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Channel: YU@Kの不定期村
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駄作の鎖を解き放ち抱きしめたい「仮面ライダーキバ」

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

今でも鮮明に覚えている。「仮面ライダーキバ」放送前に公開された公式ホームページの導入欄に「現代と過去を並行して描き密接にリンクする」「脚本 井上敏樹」とあったのを目にして「おいおい大丈夫かよ…」と漏らしてしまったあの日。22年の時を経たふたつの時代を同時進行で描き数々の要素が絡み合っていく「仮面ライダーキバ」は、売上だけで見れば前作「電王」を大きく下回り、哀しいかな未だに「駄作」の烙印を押す人をネットで見かけることは少なくない。別に“アンチのアンチ”を叫ぶ意図はないのだけど、私としては「た… たしかにアレな部分はあったかもしれない… が!キバは… キバはいいんだぞっ…!」という震える肩を自ら抱くような姿勢を取っている。以下、「キバ」について清濁含めた思いを徒然と綴ってみたい。





前提として、私は井上敏樹脚本作品がこの上なく大好きだ。平成ライダーで一番好きなのは「ファイズ」だと度々書いていて、血迷って自作スピンオフ短編小説なぞを書いてしまうほどだけど、同時にファイズが完全無欠にクオリティの高い作品かと問われたら泣きながらNOと答えるだろう。「もうちょっと上手くやってくれたら…」「あそこのグダグダは…」とか色々と言いたいことはあるし、それでもその全てを“好き”と言い切れる自信もある。『「好き」と「クオリティが高い」は、往々にしてイコールではない』と以前ウルトラマンネクサスの記事に書いたけれど、「ファイズ」もこれに近い感覚を持っている。

例えば「ジェットマン」も「ゴウライガン」も、素晴らしい作品でありながら完全無欠かと問われたら答えには躊躇してしまう。その表現なら「仮面ライダークウガ」や「W」の方がしっかりきっかり組まれていると思うし、こちらもまた心底大好きな作品だ。井上敏樹脚本作品は、時にあまりに濃すぎる色や整合性をかなぐり捨てた展開があるものの、瞬間最大風速はべらぼうに高く、愛憎劇や男同士の(良い意味での)臭すぎる関係性においてはピカイチだと感じている。決して万人ウケする訳ではないかもしれないが、独自のプライドと方法論に基づいた作劇に幾度となく魅了されてきた。

だからこそ、「現代と過去を並行して描き密接にリンクする」という「キバ」の構成は、失礼ながら「大丈夫かよ…」という不安を抱いてしまった。キャラクター云々とは別の意味で時代間リンクの長期的な“パズル”(=整合性)が求められてしまう設定であるし、その“パズル”が井上敏樹脚本と相性が良いかと問われたら、これまた泣きながらNOの札を上げることになるだろう。かくして、「仮面ライダーキバの設定と井上敏樹」という組み合わせに、尊敬している根っからの文系の父親が突如サーフィンに挑戦すると言い出したような感覚を持ってしまった。(言うまでもなく作品設定等はプロデューサーを始め多くの人の手によって決められているが、それを踏まえた上でメインライターとの相性について言及している)





さて、前置きが大変長くなったが、「仮面ライダーキバ」本編について。22年という時を挟んだふたつの時代で、紅音也とその息子・紅渡がそれぞれファンガイアと敵対しながら運命を紡いでいく物語。

ヴァイオリニストである音也を主役に据えた「過去編」では、世に跋扈するファンガイアという種族と戦う素晴らしき青空の会の戦士・麻生ゆりをヒロインとし、やがて開発される初期型イクサシステム、ファンガイア以外の怪人種族との出会い、入り乱れる恋愛関係などを展開していく。一方の「現代編」では、なぜかキバに変身できる力を持っている渡が、父が残したヴァイオリンの響きに導かれ闇に紛れてファンガイアを討伐する。渡の出生の謎や亡き父が辿った真実を抱えながら、物語は次第にファンガイアと人間の種族間抗争にシフトしていく。

