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【総括】「NARUTO」全73冊+映画2本+傑作「BORUTO」を完走したので1万字かけて感想を語り尽くすってばよ!

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

「螺旋丸!」「千鳥!」ドカーン「俺は兄貴とは違うやり方で色々目指す(ドヤァ」。これが私の中の「NARUTO」の記憶だった。学生時代に友人に貸してもらい読んだ第一部の記憶はかなり薄れていたが、ジャンプは毎週読んでいたので15年の連載を経て完結したことは知っていた。最終話はオールカラーだったので目に留まったし、かなりハッピーエンドで終わったんだろう、というボヤっとした印象だけを持っていた。そんな2015年の夏の日、最新映画「BORUTO ボルト -NARUTO THE MOVIE-」が封切られる。映画好きが多い私のTwitterのTLでは絶賛評価が見られ、その内のフォロワーから「ナルト全巻を今から読んででも観る価値がある」と太鼓判を押しまくりながらオススメされた。

一応漫画好きを自負しているのにビッグタイトルを読んでいないのはずっと引っかかっていたので、これを機に重い腰を上げることを決意した。「BORUTO」公開中に「NARUTO」全72巻と外伝1冊をコミックレンタルで読破し、映画館に駆けつける。15年の時を一気に駆け抜ける計画。結果として公開終了ギリギリになんとか読み終わり、DVDで借りて昨年までの映画2本の予習まで行い、無事に「BORUTO」をスクリーンで鑑賞することができた。泣いた。特に中盤以降は「よくぞ…こんな…(ヒクッ…ヒクッ…」と涙を流しながらナルトの息子の成長譚を見届け、これを持って私のナルトな日々は完結した。記念に記録も兼ねて、原作と映画の感想をブログにまとめておきたいと思う。



■原作者・岸本斉史が「NARUTO」に込めたスピリット

「NARUTO」を読んで常に感じていたのは、作者・岸本斉史のハングリーな姿勢だ。この人は本当に漫画を描くことに全力で取り組んでいるんだな、というのを強く感じながら読んでいた。また、自分なりの画法や表現を模索することに本当に余念がない。漫画というのは言うまでもなく静止画の紙芝居なのだけど、岸本先生の頭の中では常に動画として進行しているのだな、と。アニメや映画のようにキャラクター達が動き、その動線を何とか紙ベースに落とし込もうとしているその試行錯誤が読んでいるこっちにまで伝わってくる。

例えばアクションシーンでは組手のひとつひとつの動作を雰囲気で誤魔化さずみっちり構成し、時に「分かりやすさ」を捨ててまでカメラを寄せて・引いて描き切る。また、戦いながらの回想シーンの挟み方や、同じアングルや構図を重ねる演出など、実際に映像の絵コンテとして成立しそうなカットの挿入は本当に気合が入っている。戦闘の駆け引きも後半になるとかなり凝ってきて、それこそ前述のように「分かりやすさ」が犠牲になっているシーンも多々あるのだが、岸本先生の「俺の書きたいアクションはこれだァ!」という気迫が伝わってくるようだった。

お馴染みの三点描写(必殺技のインパクトを三方向から見開きを使って捉える)も、おそらくアニメでよくある「ドン!ドン!ドン!」というテンポを意識してのものだと思うが、読者のコマ間の視線スピードはそれぞれであり必ずしも狙った勢いを出せていたかは怪しい。しかし、そういった前衛的な技法を沢山試してきた72冊は、ある種少年漫画のひとつの進化論としても読み解けるんじゃないか、と思う。





また、単行本のおまけページでは漫画家を目指す弟を叱咤するプロとしてのプライドが垣間見えたり、読者からの投稿キャラクターを毎巻ちゃんと書き起こしていたり、とにかく読者と漫画に対して正面から向き合っていた印象が強い。作中のナルトみたく「まっすぐ曲げねぇ」という信条を、まるで作者自身も作品を通して貫いていたかのようだ。ちなみにその弟である岸本聖史がガンガンで連載していた「666~サタン~」はまあまあ面白いのでオススメ。

