Quantcast
Channel: YU@Kの不定期村
Viewing all articles
Browse latest Browse all 177

「ソースはWikipedia」という砂上の楼閣

$
0
0



こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

主にTwitterなど、SNSという比較的若い世代も使っているフィールドにおいて、「ソースはWikipedia」を目にすることは少なくない。「Wikipediaに〇が×だと載ってた!知らなかった!」「だってウィキに書いてあったから」「Wikipediaを読んで勉強した」。言うまでもなくWikipediaは誰でも自由に編集できるものなので、あそこにある情報の信憑性は極めて怪しい。全てが本当かもしれないし、全てがでっち上げかもしれない。引用元が注釈で明記してあったとしても、それが本当に“そこ”にあった情報なのかを実際に確かめる人はほとんどいないだろう。

「ソースはWikipediaという文言には何の意味もない」。これもまた、すでに使い古されてきた文言だ。私のようにネット黎明期にギリギリ片足を突っ込んでいた世代はその「意味がない」ということを肌で理解しているが、例えば今の自分が10代だとしたら、おそらくWikipediaを何の確証もなく信じていたかもしれない。「信じる」というと少し語弊があって、それを「疑う」ということを考えもしなかったのではないだろうか。自分でネットを使い出した頃には体系的に情報が整理され掲載されていて、調べれば何でも出てくる。物心ついた頃から本棚にあった辞書を使っていたとして、それがもしかしたら嘘っぱちの塊だなんて考えもしないだろう。(ちなみに、Wikipediaが日本語対応したのは2002年9月とのこと。ソースはWikipedia)

しかし、「Wikipediaなんて信用ならん!」と薄っぺらく古参ぶった言動をとってみても、実際のところ私はWikipediaを毎日のように閲覧している。オタクなので、例えばちょっと昔のアニメや特撮番組の放送日程や各話タイトルを調べたくなった時などは、Wikipediaを開けば一発だ。慣れていくと、「これはおそらく正しい情報だろう」「これは怪しいな」というのが“感覚で分かった気になる”。「仮面ライダー〇×」について調べたとして、その放送日時やサブタイトルに担当監督という情報はほぼ掲載されているもので間違いがないだろう …と“なぜか確信を持っている”し、対して「このデザインモチーフは△△である」といったどこから沸いてきたか分からないファンの妄想や俗説のようなものは“おそらくデマに近いだろう”というニュアンスで読んでしまう。そこに「要出典」タグが付いていればもはや“疑うしかない”。

こんな感覚の積み上げも、全くもって信用に足りるものではない。記載されている放送日時は全部1日ずつズレているかもしれないし、関わったスタッフの名前も全部でっち上げかもしれない。パッと見で俗説のように感じたものも実は製作陣の誰かがどこかのインタビューで明言した内容かもしれないし、「要出典」タグがあるからといってそれが間違っているという訳でもない。「ソースはWikipediaという文言には何の意味もない」という心底分かっている前提の上に、我々はなぜか何の確証もなく「でもおそらくこれは正しくてこれはちょっと怪しいよな」という判断基準を持ってはいないだろうか。

一昔前には、この手のオタク情報は個人サイトに掲載されているものが多かった。個人ホームページ全盛期、今思えば拙いレイアウトばかりだったかもしれないが、そこには作った人の溢れんばかりの“網羅してやるぞ!”という信念が込められていたような気もする。アニメでも何でも、各話ごとに放送日時やスタッフを列挙しデータバンクとして貯蔵、そこに自分の感想を書き加える。キリ番報告とかいう今考えると訳の分からない文化もありはしたが、あの頃はWikipediaではなくこの手の個人のホームページから情報を得ていた記憶がある。

しかし、Wikipediaが台頭し、この手の個人データバンクは一気に廃れた。躍起になって皆がWikipediaに情報を詰め込みだし、ブログというホームページとはまた違った情報発信の形が流行り、それがSNSとなり、ネットの敷居は低くなり(誤用)、ネットに自らの城を築いてそこに情報を貯め込む者は少なくなった。いや、利用人口が増えたのだから、この“くくり”ならむしろ増えたのかもしれないが、例に挙げてきたようなオタク文化の基礎情報についてはWikipediaに集約されていった。





とはいえ、個人ホームページだから信用に足りる訳でも、Wikipediaだから間違っている訳でもなく、だからといってWikipediaが正しい訳でもなくて、つまりは「じゃあ正しい情報ってどこにあるの?」という非常に面倒な思考に辿り着くことがある。公式がネットで公表していないデータは、一体どこに“ある”のだろうか。以前、それこそ仮面ライダーのムック本を本屋で発見した時に、その巻末に全話のサブタイトル・放送日時・担当監督や脚本・登場怪人が一覧で記載されていた。「これは資料性があるぞ!」。こういうのを見るとグッと購入意欲が増してしまうのだが、非オタクの嫁さんはそれを見て一言、「それって全部ネットで調べれば足りるんじゃないの?」、と。いや、そうなのだ。そうなんだよ。確かめるまでもなく、おそらくあの一覧表の情報はそっくりそのままWikipediaに載っているだろう。99%間違いないと“何の確証もないけど”そう思う。そう思うけど…。

もっと言うと別に放送日時が正しく分かったからといって何の意味がある訳でもないのだけど、オタクだからこそ何の意味もなく「網羅しておきたい」というフワフワした欲と付き合ってはいないだろうか。かといってネットを調べれば“おそらく”正しい情報はすぐに手に入るし、一昔前のように知識量で殴り合うオタクは減ったのだと思う。実生活でも、例えば仕事で分からない事象と遭遇してもネットを開けば概要をすぐに調べることができる。そうなると、「自分の身の回りや頭の中に情報を貯め込んでおく」ことの意味って、何なんだろう、という気にもなってくる。すぐにどんな情報でも取り出せる四次元ポケットが手元にあるのに、本棚に辞書や百科事典を並べる必要はあるのだろうか。

Wikipediaの情報が正しいかなんてどこにも確証はないのに、なぜかそれを疑いつつ疑いもせず、身の回りの情報を解放してネットに依存していく。だからこそ、一度ネットでデマが発生するとそれを撤回するのは難しい世の中になった。「ソースはWikipedia」と言い張る若者を鼻で笑っているつもりで、私も無意識に「ソースはWikipedia」の楼閣の上で毎日を過ごしている。いつ崩れるかも、分からないのに。


▼映画レビューやエッセイを全21編+総勢12名による挿絵20点以上を収録した無料電子書籍、発売中。詳細はこちら



※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
「フォースの覚醒」のライトセーバー戦は“もっさりだからこそ良い”のではないか
136万人が2015年に読んだ不定期村ブログ記事ベスト10
【御礼】当ブログの電子書籍が1週間で2,000部以上売れました。
意外と尖っていなかった「ゲスの極み乙女。」を舐めてかかって舐め回された話

Viewing all articles
Browse latest Browse all 177

Trending Articles