こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
嫁さんと結婚して数年が経つ。そりゃあ、ずっと一緒に居れば喧嘩もあったしギスギスした時もあったけれど、基本的に円満な家庭を築けていると自負している。互いに互いを尊重し合う関係でこのまま続けていけたらな、と心の底から願っている。
もういくつ数えると30になる歳になって、周囲でも結婚を考える友人が増えてきた。それは、性別に関係なくだけども、やはり女友達の方がややペースが早い印象がある。自分は20代の半ばで結婚したので、友人の中では早い方だった。でも、あの時の母の言葉が無かったら未だに結婚はしていなかったのかな、と密かに胸に秘めている思い出がある。これは、実は嫁さんにもしっかり話していない。
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大学を卒業して、商社に入社し、営業マンをしていた。当時の彼女(今の嫁さん)とは大学時代からの付き合いで、自分が就職してしばらくしても良好な関係が続いていたので、どことなくこのまま結婚するんだろうな、と何の確証もなく思っていた。しかし、「相手が好きで一緒に居たい」と「結婚する」ということは、突き詰めると全くイコールではない。特に男性からすると、やはり人ひとりの人生を担う重い責任があるという思い込みが強く、その責任を背負う重責を受け止められて初めて結婚が見えてくるのだと、その頃の私も漠然と捉えていた。
夫婦の責任の所在なんてそのパートナーによって十人十色な訳だけど、ひとりの男として二十数年生きてきた体感として、やはり「結婚における男の責任」というのは社会的によくよく“見られて”しまうものだな、と感じる。男尊女卑とか、そういう話をする気はさらさら無い。しかし、まだまだ実情として男性の方に責任のウェイトを測り“がち”な社会なんだなあ、と感じる機会は今でも多い。だからこそ、本当に結婚するのであれば、奥さんになる女性を名実ともに幸せにする責任と覚悟がなければならないと、そう頭の片隅に強い意識が根付いていた。
しかし、「奥さんを幸せにする」とは具体的にどういうことなのか。漠然とした覚悟や責任という壁を感じながらも、この部分の具体例はどこか妙に風通しがよく、すっからかんだ。それを突き詰めると、精神的な面も大きいとは分かっていながらも、やはり男としては金銭的な面に目を向けざるを得なくなる。今の手取りはいくらか。ボーナスはいくらか。貯蓄はいくらか。会社における今の身分で結婚なんて、“まだまだ早い”。そうやって、「責任」を無意識に「貯金額」や「会社での役職」に置き換え、結果としてぼんやりとした形で「一人前になったらプロポーズしよう」という答えに辿り着いてしまう。
言うまでもなく、入社してすぐの人間が「一人前」になれるはずもなく、それはたった数年働いたところで変わるはずもない。そうやって、「まだ一人前ではない。貯金も少ないし」「まだ一人前ではない。手取りはひとりで暮らすのにやっとだから」「まだ一人前ではない。会社でもミスしてばかりの若造だから」、などと「結婚できない理由」という沼に沈んでいく。言うまでもなく、私自身がそうだった。彼女とは「結婚したい」とどこか確信めいたものを持っていたが、結局は前述の「結婚できない理由」に阻まれ、ずっと二の足を踏んでいた。まるで「責任」の自意識過剰状態だ。
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そんな頃、たまたま実家に帰った際に、母とゆっくり話す機会があった。「なんで結婚しないの?」と直球ストレートに質問され、前述のような内容をダラダラと話した。要は、「色々な面で自分はまだまだ一人前じゃないから」という言い回しだ。すると母は、「その“一人前”になれるのは、果たしていつなの? 言ってごらん?」と私に詰め寄った。思わず言葉を濁しつつ、給与・貯蓄・会社でのスキルアップ… ぐるぐると考えて、何が根拠かさっぱり分からないが「…35歳?」と答えた。その頃になれば、会社である程度のポストを得て活躍しているだろう、という願望込みの数字であった。
すると母は、「じゃああなたが35で結婚を決意するとして、その時お嫁さんは何歳なの?」と続ける。「将来子供は何人欲しいの? 例えば3人欲しかったとして、それは“間に合う”の?」、と。少し考えれば分かることなのに、この時の私には大きなショックだった。誤解を招きたくないのでしっかり書いておくが、夫婦の幸せの形は必ずしも子供ではないし(もっと言うと結婚も決して万人共通のゴールではない)、私も嫁さんも、将来子宝に恵まれる保証はどこにもない。それに、30代の女性の出産に関して、ケチを付けたい訳でもない。しかし目の前の母は、十数年前に40歳を目前にして私の弟を出産した。医学的には「高齢出産」に相当する年齢であり、足には太く青い血管が何本も走り、相当な体力を要したことは誰よりも私が知っていた。そんな母だからこそ、「35で結婚したとして“間に合う”のか?」と聞いてくる視線には、説得力があった。
私と彼女は、将来子供が欲しいね、とよく話していた。結婚の約束まではいかなかったけど、お互いに核心には触れず理想の家庭像を確認し合うような、そんな会話はたまに発生していた。彼女が将来複数の子供を産みたいということは聞いていたし、それも、できれば計画性を持って(年子は避けつつ学費が要るタイミングを考慮しながら)“妊活”をしたいという意思があることも知っていた。そして、そんな彼女の希望は、私の希望とも合致するものだった。だからこそ、私たちカップルにとって「35で結婚したとして“間に合う”のか?」という母の問いかけは大いに刺さった。漠然とした「責任」を追い求めている猶予なんて、私にはそこまで残されていなかったのである。
他にも色々なきっかけはあったが、私にとっては実はこの母とのやり取りが結婚を決めた明確な一歩だった。私が独りよがりに漠然とした「責任」を探している間に、彼女の身体には“タイムリミット”が刻々と迫っていたのだ。高齢出産になればなるほど、産まれる子供だけでなく母体のリスクも高まる。デリケートな話題ながらあえて誤解を恐れず書くが、(「子供が複数欲しい」と思っていた私たちふたりにとっては)、科学的な“タイムリミット”は確かに存在したのだ。自分のことばかり考えていて、その動かしようもない事実がいつの間にか盲点になっていた。非常に恥ずかしく、今では大いに反省している。
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男友達と結婚について話すと、「いや、今の自分にまだまだ結婚は早い」という答えが返ってくることは多々ある。一体何が“早い”のだろうか。それは、パートナーと意見を擦り合わせた上での“早い”という結論なのだろうか。私はいつも気になってしまう。もしかしたら男は、将来の奥さんを幸せにしてあげたいからこそ、ポジティブに熱心に「結婚できない理由」に沈んでいくのかもしれない。そんなカップルの盲点や行き違いが、もしかしたらこれまで数々の“別れ”を演出してしまったのだろうか。
あくまで「私たちカップルの理想の家庭像を踏まえた上で」「高齢出産を経験した私の母のアドバイスが」「大いに刺さった」という個人的な話であり、誰しもそうであるとは到底思っていないことを、重ね重ね書き置いておきたい。とはいえ、このひとつの体験談がどこかの誰かの相互理解の一助になれたとしたら、この上なく嬉しいと思ったのである。
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