スクリーントーンを効果的に使った遠近感の出し方や、一枚絵の尋常じゃない書き込み、前述のように映像的演出を紙ベースに落とし込まんとする創意工夫(コマ割りの視線誘導)など、作品そのものもそうだが、まずひとつの「漫画」として非常に面白かった。漫画を読んでいて「うわ、こんな表現見たことない!」という感覚と出会えるのは非常に嬉しいことで、それを幾度なく味あわせてくれた「NARUTO」はそれだけでもう楽しかった。これを週刊連載でやっていたことが本当に素晴らしいと思う。



■「NARUTO」全72巻総括

物語としては、大きく3つに分けられると思う。

「少年期編」 …ナルトの成長譚がメイン。サスケとの決別まで。
「群像劇編」 …“暁”が登場し、キャラが入り乱れる。ナルトはひたすらサスケを追う。
「忍界大戦編」 …全てが収束する長丁場の最終決戦。

私が言うこところの「群像劇編」と「忍界大戦編」は合わせて第二部なのだが、「忍界大戦編」はあまりにも長すぎたので印象としてはこの3つになっている。物語としてはナルトとサスケの奇妙な友情がメインであり、それに絡む形で様々な里の忍が群像劇を繰り広げ、いつの間にかそれは忍の世界の始まりにも関係する歴史的な戦いに発展していく、というもの。ナルトはひらすらに「火影になる」という夢を貫き、絶対にブレないし曲がらない。その姿勢が周囲に影響を与え、自分を迫害していた里の人間からの目も羨望に変えていく。

一方のサスケは、復讐とグラグラなアイデンティティに振り回される。兄イタチの台詞に「サスケは染まりやすい」というものがあったが、まさにその言葉の通り、色々な人の言葉に影響を受け次第に自分を見失っていく。ナルトがブレないからこそ、サスケがブレる。そんな全体のバランスを最後まで貫き、満を持して里に帰還したサスケはナルトと共闘の末に、彼なりの復讐への決着をつける。





「少年期編」は、とにかくナルトが少年漫画の主人公らしく活躍することに注力していたように思える。九尾をその身に宿しているが故の「本来のポテンシャルはもしかしたらサスケをも超える?」という絶妙なパワーバランスを保ちながら、「悪戯好き」「意外性ナンバー1」というロジックで彼の規格外の活躍が説得力を持って描かれる。誰からも期待されていないし、基礎も努力も不十分。“だからこそナルトならやれるかも”という雰囲気の積み上げは見事だな、と。天才肌のサスケが逆に影響を受ける流れも自然だし、波の国任務編(vs再不斬&白)における彼らの成長も見所満載だった。互いに認めたくないからこそ、それは裏を返せば誰よりも相手を認めている。そんなナルトとサスケの関係性が綿密に描かれていく。

中忍試験で日向ネジと戦ったナルトは、そのポテンシャルの高さを里の皆に見せつける。誰よりも孤独を知っているからこそ克己心が強く、そこに悩む相手にはマインドで勝利し押し切ることができる。ついでに相手の人生観にまで影響を与えてしまう。いつだって馬鹿が誰よりも正直で真理を突くことに長けているという王道ロジックを惜しみなく使っていく。(まあ、いくら里を襲った九尾を宿しているからといって仮にも四代目火影の息子だし、メンタルが危うくなるといつ暴走するかもしれないから本来はもっと手厚く保護されているべきだとか、そういうツッコミはあるのだけど…)

中忍試験の最中、木の葉崩しで大蛇丸が襲来する。この大蛇丸は最終的に作品の特異点でありトリックスターに大成長、むしろちょっと便利に使いすぎなんじゃないかという感覚すらあった。後半の方は「また大蛇丸関連か…」と思わなくも無かったが、その便利屋に相応しい妖艶なキャラクターとしての魅力には十分に溢れていたと思う。この頃から自来也が登場し、ナルトは彼に師事する。サスケは大蛇丸の誘いを受け、後にサクラは綱手の弟子になり、これにて第七班が伝説の三忍と対応する構図が完成する。この対応図は岸本先生のお得意技として作中何度も多用されるのだが、それについては下図を参照。




