Quantcast
Channel: YU@Kの不定期村
Viewing all 177 articles
Browse latest View live

【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

『宇宙戦隊キュウレンジャー』が面白い! …という心の叫びから生まれた「DXキュウレンオーが欲しい」という欲望と戦い続けて早数日。色々と検討した結果、人生初の「ミニプラ」に手を出すことに。というのも、昨年、数年ぶりに観返した『ガンダムビルドファイターズ』のせいでおかげで見事にガンプラにハマってしまい、ニッパーやらスミ入れ用具やらトップコートやら一通りの道具を揃えたタイミングでもあったのだ。いやー!偶然なら仕方ない!仕方ないねこりゃ! …などと心中で自分に言い訳しながらスーパーで6箱を抱きしめてレジに向かうアラサー野郎が誕生したのでした。


無事に全確保。 pic.twitter.com/KU5Ywor7AT

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月20日

ただ、不思議なもので、そうなるとついつい追加の欲が沸いてきで…。


ミニプラ、このグレーの部分をあらかじめランナーごとシルバーに塗装しようかとも思ったけど、いっそガンメタルでもカッコいいだろうか。 pic.twitter.com/ccwEgqV08E

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月20日

キュータマの接続・台座部分のみをメタリックなシルバーにして、他のグレー部分をガンメタルにする。そうすると鮮やかさと重量感の両立が叶ったりはしないだろうか。どうだろうか。

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月20日

全くやったこともないのに、塗装に興味を示しだす。


グレーのランナーにはあらかじめプライマーを吹いて、キュータマ台座にはシルバーリーフ、その他はガンメタル。クリアパーツは勿論そのままで、その他のランナーにはつや消しトップコート。さて、これで想定通りの出来になるか否か。 pic.twitter.com/JMX082jYlH

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月20日

とはいえ、こういうのは「思いついてしまったらやった方が良い」類のやつなので(精神衛生上)、未経験者なりにネットで検索に検索を重ねながらAmazonで塗料を購入。やり方も何度も脳内でシミュレーションを行い、満を持して休日にベランダにてダンボールや新聞紙を広げながら人生発の塗装に挑戦してみました。

そして、こちらが完成品。ミニプラ『キュータマ合体 キュウレンオー』。

























思いつきに素直に、グレーのランナーを2色(シルバーリーフ・ガンメタル)に塗り分け。他に、シシボイジャーとカジキボイジャー(の一部)の黄色ランナーをゴールドに塗装し、他の色にはつや消しトップコートを。シールはメタリック感が塗装した色と異なるので、極力貼らない方向性で仕上げました。(分からないことだらけの初塗装、主にここを参考にしました。あとは、youtubeで実際にやってる人の手の動きをひたすら観察したり)

画像では分からないこだわり(?)ポイントは、プライマーの使用。ミニプラはABS素材とやらで出来ていて(ここで「やら」を使うくらいにこの分野には無知)、どうやらそのままラッカーで塗装するとパーツ割れを起こす危険性があるとか。ネットで検索してみると、「ABSにラッカーは危ない」「最近のミニプラは言うほど危なくない」などと様々な意見が見つかったけれど、念のためプライマーというものを購入して下地を作ることに。これがどこまで効果があるのか分からない程のトーシローだけど、やれるだけはやってみようかな、と。

反省点は、塗装のムラ。ガンメタルで缶ひとつ丸々使い切ってしまい、その影響で最後の方はパーツに粒子が残る残念な仕上がりに。あと、よくよく見ると吹きが甘い角度が後で見つかったりで、薄く吹いて・乾かして・また吹いて、という工程をもっと慎重に確認しながらやるべきだったなあ、と。次弾のボイジャーはもっと気を付けてやってみます。

ということで、拙い「初塗装体験記」でした。以下、記録を兼ねて、作業工程をツイートから拾って貼っておきます。


ミニプラ「キュウレンオー」塗装開始。まず、グレー成型色にはプライマーで下地を作る。その他のカラー成型色にはつや消しトップコート。プライマーが乾いたらいよいよシルバーを吹く。まずはキュータマ接続部分から。 pic.twitter.com/dsAJA2CdsY

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

おー、やはりシルバーを吹くと全然違うな。びっくりするくらい違う。 pic.twitter.com/XRhKEmN6yS

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

シシボイジャーの一部はゴールドに塗装。 pic.twitter.com/gMvMuYyy0Q

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

乾いたキュータマ部分を先に組み立てる。 pic.twitter.com/161sDXXq0A

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

ミニプラ「キュウレンオー」、シルバー塗装のキュータマが完成。クリアパーツがとにかく綺麗。 pic.twitter.com/D0bcngLNP6

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

シシボイジャーの鼻&髭部分のゴールドは本来シールだけど、合体時にも一番目立つ所なのでマステでぐるぐる巻きにして部分塗装。 pic.twitter.com/VyDDWtCALe

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

ガンメタル塗装。あとは乾き待ち。 pic.twitter.com/ds5bUxRP8S

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

シシボイジャーの黄色成型色、そしてカジキボイジャーの一部をゴールドに。後者は鎌?ドリル?に相当する部分。 pic.twitter.com/AYqY4RMMFL

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

よし、いい感じの黒灰色。 pic.twitter.com/ZcqOt0wCnL

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

ミニプラ「キュウレンオー」、全塗装終了。組み立て作業に移る。 pic.twitter.com/ymf2hN2cCC

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

よし、ゴールドとガンメタルの相性も良い感じだ。 pic.twitter.com/wNJBp7fAey

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

シルバーリーフとガンメタルのコントラストも想定通り! pic.twitter.com/J9X3WbkhR8

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

組み立て、時間がかかるけど楽しい。 pic.twitter.com/SJ8sdxzIRf

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

よっしゃラッキィィーー!! pic.twitter.com/N55r0RlqDQ

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

1&2「シシボイジャー」。ガンメタル塗装が映える大型ボイジャー。2箱から成るだけあって重さもそこそこ。シルバー塗装のキュータマとそれを囲うゴールド塗装がアクセント。鼻や爪もゴールド塗装で重厚感UP。太もも部分の非対称シールはあえて貼らず。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/N96eIoL7oe

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

3「オオカミボイジャー」。口が開き首が上下する超優秀可動。合体機構の恩恵が凄まじい。つや消し済みの青成型色パーツのはめ込みが非常に綺麗。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/S0TANFAwim

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

4「オウシボイジャー」。ガンメタル塗装の恩恵を最も受けたボイジャー。シールはあえて殆ど貼らず、重厚感を重視した配色に。シルバーリーフのキュータマが前面の黒との良い対比。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/9phg2kPBPV

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

5「カメレオンボイジャー」。驚異の5種成型色を塗装で6種に。口が開き舌が伸びる可愛いやつ。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/5CEWt1ZukJ

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

6「カジキボイジャー」。特にギミックは無いものの、その角が印象的。黄成型色を部分的にシシボイジャーと同じゴールドに塗装。シールも切り取って一部のみ。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/NJR27813iP

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

セイザドッキング!!! pic.twitter.com/fdKuWhqogV

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

キュータマ合体!キュウレンオー! #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/U7tJc0hEhh

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

#ミニプラ #キュウレンオー 塗装&組み立て完了。グレー成型色を、キュータマ台座部分をシルバーに、それ以外をガンメタルで塗り分けてみました。シルバーの煌びやかさとガンメタルの重厚感の両立を目指しての配色だったけど、かなり狙い通りの仕上がりになって大満足。 pic.twitter.com/atOnorvupe

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

タミヤのシルバーリーフ・ゴールド・ガンメタルの三色で塗装。ABS素材におけるパーツ割れを防ぐため、同じくタミヤのプライマーで下地処理。ぐりぐり動かして遊んでも、現在パーツ割れは確認されず。グレー成型色以外のパーツにはつや消し処理を。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/WrA0GZ1Wk2

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

初めて本格的に塗装というものをやってみたが、非常に楽しかった。気付けば丸一日これをやっていた。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/srojUjejlv

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

おおー!しっかり互換する!すごい! #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/x1JsbeOS3e

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

打ち上げ。 pic.twitter.com/k86YN0zBq3

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。
『かいけつゾロリ』“原ゆたか先生特撮オタク説”を検証する!

「まず何をしたらいいのか分からない就活生」がやった方がいいこと

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

嫁さんの弟、つまり義弟が今年から就活開始ということで、先日それについてゆっくり話す機会があった。彼の大学は就職にかなり力を入れているところらしく、学内でも「SPI講座」「自己分析セミナー」等が開かれているらしい。彼も友達と一緒にそのいくつかに参加してみたというが、いまいち「ピンとこない」ということを話していた。

彼の話を聞いていて感じたのは、「就活」というのは実質初めて「自分でレール引く作業」なんだな、ということ。それまでも、高校受験・大学受験と人生の岐路はあったと思うが、そこには担任の先生や両親のアドバイスが強く影響を与えていたのだろう。もちろん、最後に志望校を決めるのは本人なのだが、その本人を精神面・情報面・勉学面で支える周囲の人間がいたことは確かだ。

しかし、「就活」はそういう人がごそっといなくなる。手取り足取り世話を焼いてくれる親もいるとは思うが、結局は本人が自分から動いてみて初めて周囲と連動し始めるような、そんな「いちからレールを引く作業」が求められるのではないかな、と。だから、「分からないことが分からない」。業界を分析する、確かに必要かもしれない。自己を分析する、確かに必要かもしれない。でも、それが果たしてどれくらい「就活」というレールを引く上で役に立っているか、皆目見当がつかない。だから、「ピンとこない」。霧の中を歩くようなものである。そりゃあ、不安で仕方ないだろう。

おまけに、世間では「就活解禁!!」「今年も厳しい!!」という情報が踊り、リクナビやマイナビは本人を精神的に追い詰める文言ばかりで殴ってくる。取りあえず合同説明会に行けばいいのか? 取りあえずエントリーとやらをしてみればいいのか? その「取りあえず」はどの程度の「取りあえず」なのか、それが分からない。全体像やゴールまでの工程が分からないので、何をやったら良いかも分からない。周りが何か色々やってるから、取りあえず自分も何かやらなきゃならない。…おそらく、こういう「形のない焦燥感」にクラクラしている就活生が多いのではないだろうか。義弟も、まさしくそうであった。

そんな義弟に、自分もリーマンショック以降の状況が激変した就活を経験したひとりとして、こんなアドバイスをした。「取りあえずいくつか個別の説明会に行って、そして面接を受ければいい」。彼は「そんなの当たり前だろ」という表情を浮かべたが、その理由をひとつひとつ説明していった。


※※※


就活生の皆さんは、就活にどんなイメージを持っているだろうか。とにかく業界を研究して、対策本でエントリーシートの文言を考えて、面接の答え方もハウツー本に赤線引いて覚えて…。そういう、「情報戦」のイメージが強くはないだろうか。それは、正解である。近年の就活は、非常に特異な情報戦だ。しかし、その情報戦というイメージに付きまとう「事前の情報収集が大事」という印象には、私は半分だけNOを突きつけたい。

就活は、ありふれた言葉で言うのなら、「習うより慣れろ」だ。または、「百聞は一見に如かず」。どれだけ分厚い本で業界研究をしても、どれだけリクナビやマイナビに目を凝らしても、どれだけハウツー本で面接のイメージトレーニングをしても、それは一回の「個別説明会」や「面接」より、薄い。特に就活開始の段階では、確実に薄い。「分からないことが分からない」のに、その「分からないこと」を机に座ったまま分かろうとして、「分かる」はずがないのだ。

興味のない業界でも良い。名前を全く聞かない企業でも良い。心構えなんて何も出来てなくて良い。自分の生活圏内で最も今日に近い日程で開催されている個別説明会に、まずは行ってみると良い。何よりまず、実際に行くのだ。説明会に行くと、その企業のパンフレットが配られ、業務内容や福利厚生の説明があり、現職の人の話があり、今後の面接スケジュール等が説明される。まずは何より、それを体感してみた方が良い。何度も言うが、“たとえその企業に興味がなくても”、だ。

要は、「分からないことが分からない」のだから、「何が分からないか」を身をもって発掘しに行くのだ。いざ説明会に行くとなると、男性はネクタイの締め方から分からないのかもしれない。乗ったことのない電車の路線に乗るのかもしれない。企業の採用向けのパンフレットだって実際にちゃんと見たことがないし、他の就活生が説明会でどんなことを質問しているのかも知らない。その企業で働いている人が、イキイキしているのか、死んだ目をしているのか、どんなスーツや作業着を着ているのか、その業界について業界人がどう考えているのか、スタートしたばかりの就活生は、全部知らない。

だから、説明会に行くのだ。何はともあれ、まずは行くのだ。実際に行ってみると、「あ、就活って“こんな感じ”なんだ」という感覚がきっと湧いてくる。そして、そのまま面接を予約して受けてみるのだ。まずは闇雲に練習してもしょうがないから、取りあえず受けてみるのだ。素っ頓狂な解答をしてしまうかもしれないし、赤っ恥をかくもしれない。でも、その「最初の面接」さえ終わってしまえば、「その企業が聞いてきた質問事項」「他の就活生が答えた内容」「自分が答えた内容に対応する合否」という情報が手に入るのだ。そうして、ここから初めて、やっとこさ「情報戦」が始まる。「分からないこと」「できなかったこと」を「分かった」上で、そこから改めて業界研究や自己分析をやってみるのである。脳内で、終わった面接を反芻しながら。


※※※


「説明会や面接に行かず情報だけ調べて闇雲に不安になる」という状態は、例えば学校のテストの前にテスト範囲とされる教科書のページをパラパラとめくって「やべ~」と嘆いているようなものだ。まずは問題を解いてみて、そして間違えた問題の答えと解説を読んで、そしてまた問題を解くのだ。就活も全く一緒である。まずは、とにかく、実際にやってみる。部活も同じで、まずはやってみて、トライ&エラー。勉強も、ひたすらにトライ&エラー。就活も、構造は全く同じなのだ。

だから、私がとにかく就活生の皆さんに伝えたいアドバイスは、「取りあえずいくつか個別の説明会に行って、そして面接を受ければいい」なのだ。ろくに実地経験もないのに情報や想像だけで頭でっかちになっても、それは本質的には意味を成さない。ちゃんと戦う相手の輪郭を把握した上で情報を仕入れないと、無駄に時間と労力を消費するだけである。説明会に何度か通って、面接を何度か受けて、そして何度も落ちて、そうすることで「業界研究」も「自己分析」も、本当に自分に求められている入り口が見えてくる。

料理を全くやったことがないのにレシピだけ熟読しても、卵の割り方すら分からない。それが第一歩を踏む前の就活生だ。レシピには、わざわざ卵の割り方なんて書いていないのだ。だから、とにかくやる。やってみる。やってみてから考える。それが、とにかく数を受けなければならない昨今の就活生が最初に超えるべきハードルであると、私は思う。

義弟を含む就活生の皆さんの健闘を、心から祈ります。


(あわせて読みたい)
効率フェチが就活で実践した履歴書量産メソッド ~履歴書は“作る”から時間がかかる


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。

【続塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ02)

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

先日ミニプラの塗装に精を出した記事を更新しましたが、その後もモノの見事にハマりまして…。続く第二弾こと「キュータマ合体シリーズ02」もしっかり確保してスプレー塗装しまくっておりました。この記事は、前回に引き続きその一部始終の記録です。


何店舗か回って無事に確保。 pic.twitter.com/nOaLepWTA6

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

なんのことはない...。一弾よりシシボイジャーが無い分だけ楽かと思ったら、むしろ大変そうな予感がしてきたぞ......。 pic.twitter.com/5N9Bf7bVf0

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

第二弾でさっそく9体のボイジャーがフルラインナップということで、そりゃあ、作る方もテンションが上がるってもの。前回同様、基本的にはガンメタルで重厚感を意識しつつ、塗装が映えるテンビンボイジャーとヘビツカイボイジャーは金銀に(ほぼ)全塗装。それ以外の成形色パーツにはつや消しのトップコート。シールはなるべく使わない方向で仕上げてみました。もちろん、塗装するパーツにはあらかじめ破損防止のプライマーで下地処理。





テンビンボイジャーは、もう思いっきりギンギラギンの金色に塗装。キュータマを覆う円状のパーツは、前回同様一部をガンメタル&残りをシルバーリーフで差別化。組み立ては中々複雑で、とにかく良く出来たボイジャー。





ヘビツカイボイジャーは、キュータマ関連をシルバーリーフ、それ以外のシルバー部分をマイカシルバーで塗り分けたのだけど、パッと見では色合いの差が分かりにくかったかなあ、と。劇中での色合いを見ると、メッキメキの銀色というよりはちょっと白みがかった印象があったので、なるべくそれを再現しようという意図だったのだが…。とはいえ、大方満足の仕上がり。


ヘビツカイボイジャー、写真じゃ分かり辛いかもだけど、シールの赤と黒のラインだけをデザインナイフで切り取って貼り付けた。せっかくシルバー塗装してるので、シールのキンキラシルバーと色合いが違うのは勿体ないだろう、と。細かい作業だったけど見映えが全然違う。 pic.twitter.com/8ufkTWLAQi

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月16日

テンビンボイジャーも同じ処理。 pic.twitter.com/o4RymnDCby

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月16日




このコンビはとにかく塗装映えするので、やってて一番楽しかった。





サソリボイジャーは成形色の面積が広く、なんとか軽く見えてしまわないように試行錯誤。マスキングテープを使っての部分塗装が思いのほか上手くいったのは良かった。ボディ横の白部分はシールがやけに野暮ったく見えたので、思い切って貼らないことに。


マステで部分塗装。 pic.twitter.com/LoAH9492K7

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日





ピンクが鮮やかで綺麗なワシボイジャー。くちばしはテンビンに使ったゴールドをそのまま使用。


実際に組んでみるとワシのこの部分はシール面積が広くてあまり見映えが良くなかったので、ガンメタルで上塗りすることにした。 pic.twitter.com/sSvI6beCi3

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

根気強くマステを巻いたかいがあった。綺麗に羽根部分だけガンメタルになったぞ。 pic.twitter.com/N8T9ialmkx

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

…とまあ、そんなこんなで試行錯誤しながら塗装&組み立て作業を楽しんでおりました。前回の経験から、やっておいた方が良い処理・省ける手順が少しずつ分かってきて、計画的に作業を進められたのも良かった。


ランナーごとの塗装のため、あらかじめギリギリまでパーツを切り離しておくことで、後の細かな見苦しさを軽減。 pic.twitter.com/5hs5Nf5jRQ

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

バラバラテンビン。 pic.twitter.com/Ur0dN1mf8J

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

やはり全然違うなあ、塗装すると。こうハッキリと比べちゃうと、黄色成型色がひどく安っぽく見えてくる...。 pic.twitter.com/ECn9phSdZA

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

まずは全ボイジャーのタマタマから組み立てます。 pic.twitter.com/5XI7gVydac

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

ミニプラ02のキュータマ、塗装&組み立て完了。 pic.twitter.com/gR2nlrrt7o

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

肘関節パーツは見映え&汎用性を持たせるためにそれだけ切り離してガンメタルで塗装予定。関節部とはいえ、オオカミやカメレオンにオレンジ関節だと少し違和感あると思うので。 pic.twitter.com/DhLj53wopv

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

今夜には全ボイジャー組み上がるだろうか。ガンメタルとマイカシルバーで塗装中。 pic.twitter.com/wxUoBY8NYw

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

よし、仕上がった。あとはサソリの部分塗装乾燥待ちを残すのみ。他からどんどん組み立てていこう。 pic.twitter.com/Rw8lsaczxb

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

未塗装と比較シリーズ。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/r7jUadDPeJ

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

未塗装と比較シリーズ。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/dsh67RpDkg

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

9体の究極のミニプラ! pic.twitter.com/pi8uHhTjlV

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

手塩にかけて仕上げたボイジャーが9体そろうのは、中々の達成感…!!





そしてこちらがキュウレンオー(02)!























