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Channel: YU@Kの不定期村
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『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。

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こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

以前から何度も『遊戯王』について書いてきた私だが、ご多分に漏れずスマホアプリ『デュエルリンクス』にもめちゃくちゃにハマっている。『10年ぶりに遊戯王に触れた浦島太郎デュエリストがあまりの環境変化に膝から崩れ落ちてかっとビングした話』でも書いたように、昨年の今頃は『タッグフォース』で遊戯王熱を高めていたが、その後の映画『THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』で更に熱が高まり、そして待望のアプリ『デュエルリンクス』が予定から遅れてリリース。遅れた甲斐があったと言うべきか、本当に素晴らしいアプリに仕上がっていた。





というのも、「カードゲームのゲーム」というのは、実は非常に難しい。ギャザやデュエルマスターズに代表されるような遊戯王以外のカードゲームも沢山遊んでいたが、それがデジタルゲームとなると、どこか“別種のプレイング”を要求されてしまう。つまりは、「CPUは人じゃない」からである。…と書くと、頭がおかしくなったと思われそうだが、「CPUが人ではない」事は、「カードゲームゲーム」において最大の弱点であると、私はずっとそう感じていた。

理由を簡潔に書くと、「CPUは魔法カードをリバースしない」し、「セオリーに基づいた“読み”で攻めてこない」のである。遊戯王に代表されるカードゲームには人と人が交流するからこその土壌というものがあって、例えば前者なら「ブラフで罠カードに見せかけて関係ないカードを伏せる」、後者なら「今の環境だと『モンスター破壊のリバースモンスター』を多くの人がデッキに入れているから警戒しなければならない」といったものが、その“交流”により発生する醍醐味であったと私は感じている。「カードゲームゲーム」にはそれが無く(むしろそれを求めるのは酷な話であり)、それがこの類のゲームにおける“最大の弱点”であり、独特の“食い足りなさ”ではなかったろうか。

遊戯王には、持てる手札を使った詰将棋のような一種の“正解”はあるものの、それは麻雀における「まっすぐ切っていく」プレイングと同義であり、作ったデッキ・狙った形・場の状況・相手の狙いによって、一見不効率な判断を求められる場面が多々ある。「殴れるのに殴らない」「発動できるけどあえて見過ごす」「わざと自分のモンスターやカードを破壊する」。「人でないCPU」は、こういった不効率なプレイはよっぽどでないとしてこない。

つまり、「カードゲームゲーム」におけるCPUは、ブラフを仕掛けることもせず、日々移り変わる環境に適応することも出来ず、ひたすらに詰将棋のようなプレイングで攻めてくるのだ。そうなると、それに応対するこちらは必然として“読みやすく”なってしまう。「どうせ普通に攻撃してくるだろうから罠を張ろう」といったように、それは本来のカードゲームが持っていた“対人戦の面白さ”とは別種の何かになってしまう。




▲懐かしすぎるゲームボーイ版。


とは言いつつ、それは絶対的に仕方のないことだった。ゲームを作る人は、人工知能を作っている訳ではないのだ。パターン分岐の詰将棋を作るだけでも膨大な作業量だったろうし、その苦労を想うと感謝しかない。「CPU相手は読みやすい」とは言ったものの、普通に強いCPUは強いし、むしろ人間にはない機械的な発想(残ライフを的確に計算し無駄を省く、など)にハッとさせられた時もある。しかし、やはりどうしても、私にとってのカードゲームは、私にとっての遊戯王は、「誰かと面と向かって読み合うゲーム」だったのである。

自分がまだ「僕」と自称しつつ決闘者(デュエリスト)であったあの頃、近所のおもちゃ屋のカードゲームコーナーにはいつも人が溢れていた。暇さえあればそこに寄り、互いのカードを交換して、見知らぬ人とデュエルをして、時には上級生にコテンパンにやられ、時には下級生を罪悪感と共にボロボロに負かし、移り変わるゲーム環境に遅れまいと流行のプレイングを取り入れ続けた。家に帰れば兄弟とデュエルを繰り返し、相手がどんなデッキ構成かはもう分かり切っているのに、それでもハラハラドキドキしながら、読んで睨んで笑って語り合った。

大人になるにつれ、いつしか遊戯王から離れてしまった。今でも家のクローゼットには当時のデッキがそのまま眠っているが、新しく発売されるカードを買って、知らないカードにいちいち驚き、近所のおもちゃ屋に通い続ける生活はやめてしまった。勉強や部活が忙しかったり、お小遣いに他の使い道が出来たり、理由は様々なそれの複合型だったが、原作である『遊☆戯☆王』を引き続き溺愛しながらも、カードゲーム(OCG)そのものはもう何年もやっていない。これを書いている今も、そうである。





そんなこんなで前置きが長くなったが、そう、『デュエルリンクス』である。歴代の『遊戯王』キャラクターがフルボイスで喋ってくれるとか(掛け合いもまた素晴らしい)、斜めの画面構成がよく出来ているとか、BGMがアニメ版DMの雰囲気そのままだとか、カードの上にモンスターがソリッドビジョンっぽく出現するとか、気に入っている点を挙げればキリがないが、何より「コロシアム」モードである。全世界のデュエリストと、リアルタイムで通信対戦が出来るのだ。この!この素晴らしさといったら!顔こそ見えないものの!ブラフが飛び交い!新パックが発売される毎に流行りのプレイングが変わり!一見不効率なカード捌きが戦略の名のもとに交差する!これだ!!これが!!!遊戯王なんだ!!!

気持ちは一気にあの頃のおもちゃ屋のカードゲームコーナーに引き戻され、思わず涙が出そうになる。「アックスレイダー」の1700が星4モンスター最高打点だったのはもう古いのだ。そうやって、環境が!セオリーが!変わっていく楽しさ。「あ、これは『ダイダロス』の召喚がくるな!“今流行ってるから”!」と予想し、先回りしてフィールドカードを除去しておく楽しさ。相性の悪いデッキと当たってしまったことが“分かる”!だって今の環境だとアレとアレとあのパターンが多いから!そう気付ける楽しさ。新パックが発売され、新たなカードを目にした時の「やばい!これはセオリーが変わるぞ!」という焦燥感とワクワクを味わえる楽しさ!!





スマホさえあれば、どんな時でも何処にいても、あの頃の「誰かと面と向かって読み合うゲーム」を堪能できる。ゲーム機も通信ケーブルも約束して待ち合わせする必要もない。そりゃあ、さすがに文字通り“面と向かって”はいないものの、デュエルの本質的な部分でこれ以上なく“面と向かって”いるように感じるのだ。(まあね、『遊戯王ONLINE』はあったよ。ありましたけどね。やっぱり『デュエルリンクス』におけるスマホとの相性とは比べ物にならない…)

ありがとう、『デュエルリンクス』。本当にありがとう。プレイしていると、「こんなオッサンでも決闘者を名乗れる場があるんだ…」「リアルタイムで誰とでも分け隔てなくデュエル出来る場があるんだ…」という強烈なノスタルジーに襲われてしまい、心の奥がギュッと締め付けられる。誰だって、魂に嘘は付けないものだ。


デュエルリンクス、遊戯が本人ボイスで「アドバンス召喚!!」と叫ぶ違和感がすごい。 pic.twitter.com/GwYH1GltFW

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2016年11月19日

(あわせて読みたい)
“続編を製作する意義”に一切の妥協なし。映画「遊戯王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS」


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