▲「NARUTO」作中の「あいつは俺だった…」「あいつの中に彼を見た…」「あいつらは昔の俺たちだ」的な対比構図の簡単なまとめ。岸本先生お得意のこの手法に則り、ブレないナルトが過去と未来の人間関係をことごとく清算していく。


ナルト・シカマル・チョウジ・キバ・ネジの五人組によるサスケ奪還作戦は非常に見応えがあり、まだ年端もいかない少年忍者たちが異形の相手と対等に渡り合うギリギリの戦いが緊張感を持って描かれた。この頃からジョジョの系譜である能力ロジックバトルの勢いが増し、ただノリと力技で押し切るのではなく、「勝ちへのロジック」(主人公サイドが何を犠牲にして敵と相打ち以上に持ち込むか)の構成が緻密になってきた印象がある。

そしてナルトとサスケの決闘。それに相応しいシチュエーションで、感情を爆発させながら戦う両雄。ナルトは認めたくない相手であるサスケに親近感を覚えていたし、サスケは無意識のうちにナルトを誰よりも自分に相当する相手だと認識していた。互いにどこか兄弟に近い感覚を持っていたことが非常にドラマチックに描かれ、岸本先生もノリノリで描いているのが伝わってくる。しかし決定的にナルトは「サスケがなぜそうまでして復讐に走るのか」を理解できず(知らないので無理もない)、明確に目的意識が高いサスケには及ばなかった。「友と認識しているからこそ殺さない」。そんな屈折したサスケの復讐劇が本格的に始まり、第一部は終了となる。なお、この後に描かれた「カカシ外伝~戦場のボーイズライフ~」がまさか壮大な終盤への前フリだったとはこの時は全く思わなかった。


※※※


第二部以降はさながら「群像劇編」であり、本格的に活動を始めた“暁”のメンバー、そして木の葉以外の里も大きく物語に関わってくる。じわりじわりと「暁vs全忍者」の構図に向かっていきつつ、ナルト(とサクラ)はひたすらにサスケの足跡を追う。感覚として10冊に1度くらいのペースでナルトとサスケは相対し、「サスケ!お前はなんで!」「ナルト、お前に俺の憎しみは理解できん…」的な問答を繰り返しながらまたもや決別、という流れを繰り返す。ナルトはサスケを追いつつも度々自らの力不足を痛感し、修行に明け暮れる。程なくして「尾獣」という設定がメインに躍り出て、尾獣争奪戦を繰り広げることで主人公・ナルトがどれだけ修行していてもちゃんと物語の中心に位置する、という作劇的配慮が行われた。ナルトはずっと影分身して修行しているだけなのに、ちゃんと物語の争点の中心にいることになる。そして、美味しいところで遅れて登場して大活躍。非常に少年漫画らしい構成で好感が持てる。

木の葉の同期を始め少しずつ認められていたナルトという存在が他里にまで影響を与えていく。それはサスケが里を跨いで抜け忍として悪行を重ねていく流れと比例するから面白い。かつてナルトと同じく迫害を受けていた我愛羅は若くして風影になっており、その里の一大危機をナルトら木の葉の忍が救うことになる。我愛羅の人格的成長は、言うまでもなく以前ナルトに諭されたからであり、それがチヨバアの犠牲を経てのエンディングにも繋がっていく。

「NARUTO」が徹底しているのは、全ての「〇〇編」のエンディングはちゃんとナルトが大きく関わった末の行動として描かれており(それもどちらかというと精神面が主軸)、主人公として絶対に蔑ろにされない、むしろしつこいまでに「ナルトage」を欠かさない作劇であるということ。そしてそのナルトが人格的に滅多にくよくよ悩んだりはしないので、72冊もあるのに物語の軸が絶対にブレない。ある意味当たり前のことなのだけど、この辺りは非常に徹底している印象を受けた。