大満足!…といっても細かな反省点はあって、それは更なる今後のミニプラ製作に活かしていきたいなあ、と。前回、そして今回、人生初のプラモ塗装に手を出してみたけど、思いのほか簡単なのに満足のいく仕上がりになって、なるほどこれが「塗装の楽しさ」か! …という感じ。何よりキットそのものの出来がかなり良いので、ミニプラ「キュウレンオー」、迷ってる方は是非手にとってみてください。


そして、あまりに塗装が楽しかったので……


ついにオリジナルカラーリングのボイジャー作成に乗り出す。 pic.twitter.com/LbymPxHV4z

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月18日






狼ならやはり白銀でしょ! …という安易な発想から生まれた「ウルフボイジャー」。ピュアホワイトとシルバーリーフで仕上げました。キュータマのクリアパーツは色合いをそろえる為にヘビツカイボイジャーのものを使用。











という感じで重ね重ねオススメです、ミニプラ「キュウレンオー」。ちょっと失敗してもボイジャーごと数百円で買い直せるので、思いっきり自分なりのアイデアを試せるのがとにかく楽しい。嗚呼、こうやって塗装趣味にずぶずぶと沈んでいくのね……。


ちなみにミニプラ作業中はずっと『剣』を流しっ放しにしていたけど、いつのまにか残るアンデットはカテゴリーKとジョーカーのみになった...。 pic.twitter.com/Su8YdhuODT

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日


【過去記事】
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。

人間から人間が出てきて“それ”を育てるということ

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

最近ブログの更新が途絶えに途絶えているのは、タイトル通り子供が産まれたからです。仕事が終わって家に帰ったら育児や家事を嫁さんと一緒にやって… という生活だとブログを書く時間を捻出するのも中々簡単ではないなあ、と。まあ、これも“慣れ”はいくらかあると思うので、新米パパよろしく娘に楽しく振り回される毎日を送ってます。

しかしまあ、本当にタイトル通りなのですが、「人間から人間が出てくる」というのは本当に凄いことだなあ、と。もちろん、犬や猫をはじめ自分らと同じ哺乳類がそうしているのは頭では分かっているし、言うまでも無く保健体育で習った知識として識ってはいるのだけど、なんというか、実際に体感してみると全くもって“そういうこと”ではなかった。タイトルではあえて「それ」と書いたけれど、狂おしいほどに可愛い娘を時に「何かの生物」として酷く客観的に見てしまう瞬間がある。それほどに、「自分の子」というものは「自分が認識しているヒトという生き物」とかけ離れて感じられるのかもしれない。

まだ首がすわっていないから重さがダイレクトに腕に響くその身体は、何かの拍子に落としてしまえばすぐに死ぬかもしれないし、そうでなくとも、朝起きたら横で冷たくなっていたり、チャイルドシートに乗せて外出している最中に事故が起きて命を散らすかもしれない。私のような「身体が出来上がったヒト」ではないのだから、同じ危険性でもリスクは何倍にも跳ね上がる。毎日のように反射的にベビーベッドから抱き上げるが、それは娘からしたら身長の二倍の高さまで一気に持ち上げられる、ということだ。家の中、私の腕の中でも、すぐに死んでしまうリスクと切り離せないくらいに、弱く脆い。

それを24時間、体力も時間も犠牲にして見守って育てていくのが「親」というのは、確かに100人が100人そう答える「正解」なのだろうが、これが中々簡単なことではない。いや、難しいことなのは分かっていたつもりだが、いざ目の前でその環境が展開されると慣れるまで相当かかる。私も可能な限り一緒にやっているが、やはり嫁さんの方が子育てにかける負担も大きく、常にぐったりとして、少しカリカリしている。大変か、面倒か、と問われれば。そりゃあそうだ。相当面倒でしんどいですよ、子育て。でもそれが娘の表情ひとつで一気に消し飛ぶのが「親」という属性なのだなあ、と。

自分でも何を書きたいのかよく分からないけれど、そういう「すぐに死んでしまう命」を「自己を犠牲にしてでも育てる」という行為は、本当に種として根元的なテーマだと思うし、同時に一気に自分の“死”を意識するターンに入ったなあ、ということだ。“次世代”が産まれたということは、自分が自動的に“旧世代”になったことの証だ。この子が自分の年齢になる時に、自分は健康に生き続けていられるのだろうか、と自問してしまう。自分も、嫁さんも、今まで以上に自分の身体のメンテナンスには気を配らないといけないなあ、と。

血まみれで頭も歪んでいた3キロ超えの“それ”は、一気に体重を増し、光や音に反応して目で追うことを覚え、顔つきが毎日のように変わり、嫁さんや私の匂いや抱き方を覚え、母乳にありつけた喜びを叫ぶように表現し、ソフトクリームを盛る機械のように元気に糞を捻り出し、そうして毎日毎日、私と嫁さん、そして親戚や知人といった多くの人の手に触れられていく。将来どんな子に育つのか、また、今日も無事に“死なず”に生きていけるのか、それは全く分からない。お互い、「ヒト一年生」「親一年生」として、一緒に生きていけたらいいね、と思うばかりだ。

すごい!1,500字書いても何を言いたいのかよく分からない!…とは言いつつ、一生に一度しかない「初の子供」に感じる思いくらいは、こうやって書き散らしておくのも悪くないかなあ、と。いつか娘とホームシアターで『トイ・ストーリー』を観るその日が無事に迎えられることを願って、という感じで。

そして一気に別の話ですけど、このブログも本日をもって晴れて3周年となりました。子育てしながらなので更新頻度はアレですけど、今後もダラダラとやっていきますので、何卒よろしくお願いします。


ドラムとコーラスとギターソロまで完コピで歌う『HEAVEN'S DRIVE』(L'Arc〜en〜Ciel)で健やかに寝付く娘。お腹の中から聴かせ続けた甲斐があったというもの。

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年4月10日

【過去記事】
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。

さようなら平成仮面ライダー【クウガ~ファイズ編】シリーズ黎明期の作品群は日曜の朝に何を提示したのか?

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

「オタクになったきっかけは?」という会話はオタク同士なら当たり前のように交わされるものだが、例えば学生時代の友人だとそれは『新世紀エヴァンゲリオン』だったり『灼眼のシャナ』だったりしたのだが、私の場合は間違いなく「平成仮面ライダーシリーズ」だった。“その枠”の番組は『ジャンパーソン』や『エクシードラフト』から観続けていて、もちろん『カブタック』や『ロボタック』も大好きだったけれど、やはり私を熱狂的にハマらせ・引きずり込んだのは『仮面ライダークウガ』だったし、それから18年、最新作の『エグゼイド』に至るまで、毎年新しい仮面ライダーを楽しみに生きてきた。もはや一介の視聴者のクセしてライフワークのような錯覚を覚えるほどだ…。

最近、仕事が忙しかったり子供が生まれたりして中々まとまった時間が取れず、ブログの更新もおろそかになっていたので、「何かある程度の文量でガッツリと書きたいなあ」という欲が湧いてきた。そして、とにかくガッツリ語るのなら …すぐに候補に浮かんだのが「平成仮面ライダーシリーズ」だったという訳である。そんなこんなでこの記事は、同シリーズについてリアルタイムで観続けた上で感じた様々な想いや考察を、自らの過去記事も引用しつつ脈絡なく溢し続けてみようかな、という内容である。一応『クウガ』から順に辿るが、多分話があっちに行ったりこっちに行ったり、とにかく全18作を俯瞰して語る視点と平行なので、本当に暇な人だけ、良かったらお付き合いください。


※※※





早速だが、まずもって『仮面ライダークウガ』である。言わずと知れた平成仮面ライダーシリーズ第1作であり、今なお根強いファンが多いことで有名だ。幼心に記憶に残っている『RX』以降、テレビでレギュラー放送される仮面ライダーは存在しなかった。そんな沈黙を破り、第1話開始のファーストカットで「この作品を 故 石ノ森章太郎先生に捧ぐ」と掲げてみせた本作は、非常に神経質な作りで、それでいて病的なまでに革新的だった。




「仮面ライダークウガ」は、非常に神経質な作品である。本当に、病的なまでに神経質だ。場面が切り替わると、画面下にその場所名と現在時刻が分単位で表示される。「実際に怪人が出現したら警察組織はどう対応するのか」。本物の警察に取材に行き組み上げたというその設定は非常にリアルであり、ヒーローであるクウガも“未確認生命体”として銃殺されかけてしまう。その登場人物はなぜこのような行動を取るのか。今現在何に悩んでいるのか。何を抱えているのか。「ヒーロー番組だから」という言い訳を絶対に用いず、一般のドラマと同じ目線でそれらを描き切った。

仮面ライダークウガという呪縛



引用した過去記事でも書いたが、それまでの特撮ヒーロー番組の多くに「ヒーロー番組だからこその展開」というのはやはり確かにあって、それは悪く言えば「子供だまし」「ご都合主義」、善く言えば「分かりやすさ」「とっつきやすさ」であった。その展開や演出の是非を語るつもりは毛頭ないが、『クウガ』は病的なまでにそういう展開を廃し、とにかくリアルに・一般ドラマのように組み上げたのが最大の特徴と言えるだろう。「異形の存在が実社会に突然現れたら、各種機関はどのような対応をするのか」。そういうリアルシミュレーションの側面で言うならば、昨年公開の『シン・ゴジラ』と非常に近い作品とも言える。

「古の闇より……(デンデン!)目覚めしものは……(デンデン!)」という立木文彦ボイスが印象的な予告編からして、当時『カブタック』や『ロボタック』に慣れていた自分には随分な衝撃だった。『仮面ライダー』と怪奇路線が云々という知識もあの頃は勿論持っておらず、なぜ日曜の朝からこんな陰惨なものが始まるのかと、正直観る前はかなり身構えていた記憶がある。それがいざ始まってみると、予告で登場していた赤いクウガは姿を見せず、ひ弱な白いクウガが敵に辛勝するといった、これまたとてもショックな内容が繰り広げられた。年齢的にいわゆる「戦隊モノ」を卒業するか否かという岐路に立っていた自分には、思いっきり頭を殴られ“その道”に引き戻された感覚があった。

ストーリーとしては、あからさまに怪人然とした異形の着ぐるみが登場するのではなく、我々の実社会にいつの間にか入り込み暗躍する古代種族との戦いが繰り広げられた。例えば地下鉄サリン事件は95年の出来事だが、「いつどこで我々と同じように振る舞う人間が危害を及ぼしてくるか分からない」といった放送当時(00年)の社会全体が抱く不安や漠然とした恐怖のようなものを、グロンギという種族は的確に体現していたように感じる。次第に日本語が達者になる彼らに抱く恐怖には、背筋が凍るものがある。

そんな『クウガ』だが、十数年経った今改めて考えると、実はクウガのフォーマットはあまり現在の同シリーズには継承されていないな、と感じる。高寺プロデューサーを中心とした製作陣の一度切りの濃厚変化球といった印象で、近年の平成ライダーのフォーマットの祖となっているのは次作『アギト』だったり『電王』『ダブル』あたりを挙げるのが適当だろう。というより、『クウガ』のような球は“色んな意味で”もう二度と投げられないだろうと思うし、その事実が今でも根強くファンに愛される所以なのかな、と。





続く『仮面ライダーアギト』は、前述のように、実質的な「平成仮面ライダーシリーズ」の祖と言えるだろう。『クウガ』が描いた連続劇に群像劇要素を付加し、更にはミステリー・謎解き・ファンタジーの要素まで盛り込んだ。メイン脚本をつとめた井上敏樹氏が実は「あかつき号事件」の詳細を特に考えずに先に謎だけ提示しておいたというのはファンには有名な話だが、そういったミステリー要素が強い“ヒキ”を生み、視聴率は万々歳の結果だったという。『クウガ』における敵組織の背景は「そういう種族だから」という割り切りで一種完結していたが、『アギト』ではそれを引っ張りに引っ張って物語最大の謎と結び付けた。なぜ津上翔一は記憶を失くしたのか、なぜアンノウンは人間を襲うのか。それが、果てには神話の世界のような壮大な叙事詩に発展していく…。

『アギト』が盛り込んだファンタジー要素(神々の戦い)そのものは、特撮ヒーロー番組では(戦隊を含め)従来から使用されてきた要素ではあるが、これを『クウガ』が挑戦したリアル調連続劇の中でやるという試みそのものが、『アギト』成功の最大要素ではないだろうか。また、「既に仮面ライダーである男・仮面ライダーになろうとする男・仮面ライダーになってしまった男」という切り口も非常に面白く、「仮面ライダー」という呼称こそ劇中には登場しないものの、異能のパワーと向き合う男たちの苦悩とすれ違いのドラマは観る者を夢中にさせた。「記憶(=アイデンティティ=居場所)を失くした青年が、みんなの居場所を守るために戦う」という翔一が辿ったテーマも、『クウガ』の雄介とは違う意味で“みんなのヒーロー”を体現していたように思える。

個人的に好きなのは、後年の『ディケイド』における「アギトの世界」で、ギルスに「アギトの成長過程の姿」という設定が与えられたことだ。原典でのギルスは「アギトの亜種」となっていたが、これを踏まえた上で作品主人公であるアギトを魅力的に魅せるための気の利いたアレンジだったと感じる。同時に、ユウスケがG3装着者になるのも『アギト』の企画経緯を思うとニヤニヤできる展開であった。(当初『クウガ』の続編として話が進んだが、という例のアレ)

前述のように『アギト』が持ち込んだミステリー要素は、その後も「なぜライダー同士の戦いは始まったのか」「なぜファイズのベルトは造られたのか」「なぜアンデッドは解放されたのか」から「なぜゲーム病やバグスターが発生したのか」に至るまで、シリーズに欠かせない縦軸の要素として継承されていく。そのほかにも、群像劇の要素が『龍騎』『ファイズ』『鎧武』に、ライダー同士が争う部分は『剣』『カブト』『エグゼイド』らに、そうして今もプロット作成の第一線に持ち込まれるであろう部分として確立されている。今でこそ「平成一期らしさ」「平成ライダー初期っぽさ」などと挙げられるイメージは、その多くが『アギト』に拓かれたものではないだろうか。





そんな群像劇の要素を継承しつつ、多種多様な正義とゲームっぽい争いの構図で人気を博したのが、シリーズ第3作となる『仮面ライダー龍騎』だ。「多種多様な正義」については白倉プロデューサーが各種インタビューで述べているとおり、同時多発テロの発生に影響を受けたものである。世界中で揺らぐ正義の定義について、その“揺らぎ”をそっくりそのままライダー同士のバトルロイヤルに落とし込んだ。「ゲームっぽい争いの構図」はカードと電子音声の組み合わせから受ける印象で、遊戯王をはじめとするTCGが大流行していた時勢ならではの要素とも言えるだろう。そんな、ゲームっぽいシステムの中で悲惨な殺し合いが行われるギャップこそが、今作最大の魅力でる。

話が横道に逸れるが、平成ライダーにおけるカードというのは非常に面白い変遷を経ている。『龍騎』におけるアドベントカードは、最初から各ライダーに付与されたデッキそのものであり、ライダーによって同じものを複数枚所持していたり、凶悪なカードを所持していたりする。「ソードベント」「ガードベント」「ファイナルベント」といった用途別のカテゴリー分けがなされており、新ライダーが登場した際に「こいつの〇〇ベントはどんなのだろう」という想像を掻き立ててくれた。続く『剣』では用途別の仕分けを廃し、カードそのものに「アンデッドを封印する装置であり実質モンスターボールである」というストーリー上の意味を盛り込んだ。これにより、「ヒューマンアンデッド」や嶋さんといった要素が生まれ、カードが単なるコレクターズアイテム以上の価値を持つこととなる。

そしてその集大成となる『ディケイド』だが、これが『龍騎』と『剣』の見事な合わせ技であり、「アタックライド」「フォームライド」といった用途仕分け、そして「対象のライダーと心を通わせて初めて使用できるカード」というストーリー上の意味をも内包するスペシャルな存在に仕上がっていた。しかもほぼ同時期スタートの「ガンバライド」でも使用できるとあり、驚異的な魅力を兼ね備えていたことは、もはやシリーズファンには言うまでもないだろう。そろそろ、第4のカードライダーが登場する頃かな、とも思うが…。

本筋に戻るが、『龍騎』の話をする上で避けては通れないのは、ラストの解釈である。まさかの最終回前の主人公死亡、そして、勝ち残った蓮や神崎兄妹は一体何を願い、どのような結果が訪れたのか。巨悪を倒してハッピーエンドという“わかりやすい”エンディングでなかったからこそ、その引っ掛かりは今でも脳裏にこびりついている。私の解釈は、以前の記事にも書いた、以下のものである。




しかし、あの最終回に、当時の私は納得できなかった。真司が頑張ってきた1年間が、どこか無駄に思えてしまったからだ。結局、全ての死んだ人間が生き返り、リセットされた。真司の奮闘はなんだったのか、と。

この違和感を飲み込むには、数ヶ月かかった。何度も録画を観て、ネットに書き込まれた解釈を探し読み込み、やっとのことで納得した。あれは幾度となく繰り返された戦いの最後の1回であり、真司が1年間走り回ったからこそ、「神崎優衣が命を拒否し兄の説得に成功する」というエンディングを成立させたのだ。真司の行動は、決して何かのボスを倒した訳でも、明確な答えに辿りついた訳でもない。自己犠牲でも、どのライダーを助けた訳でもない。ただ、城戸真司が秋山蓮と共に神崎優衣に関わり、その戦いを止めたいという思いと悩みを1年間彼女に見せてきたことが、あの“終わり”を導いたのだ。その解釈に納得できて初めて、私の中の「仮面ライダー龍騎」は完結したのだった。

仮面ライダー龍騎に狂酔した中学2年生の1年間



この解釈は本当に人それぞれだと思うし、むしろ『龍騎』が提示したテーマやメッセージというのは、単に真司のように「諦めずに愚直に頑張ること」に収束するとも考えられない。これは続く『ファイズ』も含め、白倉プロデューサーが深く関わった作品群は、明確な“答え”を提示することを目的とはしていないように感じる。結局は「各々の信念が究極の正義」とでも言うのだろうか、「こちらとしては様々な正義や考え方を取りそろえるので、観た人が各人で“答え”を見つけてください」、と。あからさまな疑問提示型・問いかけ型の組み立ては、ともすれば「投げやり」とも取られ、しかし“効いた”人には永遠の難問として降りかかる。五代雄介による「本当は綺麗事が良いんだもん」という、あえて言えば究極のエゴのような価値観で作品を包み込むのとは違う手法、エゴとエゴとのぶつかり合い“そのもの”がテーマとでも言うべき「ズルい」作り方。それが、『龍騎』で遂に確立されたシリーズにおけるひとつの方向性だったように思える。

否定から生まれた『クウガ』、それを発展させた『アギト』、そして続く『龍騎』はその双方を真正面から否定して新たなステップを踏んでみせた。そういった、否定と革新とトライ&エラーこそが、この時期の平成ライダーが吹かせていた新風そのものだったのではないだろうか。また、『龍騎』の「電話投票で結末が決定」「最終回先行映画化」といったセンショーナルな取り組みも、後年の「スーパーヒーロー大戦」や「昭和vs平成」といった話題重視の概念の雛型と言えるのかもしれない。




昭和ライダーの世界観と違い、平成ライダーはクウガ以降各々が完全に独立しており、“先輩ライダー”という概念が長らく消滅していた。だからこそ毎年野心的な設定で作風をどんどん変えていけるのが強みであり、その決定打となった龍騎や、意欲作である響鬼など、「不揃いという統一感」が売りのシリーズだったと言える。

完全なる伏線消化。「仮面ライダーディケイド」の最終回とは一体なんだったのか



「不揃いという統一感」、といった言葉遊びのようなこの形容こそが「平成ライダーっぽさ」だと思うし、それを決定付けたのが『龍騎』、その不揃いさをリセットしてしまった『ディケイド』、続くいわゆる“二期”の作品群は前述の形容に馴染まなくなっていくのだが、これはまた後の作品群で話題にしたい。





ホップ・ステップ・ジャンプを終えた平成ライダーが展開したのが、『仮面ライダーファイズ』だ。ある意味『龍騎』で最も廃された「敵怪人そのもののドラマ」にスポットを当て、実質のダブル主人公物として本作は幕を開けた。井上敏樹氏における全話執筆は今でも語り草だが、実はマジで同じ人が書いているのかというくらいに整合性の側面がガタついていたりもする。しかし、それを補って余るブーストは凄まじく、シリーズでもトップクラスに湿度の高い物語に当時の私は心底夢中になった。すれ違いや勘違いによるあの独特のもどかしさが、かっこよすぎるギミックで活躍するライダーたちの戦いにまでもつれこむ。この唯一無二の中毒性は、本当にクセになるのだ。




ファイズという物語は決して人間とオルフェノクという単純な善悪構造ではなく、人間と人間、オルフェノクとオルフェノク、種族に関わらず矢印が交わりまくるのがポイントだ。怪物同士が争うのもこの物語の大きな特徴で、平成ライダーで初めてこれを本格的にやったのも、このファイズである(クウガの終盤や龍騎のミラーモンスターなど前例はいくつかある)。オルフェノクといえどそれは「個人」であり、主義主張の違い、そして信念が交わらなければ、当然のように憎しみ殺しあう。ただ単に、その手段をその身に宿しているか否かが、人間と違うだけ。

仮面ライダーファイズ 8話「夢の守り人」の欠点



劇中では、オルフェノクを滅ぼさんとする人間による組織が登場したり、また、対するオルフェノク側も、人間をいかに滅ぼし自らが優位に立つかを常に組織的に模索していた。最終的にその対立構造は「滅びの運命とそれを回避できるオルフェノクの王の存在」というギミックにより整理されていくのだが、それはあくまで物語上の“終わり”に向けて組み上げられたパズルに過ぎず、本質的な差別や種族争いの問題は何一つ解決することはない。盛大に、議題を投げ散らかしたまま終わるのである。前述の「エゴとエゴとのぶつかり合い“そのもの”がテーマ」というのは、この点のことである。

