こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。
最近ブログの更新が途絶えに途絶えているのは、タイトル通り子供が産まれたからです。仕事が終わって家に帰ったら育児や家事を嫁さんと一緒にやって… という生活だとブログを書く時間を捻出するのも中々簡単ではないなあ、と。まあ、これも“慣れ”はいくらかあると思うので、新米パパよろしく娘に楽しく振り回される毎日を送ってます。
しかしまあ、本当にタイトル通りなのですが、「人間から人間が出てくる」というのは本当に凄いことだなあ、と。もちろん、犬や猫をはじめ自分らと同じ哺乳類がそうしているのは頭では分かっているし、言うまでも無く保健体育で習った知識として識ってはいるのだけど、なんというか、実際に体感してみると全くもって“そういうこと”ではなかった。タイトルではあえて「それ」と書いたけれど、狂おしいほどに可愛い娘を時に「何かの生物」として酷く客観的に見てしまう瞬間がある。それほどに、「自分の子」というものは「自分が認識しているヒトという生き物」とかけ離れて感じられるのかもしれない。
まだ首がすわっていないから重さがダイレクトに腕に響くその身体は、何かの拍子に落としてしまえばすぐに死ぬかもしれないし、そうでなくとも、朝起きたら横で冷たくなっていたり、チャイルドシートに乗せて外出している最中に事故が起きて命を散らすかもしれない。私のような「身体が出来上がったヒト」ではないのだから、同じ危険性でもリスクは何倍にも跳ね上がる。毎日のように反射的にベビーベッドから抱き上げるが、それは娘からしたら身長の二倍の高さまで一気に持ち上げられる、ということだ。家の中、私の腕の中でも、すぐに死んでしまうリスクと切り離せないくらいに、弱く脆い。
それを24時間、体力も時間も犠牲にして見守って育てていくのが「親」というのは、確かに100人が100人そう答える「正解」なのだろうが、これが中々簡単なことではない。いや、難しいことなのは分かっていたつもりだが、いざ目の前でその環境が展開されると慣れるまで相当かかる。私も可能な限り一緒にやっているが、やはり嫁さんの方が子育てにかける負担も大きく、常にぐったりとして、少しカリカリしている。大変か、面倒か、と問われれば。そりゃあそうだ。相当面倒でしんどいですよ、子育て。でもそれが娘の表情ひとつで一気に消し飛ぶのが「親」という属性なのだなあ、と。
自分でも何を書きたいのかよく分からないけれど、そういう「すぐに死んでしまう命」を「自己を犠牲にしてでも育てる」という行為は、本当に種として根元的なテーマだと思うし、同時に一気に自分の“死”を意識するターンに入ったなあ、ということだ。“次世代”が産まれたということは、自分が自動的に“旧世代”になったことの証だ。この子が自分の年齢になる時に、自分は健康に生き続けていられるのだろうか、と自問してしまう。自分も、嫁さんも、今まで以上に自分の身体のメンテナンスには気を配らないといけないなあ、と。
血まみれで頭も歪んでいた3キロ超えの“それ”は、一気に体重を増し、光や音に反応して目で追うことを覚え、顔つきが毎日のように変わり、嫁さんや私の匂いや抱き方を覚え、母乳にありつけた喜びを叫ぶように表現し、ソフトクリームを盛る機械のように元気に糞を捻り出し、そうして毎日毎日、私と嫁さん、そして親戚や知人といった多くの人の手に触れられていく。将来どんな子に育つのか、また、今日も無事に“死なず”に生きていけるのか、それは全く分からない。お互い、「ヒト一年生」「親一年生」として、一緒に生きていけたらいいね、と思うばかりだ。
すごい!1,500字書いても何を言いたいのかよく分からない!…とは言いつつ、一生に一度しかない「初の子供」に感じる思いくらいは、こうやって書き散らしておくのも悪くないかなあ、と。いつか娘とホームシアターで『トイ・ストーリー』を観るその日が無事に迎えられることを願って、という感じで。
そして一気に別の話ですけど、このブログも本日をもって晴れて3周年となりました。子育てしながらなので更新頻度はアレですけど、今後もダラダラとやっていきますので、何卒よろしくお願いします。
ドラムとコーラスとギターソロまで完コピで歌う『HEAVEN'S DRIVE』(L'Arc〜en〜Ciel)で健やかに寝付く娘。お腹の中から聴かせ続けた甲斐があったというもの。
— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年4月10日【過去記事】
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