こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。
その昔、私の特撮の師匠(?)にあたる叔父から観せてもらった映画、『原子怪獣現わる』 (原題『The Beast from 20,000 Fathoms』)。あの「初ゴジ」こと54年版『ゴジラ』に大きな影響を与えたとされる作品だが、観たのが幼い頃だったというのもあって、「恐竜がカクカク動く白黒映画」という記憶しかなかった。昨年末にAmazonをふらふらと見ていたところ、なんと本作のBlu-rayがたったの1,000円程度で売られていることを知り、『シン・ゴジラ』で怪獣映画熱が高まったこのタイミングで復習するのも悪くないと即購入。約二十年ぶりにリドサウルスの暴れっぷりを鑑賞した。
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監督はユージン・ルーリーだが、やはりこの映画は特撮の巨匠で知られるレイ・ハリーハウゼンの名前が先に挙がるだろう。コマ撮り・ストップモーションの名手として名高い彼の本格デビュー作が、この『原子怪獣現わる』にあたる。レイ・ブラッドベリの短編小説『霧笛』が原作とされているが、実はこれにも逸話があるようで…。(詳しくは後述)
ストーリーは良くも悪くも捻りは無く、「北極の水爆実験で目覚めた太古の肉食恐竜・リドサウルスは、海流に乗ってついにマンハッタンに上陸!しかし倒された!」というもの。発端は水爆実験だが、それによる影響や変異は特に劇中で説明されず、単に氷漬けにされていた恐竜が目を覚ました、という扱いを受けている。劇中でも熱核兵器に関するテーマや、ひいてのアンチテーゼは全く存在せず、ひたすらにリドサウルスを中心に置いた怪獣パニックで完結する作品だ。むしろ、リドサウルスを目撃した主人公やその他の登場人物が周囲からメッタクソに「キ〇ガイ扱い」を受け、精神を病む者まで現れるが、それでも怪獣の存在を証明しようと奮闘する様に尺が割かれている。一応の恋愛描写もあるが、あまり物語的には機能していない。
ハリーハウゼンによるストップモーションで描かれるリドサウルスだが、やはり先に「ゴジラ」で育ってしまった私には、正直に言うと、「カクカク感」を完全に拭い去ることは出来ない。とはいえ、これが製作された背景や用いられた技術を踏まえて観ると、グリグリと動き・尻尾をくねらせながらマンハッタンで暴れまわるリドサウルスの雄姿には、どこか純粋な感動を覚える。ビルに突撃し、車を踏みつけ、人を容赦なく捕食する様も、中々の迫力がある。あとはやはり、音が重要だ。唸り声や咆哮など、目でいくら「カクカク」を感じたとしても、耳は嘘を付かない。逃げ惑う街の人々も迫真の演技だし、盲目の男性が逃げる人並みの下敷きになるシーンは思わず目を覆いたくなる。
クライマックスは遊園地のコースターでの戦いが繰り広げられる(舞台装置は、特撮セットの見せ場を作るためのハリーハウゼンによる提案だとか)。その血液に毒性があるリドサウルスは、単に重火器で退治できない。現に何人もの兵士が毒素にやられ、昏睡状態に陥ってしまっている。そのため、首元にかろうじて残した傷跡に主人公が研究していた放射性アイソトープを撃ち込むことで、機能を停止することが出来るというのだ。(主人公と恋仲になる研究助手の女性が序盤で「彼のアイソトープの研究は~」と言及しているのが細かい)
かくして、主人公とゴルゴ13並みの職人オーラを漂わせた狙撃手の計2人がトロッコに乗り込み、コースターを登る。高い狙撃位置からの一発が見事命中するも、リドザウルスは苦しんで暴れまわり、コースターを破壊。辺りが火の海になる中、2人は無事地上に脱出し、燃えるコースターをバックにリドサウルスは息絶えるのであった…。
…という、このラストカットだが、やはり怪獣映画が好きで観ているような人間からするとある程度作中の怪獣に感情移入してしまう訳で、相当に歯切れが悪いというか、ビターなエンディングのように思えてしまう。狙撃担当の2人は地上で待っていた兵士たちから喝采を持って迎えられるが、リドサウルスは相当苦しそうにのたうち回り(ここのストップモーションがまた飛びぬけてよく出来ている)、唸り声が次第に小さくなり、燃え盛るコースターを背についに事切れるのだ。そして「THE END」が ジャジャーン! と出てくるが、水爆実験という人間のエゴで勝手に起こされて遂には退治されてしまうリドサウルスを想うと、どうにもやり切れない。まあ、街を盛大に破壊して普通に人間を食べたりしていたので、「人里に降りてしまった熊の理屈」として致し方ないのだが…。