親子であるふたりの“紅”が主人公だが、それぞれそのキャラクターとしての前後が明かされぬまま逆方の編で答えだけが提示される。音也は女ったらしで恋多き男だが、誰と結婚し子を儲けるは分からない。しかし現代では実際に子供がいて、その子はなぜかキバという人外の力を宿している。息子である渡は父親がどんな人間だったのか・どんな人生を送ったのかをほとんど知らないが、それをまた同時進行で過去編にて紡いでいく。互いに先にミステリーの答えを配置し、「何がどうなってそうなったのか」という過程部分を1年間かけて解き明かしていくのだ。

…というシリーズ構成的なミステリー要素は大きく存在するものの、基本の2話前後編構成で小さな“パズル”も度々描かれていく。過去編で暴れたファンガイアはなぜ22年の時を経て再び暴れ出したのか、ゲストのキャラクターは過去に音也と関わりがあったようだが彼から何を見聞きしたのか、など、ふたつの時代という設定を活かした人情劇等が毎週展開された。とはいえ、予算の都合か「2週に1体の怪人」というルーティーンの結果、「過去で音也が取り逃がしたファンガイアが現代でまた暴れて“たまたま22年の時を経て”渡と遭遇する」という偶然性の高い構成になって(しまって)いた。この辺りがもうちょっと煮詰めてあったらなあ、という思いは正直拭えない。





結局過去編においてはファンガイアの討伐率が非常に悪くなってしまうし、22年間野放しのファンガイアは何をしていたんだというツッコミと時にそれを回避する物語に尺が取られてしまう。物理的にファンガイアを拘束なり凍結なりしていた、というロジックがほぼ皆無だったため、「たまたま各々の時代でエンカウントして」「22年間野放し」というズブズブな進行には楽しく視聴しつつも「う~ん」と思っていたのが本音である。このような、製作上の事情と物語のロジックがギリギリ噛み合っていない様子が散見されるのが、良くも悪くも「仮面ライダーキバ」といったところだろうか。

余談だが、これが仮に平成2期だったら「怪人を封印するファンガイアカプセル」なる設定があったのだろうか、などと妄想してしまう。過去編で音也たちがファンガイアをカプセルに封印し青空の会がそれを保管していたが、現代でそれが何者かによって解放されてしまう。青空の会はその対策が急務だが、なぜか未確認のファンガイアカプセルを所有しそれで変身やフォームチェンジを行うキバという存在が現れて…(書いてて思ったけどこれほとんど仮面ライダー剣では)。当たり前のようにファンガイアカプセルは食玩とガチャポンにラインナップされてレジェンドライダーカプセルも発売されるとか何とかかんとか……。





さてさて、前述の「製作上の事情と物語のロジックがギリギリ噛み合っていない様子」についてだが、シュードランやパワードイクサーやフェイクフエッスルやブロンブースターといった“極端に出番が少ないけど玩具が発売されたギミック”についても避けては通れない。

キャッスルドランが死したファンガイアの魂を食べる設定は「龍騎」のミラーモンスターらしくてとても好きなのだけど、そのDX玩具は絶望的に面白くないギミックと見た目でしかなかったという闇…。放送終了後に特価980円でドン・キホーテの棚を占領していたキャッスルドラン…君のことは忘れない…。シュードランについては存在自体が抹消されたのでは、という勢いすらあった。まあ、ゼクトマイザーとかスマートパッドとか“死に設定玩具”は割とシリーズに付き物なのだけど、こと「キバ」においてはその数やバラエティが豊富だったな、と。

ガルルとバッシャーとドッガの描き方も前作「電王」におけるイマジンコントのヒットがむしろ足を引っ張っているかな、とか、キバが放つ必殺キック“ダークネスムーンブレイク”(名前かっこよすぎだろ…)で夜になる演出が良かったのにめっきり無くなってしまった、とか、そもそも子供番組で盛大に女の取り合いだの浮気だのをやるのはどうなんだ、とか、前作「電王」の影響が清濁含め強すぎて放送当時のネットではアンチだの信者だのの醜い争いが絶えなかった、とか、「キバ」を取り巻く様々なモヤモヤは挙げていけばキリが無い。