オルフェノクというのは人間が人外のパワーを身に着けたにすぎず、だからといって即人を襲う化け物になるかといえば、そうではない。人を殺せる力、身勝手に断罪できる手段をある日突然手に入れてしまった時、“人”は果たして倫理観や価値観を変えずにいられるのだろうか。その顛末は、開始早々の第2話ですぐに木場の行動として描かれる。そうした、オルフェノクをあくまで人間と“地続き”で描くからこそ、世界中で差別や争いが今もなお無くならないからして、ファイズが抱える問題も絶対に「解決」しないのである。この「解決しないことこそが到達点」というのは、後年の『仮面ライダーアマゾンズ』でも描かれたものだと解釈している。




視聴者は、悠と仁のどちらにより共感できるのか(もしくはどちらも理解不能か)の三択を無意識に突きつけられる。悠の考えはどこまでいっても「甘ちゃん」であり、例えアマゾンでも暴走したら粛清するしかないと、究極のワガママをパワープレイで貫き通そうとしている。対する仁は、卵を食べるのと同じように、殺された者は喰われて然るべきだと、元来からのアマゾンへの過剰な恨みを決して曲げようとはしない。ブレる線引きを力尽くで主張するアマゾンと、ブレられない意固地な線引きを力尽くで主張するアマゾン。億単位の人間誰もが種レベルでの解答を提示できないのだから、後は争うしかない。意見が違えば争い合う、これに限っては、人間に限らない多くの生物が繰り返してきた所作なのだから。

だから、私はこの「対立エンド」がこの上なくアマゾンズらしい帰結であり、中途半端でも何でもなくて、ドンピシャな落とし所だったと捉えている。悠は、自分が明確な答えを示せないからこそ、その「示せない」だけは貫く。そうやって、アマゾンだけのコミュニティのぶれぶれな長(おさ)として君臨する。あの海辺では、何度もアルファとオメガの戦いが繰り返されてきたのだろうし、これからも続いていくのだろう。だからこそ捕食カーストで、だからこそアマゾンズなのだ。あの戦いが、詰まるところ「主張のぶつかり合い」が、永遠に続いていく(解答が提示されない)。これこそが、この問題を手がけたからこそ落ち着くべき地点なのだ。

【総括】「仮面ライダーアマゾンズ シーズン1」 “仮想敵”を喰っちゃいけない理由なんて、どこにもない



「『アマゾンズ』における平成一期らしさ」という議論はネットでよく発生するものだが、私はこのような「明確な答えに辿り着かないという答え」を提示する手法をもって、同作は非常に「一期らしい」と感じている。『龍騎』や『ファイズ』がこの辺りのエッセンスを非常に色濃く持っており、それを2016年にまたやってみせたことが『アマゾンズ』の面白さだったのではないだろうか。どこまでも、白倉プロデューサーの筆癖とも言える。

また話が逸れてしまったが、そんな解決の見えない命題にジメジメと取り組んでみせた『ファイズ』の要素も、いくつか後年の作品に継承されている。グロンギやアンノウンともまた違う、完全に“組織”としての敵。それが大企業の皮を被っていることが(当時における)現代的な描き方であり、後年のゼクトやユグドラシルがこれに相当するだろう。また、実質ダブル主人公が時に対立し・時に共闘し最終的に雌雄を決するというフォーマットは、言うまでも無く『鎧武』が踏襲したものでもある。ミッションメモリというベルトに装着されたチップを各種アタッチメントに備えることで技を発動させる一連のギミックも、『ダブル』以降のコレクターズアイテム商法の原型と言えるだろう。(正確には、ガイアメモリ以降のアイテムに伴う技発動シークエンスの源流とも言える、の意)


※※※


「シリーズが続くか否か」すら安定していなかったこの時期、『クウガ』から『ファイズ』までのいわゆる「平成ライダーシリーズ黎明期」は、色んな意味で“攻めた”作品ばかりである。その姿勢そのものが美徳だとは言わないが、確かにその方向性こそがこの時期のシリーズを牽引していたように思える。なぜ“攻めた”のか、どのように“攻めた”のかは、この記事でも散々語ったことだが、この時期にガツンと殴られ続けたからこそ今でも同シリーズが大好きな自分がいることは間違いない。

そんな「平成仮面ライダーシリーズ」も、まもなく終わりを迎える。そう、言うまでも無く「平成」が終わるのだ。果たしていつから「平成ライダー」という呼称が用いられたのか記憶は定かではないが、「昭和vs平成」をやってしまう程にその区分けを意識してきた同シリーズだからこそ、年号の切り替えと共に何らかの「集大成」や「お祭り」や「新生」をやってのけることだろう。それに伴い、過去に関わった多くのスタッフやキャストからも、『クウガ』から続く全平成作品を振り返る総括的なインタビューや回顧録が並んでいくことは想像に難くない。

一介のファンとして、「あえてそれが出そろう前のこのタイミングで、【さようなら平成仮面ライダー】と銘打ってひたすらに自らの想いを語り尽くしてみよう」、そんな思いで、ダラダラと書き続けてよもや9,000字を目前としているのだが、単純計算でこのまま『エグゼイド』までいくと40,000字を超えてしまいそうで、いくらなんでも“しんどい”だろう …という言い訳配慮のもと、取りあえず『クウガ』から『ファイズ』までで一旦区切っておきたいと思う。

続く『剣』以降もこんな感じの語り口で、近日更新予定です。


<追記>
続編 『さようなら平成仮面ライダー【剣~電王編】動乱期の作品群が挑み、蓄積させたものとは何か?


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
人間から人間が出てきて“それ”を育てるということ
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか

さようなら平成仮面ライダー【剣~電王編】動乱期の作品群が挑み、蓄積させたものとは何か?

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

前回に引き続き、「“平成”が終わる前にひたすらにシリーズへの自らの想いを語り尽くしてみよう」企画の第二弾。もし第一弾『さようなら平成仮面ライダー【クウガ~ファイズ編】シリーズ黎明期の作品群は日曜の朝に何を提示したのか?』を未読の方がいらっしゃいましたら、是非そちらからお読みください。…ということで、本記事は『剣』から始まるいわゆる「第一期後期」の作品群にスポットを当てていく訳だが、『ファイズ』までを黎明期と称するなら、この辺りの作品は良く言えば成熟期 …もしくは動乱期とするのが適当だろうか。

というのも、『ファイズ』までの作品が繰り広げた“攻め”は、およそ同枠で可能な内容を一巡してしまった感もあり、個人的には『剣』以降の数作には「平成ライダーのフォロワー」としての側面を覚えることが多い。それは決して「二番煎じ」だとかの悪いニュアンスで言いたい訳ではなく、『クウガ』が拓き・『アギト』が確立し・『龍騎』が挑戦し・『ファイズ』が円熟させたその土壌において、「それを受けて何が出来るのか」「今後はどういった視点で作れば良いのか」といった何かしらの“アンサー”が盛り込まれているのかな、と。長く続くシリーズに付き物ともいえる“この時期”が、最も語るのが難しく、最も語るのが楽しかったりするのだ。


※※※





そんな「平成ライダーのフォロワー」としての色を濃く持つのが、『仮面ライダー剣』だ。「仮面ライダーという職業」という切り口は『アギト』のG3ともまたニュアンスが異なり面白いものの、実はあまり「職業人」の側面が強くドラマに盛り込まれることはない。「職業人ドラマ」という切り口であれば、後年の『響鬼』『ドライブ』『エグゼイド』らの方がかなり意欲的とも言える。『剣』は、『クウガ』から『ファイズ』までが描いてきた「多数ライダーの群像劇」「敵怪人との種族を超えたドラマ」「戦いの意味そのものが持つミステリー要素」「カードを使った見栄えの面白い戦闘」といった要素で組み上げられ、実はシリーズにおける“新鮮味”という点では薄いと言わざるを得ない。

しかし、そんな『剣』が前後の作品群と絶対的に異なる点は、愚直なまでの「少年漫画性」を盛り込んでいることである。最初から人間が完成していた五代雄介や、マイナス(記憶喪失)を取り戻し周囲との関係性を築いていく津上翔一、その馬鹿正直さが信念と化した城戸真司に、迷いながらも自らの夢を模索する乾巧など、実はこれまでの同シリーズでは分かりやすい「成長型主人公」を採用してはこなかった(むしろあえて避けてきたのかもしれない)。『剣』の主人公・剣崎一真は、自らが戦う理由を常に自問自答し、迷いながらも確実に成長し、その果てに種族を超えた友情と後悔のない自己犠牲にまで辿り着く。

ある種の「ベタ」、もしくは「正直さ」、はたまた「分かりやすさ」とも言えるだろうか。前作『ファイズ』がいつまでもウジウジと悩み・すれ違っていたところを(褒めてます)、次作『剣』ではあっけらかんと打ち明けたり拳で殴り合いながら叫んだりする。そのカラッとしたどこか陽性とも言える空気感が持ち味であり、次第にそれが物語の謎と展開(バトルファイトの結末)と絡み合い未曾有のブーストをかけ出す第4クール目は、シリーズ屈指の盛り上がりだったと言えるだろう。

「今の世界は前回のバトルファイトでヒューマンアンデッドが勝利した結果である」という設定は、シリーズでもトップクラスの大風呂敷であり、そのスケールが大きければ大きいほど、それに抗おうとする剣崎たち4人のライダーの意思が光る。改めて通しで観たりすると、「睦月はいつまでウジウジ悩んでるんだ」とか「橘さん何度騙されてるんだ」とか思わなくはないのだけど、やはりどうしても“やみつき”になってしまう魅力を持っているのが本作である。人間とアンデッドの関係性を、友情・対立・恋愛・共闘のあらゆる側面で描き、そのどれもが前作『ファイズ』とはまた違ったアプローチだったのが、言い知れぬ魅力の正体だろうか。種族間の壁に何度もぶち当たるのが『ファイズ』とするならば、その壁を何度落ちても乗り越えようとよじ登るのが『剣』、とでも言おうか…。

また、『龍騎』でも試験的(?)に導入されていたキャストによる挿入歌が初めて定番化したのも本作である。後述の『響鬼』を除き、この手法は『カブト』に受け継がれ・『電王』で爆発的に花開き・『キバ』『ディケイド』以降も多くの作品で用いられていくこととなる。いわゆるアニメ業界における「キャラソン」の文法なのだが、「イケメンヒーローブーム」との相乗効果が見込まれたものだったと言えるだろう。ちなみに、橘役・天野浩成氏は、本作挿入歌におけるデビューを皮切りに次々とシングルやアルバムを発売していた。





話が逸れてしまうが、『剣』のバトルファイトについて語ると、やはり「ジョーカーがバトルファイトの勝者になる前にヒューマンアンデッドや嶋さんをリモートしておけば良かったのではないか」という疑問を避けては通れない。劇中でも、終盤にギャレンが試みた手法である。これについて私は、「リモートは完全なる“解放”ではない。故にあの流れでジョーカーが勝ち残ることは避けられなかった」という解釈を持っている。理由としては、エレファントアンデッドをはじめとする劇中でリモート解放されたアンデッドは完全にレンゲルに使役されていたので、「自らの種族の繁栄をかけて戦う」という本来のバトルファイトの参加動機に足りていないと判断されるのではないか、というものだ。操り人形が自分の種族の繁栄は願えないだろう。リモートは獏を模した絵柄でもあるし、あくまで“夢”であり真の存在ではないのではないか、と思う訳である。

…などと散々書き並べておいて今更だが、『剣』はどうしても、「クオリティが云々」や「作品の作り方が云々」といった考察じみた感想よりも、何故か「好き」という感情が先行してくる不思議な作品である。最終回のビターな終わり方も含めて、熾烈な1年間を堪能させてくれたなあ、という思い出も深い。





続く平成仮面ライダーシリーズ第6作となったのが、『仮面ライダー響鬼』である。そもそもの企画が「仮面ライダー」から出発していないとか、不振による明らかなテコ入れが行われ番組のカラーが変わったとか、そういった“大人の事情”トークに事欠かない作品だ。が、それを一々挙げても仕方がないので、そういった舞台裏ではなくあくまで作品が辿った足跡そのものについて語っていきたいと思う。

前作『剣』のくだりで「実はあまり職業人ドラマではなかった」と書いたが、その真逆とも言うべきド直球「職業人ドラマ」と言えるのが、この『響鬼』である。作中における「鬼」は、言うなれば「警察官」「消防士」等にそっくり読み替えてしまえるほどの職業倫理感を持った存在として描かれ、市井の人々を守って戦う背中とそれを追いかける少年というNHKドラマのような方針で固められている。例えば後年の『ドライブ』や『エグゼイド』も同じく職業人ドラマとしての色が濃いが、これらはあくまで『特捜戦隊デカレンジャー』のような「ヒーロー×特定職業」の方法論の上に成り立っている。『響鬼』は、「特定職業(=ヒーロー)」なのだ。近いようで、組み立て方は根っこから異なる。

また、完全なる2話前後編完結タイプのストーリーテリングを確立させたのも、本作と言えるだろう。と言いつつ、実は『クウガ』からずっと同シリーズは「2話前後編完結」のスタイルなのだが、『アギト』以降は割と「大まかなストーリーが2話前後編で終わったとしても“偶数回”の最後にもヒキを作って連続性を演出する」という手法が用いられることが多く、意識して観なければ「物語の切れ目」を感じることは難しかったように思える。『響鬼』はこれを完全にぶった切り、前後編をまとめて「週1で放送されている1話完結型の一般ドラマ」のように造り上げたのが面白い。もちろん、同作内にもイレギュラーな回はあったものの、この手法が更に『電王』で昇華され、後年のメインストリームになったことはもはや言うまでもないだろう。

作品のカラーが前期・後期で大きく変わったのは事実だが、後期が描いた内容は非常に丹念に前期を研究して出来たものだと感じる。というのも、例えば前期の明日夢はヒビキさんに憧れるも鬼や弟子になる決意までは届かず、善く言えば「成長期の特権とも言える悩みの時期」、悪く言えば「いつまでも白黒つけられずウジウジしている」という状態であったが、その現状に桐矢京介というキャラクターが力業で線引きしていく様は一周して爽快ですらあった。そのような、前期の同作が目指した「一から十までは語らない」という一般ドラマならではの“余白”の部分にガシガシと書き込みを加えていくような、そんな作り方がなされていたように思える。

“だからこそ”、後半になって作品のカラーは変わったものの、行き着く先というか、終着点は実は前期が目指したものと大きく逸れた訳ではなかったのでは、とも感じるのだ。「明日夢は鬼にはならないけれど、ヒビキさんの人生の弟子」というオチそのものは、この上なく序盤で描かれたふたりの関係性を尊重したものだったと言えるだろ。





響鬼のスーツに用いられたマジョーラは後年の『カブト』にも使用されるなど、その特異な外見と色合いはインパクトが非常に大きかった。どこが目かもよく分からない上に、何色かもパッと見では答えられない(光の当たり具合で変化するため)。もちろんヒーロー然としたストレートなカッコよさも持ち合わせてはいない。割と今でも本気で「よく“これ”でいったなぁ…」と感じるデザインだが、ある種の“隊服”としてのストイックさと神秘的な異形さを兼ね備えた、この上なく唯一無二のものであった。

『響鬼』は高寺プロデューサーが手掛けた作品だが、『クウガ』における病的なまでのこだわり・作り込み・練り込みは本作でも健在であった。前述のマジョーラも莫大な予算が注ぎ込まれたというし、屋久島でのロケもかなり意欲的な試みだ。それまでのシリーズでは劇場版でお馴染みだった「大型CGクリーチャー」が2週に1回出てくるのにも驚いたし、バイクに乗らないしベルトで変身しないし「変身」の発声も無いしで、何ならシリーズでもトップクラスに「仮面ライダーらしくない」仮面ライダーだ。しかし、その「らしくなさ」というのは俯瞰して見ると違う形で『クウガ』や『龍騎』も挑んできたことであり、まさに「不揃いという統一感」のスピリットを継承した一作だったとも言える。

「鬼になるということは、鬼にならないこと」。本編終盤で、ヒビキがあえて鬼に変身せずに戦う様を明日夢や京介の目に刻ませる名シーンがある。つまりは、「変身能力を身に着ける」ことと「人々を守ること(ヒーロー足り得ること)」はイコールではないし、それは裏を返せば、「力を有することで自らを見誤ってしまう恐怖」と常に隣り合わせという問いかけでもあったのかもしれない。この後者の側面、つまり「鬼になることのダークサイドの部分」をクローズアップしてみせたのが『ディケイド』の「響鬼の世界」であり、師匠殺しと音撃セッション(ナナシ惨事リベンジ合奏)には強く感動した記憶がある。

『クウガ』も『ファイズ』も『剣』も、平成ライダーは常に「何をもって“ヒーロー”を定義するのか」という番組上避けては通れない根元的な問いかけに、その時代ならではのアプローチを仕掛けてきた。『響鬼』はある意味、シリーズ中でも最も「人」を描いた作品でもあり、「直接的にヒーロー番組をやらないからこそ、逆説的なヒーロー物語になっていた」と評するのは、いささか過言だろうか。





そんな変化球シリーズ随一の変化球だった『響鬼』からバトンを受け取ったのが、『仮面ライダーカブト』である。『カブト』を一言で表現するならば、「節操の無さ」。これはあえての良い意味でも、時に悪い意味でもあるのだけど、「とにかく面白いエンターテインメントを創ろう」という大号令のもとに節操なく色んなものをブチ込んだ作品だったなあ、と感じる。『響鬼』の“事情”が大なり小なり反映されたものとは思うが、分かりやすい昆虫モチーフを思いっきり赤いボディで打ち出し、『アギト』のような群像劇・『龍騎』のようなライダーバトル・『ファイズ』のようなメカニカルでかっこいいギミックの数々で彩るという、言ってしまえば割と「ズルい」組み上げ方となっている。

…などと書くとどこか貶しているようにも取られかねないが、この「節操の無さ」はすこぶる「平成ライダー的」であるなあ、と思うのだ。前述した「平成ライダーのフォロワー」として、『カブト』は非常に面白い立ち位置にある。今になって振り返れば、次作『電王』がまるでアニメのようなキャラクター造形を盛り込んで大ヒットした前段階として、天道や神代といったある種“記号的”な人物造詣は、実はそれまでの同シリーズではあまり用いられてこなかった手法でもある。『クウガ』以降ひとつの面として存在していた「リアル調における“フィクションらしさ”の脱臭」というニュアンスの上に、非常にフィクショナルなキャラクターを配置することで発生する新種の化学反応。この絶妙な食い合わせの悪さが一転し、唯一無二の『カブト』の魅力としてエンジンをふかしていくのだ。

「ジャンプ漫画はとにかく主人公の魅力!」とでも言うような、他に類を見ない牽引力を備えた人物造詣。ストーリーそのものというより、キャラクターの存在感や行動原理で物語を転がしていく手法。「過去の平成ライダー」を受け取っていった結果、出来上がったものが「従来の平成ライダーとは少し異なるもの」に仕上がったという、その陣形のバランス感覚がそのままストーリーの組み立てにも反映されているような…。そんな『カブト』は常にガヤガヤと賑やかで、しかし決めてくれる時には供給過多くらいにキメッキメに決めてくれる。「結局アレは何だったんだ」とか「その勘違いや誤認はちょっと無理があるだろ」とか言いたいことが無くはないのだけど、やっぱり何度も観てしまう面白さに満ちている。

世代的にも『ビーファイターカブト』が大好きなので、ストレートな昆虫モチーフ+多彩なメタリックボディというゼクトライダーズの佇まいにはとっても「そそる」ものがある。また、「サナギマンからイナズマン」を踏襲した脱皮システムは、レベルアップという形で『エグゼイド』にも受け継がれているように感じる。単純に、変身が2度あると楽しいのだ。また、クロックアップは言うまでも無く『サイボーグ009』の加速装置であり、同作の「結晶時間」というストーリーが『ディケイド』「カブトの世界」に活かされたのも面白かった。ベルトといい、フィギュアといい、今もなお大人にも人気のあるディテールは、やはりストレートな訴求力を兼ね備えていたのだろう。ゼクトマイザーというものもあったような気がする。

前作『響鬼』を「人の物語」とするならば、『カブト』は「家族の物語」と言えるのかもしれない。主人公・天道総司は、祖母に叩き込まれた人生訓に沿って“2人”の妹を守る戦いを続けていく。劇場版とのベルト入手の整合性がグラついているのは本当に惜しいなあ… と思いつつ、その壮大な「愛」の物語は、まさにGODなSPEEDでLOVEなのだ。また、個人的にはシリーズでもトップクラスに耽美的な物語に感じている。





そして、この激動のシリーズ時期にひとつの「答え」らしきものを叩きこんだのが、シリーズ8作目となる『仮面ライダー電王』である。その大ヒットっぷりはもはや説明不要なほどで、『電王』を機に劇場版の年3回公開が安定していくという、平成ライダーの巨大コンテンツ化に大きく貢献した作品である。(下表は、2年前に書いた記事『仮面ライダー4号にみる“THE”シリーズ復権の兆し ~東映・白倉伸一郎の思惑を量る』からの引用)