感情が欠落した青年サイが第七班に加入し、彼を通してまたナルトのブレなさやサクラの決意が語られていく。同時に、サイの存在は木の葉の暗部への導入として役立っており、ここから後に一時的に火影の座に上りつめるダンゾウや、サスケの肝であるイタチの立場など、里の暗い部分への言及に繋がっていく。サイの登場は「NARUTO」が描く物語そのものの“暗部”の契機にもなっているのだ。そして、尾獣争奪戦が本格化すればするほどナルトは内なる九尾とコミュニケーションを重ねていき、これは後の忍界大戦のクライマックスにまで繋がっていく。




▲ナルトとサスケの次に美味しいとこを持って行くのが得意なシカマルさん。


“暁”との交戦の中で猿飛アスマが殉職。そして「猪鹿蝶」(本来は花札の役のひとつ)の三竦みが本格的に描かれる。ナルトら第七班に比べて精神年齢の平均が高い第十班の活躍は後に親子二代の戦いとして後の大戦でも見せ場が設けられる。また、岸本先生はシカマルが非常にお気に入りらしく、彼のドヤ活躍がこの辺りから頻出していく。最終的にはあのオビトにまで「敵には惜しい忍だ…」的なことを言わせるから面白い。個人的にもこのストイックなキャラは好きだったので、シカマル贔屓はニヤニヤしながら読んでいた。一方でサスケは大蛇丸を取り込み、自分の小隊を結成して自ら宿敵イタチを追い始める。

自来也がペイン相手に戦死し、彼のナルトへの秘めたる想いが託される。また同時期にサスケは見事復讐を成し遂げイタチに勝利するが、うちはマダラ(オビト)に真実を聞かされ絶望する。サスケは非常に「染まりやす」く、「イタチに復讐!→里に復讐!→里は守る!→今の忍の枠組みは壊す!」と目的をコロコロ変えていく。とはいえ彼の動向は物語の推進力であり、むしろサスケがブレブレな行動をしなければナルトがただ真っ直ぐに火影を目指すだけの物語になっていたことだろう。「おいおい…」とツッコミながらも、振り回される多感なサスケを見守るのが「NARUTO」の楽しみ方ではないだろうか。

さて、尾獣争奪戦が末期を迎えた頃に登場したのが八尾とその人柱力であるキラービーだ。常にハズしギャグ要員でダジャレラップを披露するという諸刃の剣のようなキャラは、岸本先生の色んなセンスを浮き彫りにした。わざとやっているとかそういう次元をも超えて「このキャラ…岸本先生大丈夫か…」と当初は不安になったが、自来也亡き後のナルトの良き師として美味しいポジションに収まってからは、順当な活躍を見せた。

その後ペインが木の葉に侵攻し、仙人モードを会得したナルトがそれを退ける。「俺が諦めるのを諦めろ!」という非常に(良い意味で)頭の悪いナルトの信条がぶつかり、「長門を殺さない」という決断を通して彼の精神的な成長を描いた。ナルトにとって初めての疑似家族の死、それが自来也であり、仇であるペイン(長門)を赦すという彼の決意は並大抵のものではなかった。忍法だけでなく精神的にも成長したナルトは、里に英雄として迎えられるまでになる。(この時点で、ちゃんと事実と向き合って咀嚼できる自己分析能力においてナルトはサスケをゆうに超えている)




▲面の模様とキャラが少しずつ変わっていくトビことオビト。


その後五影会談が行われ、物語は結末に向かって大きく動き出す。“暁”という組織そのものがうちはマダラ(オビト)の目的達成の駒だったことが判明し、彼の「月の眼計画」が語られ、同時にサスケは里を超えた指名手配の抜け忍として悪名を轟かせていく。飄々とした雰囲気でさらっと登場したグルグル仮面のトビが実はラスボスにも近いポジションだったというのは常套手段ながら面白いし、岸本先生的にも出番の割に作画が楽で助かったことだろう…。グルグル仮面は言うまでもなく“うずまき”であり、それがナルトと相対するという構図も面白い。

