なる全方位回避が不可能ということになってしまう。さてさて、前置きが大変長くなったが、実はここからが「ネタバレ問題」の本番である。


※※※


Twitterはおそらく「結果的ネタバレ」がほとんどであり、この手の議論において「悪意ネタバレ」はテーブルに乗る前に断罪される。言うまでもなく、発売前の雑誌やカタログをネットで発信するのはネタバレマナー云々とはまた別の次元の話なので、それについては発信者のマナーや認識がすこぶる“なっていない”と言う他にない。(この部分はむしろネタバレ問題ですら無く、正確にはネットリテラシーの話になる)

真に「ネタバレ問題」なのは、「結果的ネタバレ」なのだ。東京で放送されたアニメは地方では(例えば)2日遅れ。その2日の間に、Twitterには「結果的ネタバレ」が大量に出回るだろう。その全てが受け手によっては何をおいてもネタバレになるのだとしたら、Twitterで作品の感想をツイートすることは、もう絶対に駄目なのだろうか。まだ観ていない・読んでいない人、つまり第6次ネタバレラインまで警戒するのならば、ある意味、未来永劫それを話題にすることはできなくなる。

ここで先に結論を書いてしまうが、つまるところ、「Twitterにおけるネタバレは防げない」。極端な話、「防ぎようがない」。何を書いてもネタバレなのだから、Twitterをやめる以外に完全防御は達成できない。

Twitterにはフォローという行為が存在するので、「“自分にとっての”ネタバレをする人」を自らのタイムラインに招き入れたのは他でもない自分であり、往々にしてここに「自己責任論」が発生する。Twitterにおけるネタバレ論争は、この「自己責任論」を押し付け合って白熱し、毎度のようにこじれる。ネタバレをする人も、下ネタを連投する人も、宗教の話ばかりする人も、自身が招き入れた相手である。ネタバレが嫌なら招かなければ良いし、既に招いていたのなら帰ってもらうか締め出してしまえば良いのだ。そのために、リムーブ・ミュート・ブロックという機能が存在し、誰でも活用できるようになっている。これがまた、「自己責任論」を強固にする一因だ。


「じゃあ、なんだ? 好き勝手ツイートして良いのか? なぜネタバレ被害者がそんな手間をかけなきゃいけないんだ!そもそも、ネタバレをツイートをしたそいつ自身が悪いんだろ!」


…という意見が出てくるのも、何も不思議ではない。「自己責任論」を語る上で、必然のように挙がる声である。しかし、“現実問題として”、交通事故において車が悪くても、ケガをするのは歩行者なのだ。だからこそ歩行者は、周囲をよく観察し、信号を見て、道を横断する。Twitterにおける「結果的ネタバレ」との遭遇事案は、まるで不幸な交通事故なのだ。

言うまでもなく、車の運転手にも配慮が求められる。雑誌発売日朝イチ・映画公開日当日のネタバレツイートは避けるべきかもしれないし、文頭に「ネタバレ注意」と記した方が良いのかもしれない。しかし、前述のように「結果的ネタバレ」はいつどこで発生するか分からない。当人が全くネタバレと思っていない「詳細を省いた感想」だったとしても、相手によっては憤慨ものである。これを読んでいる貴方がこれまで呟いた数多くのツイートは、そのどれもが絶対に全世界誰にもどの時点でもネタバレになってない、そう言い切れるだろうか。





歩行者は、日本中を走る全てのドライバーに「絶対に歩行者に気を付けるんだぞ!事故を起こすなよ!」と言って回ることはできない。それよりもっと“現実的な”有効手段は、歩行者自身が自ら気を付ける他にない。ちゃんと信号を見て、周囲の音を聞いて、時には手を挙げて、行動する。言うまでもなく、ドライバーも気を付けている。細心の注意を払っている。でも、ドライバーにだって過失はあるし、歩行者の動きや状況・環境も千差万別だ。だから、日本中で事故が絶えないのだ。