電車に乗って旅をして鬼と亀と熊と竜と戯れながら時を超えて攻めて来る未来人種と戦いを繰り広げる… という、どう考えても意味不明なパズルの組み合わせなのだが、これが見事なまでのエンタメ作品にまとまってしまっているのは、『龍騎』を手掛けた白倉プロデューサー×小林靖子脚本の強力タッグの為せる技だったのかな、と。よくもまあ、こんな奇天烈かつ奇想天外なものを作ったな、と当時は驚きっ放しだった記憶がある。それでいて、「イマジンは特定の現代人の望みを曲解して叶える」という設定が「ゲストの問題を解決する主人公」という構図を生み出し、この作劇上の大発明がその後永らくシリーズに応用されていったことは、もはや言うまでもないだろう。

『アギト』以降常に3人以上の仮面ライダーをレギュラーとして登場させてきた本シリーズにおいて、『電王』はそれを2人に絞り、人格交代で分岐させるという手法を採用した。これにより、群像劇要素を薄め、代わりにゲストの悩みや人生に尺を割くことが出来る。これに限らず後年に受け継がれた要素は非常に多く、デンライナーという大型CG演出玩具や多種多様な音楽展開(PVまで製作)、映画で後日談を描く手法や陽性で笑って少し泣ける物語のテイストなど、『アギト』に準ずる「シリーズの祖」たる作品とも言える。

今でこそ『ディケイド』を境に「一期」「二期」という表現が用いられ、その作劇の変化や玩具販促の側面が語られることが多いが、実はそれほどハッキリと変化した訳ではない、と私は考えている。むしろグラデーションというか、『カブト』が取り入れた記号的なキャラ付けと演出による牽引力が、より精度の高い形で『電王』にて完成し、それが塚田プロデューサーの『デカレンジャー』手法により作られた『ダブル』に集約され… といった感じだろうか。それは、そもそもの『クウガ』や後の『響鬼』が紡いだ2話完結方式や、『龍騎』や『ファイズ』がヒットを飛ばしたプレイバリューの高いギミック&戦闘演出など、歴史とノウハウの積み重ねがあってこその“集約”であると言える。そのひとつの雛型とでも言うべきか、「集約への道筋」を太くしたのが、他でもない『電王』だったのではないだろうか。

モモタロスをはじめとするイマジンたちが実際のおとぎ話をモチーフにしていることは有名な話だが、それが関連するかしないかはともかく、『電王』本編も非常におとぎ話チックな物語を紡いでいた。同時に、小林脚本における丁寧な人物描写とロジカルな構成も相まって、『アギト』『ファイズ』の井上脚本とはまた別種の「ミステリーのヒキ」が魅力的であった。時を超えた先で必ずニアミスする桜井さんが、実は敵の目的そのものであった(=なのでニアミスすることは必然だった)というアンサーには大いに膝を打った記憶がある。また、それまでの劇場版では恒例だった「本編とのパラレル」という土壌を崩し、更にはクライマックスフォームの誕生背景は劇場版を観ていないと完全補完が出来ない、という構成までやってのけてしまった。意欲的ながら、がっちりと脇が締まっており、隙が無い。

そう、『電王』は本当に隙が無いのだ。今でこそ「あの頃はすごかった」といったどこか破天荒な印象に偏りがちだが、TVシリーズ本編の純粋なクオリティは相当なものである。前述のようなシナリオをはじめ、精神的にはすでにレベルMAXだった良太郎の人間的な成長物語としても、よく出来ている。『カブト』とはアプローチの異なる「家族の物語」でもあったし、『ドラえもん』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のようなタイムスリップ物の面白さも内包している。いわゆる「イマジンコント」の部分で好みが分かれる部分はあったと思うが、私は当時自分でも驚くくらいにハマっていた。CDも、当たり前のように全部買っていた記憶がある。





そして、実は『電王』は『ディケイド』よりも先に世界を破壊して繋げていた訳で、それが当初OVで計画されながらも劇場公開にまで拡大した『劇場版 仮面ライダー電王&キバ クライマックス刑事』である。この映画の予告カットで電王とゼロノスとキバが並び立っていたのは物凄い衝撃であり、(一部のサービスビデオ等を除いて)これまで絶対に交わることの無かった平成ライダー作品の境界線が遂にぶち壊された瞬間だった。この『電王』が残した「平成ライダーも垣根を越えての共演OK」という実績が、後の『ディケイド』で盛大なお祭りへと発展するのは、更に1年以上後のことである…。


※※※


『剣』『響鬼』『カブト』『電王』の4作は、それぞれが目指したものがそれ以前の作品以上にバラバラであり、しかし、その全ての試みがヒットしたかと問われれば、『ファイズ』以前の作品ほど結果を残せなかった時期に相当するのかもしれない。しかし確実に、何度も書いてきたように、この時期の試行錯誤はハッキリと後年に受け継がれているし、“ここ”を通過したからこそコンテンツとしての体力がついたような印象すらある。

この後「平成仮面ライダー」は、『ディケイド』を経ての玩具バブル時期に突入し、『クウガ』から根底にあった「挑戦の意思」が違うニュアンスを持ち始めるのだが、それはまた第三弾以降の記事で語っていきたい。

『キバ』から、『オーズ』もしくは『フォーゼ』辺りまで、【さようなら平成仮面ライダー】第三弾は近日更新予定。


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
人間から人間が出てきて“それ”を育てるということ
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか

ブログを引っ越し(リニューアル)しました

『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

今、『仮面ライダーエグゼイド』が面白い!…という三流文句を叫びたくなるほどに、今、『仮面ライダーエグゼイド』が面白い。自分の中では「絶賛大ヒット!」という声が毎週鳴り響いている状態だ。『クウガ』から観てきた平成仮面ライダーシリーズも遠いところまできたなあ、と感じつつ、『ディケイド』までのいわゆる“一期”の造り方と、『ダブル』以降の“二期”の造り方、その双方を上手くハイブリッドにしたのが『エグゼイド』なのではないか、という感慨深さを覚えている。

というのも、あくまで個人的な視点だと前置いた上で、『エグゼイド』を語る上で『仮面ライダー鎧武』という存在は外せないと考えている。(『電王』の下敷きを受け)『ダブル』以降確立した「2話前後編ゲストお悩み相談手法」を打破しようと、そこに“一期”の連続ドラマ性を盛り込み、裏切り・裏切られの群像劇を描いた『鎧武』。その挑戦の全てが上手くいったとは今でも決して思っていないが、“一期への目配せ”がスパイスとなったその造り方は、“二期”において今でも強い異彩を放っていると言えるだろう。ネット上でも清濁盛り沢山の意見が未だに交わされるほど、この作品は色んな意味で面白かった。

そんな『鎧武』が「1年間走り切れた」という実績、また、年間プロットをしっかり整備して部分的に逆算して謎を蒔いていく造り方は、私は確実に『エグゼイド』に引き継がれていると見ている。主義主張の違いで争い合う仮面ライダーたちと、その影でうごめく巨大な陰謀。

そして、更にはここに「平成ライダー要素のハイブリッド構成」を感じられるから面白いのだ。例えば、スマートブレインやボードやユグドラシルのような立ち位置のゲンムコーポレーション、そして前作『ゴースト』が1クール目で目指した「1話完結と縦軸連続ドラマの同時進行」。“一期”でよく見られたライダー同士のすれ違いや仲違いに、それと同時に描かれる“二期”の代表的要素と言える驚異的な新アイテム登場ラッシュ(ノルマクリア)。前述した「2話前後編ゲストお悩み相談手法」は一見「1話完結と縦軸連続ドラマの同時進行」と矛盾するようにも思えるが、「ライダーたちのストーリーを1話単位で完結させる一方で患者のドラマだけを2話前後編でクリアする」という離れ業。





はっきり言ってしまうと、私は『エグゼイド』そのものに“目新しさ”はあまり感じられない。つまり、これまでの平成ライダーが確立or挑戦してきた様々な要素をパズルのように組み合わせた「ハイブリッドな魅力」という印象が、非常に強いのだ。「これは『〇〇(クウガ~ゴースト)』っぽい」とついつい言いたくなる要素が散りばめられており、しかし断じて「寄せ集めの継ぎ接ぎだ」と感じる訳でもない。とにかく、足し算・掛け算、そして引き算が上手いなあ、という感嘆の声を漏らしてしまう。

メインライターの高橋悠也氏が17話現在全話ひとりで書き切っており、だからこそ「1話完結性」と「縦軸連続ドラマ」の絶妙な配分が途切れなく継続されるという、もはや感動の域に入り始めた『エグゼイド』。まあ、ここまで陶酔しつつも全部が全部完全無欠だとは思っていないが(未だに「この俺をゲームエリアに転送したか」のぶっとび展開を忘れない)、そんな部分も含めて大好きな作品になりつつある。永夢のゲーム病は、果たして“どこまで”“どの時点まで”“誰に”仕組まれたものだったのか。仮面ライダークロニクルとは一体何なのか。九条貴利矢が知ってしまった真実とは、一体何だったのか。物語の行く末が、毎週楽しみで仕方がない。





そんなこんなで前置きが長くなったが、そう、九条貴利矢である。「何らかの真実」を知ってしまったがためにその命を落としたキャラクターだが、いやはや、本当に“やられた”存在だった。まさかこんなに上手くやってくれるとは…。この『エグゼイド』がいかに計画的に九条貴利矢を散らせたかを改めて考えていくと、大森敬仁プロデューサーや高橋悠也氏の計算高いパズルの全貌が見えてくる。

何度も話が戻ってしまうのだけど、「話の序盤で命を散らすことで物語の過酷さを体現するキャラクター」という意味では、近年ではやはり『鎧武』の初瀬亮二を挙げない訳にはいかない。ヘルヘイムの実が持つ特性、そしてユグドラシルが無慈悲に計画を進める組織だという“次なる展開”を表現するために、初瀬亮二は怪物と化した後に絶命した。葛葉紘汰が初瀬を殺すことができず、水際で苦悩の声を漏らしたあのシーンは未だに脳裏に焼き付いているし、彼が無残に死んだことが『鎧武』の作品カラーを決定付けたのだと思っている。しかし同時に、私は初瀬というキャラクターに大きな“惜しさ”も覚えているのだ。最初からこういう役回りのキャラクターであったのであれば、もっと主人公と関わらせておけば、もっと物語の中央寄りにいれば、狙った効果は何倍にもなっただろうに、と。

初瀬は主人公である紘汰の携帯電話番号まで知っていた訳で、例えば「チーム鎧武とレイドワイルドがひょんなことから共同戦線を張る話」とか、そういう類のストーリー展開が事前にあとひとつでもあれば、もっと彼の死は意味を強めたと思うのだ。要は、視聴者が肩入れするには正直まだキャラクターが若干浅かったかなあ、と。初瀬という存在が『鎧武』において大好きだからこそ、ここにずっと(勝手に)心残りがあったのだ。





そしてもうお察しだと思うが、初瀬亮二からの九条貴利矢である。本当に私の勝手な注文だと何度もことわっておくが、私にとっての九条貴利矢は、「最高の形で命を散らした初瀬亮二」なのだ。OP映像から何から完全なメインキャラクターとして登場し、専用アイテムも専用武器もしっかり与えられ、主人公と一番早く近付きながらもまた離れ、彼の過去を下敷きにした信頼のドラマをしっかり積み重ねた後に、物語の縦軸が持つ謎を最高に煽りながら敵に殺される。なんというパーフェクト初瀬亮二…!!

散々言われていることだが、共通のゲーマドライバーは九条ひとりがリタイアしたからといって出番は減らないし、バイクそのものは歴代でもトップクラスの強烈な個性を帯びたまま物語に残り続けるし、ガシャコンスパローはゲンム(ゾンビゲーマー)がまるで「死神の鎌」のように継続して使い続けるし、「物語的な意味」でも「販促上の事情」でも、九条貴利矢が持っていた要素はほぼ全てが無駄なく“今もなお”機能しているのだ。それでいて、もはや言うまでもない「これは命がけの戦いなんだ」という作品カラーへの影響もこなしている訳で、いやはや、よくこんなにも“しっかり用意してしっかり殺した”なあ、と。

加えて、演じる小野塚勇人氏が本当に素晴らしかった。「嘘つきで軽い監察医」というチャラけながらも腹の底が読めない人物を、絶妙に演じ切ってみせた。もう既にそうなっているが、ファンに末永く愛されるキャラクターとしてずっと語り草になっていくだろう。第7話「Some lie の極意!」は特に秀逸で(タイトルからして最高!)、「嘘を付く行為そのものが彼の他人への優しさであり、しかしそれが肝心な場面で仇となる」という展開は、神の視点で彼の過去をも観ている我々視聴者が主人公を差し置いて真っ先に感情移入してしまう見事なキャラクターを造り上げた。しっかり感情移入させて、しっかり退場させる。これから、劇中でバイクが登場する度に心のどこかがチクリと痛んでいくのだろう。





『エグゼイド』の魅力は「平成ライダーあるあるが盛り沢山のハイブリッドな構成」、そしてそれを構築する「計算高いパズル」だと書いたが、その象徴的な存在が九条貴利矢だと思えてならない。彼と彼の死のおかげで、謎は謎のまま更なる重要性を帯び、ゲームオーバーの恐怖と常に隣り合わせで、主人公はとっても思い出深いバイクを乗り回しつつ、犠牲を出してしまったという後悔と復讐の念をはらみながら物語は進行していくのだ。ありがとう、九条貴利矢。本当にありがとう。そして、彼を見事に散らせた製作陣が描く“パーフェクトパズル”を、最後までしっかり見届けていきたい。


(あわせて読みたい)
【総括】小説で真に完結する「仮面ライダー鎧武」。リプライズされるシリーズへの色目と継承の物語
【総括】閉眼!『仮面ライダーゴースト』のメッセージ!


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。
『かいけつゾロリ』“原ゆたか先生特撮オタク説”を検証する!
リドサウルスとエメゴジ。『原子怪獣現わる』と原作『霧笛』。ハリーハウゼンとブラッドベリ。
結騎了の映画ランキング2016

【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である

$
0
0



【注意】本記事にはゲーム『ニューダンガンロンパV3』のトリック・犯人・結末に関するネタバレが含まれています。未プレイ者は読まないことを強く奨励します。






こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

やっとこさ『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期』のストーリーモードをクリアし、エンディングまでの全てを目撃した。風の噂で結末には賛否両論だと聞いてはいたが、それ以上の具体的な情報を完全にシャットアウトして臨んだ最後(6章)の学級裁判。“新章”を謳いながらも希望ヶ峰学園の要素が登場した5章で臭わせた通りに、真の黒幕は江ノ島盾子のフォロワーであったことが判明する。

ダンガンロンパシリーズ初の「生き残っているメンバーの中に黒幕がいる」展開を経るも、ストーリーは更に斜めに転がり続けていく。全ては「ダンガンロンパというフィクションの物語」だと明かされた作中人物たちの“放棄”という結末、そして命を投げ出すエンディング。全てを終えて、私は心からの拍手を贈りたい気持ちでいっぱいだった。そうだ、これだ、これがダンガンロンパだ、と。というより、本音を言うと、むしろこれが賛否両論なことに驚いている。

ダンガンロンパって、私の中では最初から“こういうもの”だったし、今作もそれをしっかり全うしたという印象がある。むしろ、これを“是”とする気構えのようなものを、私はこのシリーズから教わったとすら思っているからだ。





「現状維持は衰退」。かのウォルト・ディズニーが残した格言として有名だが、キワモノだった単発ゲームが巨大なメディアミックスを構築するコンテンツにまで成長し、アニメに舞台にスピンオフに目覚ましく発展してきたからこそ、私はこの言葉がぴったりのように思える。『V3』において、ダンガンロンパは“現状維持”を選ばなかった。みんなが幼少期から聴き慣れた心の友である大山のぶ代に破廉恥かつ下品な単語をこれでもかと叫ばせ、十代の少年少女が意図的に無残に命を散らされ、しかしそれらを“論破”“裁判”といういかにも匿名掲示板に慣らされた現代の退屈人が好みそうな要素でクレバーに彩ってみせる。そういう「攻め」こそがダンガンロンパであったし、『V3』でも確かに「攻め」た。あとは、その方向性に好みが分かれるというだけの話だ。

しかし前述のとおり、私は『V3』においてこの「攻め」の姿勢が貫かれたことこそに拍手を贈りたいのだ。すごい!ダンガンロンパというコンテンツを、作り手自ら暗礁に乗り上げさせた。分かっていて、わざと雲行きを怪しくした。上では「むしろこれが賛否両論なことに驚く」と書いたものの、それはあくまで私個人の感想に照らし合わせた感情であり、“こんな結末”にすれば賛否両論になるのは火を見るより明らかなのだ。

これまで何度も我々シリーズファンの感情を操ってきた製作陣が“そんなこと”も分からずに“こんな結末”を用意したはずがないのだ。分かっていて、それでもやった。誤用の意味での盛大な確信犯。しかも、フィクション世界でフィクション世界を取り扱うという究極のメタ&タブー。これ以上ない「攻め」だし、いくところまでいった訳だし、これ以上は“ない”だろう。だからこそ賞賛したいし、だからこそ感慨深いのだ。ダンガンロンパというシリーズは、最後の最後まで立派に我々を翻弄してくれたのだ。





むしろ私は、『V3』は4章までの方がいまいち乗り切れなかった。つまらない、の一歩手前というか、要は“目新しさ”が無かったが故の無感情に近い感覚があった。北山猛邦氏も参加したという各章のトリックそのものは非常に凝っていたし、一章でやってのけた叙述トリック、プログラム世界というゲーム媒体だからこそ成立・演出できる舞台設定など、むしろ過去2作より凝り過ぎなくらい凝っているという印象があった。しかし同時に、「トリックにいくら凝ろうがそれはダンガンロンパとしては新しくない」という感覚が非常に強く、要は、そこをいくら深めても単にバリエーション・パターン違いの範疇に収まってしまう悔しさを覚えてしまっていた。「面白い。確かに面白いのだけど、これは“俺の知っているダンガンロンパ”でしかない」。4章までの『V3』は、決して私を翻弄させてはくれなかったのだ。気に入ったキャラクターが死ぬ喪失感も、学級裁判の面白さも、配置された謎要素も、全て過去作プレイを通して“見知った”要素でしかなかったからだ。

そうして、私は4章までは「ストーリーのオチを見るためにプレイを進めていた」というのが本音だ。確かに面白かった。非常に面白かった。けど、この「面白い」は「ダンガンロンパにおける“面白い”」とイコールではない。「普通に“面白い”」は、「ダンガンロンパにおける“面白い”」ではない。そんなんじゃ足りない。そんなんじゃ、ダンガンロンパとしては足りない。

見知ったルールの中で見知った展開がバリエーション違いで発生する。そんなんじゃ全然足りない。1作目で翻弄され踊らされたあの感覚、その1作目を踏まえた謎で最後まで圧倒的な牽引力を見せた2作目、それに続く3作目として、“こんなの”じゃ食い足りないのだ。知ってる展開。知ってる感情。ただバリエーションとパターンが違うだけ。それは、私が渇望する「ダンガンロンパにおける“面白さ”」に届くものではなかった。





だからこそ、5章で希望ヶ峰学園の要素が登場した際に、私は歓喜の叫び声を上げた。この『V3』発表時に、「希望ヶ峰学園シリーズはアニメで完結」&「新シリーズをゲーム3作目でスタート」という趣旨の報道がなされ、「『V3』は希望ヶ峰学園とは別の舞台と物語」という先入観を植え付けられていた。とは言いつつ警戒心を緩めることはなかったが、それでも「やっぱり希望ヶ峰学園関連の物語でしたー!」という展開は、「やってくれたな!」と笑顔になってしまう。…とはいえ、とはいえ、だ。“これ”すらも、喜びつつもやはり既定路線というか、想像の範囲に収まるものであった。その理由は、「これがダンガンロンパだから」である。

ダンガンロンパとはどういうゲームか。ディレクター兼シナリオライターの小高和剛氏は、インタビューで以下のように述べている。




――これまでと大きく変えたところ、逆に変えなかったところについて教えてください。

「閉鎖空間に閉じ込められた16人の生徒たちがコロシアイをする」というシチュエーションは、前2作と変わりません。そこは「『ダンガン』ってこうだよね」とユーザーさんが期待するところなので、変えようとは思いませんでした。

モノクマ的『ニューダンガンロンパV3』舞台案内! 「ダンガンロンパ」シリーズ開発者の声も【特集第3回】



確かにここにあるように、「閉鎖空間に閉じ込められた」「16人の生徒たち」「コロシアイ」というシチュエーション、そして、それに付随する「学級裁判」「おしおき」といったシステム、マスコットキャラである「モノクマ」は、紛れもないダンガンロンパのアイデンティティだ。これこそがダンガンロンパであり、これが無くちゃダンガンロンパではない、と言い切れるほどに。しかし、シリーズのファンの方はご承知のことと思うが、これは「ダンガンロンパのアイデンティティ」であると同時に、「江ノ島盾子のアイデンティティ」でもあるのだ。世界に絶望を伝播させた江ノ島盾子こそが、ダンガンロンパという世界観・システム・マスコットキャラ、その全ての“担い手”なのだ。

