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Channel: YU@Kの不定期村
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ウルトラマンネクサスがXで魅せた11年ぶりの「夜襲」

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

平日火曜の夜にアラサーが咽び泣くとは、あまり褒められたことではないかもしれない。しかも自宅のリビングだ。風呂上りの嫁さんはサッパリしてリビングに戻ったら旦那が喉仏まで涙を流しながら嗚咽を漏らしていたので、正直ドン引きしたと思う。しかし私は人目(嫁目)をはばからず泣き続けた。涙が止まらなかったのだ。改めて冷静に書くと我ながら気持ちが悪すぎる…。

11年前の2004年、「ウルトラマンネクサス」という番組が放送を開始した。言うまでもなくウルトラマンメインシリーズの当時最新作にして、後年も語り継がれる異色作となっている。「主人公はウルトラマンにならない」「ウルトラマンになる人間は劇中で変わっていく」「毎週必ず怪獣を倒す訳ではない」「陰鬱としたテイストで描かれる連続ドラマ」。結果としてその新機軸は広く受け入れられたとはとても言い難く、打ち切りという形で幕を閉じた。視聴率は1%も記録したと聞くし、玩具の売り上げも悲惨だったとのこと。

ウルトラマンネクサスは、過去の平成三部作(ティガ・ダイナ・ガイア)に比べ極端に少ない予算で製作された。円谷プロ自体が経営難だったことが最大であり唯一の原因だ。それを受けてか、ネクサスは自ら「メタフィールド」という亜空間(別次元)を作り出し、そこで怪獣と戦うという設定が設けられた。言うまでもなくその亜空間は毎回同じセットであるため、ミニチュアの予算を大幅に削減できる。敵怪獣・スペースビーストは良くも悪くも生命力が強く、何週にもわたってウルトラマンと戦い続けた。要は、新しい怪獣の着ぐるみを作る予算が不足していたのだ。





これらの“製作上の都合”が卵か鶏かは分からないが、作劇はそれを補うように構成されていった。元レスキュー隊員の主人公・孤門一輝は、ある日銀色の巨人に命を救われる。そのウルトラマンに変身する姫矢准という青年は、戦場カメラマンという経験からくるトラウマと自責の念を抱きながら孤独な戦いを続けていた。「ウルトラマンは亜空間を作りだし我々の知らない場所で戦っている」というミステリアスな設定が、「次第に姫矢の心の内を知っていく孤門」という構図と重なっていく。また、いわゆる“防衛隊”であるナイトレイダーも多彩な科学を用いて秘密裏を徹底する組織であり、その隠蔽性もウルトラマンの謎や全体のテーマに一役買っている。

後にウルトラマンの力は千樹憐という青年に受け継がれ、彼の自身の命を軽視した戦いぶりを姫矢との関わりを経て成長した孤門がたしなめる、という流れになっていく。憐の生い立ちの謎を入り口としてナイトレイダーという組織やネクサスの謎が明かされていくも、この辺りで番組の打ち切りが決定してしまう。しかし、“巻き”の展開ながら絶対に「ネクサスがネクサスらしくあること」を製作陣が崩さず、駆け足にはなったが真の黒幕と孤門の活躍を1クール短縮という状況で描き切った。今でこそネットではネクサスを称賛する声に溢れているが(私もご多分に漏れずそのひとりだが)、ネクサスは打ち切られたからこそ傑作になったのかもしれない、とも感じる。あの怒涛のクライマックスとリアルタイムでの“終わってしまう”感覚。それが、作り手と視聴者に過度の緊張感をもたらしていたのだろう。


※※※


カルト人気を持つ打ち切り作品というと「未完の大作」という表現がよく用いられるが、ネクサスの場合は「既完の奇作」とでも書いた方が正しい。ウルトラシリーズが他のヒーローもの、例えば仮面ライダーや戦隊ヒーローとはまた異なる部分で確実に持っていた「分かりやすさ」「お決まり」「パターン」、それらを崩すことを半ば目的として作られたネクサスだったが、当たり前のように当時の子供たちから“真っ直ぐな”評価は得られなかった。私のような、十代にしてすでにオタクとしてこじらせてしまっていた好事家たちは、熱心に手を叩いて鑑賞していたのだけども…。

とは言いつつも、私はネクサスは決して「良く出来た作品」ではないと思っている。「好き」と「クオリティが高い」は、往々にしてイコールではない。毎週のように似たような怪獣が出てくるにも関わらず、ウルトラマンは中々それを倒さない。しかも、毎度のように苦戦する。番組内容としての挑戦云々以前に、特撮ヒーローという土台に求める「カタルシス」「爽快感」というものが非常に偏っている。また、主人公がひたすらにくよくよ悩むのも特徴で、恋人を悲惨な形で失った際には、放送リアルタイム換算で1ヶ月ほど抜け殻状態になっていた。





土曜の朝に観る番組としてこれほどに不適当なものはない。ドラマのバランスももうちょっと緩急やメリハリが欲しかったし、ネクサスの戦い方もフィールドが同じであるのならもっと技や動きのバリエーションで魅せても良かったし、スペースビーストの造形も毎回似たような色合いなのでその亜空間設定と伴って“代わり映えしない映像”という印象を受けてしまう。