「まさか飛び出してくるとは思わなかった」。そう、「まさかネタバレになるとは思わなかった」のである。ネタバレの定義が受け手によって変わるのであれば、もう受け手が自分自身で自衛策を取る以外に「現実的な手段はない」。自分の中の定規に沿って、タイムラインを形成していく他にない。世の中すべてのTwitterアカウントに対して「〇日までは××についてツイートしないでください!」と声掛けして周ることは不可能であり、声を掛けられた人がそれを守る理由もどこにもない。理想論を捨て、現実として落とし込むと、結局は「歩行者が気を配って自衛する」=「受け手それぞれが自衛する」が唯一最良の策に「なってしまう」のである。


※※※


こう結論付けると高確率で誤解されそうなので再度書いておくが、私は「ツイートする側は好き勝手ネタバレして良い」と言いたい訳ではない。「受け手それぞれが自衛する」と「発信者それぞれが配慮する」は決して二者択一ではないからだ。しかし、発信者にも各々のネタバレの定義があり、何度も書いているように受け手にもそれがある。つまり、発信者の配慮が“貴方の定義”に沿っている保証はどこにもなく、沿わなければならない責任もどこにもないのだ。(前述のリテラシーとはこれまた別の話で、ネタバレが大歓迎という人も少なくない)

実際のところネタバレ防止のための伏字ツールや、ネタバレ専用アカウントやハッシュタグを活用するテクニックは存在するが、それは本質的には意味を成さない。あくまで「発信者それぞれが配慮する」テーブルの話であり、フォローした人の10人が10人必ずそれを使う訳ではないからである。「受け手それぞれが自衛する」テーブルにおいて、伏字機能は選択肢に挙げても意味がない。10人中9人がネタバレに完璧に配慮しても、1人が普通にツイートすればそれでジ・エンドだからだ。


フォースの覚醒で個人的に気になるのは○○○○○○○○○○○○○○○○、という部分。台詞では○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○、とあるが、○○○○○○○○○○。 https://t.co/A02xTqJPGL

— YU@K (@slinky_dog_s11) 2015, 12月 29
▲映画「スター・ウォーズ」のネタバレを「ふせったー」でツイートした例


「ネタバレは嫌です!配慮してください!まだ観ていない人がいるんですよ!」。言いたい気持ちはとても分かる。心底、同情はできる。しかし、その叫びは現実として何の意味も持たないのだ。「ネタバレが嫌なら、自衛しかない」。理想論は全員が全員に完璧な配慮をする幸せな世界かもしれない。が、それはTwitterというSNSの性格上、絶対に現実にはならない。だからこそ、ネタバレが嫌な人ができる唯一無二の行動は、「自衛」しかないのだ。例え相手が「マナーに反した悪意ある第1次・2次ネタバレ」を発信していたとしても、それでも「自衛」以外に現実的な防衛策は無い。(言うまでもなく、これは「その発信者を批難するな」とイコールではない。その是非ではなく、現実的な解決策が論点である)

貴方のネタバレの定義は、貴方しか知らない。貴方自身の判断で、タイムラインを整理し、ミュートやリムーブを駆使し、時にはTwitterを閉じ、薄目に頼り、“解禁”まで耐え忍ぶ他に出来ることはない。そして、自分が発信者になった時には、その分だけしっかり(自分なりに)配慮をする。どこまで行っても、そこには「自分なりの定義」しか拠り所はなく、それを誰かに押し付けることもできないのだ。

映画の試写会の感想で「泣けた!」とツイートする。これもフラットに映画を観たい人にはネタバレ。アニメを観ながら実況する。これも録画組や地方民にはネタバレ。どれがネタバレでどれがネタバレでないかを判断するのは、ツイートする側ではなく、受け手なのである。判断基準を持っている者が自分なりに策を講じる以外に、“現実的な”解決手段は無いのだ。


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