つまりは、「ダンガンロンパがダンガンロンパである以上、江ノ島盾子からは逃れられない」という呪縛が、このシリーズをずっとシリーズ足らしめてきたのである。だからこそ、今回の『V3』が小高氏の語る【そこは「『ダンガン』ってこうだよね」とユーザーさんが期待するところ】を満たしている以上、それはイコール、「江ノ島盾子に関わる物語」でしかあり得ないのだ。

コロシアイの構図を作ったのも、学級裁判という制度を設けたのも、おしおきという処刑ルールを強いたのも、そして何よりモノクマを作ったのも、他ならぬ江ノ島盾子なのだ。1作目、2作目、そしてアニメ『3』を観た人ならば、この意味は嫌でも分かるはずである。「フォロワーの犯行」を含め、ダンガンロンパがダンガンロンパである以上、江ノ島盾子と完全に切り離した産物になるはずがないのである。







だから私は、「希望ヶ峰学園とは切り離した(と思われる)完全新章」の『V3』に「よくぞ割り切った!」と感心しつつ、それでも『V3』がダンガンロンパである以上(もっと言うと、モノクマが出ている以上)それは絶対に「江ノ島盾子に関わる物語」=「希望ヶ峰学園の物語」という証左であり、何重にも矛盾した期待値と警戒心を抱きながら『V3』をプレイしていたのだ。そして案の定、過去作から切り離した作りではなかったことが、5章で明らかになる。「江ノ島盾子」「希望ヶ峰学園」「絶望の残党」。嫌というほど聞き慣れた単語が一気に飛び交い始める。

この時点ですでに「(半ば想定内とはいえ)よくぞ“完全新章”の看板を裏切ってくれた」という爽快感を抱いていたが、物語は更に二転三転。江ノ島盾子のフォロワーであった白銀つむぎが江ノ島盾子の姿で登場し「ここでコスプレイヤーの設定が活きてくるのか」と感心していたが、物語はそこから更に斜め上の方向にブーストをかけ出す。「この世界は視聴者が存在する“ダンガンロンパというリアルフィクション”である」。つまり、主人公や仲間の全てが視聴者に面白がってもらうために作られた“キャラクター”であったというのだ。…という、いわゆるメタフィクション展開に突入する訳だが、まさか1作目や2作目までもを巻き込んだ壮大などんでん返しを発動してくるとは思ってもみなかった。

言うまでもなく、『V3』作中でダンガンロンパを鑑賞する世界中の一般市民は、このゲームをプレイする現実の我々を模している。「絶望は伝染する」とはよく言ったもので、それがつまりフィクションの世界を突き抜けて「絶望は伝染する(ダンガンロンパをプレイしたくなる)」という意訳が出来てしまうほどに大きなコンテンツに成長したダンガンロンパ。我々はこの作品を通して、必然的にコロシアイを求め、おしおきを求め、精神的苦痛を求め、血を求め、裏切りを求め、そして、「その絶望を最後には愚直なまでの希望が打ち砕く」という“分りやすいカタルシス”を求めているのだ。とことん絶望が蔓延り、物語は“下がり”、そして希望が勝利する“上げ”展開でスカっとする。この感情の推移までもが、紛れもない「ダンガンロンパ」なのだ。





希望が勝ったから何だというのだ。それはフィクションの中の出来事。我々の世界が何か良くなる訳ではない。絶望が負かされたから何だというのだ。全てはフィクションの中で起きたこと。分かりやすい適役がその野望を挫かれただけ。そうやって、我々はフィクションに対する内心冷静な“壁”を持ちつつ、それでも、分かっていながら、フィクションに熱中する。分かっていてなお感情移入を期待し、分かっていてなお物語への没入を試みる。

つまり、『V3』が試みた「攻め」は、「ダンガンロンパがダンガンロンパでなくなること」なのだ。それは、「ダンガンロンパの核を成す要素が全て江ノ島盾子の手によるもの」である以上、作品的「模倣犯」を除外した後の、たったひとつの解答。

“新章開幕”。新しいダンガンロンパの幕を開けることは、江ノ島盾子からの脱却=ダンガンロンパからの脱却でしか“成立し得ない”。そこまでに、そうやって自壊するしかないほどに、ダンガンロンパはコンテンツとして膨れ上がってしまったのである。ダンガンロンパがダンガンロンパであることを脱却しようとするのであれば、それは、ダンガンロンパという“フィクション”をひとつ上の次元で正真正銘の“フィクション”に貶める他に手立てはない。だって、最初からダンガンロンパなんてフィクションなのだ。苗木誠なんて人間は、この世に存在しないのだ。みんな分かっていたそれを真正面から突き付ける手段しか、もう「攻め手」は残されていなかったのである。

「ダンガンロンパが新しいダンガンロンパであろうとするならば、これ以上ダンガンロンパであってはならない」。まるで禅問答のような一文だが、私は『V3』にこのようなテーマを感じ取ったのだ。これまでと同じ希望ヶ峰学園を舞台としたダンガンロンパでは、それは常に「攻め」てきたダンガンロンパには許されない“現状維持=衰退”。かといってコロシアイや学級裁判という設定だけを借りた別パターンのダンガンロンパでは、それは江ノ島盾子のアイデンティティから逃れられないことを同時に意味付けてしまい、これもまた“現状維持=衰退”。「ダンガンロンパが新しいダンガンロンパであろうとするならば、これ以上ダンガンロンパであってはならない」。新しいダンガンロンパには、“新章”の名のもとに過去に積み上げた全てを使ってその全てを崩すしか道が残されていなかったのである。そして、その「新しいダンガンロンパ」を求めたのは、作中同様、外の世界の一般市民(=我々)なのだ。





だからこそ、だからこそ、だ。私は、この『V3』のクライマックスの展開に、心から拍手を贈りたいのである。ちゃんと最後まで「攻め」た。立派に「攻め」きった。大きな大きなコンテンツに育ったダンガンロンパにこういう道を辿らせるのは、生みの親(製作陣)として苦渋の決断だったと思われる。しかし、ダンガンロンパがどこまでもダンガンロンパであるために、ダンガンロンパを“崩す”。その偉大なる決断がこうして本筋のナンバリングタイトルで行われる潔さ。よく「攻め」た。よくぞ自壊した。よくぞ思い切った。よくぞ“やからした”。それでこそダンガンロンパだ。

ここまでくると、作中の白銀つむぎが語るフィクションが果たして“どこまで”なのかを考察することすらも無意味に思えてくる(記憶捏造の有効範囲、プロローグとの相違点等、挙げればきりが無いのだけど)。彼女が「ダンガンロンパというフィクション」の可能性を作中で提示した時点で、「ダンガンロンパがダンガンロンパでなくなること」はほぼ達成されてしまったからだ。

そして主人公たちは、「希望で打ち勝つ」ことも、「絶望に屈する」ことも、そのどちらも選ばない。「分かっていてなお感情移入を期待する」ことも、「分かっていてなお物語への没入を試みる」ことも、彼らは許してはくれない。ただただ、プレイする我々を翻弄し突き放して終幕に突き進む。ダンガンロンパの特性である「絶望に希望が打ち勝つことで演出される感情の推移」すらも、意地でも“達成させない”。それこそが、至上の「攻め」であり、それこそが「ダンガンロンパ」だからだ。





『V3』を終え、今改めて振り返ると、私が1作目からずっとダンガンロンパの“なに”に惹かれていたかが、やっと見えてきたように感じる。私はダンガンロンパの「豪華声優陣」に惹かれた訳でも、「ストーリー」でも「世界観」でも「ゲームシステム」でも「キャラクター」でもなくて、その全ての要素が絶妙に噛み合い・影響し合い・補い合い、しかし確実に尖ったキワモノの面をする「コンテンツ」の形そのものに惹かれていたのだ。“ダンガンロンパ”という、唯一無二のバランスを持つ“集合知”。

その「唯一無二性」が現状維持に甘んじることなく、いくところまでいった。ダンガンロンパであることに華々しく殉じた。果敢に攻めて突き抜けて、そしてまるで崖から勢いよく飛び出していった。まさにそれこそが、「ダンガンロンパ」なのではないだろうか。脇道に逸れる「ダンガンロンパ」や、ましてやスピードを緩める「ダンガンロンパ」なんて、見たくはなかったし、今回嬉しくも見なくて済んだのだ。かくして、『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期』における“才囚”は“最終”として、実質的なシリーズ完結編の地位に堂々と君臨してみせたのだ。


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。
『かいけつゾロリ』“原ゆたか先生特撮オタク説”を検証する!
リドサウルスとエメゴジ。『原子怪獣現わる』と原作『霧笛』。ハリーハウゼンとブラッドベリ。

【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

『宇宙戦隊キュウレンジャー』が面白い! …という心の叫びから生まれた「DXキュウレンオーが欲しい」という欲望と戦い続けて早数日。色々と検討した結果、人生初の「ミニプラ」に手を出すことに。というのも、昨年、数年ぶりに観返した『ガンダムビルドファイターズ』のせいでおかげで見事にガンプラにハマってしまい、ニッパーやらスミ入れ用具やらトップコートやら一通りの道具を揃えたタイミングでもあったのだ。いやー!偶然なら仕方ない!仕方ないねこりゃ! …などと心中で自分に言い訳しながらスーパーで6箱を抱きしめてレジに向かうアラサー野郎が誕生したのでした。


無事に全確保。 pic.twitter.com/KU5Ywor7AT

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月20日

ただ、不思議なもので、そうなるとついつい追加の欲が沸いてきで…。


ミニプラ、このグレーの部分をあらかじめランナーごとシルバーに塗装しようかとも思ったけど、いっそガンメタルでもカッコいいだろうか。 pic.twitter.com/ccwEgqV08E

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月20日

キュータマの接続・台座部分のみをメタリックなシルバーにして、他のグレー部分をガンメタルにする。そうすると鮮やかさと重量感の両立が叶ったりはしないだろうか。どうだろうか。

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月20日

全くやったこともないのに、塗装に興味を示しだす。


グレーのランナーにはあらかじめプライマーを吹いて、キュータマ台座にはシルバーリーフ、その他はガンメタル。クリアパーツは勿論そのままで、その他のランナーにはつや消しトップコート。さて、これで想定通りの出来になるか否か。 pic.twitter.com/JMX082jYlH

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月20日

とはいえ、こういうのは「思いついてしまったらやった方が良い」類のやつなので(精神衛生上)、未経験者なりにネットで検索に検索を重ねながらAmazonで塗料を購入。やり方も何度も脳内でシミュレーションを行い、満を持して休日にベランダにてダンボールや新聞紙を広げながら人生発の塗装に挑戦してみました。

そして、こちらが完成品。ミニプラ『キュータマ合体 キュウレンオー』。

























思いつきに素直に、グレーのランナーを2色(シルバーリーフ・ガンメタル)に塗り分け。他に、シシボイジャーとカジキボイジャー(の一部)の黄色ランナーをゴールドに塗装し、他の色にはつや消しトップコートを。シールはメタリック感が塗装した色と異なるので、極力貼らない方向性で仕上げました。(分からないことだらけの初塗装、主にここを参考にしました。あとは、youtubeで実際にやってる人の手の動きをひたすら観察したり)

画像では分からないこだわり(?)ポイントは、プライマーの使用。ミニプラはABS素材とやらで出来ていて(ここで「やら」を使うくらいにこの分野には無知)、どうやらそのままラッカーで塗装するとパーツ割れを起こす危険性があるとか。ネットで検索してみると、「ABSにラッカーは危ない」「最近のミニプラは言うほど危なくない」などと様々な意見が見つかったけれど、念のためプライマーというものを購入して下地を作ることに。これがどこまで効果があるのか分からない程のトーシローだけど、やれるだけはやってみようかな、と。

反省点は、塗装のムラ。ガンメタルで缶ひとつ丸々使い切ってしまい、その影響で最後の方はパーツに粒子が残る残念な仕上がりに。あと、よくよく見ると吹きが甘い角度が後で見つかったりで、薄く吹いて・乾かして・また吹いて、という工程をもっと慎重に確認しながらやるべきだったなあ、と。次弾のボイジャーはもっと気を付けてやってみます。

ということで、拙い「初塗装体験記」でした。以下、記録を兼ねて、作業工程をツイートから拾って貼っておきます。


ミニプラ「キュウレンオー」塗装開始。まず、グレー成型色にはプライマーで下地を作る。その他のカラー成型色にはつや消しトップコート。プライマーが乾いたらいよいよシルバーを吹く。まずはキュータマ接続部分から。 pic.twitter.com/dsAJA2CdsY

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

おー、やはりシルバーを吹くと全然違うな。びっくりするくらい違う。 pic.twitter.com/XRhKEmN6yS

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

シシボイジャーの一部はゴールドに塗装。 pic.twitter.com/gMvMuYyy0Q

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

乾いたキュータマ部分を先に組み立てる。 pic.twitter.com/161sDXXq0A

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

ミニプラ「キュウレンオー」、シルバー塗装のキュータマが完成。クリアパーツがとにかく綺麗。 pic.twitter.com/D0bcngLNP6

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

シシボイジャーの鼻&髭部分のゴールドは本来シールだけど、合体時にも一番目立つ所なのでマステでぐるぐる巻きにして部分塗装。 pic.twitter.com/VyDDWtCALe

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

ガンメタル塗装。あとは乾き待ち。 pic.twitter.com/ds5bUxRP8S

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

シシボイジャーの黄色成型色、そしてカジキボイジャーの一部をゴールドに。後者は鎌?ドリル?に相当する部分。 pic.twitter.com/AYqY4RMMFL

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

よし、いい感じの黒灰色。 pic.twitter.com/ZcqOt0wCnL

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

ミニプラ「キュウレンオー」、全塗装終了。組み立て作業に移る。 pic.twitter.com/ymf2hN2cCC

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

よし、ゴールドとガンメタルの相性も良い感じだ。 pic.twitter.com/wNJBp7fAey

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

シルバーリーフとガンメタルのコントラストも想定通り! pic.twitter.com/J9X3WbkhR8

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

組み立て、時間がかかるけど楽しい。 pic.twitter.com/SJ8sdxzIRf

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

よっしゃラッキィィーー!! pic.twitter.com/N55r0RlqDQ

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

1&2「シシボイジャー」。ガンメタル塗装が映える大型ボイジャー。2箱から成るだけあって重さもそこそこ。シルバー塗装のキュータマとそれを囲うゴールド塗装がアクセント。鼻や爪もゴールド塗装で重厚感UP。太もも部分の非対称シールはあえて貼らず。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/N96eIoL7oe

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

3「オオカミボイジャー」。口が開き首が上下する超優秀可動。合体機構の恩恵が凄まじい。つや消し済みの青成型色パーツのはめ込みが非常に綺麗。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/S0TANFAwim

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

4「オウシボイジャー」。ガンメタル塗装の恩恵を最も受けたボイジャー。シールはあえて殆ど貼らず、重厚感を重視した配色に。シルバーリーフのキュータマが前面の黒との良い対比。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/9phg2kPBPV

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

5「カメレオンボイジャー」。驚異の5種成型色を塗装で6種に。口が開き舌が伸びる可愛いやつ。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/5CEWt1ZukJ

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

6「カジキボイジャー」。特にギミックは無いものの、その角が印象的。黄成型色を部分的にシシボイジャーと同じゴールドに塗装。シールも切り取って一部のみ。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/NJR27813iP

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

セイザドッキング!!! pic.twitter.com/fdKuWhqogV

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

キュータマ合体!キュウレンオー! #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/U7tJc0hEhh

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

#ミニプラ #キュウレンオー 塗装&組み立て完了。グレー成型色を、キュータマ台座部分をシルバーに、それ以外をガンメタルで塗り分けてみました。シルバーの煌びやかさとガンメタルの重厚感の両立を目指しての配色だったけど、かなり狙い通りの仕上がりになって大満足。 pic.twitter.com/atOnorvupe

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

タミヤのシルバーリーフ・ゴールド・ガンメタルの三色で塗装。ABS素材におけるパーツ割れを防ぐため、同じくタミヤのプライマーで下地処理。ぐりぐり動かして遊んでも、現在パーツ割れは確認されず。グレー成型色以外のパーツにはつや消し処理を。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/WrA0GZ1Wk2

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

初めて本格的に塗装というものをやってみたが、非常に楽しかった。気付けば丸一日これをやっていた。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/srojUjejlv

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

おおー!しっかり互換する!すごい! #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/x1JsbeOS3e

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日

打ち上げ。 pic.twitter.com/k86YN0zBq3

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年2月25日


<続編>【続塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ02)




※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。
『かいけつゾロリ』“原ゆたか先生特撮オタク説”を検証する!

「まず何をしたらいいのか分からない就活生」がやった方がいいこと

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

嫁さんの弟、つまり義弟が今年から就活開始ということで、先日それについてゆっくり話す機会があった。彼の大学は就職にかなり力を入れているところらしく、学内でも「SPI講座」「自己分析セミナー」等が開かれているらしい。彼も友達と一緒にそのいくつかに参加してみたというが、いまいち「ピンとこない」ということを話していた。

彼の話を聞いていて感じたのは、「就活」というのは実質初めて「自分でレール引く作業」なんだな、ということ。それまでも、高校受験・大学受験と人生の岐路はあったと思うが、そこには担任の先生や両親のアドバイスが強く影響を与えていたのだろう。もちろん、最後に志望校を決めるのは本人なのだが、その本人を精神面・情報面・勉学面で支える周囲の人間がいたことは確かだ。

しかし、「就活」はそういう人がごそっといなくなる。手取り足取り世話を焼いてくれる親もいるとは思うが、結局は本人が自分から動いてみて初めて周囲と連動し始めるような、そんな「いちからレールを引く作業」が求められるのではないかな、と。だから、「分からないことが分からない」。業界を分析する、確かに必要かもしれない。自己を分析する、確かに必要かもしれない。でも、それが果たしてどれくらい「就活」というレールを引く上で役に立っているか、皆目見当がつかない。だから、「ピンとこない」。霧の中を歩くようなものである。そりゃあ、不安で仕方ないだろう。

おまけに、世間では「就活解禁!!」「今年も厳しい!!」という情報が踊り、リクナビやマイナビは本人を精神的に追い詰める文言ばかりで殴ってくる。取りあえず合同説明会に行けばいいのか? 取りあえずエントリーとやらをしてみればいいのか? その「取りあえず」はどの程度の「取りあえず」なのか、それが分からない。全体像やゴールまでの工程が分からないので、何をやったら良いかも分からない。周りが何か色々やってるから、取りあえず自分も何かやらなきゃならない。…おそらく、こういう「形のない焦燥感」にクラクラしている就活生が多いのではないだろうか。義弟も、まさしくそうであった。

そんな義弟に、自分もリーマンショック以降の状況が激変した就活を経験したひとりとして、こんなアドバイスをした。「取りあえずいくつか個別の説明会に行って、そして面接を受ければいい」。彼は「そんなの当たり前だろ」という表情を浮かべたが、その理由をひとつひとつ説明していった。


※※※


就活生の皆さんは、就活にどんなイメージを持っているだろうか。とにかく業界を研究して、対策本でエントリーシートの文言を考えて、面接の答え方もハウツー本に赤線引いて覚えて…。そういう、「情報戦」のイメージが強くはないだろうか。それは、正解である。近年の就活は、非常に特異な情報戦だ。しかし、その情報戦というイメージに付きまとう「事前の情報収集が大事」という印象には、私は半分だけNOを突きつけたい。

就活は、ありふれた言葉で言うのなら、「習うより慣れろ」だ。または、「百聞は一見に如かず」。どれだけ分厚い本で業界研究をしても、どれだけリクナビやマイナビに目を凝らしても、どれだけハウツー本で面接のイメージトレーニングをしても、それは一回の「個別説明会」や「面接」より、薄い。特に就活開始の段階では、確実に薄い。「分からないことが分からない」のに、その「分からないこと」を机に座ったまま分かろうとして、「分かる」はずがないのだ。

興味のない業界でも良い。名前を全く聞かない企業でも良い。心構えなんて何も出来てなくて良い。自分の生活圏内で最も今日に近い日程で開催されている個別説明会に、まずは行ってみると良い。何よりまず、実際に行くのだ。説明会に行くと、その企業のパンフレットが配られ、業務内容や福利厚生の説明があり、現職の人の話があり、今後の面接スケジュール等が説明される。まずは何より、それを体感してみた方が良い。何度も言うが、“たとえその企業に興味がなくても”、だ。

要は、「分からないことが分からない」のだから、「何が分からないか」を身をもって発掘しに行くのだ。いざ説明会に行くとなると、男性はネクタイの締め方から分からないのかもしれない。乗ったことのない電車の路線に乗るのかもしれない。企業の採用向けのパンフレットだって実際にちゃんと見たことがないし、他の就活生が説明会でどんなことを質問しているのかも知らない。その企業で働いている人が、イキイキしているのか、死んだ目をしているのか、どんなスーツや作業着を着ているのか、その業界について業界人がどう考えているのか、スタートしたばかりの就活生は、全部知らない。

