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Channel: YU@Kの不定期村
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なぜシビル・ウォーは勃発するのか。逆転するキャップとトニーの主張、MCUフェイズ2が仕掛けた布石

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

これを書いている数日後に公開されるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)最新作「シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ」。MCUはもう何年も追っているが、あのシビル・ウォーがついに実写映画化され慣れ親しみまくったトニーとキャップが争うなんて、観たいような観たくないような、そんな歪なワクワクを抱えている。ストーリーは以下の公式サイト引用の通りだが、アベンジャーズとう存在をどう扱うべきか、言うまでもなく「アベンジャーズ2.5」という作品になっている。




数々の危機を救ってきた“アベンジャーズ”が、国連の管理下に置かれることを巡り、激しく対立するアイアンマンとキャプテン・アメリカ。さらに、ウィーンで起こった壮絶なテロ事件の犯人として、キャプテン・アメリカの旧友バッキーが指名手配されたのを機に、アベンジャーズのメンバーは大きな決断を迫られる。過去を共にした無二の親友か、未来を共にする仲間たちとの友情か――ふたつの絆で揺れるキャプテン・アメリカがある決断をしたとき、世界を揺るがす“禁断の戦い(シビル・ウォー)”が幕を開ける。

作品情報|シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ|映画|マーベル



このシビル・ウォーが実際どんな映画に仕上がっているかは公開日にならなければ分からないし、この公開直前にその中身に関してあれこれ妄想をしてもすでにタイムリミットのような気がする。それとは別に、自分のためにも改めて整理しておきたいのは、“シビル・ウォーの話”ではなく、“シビル・ウォー以前の話”である。つまりは、MCUというシリーズは主にフェイズ2の3年間をかけて、このシビル・ウォーへの布石を着々と積み上げてきたのではないか、という趣旨だ。

というのも、改めてシビル・ウォーのあらすじを読むと、キャップの親友バッキーの処遇と、アベンジャーズを国連の管理下に置くか否かという議題と、大きく2つの問題がキャップに降りかかるとのこと。私がポイントと捉えているのは主に後者の方で、つまりは「本来軍人であるキャップ(スティーブ・ロジャース)が組織の管理下で戦うことを拒む」というシークエンスだ。「ザ・ファースト・アベンジャー」で描かれたように、スティーブは本来“恵まれなかった人間”であり、だからこそ軍人になり国家に尽くすことを渇望した存在だ。超人になってからは軍備的・政治的の双方の意味で、アメリカ国軍の先頭に立った。軍という組織下で、ひとつの命令系統の中で、そこで“個”を持ってあたることに高潔さを見出す。スティーブ・ロジャースとは本来そういう人物だったのではないか。





対するアイアンマンことトニー・スタークは、自社の製品がテロリストに利用されていることを知り、兵器事業から手を引き、お手製のパワードスーツでその尻拭いをしていく人生を選んだ。過去シリーズではアイアンマンスーツが個人所有であることを批難されたりもしたが、軍への提供を固辞。「私がアイアンマンだ」の台詞が1作目と3作目を彩るように、徹底してトニー・スタークという“個”にこだわり抜いてきた男だ。その男が、あろうことか今作シビル・ウォーでは「アベンジャーズは国連の管理下にあるべき」という主張サイドで行動する。

この主義主張の逆転は、MCUフェイズ2が3年をかけて描いてきた作劇によるものだろう。まずキャップだが、彼に起きた一大事といえば言うまでもなく「キャプテン・アメリカ / ウィンター・ソルジャー」におけるシールド崩壊である。軍人として華々しく氷山にその身を捧げた彼だったが、目覚めたらシールドの管理下でアベンジャーズに加入しろと勧誘される。当初はそれを訝しがっていたが、凸凹なメンバーがコールソンの死を契機にまとまり、正真正銘のヒーローチームとして完成する。彼にとって“アメリカ軍”の次に身を置いたのが“シールド”だった訳だが、そのシールドには多数のヒドラ残党が転覆を狙って潜んでおり、結果崩壊してしまう。彼はその身を置いた組織を生涯を通して2つ失ってきており、更にはそういった体制そのものに(ヒドラを含む)不信感と疑心の目を拭い切れないだろう。





トニー・スタークの逆転イベントは、やはり「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」だ。彼の作ってしまったウルトロンという存在が、結局は街ひとつを無に帰する大惨事を招いてしまう。しかし、彼は外敵により仲間や大切な人が傷つくのを心の底から恐れており、実はああいうキャラクターでありながら誰よりも繊細で“弱い”心を持っている。その純然たる恐怖心がウルトロンを造ってしまい、結果、チーム全体が彼の尻拭いをすることとなった。アベンジャーズという存在が何もプラスだけではなく、時にマイナスを生み出す。偉大なる前例を“作ってしまった”のは、他でもないトニーなのだ。自身の恐怖心と、それを外に見せない気丈でマイペースなキャラクター、自身の研究欲とそれを止められないことも誰よりも本人が分かっている。「ウルトロンの罪」を考えるに、超人チームが時に引き起こしてしまうマイナス面を誰かに制御してもらうべきではないか、それが今回“国連の管理下”という形に現れたとするならば…。

もっと言ってしまえば、トニーは誰かに自分を止めて欲しいのかもしれない。もう自分のあらゆる要素が引き返せない局面まで到達しており、ウルトロンの件も含め、何が正しくて何が“間違ってしまう”かの線引きに自信が持てない。それを正直に告白して弱さを露呈することもプライドが許さない。「自分の弱さ」と「揺らぐアベンジャーズの必要性」を意識的か無意識か混同させ、国連の管理下に一票を投じているのではないだろうか。





昨年のAOUのレビュー記事で、私は以下のように書いた。




そんなホークアイだからこそ、前田有一が批判した、そしてウルトロンが問いかける、「アベンジャーズは必要なのか?」のカウンターポジションになれる。終盤、スカーレット・ウィッチと家屋に逃げ込んだ際に、彼は彼女を諭す。「自分のせいだとか、今はそんなのはどうでもいい。戦えないなら戦わなくていい。だが、ここから外に出たなら、君もアベンジャーズだ」。つまり「アベンジャーズ」とは、「アイアンマンとキャプテン・アメリカとソーを中心としたヒーローチーム」という意味を超えた、何かなのだ。それは一種の象徴であり、存在であり、脅威であり、憧れであり、希望。「アベンジャーズがアベンジャーズでなくなる」ことが、このAOUが踏み出した一歩であり、今後のMCUを別次元に押し上げていくのだ。

「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」は駄作でも傑作でもない



AOUを経て「アベンジャーズがアベンジャーズでなくなる」シークエンスに突入し、次なる「じゃあ、アベンジャーズは今後どうなるの? 彼らは何のために存在して何のために戦うの?」という議題において、組織に属することを是としない軍人と、組織に自信の弱さを担保して貰おうとする実業家が、互いに先陣をきって激突する。これこそがシビル・ウォーという作品の構図であり、MCUがフェイズ2で3年をかけて作ってきた土台ではないだろうか。

「アベンジャーズとは一体何なのか」「何であるべきなのか」。この難題に挑む映画だが、冠はあくまで「キャプテン・アメリカ」である。つまりスティーブ・ロジャースという“個”の何らかの決断と意思表明がクライマックスにあると思われるが、果たしてどんな結末が待っているのか。ここで下されたジャッジが、自動的に来るべき「インフィニティ・ウォー」の構図を明らかにしていくことだろう。


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