ナルトは九尾との内なる戦いの中で死んだ両親の想いを知り、また一段と大人に成長していく。ナルトが段階的に(順調に)成長していく一方で、サスケは子供みたく自分の考えばかりを振りかざし、ますますグレていく。サクラを本気で殺そうとしていた辺り、救えない。ナルトの成長において発生しそうな“陰”の部分は作劇的に全てサスケに背負わされており、サスケは言わばナルトの“ろ過装置”のような位置付けになっていた。濁りを一手に引き受けていくのだ。


※※※


かくして物語は「忍界大戦編」に突入。第四次忍界大戦は単行本にして20冊弱も続き、途中何度も「これで終わりだ…」「最後の…」「決着を…」と煽られるも物語は一向に終わらない。正直一気に読んでも「長い!」と痛感したので、週刊連載で追っていた人はさぞきつかったことだろう…。20冊は単純計算で3年弱。まあ、15年の連載のクライマックスならむしろ妥当な期間かもしれないが、それにしてももう少しスリムにやって欲しかったのが本音だ。

だが、実際の中身は非常に総括として優秀だ。ギミックとしてカブトの穢土転生が多用され、それにより「味方側が関係の深いすでに死したキャラと戦う」という構図が連続して描かれた。これにより、キャラの多い群像劇ながら個々の登場人物のドラマをひとつずつ描き切ることに成功しており、およそ全てのメインキャラクターがしっかりと物語を終えている。「俺の弱点はこれだー!」と教えながら殺しにくるという文字にすると奇天烈な集団だったが、ちゃんともう一度味方キャラの“弱い部分”と“成長した部分”を浮き彫りにし、そしてその多くにナルトの生き様が関わっているという構成を成立させた。クライマックス感を煽りつつ、木の葉の忍に限らず色んなキャラクターがちゃんと“生き切る”流れは、岸本先生が難解なクロスワードパズルを解くのを一緒に体感するような感覚すらあった。

ただ、あまりにも戦況が複雑になり、Aの場面が進んだかと思えばBが描かれ、Bの決着がつく前にCの場面に飛び、またもやAに移りCもやりつつBもやって、そしていつの間にかAは終わっていて… という不親切なブツ切り構成が多発してしまったのは否めない。これは同じジャンプ漫画の「BLEACH」にも言えることだけど、まるで吹奏楽とジャズとクラシックをブツ切りで代わる代わるに聞かされているようなものであり、あまりスッキリした読了感は生まない。週刊連載で毎週それなりに見せ場を設けようと構成していった末の結果だというのは分かるが、通しで読んだからこそ、その構成の悪い意味での複雑さが気になってしまった。あれだけ尺を割いたのに、穢土転生マダラvs五影が「いつの間にか五影が負けてました~」ではちょっと納得がいかないのが本音である。





しかしそんな構成的な弱点もありつつ(尾獣の引っ張り合いが長い上に何度もあったり)、協力技と合体技のバリエーションはさすがに豊富で見応えがあった。およそ「こいつとこいつが組むのが見たい」で思いつくバリエーションは一通りこなしたのではないだろうか。九尾のチャクラを持つナルト親子が共闘するのは熱いし、木の葉の皆が九尾の尾に宿って必殺技を放つのはちょっと泣きそうだったし、言わずもがな第七班の復活も盛り上がった。(それも3人が伝説の三忍と同じ口寄せを使うのが最高!)

穢土転生で復活した歴代火影が意味もなくかっこつけで自身の顔岩の上に乗ったり、ナルトの後ろに忍連合が勢ぞろいしたり、よくよく考えたらツッコミたいけどハッタリと盛り上がりで魅せる見開きが連続で紡がれていく。オビトの面に異空間で一発喰らわせた時の「うずまきナルトだァー!」には素直に燃えたし、何だかんだ全体のテンポは悪かったけど、盛り上がり所はキッチリ盛り上がる、そんな「忍界大戦編」だったな、と。(意味ありげに描かれた封印具が結局全く活躍しなかったり、細かな取りこぼしはあるが…)





