こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
インターネット、取り分けSNSの性格を持つ界隈は、常に混沌としている。例えばTwitterであれば、TL(タイムライン)の話題がひとつに限定されることはまず滅多にない。アイドルの自撮り、仕事の愚痴、猫の写真、炎上中の話題、企業からのニュース。それらが混沌としたまま流れていく。全てを「読む」というより「見る」感覚で、それらは消費されていく。例えばはてなブックマークでも同じことで、数多の記事タイトルは視界に入って数秒と経たず見送られていく。そうやって、我々は自分のアンテナに引っかかる話題だけを選んで生活していく。
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2015年11月13日、パリで同時多発テロが発生した。多くの命が失われたその出来事は、テレビよりも速くネットで日本に届いた。情報が錯綜する中で、「日本のメディアはなぜ積極的にこれを報じないのか」という意見が挙がり、それに対する反論も巻き起こった。数日経った今日、今度はネットで哀悼の意を示すことの是非が騒がれている。SNSアカウントのアイコンをトリコロールにするべきか否か。その個々人の言動に注目する人も少なくない。
事件発生から数時間、さすがに私のTwitterのTLでもこの話題で持ちきりだった。情報が行き交い、あれがデマ、このアカウントを見るべき、マスコミ批判にメディア論、沢山のツイートが流れてきた。Twitterに限らず、(テレビがその時点であまり大きく扱わなかったことも含めて)、ネットでは物凄い瞬間最大風速を伴っていた。そんな中、例えば「寝坊した」とか「トイレ漏れそう」とか、くだらない日常的な内容のツイートが“許されなさそうな空気”を、ほんの少しだけ感じた。震災の時にもこれを覚えた記憶がある。
有名人が亡くなり、訃報がTLを埋め尽くす。この時も似たような感覚を覚える。“許されなさそうな空気”は、例えばいつものようなくだらない内容で「ツイート」ボタンを押す自分を、一瞬だけひるませる。逆に、自分にとって非常に思い入れの強い方が亡くなられて気持ちが沈んでいる時に目にする何気ないツイートに、「ちょっと空気読んでくれよ」と感じたことが微塵も無いと言ったら、嘘である。
例えば会社などの同じコミュニティで、誰かの家族が亡くなったとする。そんな一報が届いて場の空気が重くなったタイミングで、皆に見える所で「昨日焼肉食べ過ぎちゃってお腹痛いんですよ!」と明るく語り出したら、こいつは小学校からやり直した方が良いほどの馬鹿だ(もちろん、場を和ませるための“あえて”が功を奏している場合は例外)。顔と顔が見える環境では、「空気を読む」の発生率が非常に高く、そしてそれを求められて応える必要がある。しかしそれはある意味社会人であれば当然というか、人と関わって生きていく中で必要なコミュニケーションスキルだ。デリケートな話題が飛び込んできた際には、「空気を読む」スキルが当然に求められるし、むしろ備わってなければならないと私も思う。
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だが、ネットではどうだろう。テロが起きたり、誰かが亡くなった時に、「空気を読む」はどこまで求められるのだろうか。そんな時に「昨日観た『ワンパンマン』最高だった!」とツイートするのは、果たして是か非か。SNSがここまで発達するまでは、こんなことは浮かんでこなかった問題だろう。“許されなさそうな空気”にモヤっとした感情を抱くのも、また、自分でも嫌になるくらい時に“空気を読んでくれ”と思ってしまうことも、弊害に過ぎない。だが、ネットは顔が見えない世界であるからして、現実ほどの「空気を読む」は滅多に発生しない。
以前、仲良くさせてもらっていたTwitterのフォロワーの方が、ご家族を亡くしたとツイートされていた。正直に告白すると、どんな有名人のそれより私には辛い訃報だった。会ったこともない相手の家族が亡くなったことを悲しむ。“悲しむことができる”。SNSの発達が変に身に染みる出来事だった。そんな時に、私はいつものように映画の感想を呟いて良いものか、実はとても迷った。そのフォロワーの方は今も悲しみを抱えているはずで、「空気を読む」という日本人ならではのスキルに、非常に悩まされた。そして私は小一時間考えた結果、いつも通り、観た映画の感想やくだらない内容をツイートすることにした。
それが良かったのか悪かったのか、私には分からない。誰かから「お前は空気を読めてない」「不謹慎だ」と言われれば、甘んじて聞き入れる。でも私は、「いつものくだらない世界がいつも通りあること」も大事だと思ったし、変に気を遣うのはむしろ失礼に値するのでは、と感じた。今でも自分の中で是非の決着はついていないし、それこそテロの衝撃が薄れない今日も、「いつも通り」ツイートすることにしている。そしてそれは、誰に強制することでも、そうでない人に嫌悪感を抱く訳でもなく、ただ私個人が、そうしようと思ってしているだけの話だ。
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ネットの難しい所、そして当たり前の所は、そのフォロワーの方のご家族の訃報を、もちろんのように全員が知っている訳ではない、ということだ。知っている人もいれば、知らない人もいる。芸能人の訃報だって、重く捉える人と、そもそもその人を知らなかった人もいる。それは、作っているTLが違うし、接している界隈が違うから。それでも、ネットはそんな違う世界の人の声が毎日同列に消費されていく。今日もTwitterでは、テロ批判と快便報告と原発の是非とアイドルのスキャンダルが、同じレベルで流れていく。そんな環境で、どこまで「空気を読む」を他人に求めるのか。どこまでそれを自分に課すのか。それは個々人が決める他になく、ガイドラインなんてどこにも存在しない。
ただ、「そのようなニュースに言及しない」ということは、関心が無い訳でも、ましてや絶体に軽んじている訳でもなく、“「言及しない」という言及”をしている人もいるのだと、自分のブログくらいには書き置いておきたいのだ。
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