と、言いつつも、それでもやっぱり私は「キバ」が大好きなのである。「ここがダメ」「あれがダメ」という話なら三日くらいは徹夜できるだろうけど、それでも心から好きなんだから仕方がないのだ。何よりまずキバのデザインそのものが最高にかっこいいとか、イクサのセーブモードがこれまた極上にかっこいいとか、デザインワークと造形については言わずもがなである。ファンガイアのステンドグラス調のデザインは「ファイズ」のオルフェノクを想起させる“縛りデザイン”で、個性と美術性に満ちていた。キバやサガなど西洋の鎧・甲冑を引用したゴツくもスマートな佇まいはこれでもかと画になるし、OPにおけるバラの敷き詰められた王の間で王座につくキバのカットはあまりにも強烈だ。痺れる。





また、特筆すべきは武田航平演じる紅音也というキャラクターだ。結城凱、草加雅人に続く「3大井上敏樹果汁100%固形男」とでも言うべき愛すべきマイペース野郎。武田航平がこれでもかとノリッノリで音也を全うし、その存在だけで過去編のドラマ全てを見事に牽引していた。

音楽にかける情熱は人一倍だが、恋が多く楽天的ですぐに調子に乗って、それでもキメるところはバッチリとキメるかっこよすぎな男の中の男。同じ男性として、やはり一種の憧れを抱かざるを得ない。麻生ゆりに宿敵・ルーク妥当のためイクサシステムを放ってよこした時の「フッ…」という仕草に痺れ過ぎて堪らないのだけど、彼の飄々とした演技やそのスタイルは「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロウを参考にしたとのこと。彼を好きになれるか否かが、ひいては「キバ」を好きになれるか否かとほとんどイコールだったのではないだろうか。







過去編では、完成したばかりで不完全さも見られるイクサシステムを武器にファンガイアと戦う音也たちと、同時に三角関係からの浮気発生なドロドロ恋愛模様が描かれる。目の部分が“開かない”セーブモードのイクサが非常にかっこよく、「短時間しか変身できない」という設定はボロボロになっても戦い続ける音也の旨味を増幅させ、時には敵にダメージを与えるアイテムとしても活躍した。

前半ではガルルこと次狼と音也がゆりを巡る恋愛レースを展開し、結果としてそれが音也の勝ちに終わる(次狼がゆりをさらってツタで拘束してウオオオオってやりだした時は色んな意味でどうしようかと思ったが…)。しかし一転、後半は音也がファンガイアである真夜に惹かれてしまい、渡が生まれるまでの愛の崩壊と成就にシフトしていく。外見や性格よりも魂(音)の共鳴を重視する音也だったが、普通に考えて「善くない」行動であり、それでも彼の生き様そのものにどうしようもなく目が奪われるという、井上脚本“らしい”展開であった。

まあ、最終的にキング(バッドファンガイア)がすこぶる割を食った展開だったと言わざるを得ない…。奥さんに浮気されて浮気相手にめちゃくちゃ挑まれて親子にダブルキック喰らって最終的には現代に傀儡として蘇生されてしまいまたもや2対1で宙吊りにされキックされ爆散…。もはや安らかに眠って欲しさしかない。とはいえ、「悪い奴だから倒す」みたいなヒーロー像は「キバ」ではほとんど描かれておらず、良くも悪くも皆が私利私欲のプライドと理想を抱いて交錯し殴り合う感じだったので、これはこれで“らしい”な、と。ちょっと肯定的すぎるかもしれないけれど、「キバ」の物語は結局「魂(音楽)の強い奴が勝つ」みたいな印象があった。

ダークキバや下位互換鎧のサガ、チェックメイトフォーという幹部継承システムなど、ゴシックタッチでまとめられたファンガイア組織も大きな魅力のひとつ。平成ライダーの敵組織はグロンギやスマートブレインのように人間社会に潜み溶け込むニュアンスのものが多かったが、ファンガイアは歴史の闇で暗躍する「しきたりの種族」という“いかにも感”が面白い。しかし、ラッキークローバーと同じで結局敵幹部がズラッと揃ったりすることはほぼ無かったりで、もうちょっとガツガツと(この設定を)活躍させて欲しかったな、という気も…。







現代編は、「この世アレルギー」にかかった渡が(要は単なる引きこもりだった)、なぜか自らに有するキバの力を使ってファンガイアを討伐していく物語。青空の会の恵や名護はキバの正体を追うが、一方で渡がそれと知らずに仲を深めていく。「キバは世界を滅ぼしかけた」という触れ込みだったが過去編が終わってみてもあまりピンとこなかったり(ダークキバと誤認しているかもとか幻のウェイクアップ3とか言いたいことは山ほどあるが)、あれほど引っ張った名護への渡の正体バレがめちゃくちゃ偶然で消化されてしまったり、名護さんはキャラとしては大好きだと前置いた上でネタキャラ化が凄まじすぎてもうちょっと抑えて欲しかったとか、こちらも引き続き色々とモヤモヤはある。