マダラが悪いよ→マダラじゃないよ→マダラが悪いよ→カグヤがもっと悪かったよ、という変遷を辿った最終決戦。ここにきてナルトが六道仙人の力の継承者(転生者)だったことが明かされる。正直、迫害を受けてきた子供が努力と負けん気で周囲に認められていくドラマにおいて「そもそも血筋が最強でした」というのはアンサー的にどうなんだ、というのはあるにはあるのだけど、まあ火影の息子だった時点で言っても仕方ないし、むしろ余りにも加速するパワーインフレに一応のロジックを持ってきたと見るべきだろうか。「だって六道仙術の使い手だから」と言えば大体許される感じではある。そりゃ火影に相応しいよ、問答無用で。

とは言いつつ、ナルトが強くなるための理屈付け(影分身で経験値をn倍速度で獲得する、等)はおよそ全て「膨大なチャクラを要する」という結論に至るものであり、九尾を宿している以上そこはクリアとなる。彼がその力をインフレさせるロジックは一応しっかり立っているのだ。そもそもの迫害体験が九尾のせいだったこともあり、ナルトは自身の辛い過去を前払いする形で急速成長していったとも受け取れる。





そして、最後はまたもやナルト対サスケ。あの頃は互いに兄弟のように感じていた相手との悲哀のぶつかり合いだったが、今回は火影論を交しながらの決闘。「皆の先頭で苦労してこそ火影」というナルトと、「新しい火影の形として忍界の闇を一手に引き受ける」と豪語するサスケ。前回と違い、高い目的意識とそこまで積み上げた人生経験は確実にナルトの方が上。実力は拮抗したが、喧嘩両成敗という形で幕を閉じた。

男同士が殴り合って「お前つえーな」「お前もな」(拳を合わせる)…的な様式美を連載15年の最後に持ってくるという岸本先生の腕力の見せどころ。契りの仕草といい、前フリもしっかり活かされた最終決戦だったと思う。結局、いつまでも子供で独りよがりだったサスケに対し、最後まで諦めなかったナルトがゲンコで説得しただけの話ではあるのだけど、やはり積年の想いを乗せた戦いは読んでいて感慨深かった。コミュ力と人脈がナルトをここまで引き上げた。やはり我々もコミュ力と人脈を大事に生きていくべきだ…。

かくして受け継がれていく「忍」。ナルトは夢を叶え七代目の火影になり、息子であるボルトが父親の若い頃と同じく顔岩に落書きをしている。あのナルトが人の親になったという感慨深さは本当に半端じゃない。同世代の忍たちが皆して子供を設け、確かに色々と受け継がれていくんだなあ、という大河な趣きを感じさせ、「NARUTO」の物語は幕を閉じる。第1話で里を絶望に陥れていた九尾がいびきをかいて寝る。そんな平和の象徴がラストカットというのも印象的だ。

15年の結晶、72冊700話。これを描き切った岸本先生に、本当に心からの拍手を贈りたい。



■外伝 ~七代目火影と緋色の花つ月〜





ひたすらにナルトとサスケの物語だった本編とは打って変わって、主人公はうちはサラダ。彼女の視点から、時を経た木の葉の勢力図や人間関係、そして七代目火影となったナルトの活躍が描かれる。単行本1冊で綺麗に起承転結がついており、劇場版である「BORUTO」の前日譚としても優秀。そもそも、大人になったナルトとサスケがただ喋っているだけで込み上げてくるものがある、というのがズルすぎる。水月ら元“鷹”のメンバーがひょいひょいと出てくるのも面白いし、「サラダの母親は誰?」というちょっとした昼ドラ展開も良い塩梅。第七班の3人が、72冊の戦いで何を学び何を得てきたのか。それが綺麗に総括された番外編だった。



■NARUTO THE MOVIE「ROAD TO NINJA」「THE LAST」

全72冊を読み終えて「BORUTO」を観るまで少し時間があったので、当初は予定に無かったがアニメ版も観てみることにした。といっても全てを観る余裕はなかったので、原作者岸本斉史監修の2本、「ROAD TO NINJA」と「THE LAST」をレンタルで鑑賞した。





