こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
映画館通いが趣味の人間としてどうしても毎度気になってしまうのは、鑑賞マナーの問題。ただ座って映画を観て帰るだけなのだけど、やはり映画そのものに集中して観たい訳で、その静寂の中では色んな物事が気になってしまう。…と、こういう書き出しで進めるとネットでは「また映画好きがうるさくマナーを押し付けてきて云々~ そんなだから映画館に足が向かなくなる~」と言い出す人がいるけれど、おそらく、多くの「映画好き」はそこまで過剰なマナーなんて求めてはいない。あくまで「普通」というか、「みんなで常識的に鑑賞しようよ」、としか考えていないのではないか。
例えば、多いのは「上映中に喋る」。もちろん、映画の中身に応じて笑ったり泣いたり、アッと声を上げたり、そういうのはむしろドンドンやって良いと思う。それが家で観る映画との一番の違いだから。しかし、例えばカップルの男性が女性に向けて、上映中ずっと映画のウンチクを語って聞かせる。こんな人たちの前に座ってしまった日には、後悔してもしきれない。
以前「トランスフォーマー / ダークサイド・ムーン」を観に行った時に、隣に座っていた男性が彼女に向けて「う~ん、やっぱりマイケル・ベイは相変わらずだね。この人の良さは分かるんだけど、嫌う人がいるのもよく分かるよ。トランスフォーマーシリーズだと1作目が一番好きだなあ、俺は」などと延々と語って聞かせていた。それも、目の前ではビルが傾きサムが命の危険に晒されるクライマックスの場面。なんでハラハラな時間にテメェのクソみたいな自分語りを聞かなきゃならねぇんだよ!オプティマス!いつもの淡々とした毒舌を吐きながらコイツをしばいてやってくれ!…とか何とか思いながら観た記憶がある。
また、「上映中に出入りする」案件。そりゃあ、トイレは生理現象だから仕方ない。もっと言うと、遅れて入ってくる人も、途中で出ていく人も、私は特に何とも思わない。交通渋滞とか、仕事の予定とか、それでもどうしても観たかったとか、それは色々あるだろう。しかし、忘れもしないのは「アメイジングスパイダーマン2」中盤の怒涛のアクションシーンでトイレに行っていた女性。あろうことかスクリーンの目の前、端から端までを見事なモデル歩きで移動していた。馬鹿!馬鹿野郎っ!ここはランウェイでもキャットウォークでもねぇぞ!なんでヒールでカツ・カツ・カツと歩いてるんだお前は!パリでやれパリで!そこは!普通!ちょっとでも!屈めよ!!
「映画の上映中にウンチク語りをしない」「スクリーンを横切って出入りする時はせめて屈む」、もっと挙げれば、「前の席を蹴らない」「携帯の着信音は切っておく」等々、これらを求めることが仮に“常識を越えた過剰なマナーの押し付け”と言われるのなら、私はこれまで生きてきた何十年かを見つめ直さなければならない。「普通」や「常識」なんてどこにもガイドラインはなくて、あくまで数多の「主観」が交差した上に積み上がっていくものだけど、“これくらい”は「常識」と定義しても差し支えないのではないか。
前置きが大変長くなってしまったが、私が今回メインで書きたかったのは利用者のマナーの方ではなく、映画館のマナーCMだ。生活圏で最も利用しやすいのでTOHOシネマズに通っているのだけど、観る度に思ってしまう。「このマナーCMにどれだけの効果があるのか?」。TOHOのマナーCMは、口だけ星人な奴らがそろって映画を観に来きている、という設定で始まる。うろ覚えだけど、いかにもたまごっちに出てきそうなこんな生き物たちだ。(下図参照)
彼らが映画を観ている中で、上映中にスマホで喋る個体や、飲食物を持ち込む個体、前の席を蹴る個体がいたりして、同族から嫌がられる…というストーリー。「ノー!〇〇!」というフレーズで、禁止事項が提示されていく。しかし、例えば「前の席を蹴らない」のパート。流れるナレーションは「ノー!キッキーン!」、そして字幕で「前の席を蹴らない」と表示される。「蹴」に振り仮名はなく、その日本語が読み上げられることもない。
調べてみると、「蹴」という漢字は小学校では習わない。文部科学省の(小学生)学年別漢字配当表にも載っていない。「蹴」は、中学生が習う漢字なのだ。しかし、実際に小学生の(特に男の子)はよく前の席を蹴る。ピクサーやらのアニメーション映画を観に行くと、出会うことが多い。一介の映画好きとしてその歳で映画館に来る子供は素晴らしいと思うのだけど、一方で、やはり自分が小学生の男の子の前の席になってしまうと小さな不安を覚えてしまう。