だから、説明会に行くのだ。何はともあれ、まずは行くのだ。実際に行ってみると、「あ、就活って“こんな感じ”なんだ」という感覚がきっと湧いてくる。そして、そのまま面接を予約して受けてみるのだ。まずは闇雲に練習してもしょうがないから、取りあえず受けてみるのだ。素っ頓狂な解答をしてしまうかもしれないし、赤っ恥をかくもしれない。でも、その「最初の面接」さえ終わってしまえば、「その企業が聞いてきた質問事項」「他の就活生が答えた内容」「自分が答えた内容に対応する合否」という情報が手に入るのだ。そうして、ここから初めて、やっとこさ「情報戦」が始まる。「分からないこと」「できなかったこと」を「分かった」上で、そこから改めて業界研究や自己分析をやってみるのである。脳内で、終わった面接を反芻しながら。


※※※


「説明会や面接に行かず情報だけ調べて闇雲に不安になる」という状態は、例えば学校のテストの前にテスト範囲とされる教科書のページをパラパラとめくって「やべ~」と嘆いているようなものだ。まずは問題を解いてみて、そして間違えた問題の答えと解説を読んで、そしてまた問題を解くのだ。就活も全く一緒である。まずは、とにかく、実際にやってみる。部活も同じで、まずはやってみて、トライ&エラー。勉強も、ひたすらにトライ&エラー。就活も、構造は全く同じなのだ。

だから、私がとにかく就活生の皆さんに伝えたいアドバイスは、「取りあえずいくつか個別の説明会に行って、そして面接を受ければいい」なのだ。ろくに実地経験もないのに情報や想像だけで頭でっかちになっても、それは本質的には意味を成さない。ちゃんと戦う相手の輪郭を把握した上で情報を仕入れないと、無駄に時間と労力を消費するだけである。説明会に何度か通って、面接を何度か受けて、そして何度も落ちて、そうすることで「業界研究」も「自己分析」も、本当に自分に求められている入り口が見えてくる。

料理を全くやったことがないのにレシピだけ熟読しても、卵の割り方すら分からない。それが第一歩を踏む前の就活生だ。レシピには、わざわざ卵の割り方なんて書いていないのだ。だから、とにかくやる。やってみる。やってみてから考える。それが、とにかく数を受けなければならない昨今の就活生が最初に超えるべきハードルであると、私は思う。

義弟を含む就活生の皆さんの健闘を、心から祈ります。


(あわせて読みたい)
効率フェチが就活で実践した履歴書量産メソッド ~履歴書は“作る”から時間がかかる


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。

【続塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ02)

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

先日ミニプラの塗装に精を出した記事を更新しましたが、その後もモノの見事にハマりまして…。続く第二弾こと「キュータマ合体シリーズ02」もしっかり確保してスプレー塗装しまくっておりました。この記事は、前回に引き続きその一部始終の記録です。


何店舗か回って無事に確保。 pic.twitter.com/nOaLepWTA6

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

なんのことはない...。一弾よりシシボイジャーが無い分だけ楽かと思ったら、むしろ大変そうな予感がしてきたぞ......。 pic.twitter.com/5N9Bf7bVf0

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

第二弾でさっそく9体のボイジャーがフルラインナップということで、そりゃあ、作る方もテンションが上がるってもの。前回同様、基本的にはガンメタルで重厚感を意識しつつ、塗装が映えるテンビンボイジャーとヘビツカイボイジャーは金銀に(ほぼ)全塗装。それ以外の成形色パーツにはつや消しのトップコート。シールはなるべく使わない方向で仕上げてみました。もちろん、塗装するパーツにはあらかじめ破損防止のプライマーで下地処理。





テンビンボイジャーは、もう思いっきりギンギラギンの金色に塗装。キュータマを覆う円状のパーツは、前回同様一部をガンメタル&残りをシルバーリーフで差別化。組み立ては中々複雑で、とにかく良く出来たボイジャー。





ヘビツカイボイジャーは、キュータマ関連をシルバーリーフ、それ以外のシルバー部分をマイカシルバーで塗り分けたのだけど、パッと見では色合いの差が分かりにくかったかなあ、と。劇中での色合いを見ると、メッキメキの銀色というよりはちょっと白みがかった印象があったので、なるべくそれを再現しようという意図だったのだが…。とはいえ、大方満足の仕上がり。


ヘビツカイボイジャー、写真じゃ分かり辛いかもだけど、シールの赤と黒のラインだけをデザインナイフで切り取って貼り付けた。せっかくシルバー塗装してるので、シールのキンキラシルバーと色合いが違うのは勿体ないだろう、と。細かい作業だったけど見映えが全然違う。 pic.twitter.com/8ufkTWLAQi

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月16日

テンビンボイジャーも同じ処理。 pic.twitter.com/o4RymnDCby

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月16日




このコンビはとにかく塗装映えするので、やってて一番楽しかった。





サソリボイジャーは成形色の面積が広く、なんとか軽く見えてしまわないように試行錯誤。マスキングテープを使っての部分塗装が思いのほか上手くいったのは良かった。ボディ横の白部分はシールがやけに野暮ったく見えたので、思い切って貼らないことに。


マステで部分塗装。 pic.twitter.com/LoAH9492K7

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日





ピンクが鮮やかで綺麗なワシボイジャー。くちばしはテンビンに使ったゴールドをそのまま使用。


実際に組んでみるとワシのこの部分はシール面積が広くてあまり見映えが良くなかったので、ガンメタルで上塗りすることにした。 pic.twitter.com/sSvI6beCi3

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

根気強くマステを巻いたかいがあった。綺麗に羽根部分だけガンメタルになったぞ。 pic.twitter.com/N8T9ialmkx

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

…とまあ、そんなこんなで試行錯誤しながら塗装&組み立て作業を楽しんでおりました。前回の経験から、やっておいた方が良い処理・省ける手順が少しずつ分かってきて、計画的に作業を進められたのも良かった。


ランナーごとの塗装のため、あらかじめギリギリまでパーツを切り離しておくことで、後の細かな見苦しさを軽減。 pic.twitter.com/5hs5Nf5jRQ

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

バラバラテンビン。 pic.twitter.com/Ur0dN1mf8J

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

やはり全然違うなあ、塗装すると。こうハッキリと比べちゃうと、黄色成型色がひどく安っぽく見えてくる...。 pic.twitter.com/ECn9phSdZA

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

まずは全ボイジャーのタマタマから組み立てます。 pic.twitter.com/5XI7gVydac

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

ミニプラ02のキュータマ、塗装&組み立て完了。 pic.twitter.com/gR2nlrrt7o

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

肘関節パーツは見映え&汎用性を持たせるためにそれだけ切り離してガンメタルで塗装予定。関節部とはいえ、オオカミやカメレオンにオレンジ関節だと少し違和感あると思うので。 pic.twitter.com/DhLj53wopv

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月14日

今夜には全ボイジャー組み上がるだろうか。ガンメタルとマイカシルバーで塗装中。 pic.twitter.com/wxUoBY8NYw

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

よし、仕上がった。あとはサソリの部分塗装乾燥待ちを残すのみ。他からどんどん組み立てていこう。 pic.twitter.com/Rw8lsaczxb

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

未塗装と比較シリーズ。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/r7jUadDPeJ

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

未塗装と比較シリーズ。 #ミニプラ #キュウレンオー pic.twitter.com/dsh67RpDkg

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

9体の究極のミニプラ! pic.twitter.com/pi8uHhTjlV

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日

手塩にかけて仕上げたボイジャーが9体そろうのは、中々の達成感…!!





そしてこちらがキュウレンオー(02)!























大満足!…といっても細かな反省点はあって、それは更なる今後のミニプラ製作に活かしていきたいなあ、と。前回、そして今回、人生初のプラモ塗装に手を出してみたけど、思いのほか簡単なのに満足のいく仕上がりになって、なるほどこれが「塗装の楽しさ」か! …という感じ。何よりキットそのものの出来がかなり良いので、ミニプラ「キュウレンオー」、迷ってる方は是非手にとってみてください。


そして、あまりに塗装が楽しかったので……


ついにオリジナルカラーリングのボイジャー作成に乗り出す。 pic.twitter.com/LbymPxHV4z

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月18日






狼ならやはり白銀でしょ! …という安易な発想から生まれた「ウルフボイジャー」。ピュアホワイトとシルバーリーフで仕上げました。キュータマのクリアパーツは色合いをそろえる為にヘビツカイボイジャーのものを使用。











という感じで重ね重ねオススメです、ミニプラ「キュウレンオー」。ちょっと失敗してもボイジャーごと数百円で買い直せるので、思いっきり自分なりのアイデアを試せるのがとにかく楽しい。嗚呼、こうやって塗装趣味にずぶずぶと沈んでいくのね……。


ちなみにミニプラ作業中はずっと『剣』を流しっ放しにしていたけど、いつのまにか残るアンデットはカテゴリーKとジョーカーのみになった...。 pic.twitter.com/Su8YdhuODT

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年3月15日


【過去記事】
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。

人間から人間が出てきて“それ”を育てるということ

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

最近ブログの更新が途絶えに途絶えているのは、タイトル通り子供が産まれたからです。仕事が終わって家に帰ったら育児や家事を嫁さんと一緒にやって… という生活だとブログを書く時間を捻出するのも中々簡単ではないなあ、と。まあ、これも“慣れ”はいくらかあると思うので、新米パパよろしく娘に楽しく振り回される毎日を送ってます。

しかしまあ、本当にタイトル通りなのですが、「人間から人間が出てくる」というのは本当に凄いことだなあ、と。もちろん、犬や猫をはじめ自分らと同じ哺乳類がそうしているのは頭では分かっているし、言うまでも無く保健体育で習った知識として識ってはいるのだけど、なんというか、実際に体感してみると全くもって“そういうこと”ではなかった。タイトルではあえて「それ」と書いたけれど、狂おしいほどに可愛い娘を時に「何かの生物」として酷く客観的に見てしまう瞬間がある。それほどに、「自分の子」というものは「自分が認識しているヒトという生き物」とかけ離れて感じられるのかもしれない。

まだ首がすわっていないから重さがダイレクトに腕に響くその身体は、何かの拍子に落としてしまえばすぐに死ぬかもしれないし、そうでなくとも、朝起きたら横で冷たくなっていたり、チャイルドシートに乗せて外出している最中に事故が起きて命を散らすかもしれない。私のような「身体が出来上がったヒト」ではないのだから、同じ危険性でもリスクは何倍にも跳ね上がる。毎日のように反射的にベビーベッドから抱き上げるが、それは娘からしたら身長の二倍の高さまで一気に持ち上げられる、ということだ。家の中、私の腕の中でも、すぐに死んでしまうリスクと切り離せないくらいに、弱く脆い。

それを24時間、体力も時間も犠牲にして見守って育てていくのが「親」というのは、確かに100人が100人そう答える「正解」なのだろうが、これが中々簡単なことではない。いや、難しいことなのは分かっていたつもりだが、いざ目の前でその環境が展開されると慣れるまで相当かかる。私も可能な限り一緒にやっているが、やはり嫁さんの方が子育てにかける負担も大きく、常にぐったりとして、少しカリカリしている。大変か、面倒か、と問われれば。そりゃあそうだ。相当面倒でしんどいですよ、子育て。でもそれが娘の表情ひとつで一気に消し飛ぶのが「親」という属性なのだなあ、と。

自分でも何を書きたいのかよく分からないけれど、そういう「すぐに死んでしまう命」を「自己を犠牲にしてでも育てる」という行為は、本当に種として根元的なテーマだと思うし、同時に一気に自分の“死”を意識するターンに入ったなあ、ということだ。“次世代”が産まれたということは、自分が自動的に“旧世代”になったことの証だ。この子が自分の年齢になる時に、自分は健康に生き続けていられるのだろうか、と自問してしまう。自分も、嫁さんも、今まで以上に自分の身体のメンテナンスには気を配らないといけないなあ、と。

血まみれで頭も歪んでいた3キロ超えの“それ”は、一気に体重を増し、光や音に反応して目で追うことを覚え、顔つきが毎日のように変わり、嫁さんや私の匂いや抱き方を覚え、母乳にありつけた喜びを叫ぶように表現し、ソフトクリームを盛る機械のように元気に糞を捻り出し、そうして毎日毎日、私と嫁さん、そして親戚や知人といった多くの人の手に触れられていく。将来どんな子に育つのか、また、今日も無事に“死なず”に生きていけるのか、それは全く分からない。お互い、「ヒト一年生」「親一年生」として、一緒に生きていけたらいいね、と思うばかりだ。

すごい!1,500字書いても何を言いたいのかよく分からない!…とは言いつつ、一生に一度しかない「初の子供」に感じる思いくらいは、こうやって書き散らしておくのも悪くないかなあ、と。いつか娘とホームシアターで『トイ・ストーリー』を観るその日が無事に迎えられることを願って、という感じで。

そして一気に別の話ですけど、このブログも本日をもって晴れて3周年となりました。子育てしながらなので更新頻度はアレですけど、今後もダラダラとやっていきますので、何卒よろしくお願いします。


ドラムとコーラスとギターソロまで完コピで歌う『HEAVEN'S DRIVE』(L'Arc〜en〜Ciel)で健やかに寝付く娘。お腹の中から聴かせ続けた甲斐があったというもの。

— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年4月10日

【過去記事】
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。

さようなら平成仮面ライダー【クウガ~ファイズ編】シリーズ黎明期の作品群は日曜の朝に何を提示したのか?

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

「オタクになったきっかけは?」という会話はオタク同士なら当たり前のように交わされるものだが、例えば学生時代の友人だとそれは『新世紀エヴァンゲリオン』だったり『灼眼のシャナ』だったりしたのだが、私の場合は間違いなく「平成仮面ライダーシリーズ」だった。“その枠”の番組は『ジャンパーソン』や『エクシードラフト』から観続けていて、もちろん『カブタック』や『ロボタック』も大好きだったけれど、やはり私を熱狂的にハマらせ・引きずり込んだのは『仮面ライダークウガ』だったし、それから18年、最新作の『エグゼイド』に至るまで、毎年新しい仮面ライダーを楽しみに生きてきた。もはや一介の視聴者のクセしてライフワークのような錯覚を覚えるほどだ…。

最近、仕事が忙しかったり子供が生まれたりして中々まとまった時間が取れず、ブログの更新もおろそかになっていたので、「何かある程度の文量でガッツリと書きたいなあ」という欲が湧いてきた。そして、とにかくガッツリ語るのなら …すぐに候補に浮かんだのが「平成仮面ライダーシリーズ」だったという訳である。そんなこんなでこの記事は、同シリーズについてリアルタイムで観続けた上で感じた様々な想いや考察を、自らの過去記事も引用しつつ脈絡なく溢し続けてみようかな、という内容である。一応『クウガ』から順に辿るが、多分話があっちに行ったりこっちに行ったり、とにかく全18作を俯瞰して語る視点と平行なので、本当に暇な人だけ、良かったらお付き合いください。


※※※





早速だが、まずもって『仮面ライダークウガ』である。言わずと知れた平成仮面ライダーシリーズ第1作であり、今なお根強いファンが多いことで有名だ。幼心に記憶に残っている『RX』以降、テレビでレギュラー放送される仮面ライダーは存在しなかった。そんな沈黙を破り、第1話開始のファーストカットで「この作品を 故 石ノ森章太郎先生に捧ぐ」と掲げてみせた本作は、非常に神経質な作りで、それでいて病的なまでに革新的だった。




「仮面ライダークウガ」は、非常に神経質な作品である。本当に、病的なまでに神経質だ。場面が切り替わると、画面下にその場所名と現在時刻が分単位で表示される。「実際に怪人が出現したら警察組織はどう対応するのか」。本物の警察に取材に行き組み上げたというその設定は非常にリアルであり、ヒーローであるクウガも“未確認生命体”として銃殺されかけてしまう。その登場人物はなぜこのような行動を取るのか。今現在何に悩んでいるのか。何を抱えているのか。「ヒーロー番組だから」という言い訳を絶対に用いず、一般のドラマと同じ目線でそれらを描き切った。

仮面ライダークウガという呪縛



引用した過去記事でも書いたが、それまでの特撮ヒーロー番組の多くに「ヒーロー番組だからこその展開」というのはやはり確かにあって、それは悪く言えば「子供だまし」「ご都合主義」、善く言えば「分かりやすさ」「とっつきやすさ」であった。その展開や演出の是非を語るつもりは毛頭ないが、『クウガ』は病的なまでにそういう展開を廃し、とにかくリアルに・一般ドラマのように組み上げたのが最大の特徴と言えるだろう。「異形の存在が実社会に突然現れたら、各種機関はどのような対応をするのか」。そういうリアルシミュレーションの側面で言うならば、昨年公開の『シン・ゴジラ』と非常に近い作品とも言える。

「古の闇より……(デンデン!)目覚めしものは……(デンデン!)」という立木文彦ボイスが印象的な予告編からして、当時『カブタック』や『ロボタック』に慣れていた自分には随分な衝撃だった。『仮面ライダー』と怪奇路線が云々という知識もあの頃は勿論持っておらず、なぜ日曜の朝からこんな陰惨なものが始まるのかと、正直観る前はかなり身構えていた記憶がある。それがいざ始まってみると、予告で登場していた赤いクウガは姿を見せず、ひ弱な白いクウガが敵に辛勝するといった、これまたとてもショックな内容が繰り広げられた。年齢的にいわゆる「戦隊モノ」を卒業するか否かという岐路に立っていた自分には、思いっきり頭を殴られ“その道”に引き戻された感覚があった。

ストーリーとしては、あからさまに怪人然とした異形の着ぐるみが登場するのではなく、我々の実社会にいつの間にか入り込み暗躍する古代種族との戦いが繰り広げられた。例えば地下鉄サリン事件は95年の出来事だが、「いつどこで我々と同じように振る舞う人間が危害を及ぼしてくるか分からない」といった放送当時(00年)の社会全体が抱く不安や漠然とした恐怖のようなものを、グロンギという種族は的確に体現していたように感じる。次第に日本語が達者になる彼らに抱く恐怖には、背筋が凍るものがある。

そんな『クウガ』だが、十数年経った今改めて考えると、実はクウガのフォーマットはあまり現在の同シリーズには継承されていないな、と感じる。高寺プロデューサーを中心とした製作陣の一度切りの濃厚変化球といった印象で、近年の平成ライダーのフォーマットの祖となっているのは次作『アギト』だったり『電王』『ダブル』あたりを挙げるのが適当だろう。というより、『クウガ』のような球は“色んな意味で”もう二度と投げられないだろうと思うし、その事実が今でも根強くファンに愛される所以なのかな、と。





続く『仮面ライダーアギト』は、前述のように、実質的な「平成仮面ライダーシリーズ」の祖と言えるだろう。『クウガ』が描いた連続劇に群像劇要素を付加し、更にはミステリー・謎解き・ファンタジーの要素まで盛り込んだ。メイン脚本をつとめた井上敏樹氏が実は「あかつき号事件」の詳細を特に考えずに先に謎だけ提示しておいたというのはファンには有名な話だが、そういったミステリー要素が強い“ヒキ”を生み、視聴率は万々歳の結果だったという。『クウガ』における敵組織の背景は「そういう種族だから」という割り切りで一種完結していたが、『アギト』ではそれを引っ張りに引っ張って物語最大の謎と結び付けた。なぜ津上翔一は記憶を失くしたのか、なぜアンノウンは人間を襲うのか。それが、果てには神話の世界のような壮大な叙事詩に発展していく…。

『アギト』が盛り込んだファンタジー要素(神々の戦い)そのものは、特撮ヒーロー番組では(戦隊を含め)従来から使用されてきた要素ではあるが、これを『クウガ』が挑戦したリアル調連続劇の中でやるという試みそのものが、『アギト』成功の最大要素ではないだろうか。また、「既に仮面ライダーである男・仮面ライダーになろうとする男・仮面ライダーになってしまった男」という切り口も非常に面白く、「仮面ライダー」という呼称こそ劇中には登場しないものの、異能のパワーと向き合う男たちの苦悩とすれ違いのドラマは観る者を夢中にさせた。「記憶(=アイデンティティ=居場所)を失くした青年が、みんなの居場所を守るために戦う」という翔一が辿ったテーマも、『クウガ』の雄介とは違う意味で“みんなのヒーロー”を体現していたように思える。

個人的に好きなのは、後年の『ディケイド』における「アギトの世界」で、ギルスに「アギトの成長過程の姿」という設定が与えられたことだ。原典でのギルスは「アギトの亜種」となっていたが、これを踏まえた上で作品主人公であるアギトを魅力的に魅せるための気の利いたアレンジだったと感じる。同時に、ユウスケがG3装着者になるのも『アギト』の企画経緯を思うとニヤニヤできる展開であった。(当初『クウガ』の続編として話が進んだが、という例のアレ)

前述のように『アギト』が持ち込んだミステリー要素は、その後も「なぜライダー同士の戦いは始まったのか」「なぜファイズのベルトは造られたのか」「なぜアンデッドは解放されたのか」から「なぜゲーム病やバグスターが発生したのか」に至るまで、シリーズに欠かせない縦軸の要素として継承されていく。そのほかにも、群像劇の要素が『龍騎』『ファイズ』『鎧武』に、ライダー同士が争う部分は『剣』『カブト』『エグゼイド』らに、そうして今もプロット作成の第一線に持ち込まれるであろう部分として確立されている。今でこそ「平成一期らしさ」「平成ライダー初期っぽさ」などと挙げられるイメージは、その多くが『アギト』に拓かれたものではないだろうか。