「ROAD TO NINJA」は、原作者が自ら構築するIFストーリー。無限月詠のお試し版として幻術の世界を作ったオビトは、それを使ってナルトから九尾を奪う計画を立てる、という筋書き。上手く原作と齟齬が出ないように構成されており、本来の傭兵集団として“暁”が味方で登場したり、父親と同じパターンでナルトがオビトに一発喰らわせたりと、さすが原作者監修と言うべき美味しいシーンが多い。が、結局は本筋に絡まないサイドストーリーなので、「NARUTO」全体のお試し版という感じで少しこじんまりしてしまった感じもある。

続いて原作者監修第二弾である「THE LAST」は、ナルトとヒナタがいかにして結ばれたか、という物語。前作に比べ映画的なクオリティが一気に上がっており、表現の質や間の取り方、クライマックスへの起伏の設け方など、岸本先生の映画を作る力の急成長が感じられて面白かった。ナルトが幻術にかかりヒナタの自分への想いに気付くプロセスは良いがそこから告白まではちょっと早すぎる、なんて思いつつも、大筋はとても良く出来ていたと思う。今時恋愛のアイテムにマフラーってどうなんだとか、いくら何でもホイホイと眼球を移植しすぎとか、隕石ストッパーサスケの大活躍とか、色々あるにはあるのだけど、「少年漫画然とした活劇」と「ラブストーリー」のバランスが絶妙だった。ルパンのカリオストロよろしく、やはりヒロインが強制結婚式に放り込まれると物語が一気に進む。



■「BORUTO -NARUTO THE MOVIE-」



そして遂に辿り着いたシリーズ最新作にして完結作(?)、「BORUTO -NARUTO THE MOVIE-」。これがもう、本当に傑作だった。毎週映画館に通うくらいには映画を観ているが、今年のベストに数えられるくらいクオリティが高かった。ナルトの息子であるボルトが、時に迷い、時に決意し、親父の背中を見つめるまでの物語。同時に、その境遇から子供の愛し方に不器用なナルトの物語にもなっており、親子の仲に立つのがナルトが15年かけて友情を築いたサスケというのが最高に熱い。九尾モードも瞳術も大盤振る舞いながら、ナルトとサスケはヘタレずにしっかりピンチに陥り、そこでボルトが逆転の一手になる。非常に練られた綺麗なシナリオと、もはや映画屋に片足を突っ込んだと言ってもいいくらいの才覚を見せる岸本製作総指揮者が放つ間違いのない演出の数々。(前述した三点描写が完全再現されていて感慨深い)





間の取り方や要素の活かし方、全てが「ああ、いい」「いい」の連続で、一気に原作を読んだ私でさえ泣きながら観ていたのだから、15年間リアルタイムで追ってきたファンには最高にご褒美だったことだろう。部分部分で細かいツッコミもあるにはあるのだけど、親子の物語・師弟の物語として高い水準でまとまっており、非常に楽しかった。今はもう一刻も早くBlu-rayを発売してくれ、という思いしかない。

サスケが持つ額当ての意味や、ここにきて満を持して明かされる「ウスラトンカチ」の真相、ナルトがボルトに螺旋丸を託すくだりでの回想カットなど、もはや完璧に近いレベルで感動が押し寄せてくる。素晴らしかった。ただただ、素晴らしかった。累計73冊追っかけた結果が大満足で本当に良かったし、「NARUTO」という物語で岸本先生が何を描きたかったのか、改めて分かったような気がした。


※※※


そんなこんなで、気付いたら1万字を超えていたが、私の「NARUTO」な日々はとっても楽しかったというのが率直な感想である。岸本先生を始め、映画に携わったスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。まだTVアニメが進行中なので今週辺りから追っていこうと思うし、小説などのメディアミックスも追々読みたいと思っている。世界的に認知度の高い日本の文化「漫画」と「忍者」を兼ね備えた「NARUTO」は、少年漫画として非常に王道でありながら、意欲的な「漫画」の形をいくつも魅せてくれた。完全版やらが出た暁には今度こそ買ってしまいそうな気もするが、ひとまずこれにて。


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