こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
私だけかもしれないが、「ネットって面倒臭いなあ」と思うことが最近増えた気がする。例えばの話だけど、SNSでも個人のブログでも公式のアナウンスでも、「リンゴは赤くて美味しいですね」という意見に対して「オレンジの橙色は何がいけないんですか? みかんは不味いってことですか!」と鼻息を荒くして叫ぶ人を頻繁に目にするようになった。触れてもいない・作ってもいない「敵」と「攻撃」をそこに感じ取り、更にそこに「攻撃」で返す。何が厄介かというと、この報復の「攻撃」には「正義」があると“その人”は信じ切ってしまっているのだ。まるで正当性に悪酔いしている。
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本当は専門用語があるのかもしれないけれど、今咄嗟に考えた単語として「中間情報」というものを説明してみたい。これは、例えば面と向かって誰かと会話した時の、表情・声の調子・しぐさ・周囲の環境、そういった“主張(言葉の上での白黒)以外”の部分を指す(ことにする)。私が友人と話していて「〇〇って作品、面白くないよね~」と語ったとして、本当にその作品を“面白くなく”思っているかといったら、必ずしもそうではない。あえてそういうニュアンスを用いる場合や、冗談であったり、むしろ好きだからこその裏返しでそう形容する時もあるかもしれない。
そんな時は、わざと表情を作り、口元、視線、そして手の動きからもっと挙げれば背中の角度まで、無意識に全ての「中間情報」を使って相手にそれを伝えようとするだろう。「面白くない」という発せられた言葉“そのまま”ではなく、それを補強するからこそメッセージが成立する、という訳だ。白でもない黒でもない意見、その中間を取り持ったり繋げたりする。
これが、インターネットの世界では非常に難しい。というより、実質不可能である。この0と1の世界では、表情も声のトーンも身振り手振りも何も伝わらない。「発言(=文字)」、唯一である。こうして「中間情報」は喪失してしまうのだけど、だからこそ誤解を招かないような表現が求められるし、それを読み取ろうとする意識も欠かしてはいけない。こんな、非常に当たり前すぎてあくびが出るような事実を改めて痛感するほどに、最近はネット社会を面倒臭く感じることが多い。「文字」のみに絞られようとそこに絶対あったはずの「中間情報」を読み取る意識が“微塵も”ない人もいて、そういう人が最初に挙げたようにトンチンカンなオレンジ批判批判を始めてしまうのだろう。「文字」はその字面だけ見ると(切り取ると)白黒がつけやすく、「中間情報」が体現していた「灰色」が往々にして見えにくい。
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これは読み取る方だけでなく出力する側にも同じことが言えて、双方ともにどうやったって失われてしまう「中間情報」をいかに文字に埋め込むか(いかに意識的にサルベージするか)という視点は、欠かしてはいけないのだろうと思う。そして、世の中には沢山の灰色な意見が渦巻いていることを実生活の中でみんな感じているはずなのに、「文字」だけのネットの中ではどこかそれが無く全て白黒つけられるような錯覚を覚えてしまう人もいる。
例えばSNS等で好きなアニメにちょっとでも否定的なニュアンスを書き込むと、すぐにアンチと認定されたり、その逆も往々にして発生する。更には、「〇〇アンチはすぐに××という作品と比較して貶す」などと全く身に覚えのない罪状まで付加されてしまい、濡れ衣で拘束されるハメになる。「この作品はとにかく好きなのだけど、だからこそここは欠点だと個人的に感じている」という“灰色”を全く読み取ろうとせず、白黒の世界でたまたま目の前の意見が黒寄りだったから黒断定、と烙印を押される。しかも、そんな人は粘着質にそれを長々と押し付け、無いこと無いこと触れて回ったりもする。迷惑なことこの上ない。
差別と正しさという意味でもその事案は発生していて、「〇〇に疑問を呈する」ということは必ずしも「××の味方」ではないのに、それをそうと決めつけてかかる人がいる。白黒の世界、つまり、ネットには敵か味方かしかいないと思っているのだろうか。自分が少しでも気に入らない相手は全部“敵”にしてしまい、己の叫ぶ正当性が倫理観を著しく欠いていることに気付かず殴りかかる。「言及していないこと」は「考えていないこと」でもないのに、全方位に100点満点じゃない文章は袋叩きにされる。そしてその正しさや白黒とはまた別の次元で「声の大きさ」という一点が非常に影響力を持ちすぎており、死屍累々の現場が出来上がっていくのをごく最近でも何度も目にしてきた。
「否定的なニュアンスを発する人」は必ずしも「その対象のアンチ」ではないし、「書いていないこと」は「書き手が考えていないこと」とイコールでもない。世の中には灰色が沢山あってそれはネットでも変わらないのに、こんなにも空が青いくらいに当たり前の事実を改めて叫びたくなるほど屈折した窮屈さを最近は感じてしまうし、更に言えばこんな形容にも「夜だったり大気汚染があると空は青くないですよ!」と真顔で言われたりするので「うんざりofうんざり」なのだ。“そういうことじゃない”のだ。
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何度でも書くが、これは何も読み手だけの話ではない。私のようにブログを書いたりSNSで文字を発する人も皆が皆、意識して「中間情報」をうまく文字に加工していかなければならない(もしくは、全方位に100点満点の「主張」だけを発信するしかない)。また、これはなにも“最近”だけの話ではなく“そういう人”は昔からいたのだと思うが、最近はあらゆるネットサービスが提携し相互に情報が行き交うようになり、その手の面倒な話題は全盛期の飛脚より足が速くなった。ここ数年で一気に可視化された“そういう人”は、そのスポットライトを曲解して更に声を大きくする。
・常識人は淘汰される? ネットの風潮を左右する”ヤバい人バイアス”とは
更に加えて、小野ほりでいが提唱する「ヤバい人バイアス」もここに作用し、より一層の“白黒化”が進んでしまう。今や、灰色の人は大人しく細々と暮らした方が(ネットにおいては)得策のようにも感じてくる。その灰色が“どの灰色か”が意見交換の肝なのだけど、そこの面白さを追求するよりも先に白組か黒組かに強制配属されてしまうような、そんな感覚…。
書き手も、読み手も、理想としては神経を研ぎ澄まして“そこ”にある「中間情報」を常に感じ取らなければならないのだろう。そしてそれを盛り込み・汲み取る努力も、忘れてはいけない。とは言いつつ、あまりにも身近になりすぎたインターネットでそんな毎日のようにアンテナをバリバリ立てる訳にもいかず、本来そこはネットで大小の泥仕合を経験しながら“慣れ”でカバーされていくもの …だと思いたい。私も、毎日のようにブログを書く「物書き」の端くれの端くれの端くれのひとりとして、「灰色」を上手くネットにドロップできるよう、日々精進していきたい。 (追記:私がテキトーに定義してしまった「中間情報」ですが、正確には「ノンバーバルコミュニケーション」というらしいです)
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