そんな群像劇の要素を継承しつつ、多種多様な正義とゲームっぽい争いの構図で人気を博したのが、シリーズ第3作となる『仮面ライダー龍騎』だ。「多種多様な正義」については白倉プロデューサーが各種インタビューで述べているとおり、同時多発テロの発生に影響を受けたものである。世界中で揺らぐ正義の定義について、その“揺らぎ”をそっくりそのままライダー同士のバトルロイヤルに落とし込んだ。「ゲームっぽい争いの構図」はカードと電子音声の組み合わせから受ける印象で、遊戯王をはじめとするTCGが大流行していた時勢ならではの要素とも言えるだろう。そんな、ゲームっぽいシステムの中で悲惨な殺し合いが行われるギャップこそが、今作最大の魅力でる。

話が横道に逸れるが、平成ライダーにおけるカードというのは非常に面白い変遷を経ている。『龍騎』におけるアドベントカードは、最初から各ライダーに付与されたデッキそのものであり、ライダーによって同じものを複数枚所持していたり、凶悪なカードを所持していたりする。「ソードベント」「ガードベント」「ファイナルベント」といった用途別のカテゴリー分けがなされており、新ライダーが登場した際に「こいつの〇〇ベントはどんなのだろう」という想像を掻き立ててくれた。続く『剣』では用途別の仕分けを廃し、カードそのものに「アンデッドを封印する装置であり実質モンスターボールである」というストーリー上の意味を盛り込んだ。これにより、「ヒューマンアンデッド」や嶋さんといった要素が生まれ、カードが単なるコレクターズアイテム以上の価値を持つこととなる。

そしてその集大成となる『ディケイド』だが、これが『龍騎』と『剣』の見事な合わせ技であり、「アタックライド」「フォームライド」といった用途仕分け、そして「対象のライダーと心を通わせて初めて使用できるカード」というストーリー上の意味をも内包するスペシャルな存在に仕上がっていた。しかもほぼ同時期スタートの「ガンバライド」でも使用できるとあり、驚異的な魅力を兼ね備えていたことは、もはやシリーズファンには言うまでもないだろう。そろそろ、第4のカードライダーが登場する頃かな、とも思うが…。

本筋に戻るが、『龍騎』の話をする上で避けては通れないのは、ラストの解釈である。まさかの最終回前の主人公死亡、そして、勝ち残った蓮や神崎兄妹は一体何を願い、どのような結果が訪れたのか。巨悪を倒してハッピーエンドという“わかりやすい”エンディングでなかったからこそ、その引っ掛かりは今でも脳裏にこびりついている。私の解釈は、以前の記事にも書いた、以下のものである。




しかし、あの最終回に、当時の私は納得できなかった。真司が頑張ってきた1年間が、どこか無駄に思えてしまったからだ。結局、全ての死んだ人間が生き返り、リセットされた。真司の奮闘はなんだったのか、と。

この違和感を飲み込むには、数ヶ月かかった。何度も録画を観て、ネットに書き込まれた解釈を探し読み込み、やっとのことで納得した。あれは幾度となく繰り返された戦いの最後の1回であり、真司が1年間走り回ったからこそ、「神崎優衣が命を拒否し兄の説得に成功する」というエンディングを成立させたのだ。真司の行動は、決して何かのボスを倒した訳でも、明確な答えに辿りついた訳でもない。自己犠牲でも、どのライダーを助けた訳でもない。ただ、城戸真司が秋山蓮と共に神崎優衣に関わり、その戦いを止めたいという思いと悩みを1年間彼女に見せてきたことが、あの“終わり”を導いたのだ。その解釈に納得できて初めて、私の中の「仮面ライダー龍騎」は完結したのだった。

仮面ライダー龍騎に狂酔した中学2年生の1年間



この解釈は本当に人それぞれだと思うし、むしろ『龍騎』が提示したテーマやメッセージというのは、単に真司のように「諦めずに愚直に頑張ること」に収束するとも考えられない。これは続く『ファイズ』も含め、白倉プロデューサーが深く関わった作品群は、明確な“答え”を提示することを目的とはしていないように感じる。結局は「各々の信念が究極の正義」とでも言うのだろうか、「こちらとしては様々な正義や考え方を取りそろえるので、観た人が各人で“答え”を見つけてください」、と。あからさまな疑問提示型・問いかけ型の組み立ては、ともすれば「投げやり」とも取られ、しかし“効いた”人には永遠の難問として降りかかる。五代雄介による「本当は綺麗事が良いんだもん」という、あえて言えば究極のエゴのような価値観で作品を包み込むのとは違う手法、エゴとエゴとのぶつかり合い“そのもの”がテーマとでも言うべき「ズルい」作り方。それが、『龍騎』で遂に確立されたシリーズにおけるひとつの方向性だったように思える。

否定から生まれた『クウガ』、それを発展させた『アギト』、そして続く『龍騎』はその双方を真正面から否定して新たなステップを踏んでみせた。そういった、否定と革新とトライ&エラーこそが、この時期の平成ライダーが吹かせていた新風そのものだったのではないだろうか。また、『龍騎』の「電話投票で結末が決定」「最終回先行映画化」といったセンショーナルな取り組みも、後年の「スーパーヒーロー大戦」や「昭和vs平成」といった話題重視の概念の雛型と言えるのかもしれない。




昭和ライダーの世界観と違い、平成ライダーはクウガ以降各々が完全に独立しており、“先輩ライダー”という概念が長らく消滅していた。だからこそ毎年野心的な設定で作風をどんどん変えていけるのが強みであり、その決定打となった龍騎や、意欲作である響鬼など、「不揃いという統一感」が売りのシリーズだったと言える。

完全なる伏線消化。「仮面ライダーディケイド」の最終回とは一体なんだったのか



「不揃いという統一感」、といった言葉遊びのようなこの形容こそが「平成ライダーっぽさ」だと思うし、それを決定付けたのが『龍騎』、その不揃いさをリセットしてしまった『ディケイド』、続くいわゆる“二期”の作品群は前述の形容に馴染まなくなっていくのだが、これはまた後の作品群で話題にしたい。





ホップ・ステップ・ジャンプを終えた平成ライダーが展開したのが、『仮面ライダーファイズ』だ。ある意味『龍騎』で最も廃された「敵怪人そのもののドラマ」にスポットを当て、実質のダブル主人公物として本作は幕を開けた。井上敏樹氏における全話執筆は今でも語り草だが、実はマジで同じ人が書いているのかというくらいに整合性の側面がガタついていたりもする。しかし、それを補って余るブーストは凄まじく、シリーズでもトップクラスに湿度の高い物語に当時の私は心底夢中になった。すれ違いや勘違いによるあの独特のもどかしさが、かっこよすぎるギミックで活躍するライダーたちの戦いにまでもつれこむ。この唯一無二の中毒性は、本当にクセになるのだ。




ファイズという物語は決して人間とオルフェノクという単純な善悪構造ではなく、人間と人間、オルフェノクとオルフェノク、種族に関わらず矢印が交わりまくるのがポイントだ。怪物同士が争うのもこの物語の大きな特徴で、平成ライダーで初めてこれを本格的にやったのも、このファイズである(クウガの終盤や龍騎のミラーモンスターなど前例はいくつかある)。オルフェノクといえどそれは「個人」であり、主義主張の違い、そして信念が交わらなければ、当然のように憎しみ殺しあう。ただ単に、その手段をその身に宿しているか否かが、人間と違うだけ。

仮面ライダーファイズ 8話「夢の守り人」の欠点



劇中では、オルフェノクを滅ぼさんとする人間による組織が登場したり、また、対するオルフェノク側も、人間をいかに滅ぼし自らが優位に立つかを常に組織的に模索していた。最終的にその対立構造は「滅びの運命とそれを回避できるオルフェノクの王の存在」というギミックにより整理されていくのだが、それはあくまで物語上の“終わり”に向けて組み上げられたパズルに過ぎず、本質的な差別や種族争いの問題は何一つ解決することはない。盛大に、議題を投げ散らかしたまま終わるのである。前述の「エゴとエゴとのぶつかり合い“そのもの”がテーマ」というのは、この点のことである。

オルフェノクというのは人間が人外のパワーを身に着けたにすぎず、だからといって即人を襲う化け物になるかといえば、そうではない。人を殺せる力、身勝手に断罪できる手段をある日突然手に入れてしまった時、“人”は果たして倫理観や価値観を変えずにいられるのだろうか。その顛末は、開始早々の第2話ですぐに木場の行動として描かれる。そうした、オルフェノクをあくまで人間と“地続き”で描くからこそ、世界中で差別や争いが今もなお無くならないからして、ファイズが抱える問題も絶対に「解決」しないのである。この「解決しないことこそが到達点」というのは、後年の『仮面ライダーアマゾンズ』でも描かれたものだと解釈している。




視聴者は、悠と仁のどちらにより共感できるのか(もしくはどちらも理解不能か)の三択を無意識に突きつけられる。悠の考えはどこまでいっても「甘ちゃん」であり、例えアマゾンでも暴走したら粛清するしかないと、究極のワガママをパワープレイで貫き通そうとしている。対する仁は、卵を食べるのと同じように、殺された者は喰われて然るべきだと、元来からのアマゾンへの過剰な恨みを決して曲げようとはしない。ブレる線引きを力尽くで主張するアマゾンと、ブレられない意固地な線引きを力尽くで主張するアマゾン。億単位の人間誰もが種レベルでの解答を提示できないのだから、後は争うしかない。意見が違えば争い合う、これに限っては、人間に限らない多くの生物が繰り返してきた所作なのだから。

だから、私はこの「対立エンド」がこの上なくアマゾンズらしい帰結であり、中途半端でも何でもなくて、ドンピシャな落とし所だったと捉えている。悠は、自分が明確な答えを示せないからこそ、その「示せない」だけは貫く。そうやって、アマゾンだけのコミュニティのぶれぶれな長(おさ)として君臨する。あの海辺では、何度もアルファとオメガの戦いが繰り返されてきたのだろうし、これからも続いていくのだろう。だからこそ捕食カーストで、だからこそアマゾンズなのだ。あの戦いが、詰まるところ「主張のぶつかり合い」が、永遠に続いていく(解答が提示されない)。これこそが、この問題を手がけたからこそ落ち着くべき地点なのだ。

【総括】「仮面ライダーアマゾンズ シーズン1」 “仮想敵”を喰っちゃいけない理由なんて、どこにもない



「『アマゾンズ』における平成一期らしさ」という議論はネットでよく発生するものだが、私はこのような「明確な答えに辿り着かないという答え」を提示する手法をもって、同作は非常に「一期らしい」と感じている。『龍騎』や『ファイズ』がこの辺りのエッセンスを非常に色濃く持っており、それを2016年にまたやってみせたことが『アマゾンズ』の面白さだったのではないだろうか。どこまでも、白倉プロデューサーの筆癖とも言える。

また話が逸れてしまったが、そんな解決の見えない命題にジメジメと取り組んでみせた『ファイズ』の要素も、いくつか後年の作品に継承されている。グロンギやアンノウンともまた違う、完全に“組織”としての敵。それが大企業の皮を被っていることが(当時における)現代的な描き方であり、後年のゼクトやユグドラシルがこれに相当するだろう。また、実質ダブル主人公が時に対立し・時に共闘し最終的に雌雄を決するというフォーマットは、言うまでも無く『鎧武』が踏襲したものでもある。ミッションメモリというベルトに装着されたチップを各種アタッチメントに備えることで技を発動させる一連のギミックも、『ダブル』以降のコレクターズアイテム商法の原型と言えるだろう。(正確には、ガイアメモリ以降のアイテムに伴う技発動シークエンスの源流とも言える、の意)


※※※


「シリーズが続くか否か」すら安定していなかったこの時期、『クウガ』から『ファイズ』までのいわゆる「平成ライダーシリーズ黎明期」は、色んな意味で“攻めた”作品ばかりである。その姿勢そのものが美徳だとは言わないが、確かにその方向性こそがこの時期のシリーズを牽引していたように思える。なぜ“攻めた”のか、どのように“攻めた”のかは、この記事でも散々語ったことだが、この時期にガツンと殴られ続けたからこそ今でも同シリーズが大好きな自分がいることは間違いない。

そんな「平成仮面ライダーシリーズ」も、まもなく終わりを迎える。そう、言うまでも無く「平成」が終わるのだ。果たしていつから「平成ライダー」という呼称が用いられたのか記憶は定かではないが、「昭和vs平成」をやってしまう程にその区分けを意識してきた同シリーズだからこそ、年号の切り替えと共に何らかの「集大成」や「お祭り」や「新生」をやってのけることだろう。それに伴い、過去に関わった多くのスタッフやキャストからも、『クウガ』から続く全平成作品を振り返る総括的なインタビューや回顧録が並んでいくことは想像に難くない。

一介のファンとして、「あえてそれが出そろう前のこのタイミングで、【さようなら平成仮面ライダー】と銘打ってひたすらに自らの想いを語り尽くしてみよう」、そんな思いで、ダラダラと書き続けてよもや9,000字を目前としているのだが、単純計算でこのまま『エグゼイド』までいくと40,000字を超えてしまいそうで、いくらなんでも“しんどい”だろう …という言い訳配慮のもと、取りあえず『クウガ』から『ファイズ』までで一旦区切っておきたいと思う。

続く『剣』以降もこんな感じの語り口で、近日更新予定です。


<追記>
続編 『さようなら平成仮面ライダー【剣~電王編】動乱期の作品群が挑み、蓄積させたものとは何か?


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
人間から人間が出てきて“それ”を育てるということ
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか

さようなら平成仮面ライダー【剣~電王編】動乱期の作品群が挑み、蓄積させたものとは何か?

$
0
0



こんにちは、結騎 了(@slinky_dog_s11)です。

前回に引き続き、「“平成”が終わる前にひたすらにシリーズへの自らの想いを語り尽くしてみよう」企画の第二弾。もし第一弾『さようなら平成仮面ライダー【クウガ~ファイズ編】シリーズ黎明期の作品群は日曜の朝に何を提示したのか?』を未読の方がいらっしゃいましたら、是非そちらからお読みください。…ということで、本記事は『剣』から始まるいわゆる「第一期後期」の作品群にスポットを当てていく訳だが、『ファイズ』までを黎明期と称するなら、この辺りの作品は良く言えば成熟期 …もしくは動乱期とするのが適当だろうか。

というのも、『ファイズ』までの作品が繰り広げた“攻め”は、およそ同枠で可能な内容を一巡してしまった感もあり、個人的には『剣』以降の数作には「平成ライダーのフォロワー」としての側面を覚えることが多い。それは決して「二番煎じ」だとかの悪いニュアンスで言いたい訳ではなく、『クウガ』が拓き・『アギト』が確立し・『龍騎』が挑戦し・『ファイズ』が円熟させたその土壌において、「それを受けて何が出来るのか」「今後はどういった視点で作れば良いのか」といった何かしらの“アンサー”が盛り込まれているのかな、と。長く続くシリーズに付き物ともいえる“この時期”が、最も語るのが難しく、最も語るのが楽しかったりするのだ。


※※※





そんな「平成ライダーのフォロワー」としての色を濃く持つのが、『仮面ライダー剣』だ。「仮面ライダーという職業」という切り口は『アギト』のG3ともまたニュアンスが異なり面白いものの、実はあまり「職業人」の側面が強くドラマに盛り込まれることはない。「職業人ドラマ」という切り口であれば、後年の『響鬼』『ドライブ』『エグゼイド』らの方がかなり意欲的とも言える。『剣』は、『クウガ』から『ファイズ』までが描いてきた「多数ライダーの群像劇」「敵怪人との種族を超えたドラマ」「戦いの意味そのものが持つミステリー要素」「カードを使った見栄えの面白い戦闘」といった要素で組み上げられ、実はシリーズにおける“新鮮味”という点では薄いと言わざるを得ない。

しかし、そんな『剣』が前後の作品群と絶対的に異なる点は、愚直なまでの「少年漫画性」を盛り込んでいることである。最初から人間が完成していた五代雄介や、マイナス(記憶喪失)を取り戻し周囲との関係性を築いていく津上翔一、その馬鹿正直さが信念と化した城戸真司に、迷いながらも自らの夢を模索する乾巧など、実はこれまでの同シリーズでは分かりやすい「成長型主人公」を採用してはこなかった(むしろあえて避けてきたのかもしれない)。『剣』の主人公・剣崎一真は、自らが戦う理由を常に自問自答し、迷いながらも確実に成長し、その果てに種族を超えた友情と後悔のない自己犠牲にまで辿り着く。

ある種の「ベタ」、もしくは「正直さ」、はたまた「分かりやすさ」とも言えるだろうか。前作『ファイズ』がいつまでもウジウジと悩み・すれ違っていたところを(褒めてます)、次作『剣』ではあっけらかんと打ち明けたり拳で殴り合いながら叫んだりする。そのカラッとしたどこか陽性とも言える空気感が持ち味であり、次第にそれが物語の謎と展開(バトルファイトの結末)と絡み合い未曾有のブーストをかけ出す第4クール目は、シリーズ屈指の盛り上がりだったと言えるだろう。

「今の世界は前回のバトルファイトでヒューマンアンデッドが勝利した結果である」という設定は、シリーズでもトップクラスの大風呂敷であり、そのスケールが大きければ大きいほど、それに抗おうとする剣崎たち4人のライダーの意思が光る。改めて通しで観たりすると、「睦月はいつまでウジウジ悩んでるんだ」とか「橘さん何度騙されてるんだ」とか思わなくはないのだけど、やはりどうしても“やみつき”になってしまう魅力を持っているのが本作である。人間とアンデッドの関係性を、友情・対立・恋愛・共闘のあらゆる側面で描き、そのどれもが前作『ファイズ』とはまた違ったアプローチだったのが、言い知れぬ魅力の正体だろうか。種族間の壁に何度もぶち当たるのが『ファイズ』とするならば、その壁を何度落ちても乗り越えようとよじ登るのが『剣』、とでも言おうか…。

また、『龍騎』でも試験的(?)に導入されていたキャストによる挿入歌が初めて定番化したのも本作である。後述の『響鬼』を除き、この手法は『カブト』に受け継がれ・『電王』で爆発的に花開き・『キバ』『ディケイド』以降も多くの作品で用いられていくこととなる。いわゆるアニメ業界における「キャラソン」の文法なのだが、「イケメンヒーローブーム」との相乗効果が見込まれたものだったと言えるだろう。ちなみに、橘役・天野浩成氏は、本作挿入歌におけるデビューを皮切りに次々とシングルやアルバムを発売していた。





話が逸れてしまうが、『剣』のバトルファイトについて語ると、やはり「ジョーカーがバトルファイトの勝者になる前にヒューマンアンデッドや嶋さんをリモートしておけば良かったのではないか」という疑問を避けては通れない。劇中でも、終盤にギャレンが試みた手法である。これについて私は、「リモートは完全なる“解放”ではない。故にあの流れでジョーカーが勝ち残ることは避けられなかった」という解釈を持っている。理由としては、エレファントアンデッドをはじめとする劇中でリモート解放されたアンデッドは完全にレンゲルに使役されていたので、「自らの種族の繁栄をかけて戦う」という本来のバトルファイトの参加動機に足りていないと判断されるのではないか、というものだ。操り人形が自分の種族の繁栄は願えないだろう。リモートは獏を模した絵柄でもあるし、あくまで“夢”であり真の存在ではないのではないか、と思う訳である。

…などと散々書き並べておいて今更だが、『剣』はどうしても、「クオリティが云々」や「作品の作り方が云々」といった考察じみた感想よりも、何故か「好き」という感情が先行してくる不思議な作品である。最終回のビターな終わり方も含めて、熾烈な1年間を堪能させてくれたなあ、という思い出も深い。





続く平成仮面ライダーシリーズ第6作となったのが、『仮面ライダー響鬼』である。そもそもの企画が「仮面ライダー」から出発していないとか、不振による明らかなテコ入れが行われ番組のカラーが変わったとか、そういった“大人の事情”トークに事欠かない作品だ。が、それを一々挙げても仕方がないので、そういった舞台裏ではなくあくまで作品が辿った足跡そのものについて語っていきたいと思う。

前作『剣』のくだりで「実はあまり職業人ドラマではなかった」と書いたが、その真逆とも言うべきド直球「職業人ドラマ」と言えるのが、この『響鬼』である。作中における「鬼」は、言うなれば「警察官」「消防士」等にそっくり読み替えてしまえるほどの職業倫理感を持った存在として描かれ、市井の人々を守って戦う背中とそれを追いかける少年というNHKドラマのような方針で固められている。例えば後年の『ドライブ』や『エグゼイド』も同じく職業人ドラマとしての色が濃いが、これらはあくまで『特捜戦隊デカレンジャー』のような「ヒーロー×特定職業」の方法論の上に成り立っている。『響鬼』は、「特定職業(=ヒーロー)」なのだ。近いようで、組み立て方は根っこから異なる。