現代編では、紅渡という人間とファンガイアのハーフな存在が1年間かけて成長していく変遷が描かれた。引きこもりで他人嫌いだった渡が恵や名護やジンジンと知り合いコミュニケーションを覚え、亡き父の背中を追い、恋愛も経験し、自身の出生と血の秘密に苦悩し、義兄弟と争い、そして一人前の男になっていく。終盤ではキャッスルドランの扉を介して過去に行き、実の父親との対面も達成。追い求めてきた“父性”を身近で感じ取ることで、義兄弟との決着に向けた決心が育つ、という流れであった。







演じる瀬戸康史は同時期に連ドラにも出演したりと多忙を極めたが、何よりまずアフレコの上手さに驚いたのを覚えている。「ハァッ!」というキバの戦闘時ボイスは非常にかっこよく、フォームチェンジによって荒ぶったり可愛げがあったり重厚だったりで素晴らしい使い分けだった。1話の時点であれだけ当てられるのは本当にすごい。変身するいざというカットでの睨みつけた視線だったり、ナヨナヨしてからの「キバットっ!」でフッと人が変わる感じとか、人間味と“ファンガイア味”を感じさせてくれるアクトだった。

キバのアクションは縦軸を意識しぶら下がったりキックを叩き込んだりとまさに蝙蝠らしい動きが見所で、腕を手前でクロスしたり斜めに構えたりするキメのポーズは高岩さんの流れるようなボディラインがかっこいい。「ディケイド対大ショッカー」のメイキングだったかで高岩さんがキバのスーツアクターの方に腕から肩にかけてのラインを指導していたが、素人目に見てもあれは難しいよなあ、と。とにかく、動物的かつスマートで、気品があるのだ。

そういえば、「キバ」を語る上で欠かせないのは音楽展開。前作「電王」での音楽人気を継承してか、ちょっと異常なくらいに力の入ったラインナップであった。瀬戸康史をボーカルに迎えたバンド・TETRA-FANGは、キバ・イクサ・サガのイメージソングをそれぞれシングルで発売。ミニアルバムとフルアルバム、更にはイクサコンピレーションアルバムも出しつつの番組放送終了後にアンコール企画盤まで出るという…。もちろん私はその全部を当時アホかと言うくらい聴き込んでいたけど、どれもちゃんと作ってあって最高に聴きごたえがあるのだ…。瀬戸くんの歌唱力の上昇っぷりも目を(耳を?)見張るものがあった。各ミュージックビデオもバラエティ豊かで楽しい。(瀬戸康史の半裸フィーバーPVは色んな意味で直視できないが)







脈略なく語りまくってしまったが(それでもまだ触れられなかった部分が山ほどあるが)、結局何を言いたいかというと、「私はキバが好き」ということだ。同時に、「キバはめちゃくちゃ良く出来た作品ではない」とも思っている。このふたつは一見相対しそうで完全に共存できるものであり、そういうものに限って余計に愛着が沸いて「好き」が濃くなるものだ。ネットを見渡すと本作品をボロクソに叩いている人も多くて、「駄作!」「平成ライダーワースト!」との意見も時に目に入らなくはないのだけど、「そうだよな… そういうダメなとこあったよな… でも、自分はめっちゃ好きなんだよなぁ」と肩を震わせつつ最終的には音也のようなニカッとした笑顔に帰結していく。

改めて俯瞰して見ると、「仮面ライダーキバ」は電王バブルとディケイドバブルに挟まれた作品であり、その後カブトの強いキャラクター性や電王の陽性な作劇が平成2期に色濃く受け継がれたようにも思えるからして、当時にしてすでに「あの頃にしてはどこか懐かしの平成ライダー」だったな、と。色々と残念な要素も散見されるも、それでも、音也と渡が引っ張り続けた「音楽」と「魂」の物語は、私の中では十二分に「駄作」の烙印を寄せ付けない魅力に溢れていたのだ。


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