もちろん、言わずもがな、アニメーションで蹴る動作を見せている。目の前の画面では口だけ星人がドンドンと前の席を蹴って、別個体の奴が迷惑を被っている。観れば分かるのだ。しかし、私が言いたいのはそういうことじゃない。「蹴」に振り仮名もつけず、妙にオシャレで気取ったマナーCMを作って流す映画館側に、本当にマナーを改善しようとする意図はあるのか、ということだ。前の席を蹴ってしまうのは子供に多くないか、その年代の客は「ノー!キッキーン!」と振り仮名のない「蹴」で十分にそれを実行レベルで認識できるのか。「小学生を馬鹿にしている」とか「映像で分かるはず」とかそういうことではなく、「それで伝わると本当に思っているの?」と言いたいのだ。
映画館のマナーCMにオシャレな雰囲気は必要なのだろうか。もちろん、これから作品を鑑賞するにおいて変に殺風景なものを見せられても気が削がれてしまうかもしれない。かといって、それを重視するあまり「ちゃんと伝えきれていない(と思えて仕方がない)マナーCM」になってはいないだろうか。まあ、本当に徹底してマナーを守れない輩はいくらどんなマナーCMを流しても観もしないのだろうけど、そういう更生不可能な方々はちょっと例外ということにしておいて、今よりもっと多くの人に響くマナーCMはないものだろうか。私なりに考えてみた。
【例】
実写のミニドラマ仕立て。主人公は小学生の女の子。ディズニーっぽいアニメが好き。テレビのCMで好きなアニメ作品の最新作が上映されるのを知る。母親に連れて行って欲しいとせがむ。その女の子は毎日毎日心の片隅でワクワクしながら過ごす。ついに迎えた当日。母親に連れられて、体には大きなポップコーンを抱きながら、映画館の座席に座る。ついに待ちに待った映画が始まるのだ。しかし、上映中、彼女は後ろの座席から執拗に蹴られる。どうにも集中できず、思わず顔を曇らせる。横には、スマホをいじりながら喋るカップル。中々映画に没頭できない女の子。思わず、悲しみから下を向いてしまう。あんなに楽しみにしていた映画を、真っ直ぐに観ることができなかった。「映画館ではマナーを守ろう」、表示され読み上げられるテロップ。(終)
…例えばこんなのはどうだろうか。私としては、「ノー!キッキーン!」よりは効果があると思うのだけど。こうやってドラマ仕立てで、単に「マナーを守ろう」と呼びかけるのではなく、「マナーを守らない人がいた結果、周りがどうなるのか」という“痛み”を伝えた方が、よっぽど意味があるのではないかと思う。他にも、「中学生の男の子が上映中に横でずっとスマホをいじっていたおじさんに上映後に勇気を振り絞って注意して周囲の帰りがけの客たちも思わず立ち止まってしまう」、というものも考えた。少し大げさな表現だけど、“被害者”の立場を伝えないと、思わぬ“加害者”になってしまう人には理解が厳しいと思うのだ。
マナーは、あまりに叫びすぎると押し付けがましく思われるし、だからといって叫ばずにはいられない時だってある。そうすると「静かに観たけりゃ家で観ればいい」と言ってくる人もいるけれど、それはもう盛大に話のピントがズレている。“そういうこと”ではないのだ。しかし、マナーや鑑賞態度なんて究極は個々人の話であり、最も効果があるのは映画館側が実のあるマナー周知の方法を追求することであると思う。そうなると、TOHOの口だけ星人は果たしてしっかりと“仕事”を全うできているのだろうか。甚だ、疑問である。
(おすすめ記事)
・なぜ彼氏や夫はパートナーがいながら「エロ本」「AV」を隠し持つのか? その理屈と男女の認識差を解説する
※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら。
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f 】
【過去記事】
・オタク旦那とノンオタク嫁の家計事情 ~KEIZAI大戦ジェネシス(サンプル)
・訃報とアニメ感想とテロの話題が同列に消費される世界
・絵本が語る少年の性欲。怪獣「トリゴラス」はなぜ街を蹂躙するのか
・【考察】「ジョン・ウィック」の生き様は果たしてバッドエンドか否か