また、完全なる2話前後編完結タイプのストーリーテリングを確立させたのも、本作と言えるだろう。と言いつつ、実は『クウガ』からずっと同シリーズは「2話前後編完結」のスタイルなのだが、『アギト』以降は割と「大まかなストーリーが2話前後編で終わったとしても“偶数回”の最後にもヒキを作って連続性を演出する」という手法が用いられることが多く、意識して観なければ「物語の切れ目」を感じることは難しかったように思える。『響鬼』はこれを完全にぶった切り、前後編をまとめて「週1で放送されている1話完結型の一般ドラマ」のように造り上げたのが面白い。もちろん、同作内にもイレギュラーな回はあったものの、この手法が更に『電王』で昇華され、後年のメインストリームになったことはもはや言うまでもないだろう。

作品のカラーが前期・後期で大きく変わったのは事実だが、後期が描いた内容は非常に丹念に前期を研究して出来たものだと感じる。というのも、例えば前期の明日夢はヒビキさんに憧れるも鬼や弟子になる決意までは届かず、善く言えば「成長期の特権とも言える悩みの時期」、悪く言えば「いつまでも白黒つけられずウジウジしている」という状態であったが、その現状に桐矢京介というキャラクターが力業で線引きしていく様は一周して爽快ですらあった。そのような、前期の同作が目指した「一から十までは語らない」という一般ドラマならではの“余白”の部分にガシガシと書き込みを加えていくような、そんな作り方がなされていたように思える。

“だからこそ”、後半になって作品のカラーは変わったものの、行き着く先というか、終着点は実は前期が目指したものと大きく逸れた訳ではなかったのでは、とも感じるのだ。「明日夢は鬼にはならないけれど、ヒビキさんの人生の弟子」というオチそのものは、この上なく序盤で描かれたふたりの関係性を尊重したものだったと言えるだろ。





響鬼のスーツに用いられたマジョーラは後年の『カブト』にも使用されるなど、その特異な外見と色合いはインパクトが非常に大きかった。どこが目かもよく分からない上に、何色かもパッと見では答えられない(光の当たり具合で変化するため)。もちろんヒーロー然としたストレートなカッコよさも持ち合わせてはいない。割と今でも本気で「よく“これ”でいったなぁ…」と感じるデザインだが、ある種の“隊服”としてのストイックさと神秘的な異形さを兼ね備えた、この上なく唯一無二のものであった。

『響鬼』は高寺プロデューサーが手掛けた作品だが、『クウガ』における病的なまでのこだわり・作り込み・練り込みは本作でも健在であった。前述のマジョーラも莫大な予算が注ぎ込まれたというし、屋久島でのロケもかなり意欲的な試みだ。それまでのシリーズでは劇場版でお馴染みだった「大型CGクリーチャー」が2週に1回出てくるのにも驚いたし、バイクに乗らないしベルトで変身しないし「変身」の発声も無いしで、何ならシリーズでもトップクラスに「仮面ライダーらしくない」仮面ライダーだ。しかし、その「らしくなさ」というのは俯瞰して見ると違う形で『クウガ』や『龍騎』も挑んできたことであり、まさに「不揃いという統一感」のスピリットを継承した一作だったとも言える。

「鬼になるということは、鬼にならないこと」。本編終盤で、ヒビキがあえて鬼に変身せずに戦う様を明日夢や京介の目に刻ませる名シーンがある。つまりは、「変身能力を身に着ける」ことと「人々を守ること(ヒーロー足り得ること)」はイコールではないし、それは裏を返せば、「力を有することで自らを見誤ってしまう恐怖」と常に隣り合わせという問いかけでもあったのかもしれない。この後者の側面、つまり「鬼になることのダークサイドの部分」をクローズアップしてみせたのが『ディケイド』の「響鬼の世界」であり、師匠殺しと音撃セッション(ナナシ惨事リベンジ合奏)には強く感動した記憶がある。

『クウガ』も『ファイズ』も『剣』も、平成ライダーは常に「何をもって“ヒーロー”を定義するのか」という番組上避けては通れない根元的な問いかけに、その時代ならではのアプローチを仕掛けてきた。『響鬼』はある意味、シリーズ中でも最も「人」を描いた作品でもあり、「直接的にヒーロー番組をやらないからこそ、逆説的なヒーロー物語になっていた」と評するのは、いささか過言だろうか。





そんな変化球シリーズ随一の変化球だった『響鬼』からバトンを受け取ったのが、『仮面ライダーカブト』である。『カブト』を一言で表現するならば、「節操の無さ」。これはあえての良い意味でも、時に悪い意味でもあるのだけど、「とにかく面白いエンターテインメントを創ろう」という大号令のもとに節操なく色んなものをブチ込んだ作品だったなあ、と感じる。『響鬼』の“事情”が大なり小なり反映されたものとは思うが、分かりやすい昆虫モチーフを思いっきり赤いボディで打ち出し、『アギト』のような群像劇・『龍騎』のようなライダーバトル・『ファイズ』のようなメカニカルでかっこいいギミックの数々で彩るという、言ってしまえば割と「ズルい」組み上げ方となっている。

…などと書くとどこか貶しているようにも取られかねないが、この「節操の無さ」はすこぶる「平成ライダー的」であるなあ、と思うのだ。前述した「平成ライダーのフォロワー」として、『カブト』は非常に面白い立ち位置にある。今になって振り返れば、次作『電王』がまるでアニメのようなキャラクター造形を盛り込んで大ヒットした前段階として、天道や神代といったある種“記号的”な人物造詣は、実はそれまでの同シリーズではあまり用いられてこなかった手法でもある。『クウガ』以降ひとつの面として存在していた「リアル調における“フィクションらしさ”の脱臭」というニュアンスの上に、非常にフィクショナルなキャラクターを配置することで発生する新種の化学反応。この絶妙な食い合わせの悪さが一転し、唯一無二の『カブト』の魅力としてエンジンをふかしていくのだ。

「ジャンプ漫画はとにかく主人公の魅力!」とでも言うような、他に類を見ない牽引力を備えた人物造詣。ストーリーそのものというより、キャラクターの存在感や行動原理で物語を転がしていく手法。「過去の平成ライダー」を受け取っていった結果、出来上がったものが「従来の平成ライダーとは少し異なるもの」に仕上がったという、その陣形のバランス感覚がそのままストーリーの組み立てにも反映されているような…。そんな『カブト』は常にガヤガヤと賑やかで、しかし決めてくれる時には供給過多くらいにキメッキメに決めてくれる。「結局アレは何だったんだ」とか「その勘違いや誤認はちょっと無理があるだろ」とか言いたいことが無くはないのだけど、やっぱり何度も観てしまう面白さに満ちている。

世代的にも『ビーファイターカブト』が大好きなので、ストレートな昆虫モチーフ+多彩なメタリックボディというゼクトライダーズの佇まいにはとっても「そそる」ものがある。また、「サナギマンからイナズマン」を踏襲した脱皮システムは、レベルアップという形で『エグゼイド』にも受け継がれているように感じる。単純に、変身が2度あると楽しいのだ。また、クロックアップは言うまでも無く『サイボーグ009』の加速装置であり、同作の「結晶時間」というストーリーが『ディケイド』「カブトの世界」に活かされたのも面白かった。ベルトといい、フィギュアといい、今もなお大人にも人気のあるディテールは、やはりストレートな訴求力を兼ね備えていたのだろう。ゼクトマイザーというものもあったような気がする。

前作『響鬼』を「人の物語」とするならば、『カブト』は「家族の物語」と言えるのかもしれない。主人公・天道総司は、祖母に叩き込まれた人生訓に沿って“2人”の妹を守る戦いを続けていく。劇場版とのベルト入手の整合性がグラついているのは本当に惜しいなあ… と思いつつ、その壮大な「愛」の物語は、まさにGODなSPEEDでLOVEなのだ。また、個人的にはシリーズでもトップクラスに耽美的な物語に感じている。





そして、この激動のシリーズ時期にひとつの「答え」らしきものを叩きこんだのが、シリーズ8作目となる『仮面ライダー電王』である。その大ヒットっぷりはもはや説明不要なほどで、『電王』を機に劇場版の年3回公開が安定していくという、平成ライダーの巨大コンテンツ化に大きく貢献した作品である。(下表は、2年前に書いた記事『仮面ライダー4号にみる“THE”シリーズ復権の兆し ~東映・白倉伸一郎の思惑を量る』からの引用)





電車に乗って旅をして鬼と亀と熊と竜と戯れながら時を超えて攻めて来る未来人種と戦いを繰り広げる… という、どう考えても意味不明なパズルの組み合わせなのだが、これが見事なまでのエンタメ作品にまとまってしまっているのは、『龍騎』を手掛けた白倉プロデューサー×小林靖子脚本の強力タッグの為せる技だったのかな、と。よくもまあ、こんな奇天烈かつ奇想天外なものを作ったな、と当時は驚きっ放しだった記憶がある。それでいて、「イマジンは特定の現代人の望みを曲解して叶える」という設定が「ゲストの問題を解決する主人公」という構図を生み出し、この作劇上の大発明がその後永らくシリーズに応用されていったことは、もはや言うまでもないだろう。

『アギト』以降常に3人以上の仮面ライダーをレギュラーとして登場させてきた本シリーズにおいて、『電王』はそれを2人に絞り、人格交代で分岐させるという手法を採用した。これにより、群像劇要素を薄め、代わりにゲストの悩みや人生に尺を割くことが出来る。これに限らず後年に受け継がれた要素は非常に多く、デンライナーという大型CG演出玩具や多種多様な音楽展開(PVまで製作)、映画で後日談を描く手法や陽性で笑って少し泣ける物語のテイストなど、『アギト』に準ずる「シリーズの祖」たる作品とも言える。

今でこそ『ディケイド』を境に「一期」「二期」という表現が用いられ、その作劇の変化や玩具販促の側面が語られることが多いが、実はそれほどハッキリと変化した訳ではない、と私は考えている。むしろグラデーションというか、『カブト』が取り入れた記号的なキャラ付けと演出による牽引力が、より精度の高い形で『電王』にて完成し、それが塚田プロデューサーの『デカレンジャー』手法により作られた『ダブル』に集約され… といった感じだろうか。それは、そもそもの『クウガ』や後の『響鬼』が紡いだ2話完結方式や、『龍騎』や『ファイズ』がヒットを飛ばしたプレイバリューの高いギミック&戦闘演出など、歴史とノウハウの積み重ねがあってこその“集約”であると言える。そのひとつの雛型とでも言うべきか、「集約への道筋」を太くしたのが、他でもない『電王』だったのではないだろうか。

モモタロスをはじめとするイマジンたちが実際のおとぎ話をモチーフにしていることは有名な話だが、それが関連するかしないかはともかく、『電王』本編も非常におとぎ話チックな物語を紡いでいた。同時に、小林脚本における丁寧な人物描写とロジカルな構成も相まって、『アギト』『ファイズ』の井上脚本とはまた別種の「ミステリーのヒキ」が魅力的であった。時を超えた先で必ずニアミスする桜井さんが、実は敵の目的そのものであった(=なのでニアミスすることは必然だった)というアンサーには大いに膝を打った記憶がある。また、それまでの劇場版では恒例だった「本編とのパラレル」という土壌を崩し、更にはクライマックスフォームの誕生背景は劇場版を観ていないと完全補完が出来ない、という構成までやってのけてしまった。意欲的ながら、がっちりと脇が締まっており、隙が無い。

そう、『電王』は本当に隙が無いのだ。今でこそ「あの頃はすごかった」といったどこか破天荒な印象に偏りがちだが、TVシリーズ本編の純粋なクオリティは相当なものである。前述のようなシナリオをはじめ、精神的にはすでにレベルMAXだった良太郎の人間的な成長物語としても、よく出来ている。『カブト』とはアプローチの異なる「家族の物語」でもあったし、『ドラえもん』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のようなタイムスリップ物の面白さも内包している。いわゆる「イマジンコント」の部分で好みが分かれる部分はあったと思うが、私は当時自分でも驚くくらいにハマっていた。CDも、当たり前のように全部買っていた記憶がある。





そして、実は『電王』は『ディケイド』よりも先に世界を破壊して繋げていた訳で、それが当初OVで計画されながらも劇場公開にまで拡大した『劇場版 仮面ライダー電王&キバ クライマックス刑事』である。この映画の予告カットで電王とゼロノスとキバが並び立っていたのは物凄い衝撃であり、(一部のサービスビデオ等を除いて)これまで絶対に交わることの無かった平成ライダー作品の境界線が遂にぶち壊された瞬間だった。この『電王』が残した「平成ライダーも垣根を越えての共演OK」という実績が、後の『ディケイド』で盛大なお祭りへと発展するのは、更に1年以上後のことである…。


※※※


『剣』『響鬼』『カブト』『電王』の4作は、それぞれが目指したものがそれ以前の作品以上にバラバラであり、しかし、その全ての試みがヒットしたかと問われれば、『ファイズ』以前の作品ほど結果を残せなかった時期に相当するのかもしれない。しかし確実に、何度も書いてきたように、この時期の試行錯誤はハッキリと後年に受け継がれているし、“ここ”を通過したからこそコンテンツとしての体力がついたような印象すらある。

この後「平成仮面ライダー」は、『ディケイド』を経ての玩具バブル時期に突入し、『クウガ』から根底にあった「挑戦の意思」が違うニュアンスを持ち始めるのだが、それはまた第三弾以降の記事で語っていきたい。

『キバ』から、『オーズ』もしくは『フォーゼ』辺りまで、【さようなら平成仮面ライダー】第三弾は近日更新予定。


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
人間から人間が出てきて“それ”を育てるということ
【初塗装体験記】ミニプラ『キュウレンオー』(宇宙戦隊キュウレンジャー:キュータマ合体シリーズ01)
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である
『仮面ライダーエグゼイド』はいかに計画的に九条貴利矢を散らせたか

【カテゴリー別全記事一覧】 YU@Kの不定期村~ウェルカムボード (常時最上部表示)

$
0
0
YU@Kが不定期に発信する趣味ブログ(主に映画や特撮など)。【はじめての方はこちら










【寄稿・お仕事実績】(詳細)

株式会社洋泉社『別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.5』田口清隆監督&「ウルトラマンオーブ」紹介コラム
特撮研究室Q『流星キック NEO』「まだ何者でもない大学生に贈る推薦特撮」
株式会社洋泉社『映画秘宝EX 最強ミステリ映画決定戦』マイミステリ映画ベスト10&名場面
株式会社洋泉社『別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.4』「ウルトラマングレート」「ウルトラマンパワード」「進撃の巨人」作品解説
株式会社洋泉社『別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3』「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」作品解説
株式会社WATCHA『映画レビューアプリ WATCHA』紹介記事


【 カテゴリー別 全記事一覧 】 (雑記・特撮・映画・ドラマ・漫画/小説・ゲーム・アニメ・提言)



このブログについて(初投稿記事)
岩手県外でわんこそばを食べる方法はたった1つしかなかった
吹奏楽界に激震走る!長崎県の活水高校を指揮する藤重佳久先生、就任からわずか5ヶ月で全国大会へ
アラサー男子は福山雅治の長崎稲佐山ライブでイケメンオーラに溺れ挫かれ人生を憂う(大創業祭2015.8.30)
男はポジティブに熱心に「結婚できない理由」に沈んでいくのかもしれない
…etc.【雑記】カテゴリー記事一覧ページはこちら




仮面ライダー4号にみる“THE”シリーズ復権の兆し ~東映・白倉伸一郎の思惑を量る
なぜ特撮ファンは毎年春の大戦映画を観に行きまた同じように憤るのか
「特撮映画」として、実写映画「進撃の巨人」を徹底解説する
【総括】仮面ライダードライブが体現した平成ライダーの限界とはなにか
仮面ライダークウガという呪縛
…etc.【特撮】カテゴリー記事一覧ページはこちら




なぜ「セッション」のラスト9分19秒は素晴らしいのか? ~血とビートの殴り合い、恫喝の向こうの涙
2015年上半期 新作映画マイベスト5は「狂気」のラインナップ!(全23作品レビュー&ランキング)
「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」は駄作でも傑作でもない
三谷幸喜ファンがネタバレ込みで「ギャラクシー街道」の地獄をとことん解説する
やっぱり、「パシフィック・リム」なんですよ。
…etc.【映画】カテゴリー記事一覧ページはこちら




古畑任三郎ベストバウト!“外せない名勝負”はこれだ!
総括レビュー「きょうは会社休みます。」 ~花笑と田之倉君に我々は何を見ていたのか
月9「デート」の高度なネット民煽りに痛快さを覚える人々 ~隠された歪な構造とコーティング
【1~3話】「エージェント・オブ・シールド」(シーズン1)感想&レビュー ~ヒーローはいるけどいない
「相棒season13」最終回、甲斐享卒業に思うこと。 ~製作陣の正義を問う!
「踊る大捜査線」とキャラ萌え理論
凡人の月はむしろ良改変!「デスノート」ファンが主張するドラマ版に期待したい4つのポイント
週刊デスノーザー(ドラマ版「デスノート」全話レビュー&解説連載)
傑作「古畑中学生」にみる三谷幸喜の脚本術
ファンの嘆きとフジテレビの思惑。テラスハウス新作のNetflix有料配信は客層とマッチしているのか?
【総括】この感想も今日だけの。ドラマ「掟上今日子の備忘録」と自分だけの隠舘厄介
窪田正孝主演 ドラマ版「デスノート」とは一体何だったのか【週刊デスノーザー増刊号】(サンプル)
ドラマ「ダメ恋」最上くんはこのまま負け戦でいいのかよ!!!!!!ディーンは独身貴族よろしく!!!




"マンガ"を書いてみよう!はじマン「雪だるまが話した」
思い入れの強いおすすめ小説10冊を紹介する ~ライトブックラバーが全方位向けに選んでみました
切札勝舞らが漫画「デュエル・マスターズ」で使っていた思い出のMTGカード11枚
漫画のウソは音楽のホント。「SOUL CATCHER(S)」が魅せるバトルファンタスティック吹奏楽!
「進撃の巨人」として、実写映画「進撃の巨人」を徹底解説する
【総括】「NARUTO」全73冊+映画2本+傑作「BORUTO」を完走したので1万字かけて感想を語り尽くすってばよ!
絵本が語る少年の性欲。怪獣「トリゴラス」はなぜ街を蹂躙するのか
ジェンダー地雷原を裸足で歩き続ける漫画、「ヒメゴト~十九歳の制服~」
俺は「遊☆戯☆王リアルタイム世代の熱い思い出」を召喚!ドン☆ (サンプル)
取り返しのつかない告白。私はこんな推理小説・ミステリーが読みたかった
自作短編小説『親友死後の午前業務』
茶化された復讐劇の先に『ファイアパンチ』。映画監督トガタは何を目的としたキャラクターだったのか




1988年生まれが綴るキーチェーンゲームメモリアル
スパイダーマンとガイガンの夢のコラボ!「The Dance of Spiderman」を遊び倒せ!
「ドラクエもFFもやったことないのは人生損してる」なんて軽々しく言わないでくれ
4年経っても色褪せない初音ミクの名曲「FREELY TOMORROW」
『ポケモンGO』が流行った理由は、体が頭が知っている
『遊戯王デュエルリンクス』をプレイすると泣きそうになる。僕はまだ決闘者であることを許されている。
【ネタバレ考察】『ニューダンガンロンパV3』の結末は至上の“ダンガンロンパ”である




とりもどせ、“あの頃”を!「鋼の錬金術師 Blu-ray Disc Box」購入レビュー
なぜ「妖怪ウォッチ」のDVD-BOXはたったの5,000円で買えるのか
YU@Kの「魔法少女まどか☆マギカ」初鑑賞実況の記録
月にロンギヌスの槍を刺すより肩を揉んであげて欲しいと思った話 ~宗教面への配慮とどう向き合うべきか
懐かしいぜ!東映版アニメ「遊☆戯☆王」ホームページで思い出に浸ろう! ~90年代の遺産と闇のゲーム!
「乱歩奇譚」のハシバがコバヤシに赤面する描写には何の意図があるのか
ラノベアニメの長文タイトル化は本当に進んでいるのか実際に調べてみた
「ルパン三世(2015新シリーズ)」が満たす3つの要件、その腰が抜ける面白さを語る





ネットで批判する時に気をつけたい5つのポイント ~あなたのすぐ後ろにいる「敵」と「不利益」
ネットや世間が何と言おうと俺はマクドナルドを食べ続けたい
どうして「体育の授業」のおかげでスポーツが嫌いになってしまうのだろう
「ブロガー」であり「アウトプッター」として ~50万PVに届くブログの育て方
なぜ彼氏や夫はパートナーがいながら「エロ本」「AV」を隠し持つのか? その理屈と男女の認識差を解説する
…etc.【提言】カテゴリー記事一覧ページはこちら


■Twitterログ貯蔵
過去ツイートログ
…パスワード tw をご入力ください。(半角小文字)


▼加筆修正+新作=21編収録の電子書籍『THE BEST』(0円)、発売中!

ブログを引っ越し(リニューアル)しました

Viewing all 177 articles
Browse latest View live