何度も書くが、決して高クオリティでも何でもないと思っている。しかし、そんな(製作費的に)過酷な状況の中で、非常に高い意識と目的の中で作り上げられていることはカットごとにガンガン伝わってくるし、それをウルトラマンでやるという行為そのものが当時の私の頭を毎週のように殴っていたのだった。その結果、完全にあの3クールもの間、見事に酔わされていた。だから、“私の中で”「ウルトラマンネクサス」は傑作に位置しているのだ。


※※※


そんな劇的な最終回から約10年が流れ、シリーズ最新作である「ウルトラマンX」にて、ネクサスが客演で登場を果たした。この「エックス」は、改めて振り返るとまさに「2周目のウルトラマンメビウス」とも言うべきタイトルに成長を遂げており、平成シリーズのウルトラマンたちが多数ゲスト登場を果たした。それも、ただ出てくるだけでなく、しっかり原典の面白さや魅力がX用に再調整されており、ファンにはたまらない演出も数多く登場。何よりも製作陣が「こだわって」「楽しく」やっていることがひしひしと伝わり、その明確なベクトルで毎回大いに楽しませてくれている。(もちろん、客演回以外のアベレージも異常に高いということは書き置いておきたい)

20話「絆 -Unite-」にて、ネクサスはなんと「X」内の防衛隊Xioの女副隊長・橘さゆりを変身者として登場した。ネクサスに変身できる者、つまり適能者(デュナミスト)であるが、それをすでに20話近く登場していた既存のキャラクターに割り当てるとは非常に“攻めた”構成である。そもそも「客演」なのだ。正直、孤門や姫矢がウルトラマンXになる大地の前に現れて「諦めるな!」と声をかけネクサスに変身して一緒に戦ってオーバーレイ・シュトロームでも一発撃ってくれれば、それだけで拍手喝采する用意は存分にできていた。「ネクサスがまたテレビで観られる」、それこそが最大の旨味だからだ。





しかし、阿部雄一監督率いる製作陣は、当時と同じようなある種こちらを突き放すような意識の高さを、10年ぶりに作中に込めた。「女性の副隊長」がネクサスの適能者に選ばれるのは、言うまでもなく原典のナイトレイダー副隊長・西条凪をオマージュしたものだ。そう、“ネクサス”の力は受け継がれていくからこそ意味があり、それは作中でも度々明言されてきたことだった。ある意味、“孤門や姫矢が10年経っても未だネクサスの適能者であってはいけないのだ”。だからこそ、まさかのシークレットゲストとして登場した孤門役の川久保拓司は、そのレスキューぶりでファンサービスを振りまきつつ、ネクサスをどこか確信じみた表情で見つめるだけに留まった。それは、過去に自身が持っていた力だからか、妻の鼓動を感じたからか、それらを上手い塩梅でボカして魅せた演出に惚れ惚れするばかりだ。

言うまでもなくベムラーが登場するのは、ネクサスの第0話に相当する映画「ULTRAMAN」の敵怪獣ザ・ワンのデザインイメージ元であり、湖で暴れるのは初代ウルトラマンの1話と同じである。スペースビーストを上からの拳ひとつで倒すアンファンス、渋谷というロケ地、何より「女性がウルトラマンになる」という未だ斬新さの薄れないインパクトなど、初めて「ウルトラマンネクサス」を目にした2004年10月2日の朝8時と同じ感覚に襲われてばかりだった。11年前に第1話「夜襲 -ナイトレイド-」を観た時の、「うわっ!これはこれまでのウルトラマンとは違う…!“何か”すごいものを観ている気がする!」という、ワクワク感。同時に込み上げる、「ウルトラマンでこれをやっていいの?」という仄かな焦燥感。




▲「ウルトラマンネクサス」第1話より


ネクサスは観る側を突き放す不親切さが意識の高さとイコールであり、だからこそ、その突き放された“距離感”を埋めたくて必死になって追いかける。そうして、次第に熱中していく。そんなあの頃の心の動きと全く同じパターンが11年ぶりに私に降りかかってきた。「え?え?」と戸惑いながら、驚きながら、そうして、見えや絵面だけでなく「ウルトラマンネクサス」という番組そのものを客演させる手法。そしてそれを見事に“やれている”という感動。こんなので嗚咽を漏らさない訳にはいかなかった。「感動して泣く」という言葉じゃ到底足りない感覚が、11年ぶりに思いっきり頭を殴ってきたのだ。

メタフィールドなのに雲が見えすぎているとか、橘副隊長ならではのジュネッス形態が観たかったとか、その手のクソオタク的な感想も無いと言えば嘘になるのだけど、ただ単にネクサスが出てくるだけでなく「ウルトラマンネクサスを客演させるという意義」をこれほどまでに高い次元に見出し、そしてそれが見事に達成されたこのX20話。とっても、素晴らしかったと思う。現役の子供たちは、「ネクサスは女が変身するウルトラマン」とでも捉えただろうか。それも、全く間違いではない。でも確実に伝わったのは、「ネクサスは他とは違う変なウルトラマン」という、今後も不変であろう評価の根っこの部分であると、一介のこじらせたオタクとして信じて疑わないのだ。


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