この後味の悪さは、やはり98年公開の『GODZILLA』、通称「エメゴジ」と通ずるところがある。なぜ“やはり”なのかというと、この「エメゴジ」の製作・脚本に名を連ねるディーン・デブリンが、映画雑誌のインタビューで「ハリーハウゼンのリメイクだと資金が出なかったからゴジラのリメイクということにした」という超絶暴露をしちゃっているという背景がある。
改めてリドサウルスとエメゴジを比較してみると、その大きなイグアナらしきフォルムからして、似通った点をいくつか挙げることができる。「エメゴジはゴジラなのか」という話題は特撮オタク界隈では何周も繰り返されてきたものだが、「初ゴジ」が『原子怪獣現わる』の影響を受けていることを加味すれば、遠縁の親戚くらいは言ってしまっても差し支えないだろう。まあ、個人的にはエメゴジも“あり”だと思っているが、当時の日本人が持つ最大公約数の「ゴジラ像」と大きくかけ離れていたことは、もはや言うまでもない。
▲以前中古で購入した「キネ旬ムック 動画王 VOL.6 巨大怪獣特集(1998年)」にも、「エメゴジ」のメッタクソな酷評が載っていた。「そこにゴジラはいなかった」とまで…。
『原子怪獣現わる』を改めて観て、今ならハッキリ言えるけど、エメリッヒ・ゴジラは(世間的な否定要素は別の意味で)ゴジラじゃないなあ。たしかにありゃリドサウルス・リブートだ。キャラとしての人格がリドサウルスなのよ、エメリッヒ・ゴジラ。
— 神谷純 (@junkamiya) 2014年7月14日▲アニメーション監督の神谷純氏が「キャラとしての人格がリドサウルス」とツイートされているが、まさに言いえて妙だと思う。
さて、上でも書いたように本作はレイ・ブラッドベリの短編小説『霧笛』が原作とされているが、これにはひとつ逸話があったことをつい最近知った。というのも、買ったBlu-rayの特典映像としてレイ・ブラッドベリとレイ・ハリーハウゼンの「レイ対談」が収録されており、そこで製作の経緯が語られていたのだ。大の仲良しとして、更には若い頃は宇宙を目指すクラブに所属していたという恐竜・SF大好きなおじいちゃん2人組みとして、和気藹々とした雰囲気で対談(実際はワーナーで行われたトークショー)が進んでいく。
後半、『原子怪獣現わる』の製作経緯に触れると、実は当初は『霧笛』とは全く関係のない企画(脚本)だったことがブラッドベリから語られる。「私に持ち込まれたシナリオを読んでびっくりした。私が新聞社に送った(掲載した)短編とよく似ていたから」、と。その後、製作サイドは慌ててブラッドベリに原作映画化の権利買取を持ち込み、かくして名実ともに「『霧笛』原作」になったというのだ。よくできた偶然である。
ハリーハウゼンの作る特撮が面白くて、先日『タイタンの戦い』(81年公開版)のBlu-rayも購入。この物語に出てくるメデューサやクラーケンの尻尾のうねり方は、間違いなくリドサウルスのそれであった。本体がゆっくり動く際にも、尻尾だけはグリグリとうねる。
…などと、一体何を語りたいのかよく分からない記事になったが、せっかく『原子怪獣現わる』のBlu-rayを特典映像まで鑑賞したので、その記録として思うままに書いてみた。まあ、ここまで語っておいて申し訳ないが、本当にぶっちゃけて言っちゃうと、リドサウルス関連以外は見所に欠けまくる作品である。恋愛シークエンスはどこにも着地しないし、怪獣の存在を証明しようと奔走する主人公の努力が実るシーンも無い(普通に上陸して存在が判明しちゃう)。尻尾をグリグリと動かしながら哀しく絶命するリドサウルスの雄姿(?)が観たい方にだけ、オススメである。
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— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年1月3日※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら。
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【過去記事】
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・【総括】閉眼!『仮面ライダーゴースト』のメッセージ!
・『別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.5』に「田口清隆監督&『ウルトラマンオーブ』紹介コラム」を寄稿しました
・茶化された復讐劇の先に『ファイアパンチ』。映画監督トガタは何を目的としたキャラクターだったのか