こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
「犬を殺された男が殺す」。文字にすればこのたった10文字で説明できてしまう映画、キアヌ・リーブス主演兼製作総指揮作品「ジョン・ウィック」。公開から半月遅れでやっと鑑賞してきました。結論から言うと、この上なく好みドンピシャ。最高of最高。ガンアクションと柔術の華麗な組み合わせを50歳のキアヌ・リーブスが全身全霊で魅せる!とにかくそのアクションの完成度が高く、私の横で観ていたキアヌ同世代らしきおっちゃんも思わずポップコーンを床に落としてしまう大興奮っぷり。
もちろんアクションは最高でそれだけでも数千字レビューを書けるとは思うんだけど、ネットの感想を観ると意外とストーリーを掘っている人が少ない印象。そりゃあ、冒頭に書いたように「犬を殺された男が殺す」“だけの”ストーリーで、「やっちまえキアヌ!」「いけいけドンドン!」で全然問題ない作品なんだけど、個人的にはこの物語、最高のバッドエンドなんじゃないかと。私の好みの路線で言うと、昨年の「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」枠なんです。ということで、この記事ではその辺を徒然と書いてみようかな…。
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…とは言いつつ、すみません、すみません、まずはアクションの話をさせて!だって語りたいじゃん!もうね、あのジョンの銃さばきが本当にかっこいいったらありゃしない。そもそもオールバックでヒゲでダークスーツで全身に銃器完備ってだけで最高にキマってるのに、そんなジョンが綿密に組み上げられたロジカルなアクションを繰り広げるんだから目が離せない。銃=遠距離、という安易なイメージをまさに撃ち抜くような近接アクションの組み立てが本当に素晴らしい。脇を締めた構えと眼光、必要であれば弾数を打ち込むが決して無駄撃ちはしない、ヒット&ウェイで柔術や体術を織り交ぜる緩急のある動き、やられてよろめく敵の脳天を逃さず撃ち抜くプロの流儀、その全てがとにかく「痺れる」。
一対多の戦闘において、例えば敵を投げ飛ばしてガラス窓にバーンさせたら普通なら次の敵に移行していく。しかしジョン・ウィックの場合は、ガラスの破片の中で敵が麻痺している一瞬のタイミングで弾倉を換装し、すかさずトドメの一発をドン。しかもこの時にやられる敵がワンカットも映らない(“仕事”をこなすジョンのアップで処理)。この職人技が素敵過ぎて、キャッチコピーの「見惚れるほどの復讐」が全編にわたってまさにドンピシャ。黒に黒を当てるライティング、家具を使っての一瞬の駆け引き、ブレずに位置関係を明確に捉えるカメラワーク、スローモーションも早回しも無い堅実な観せ方、どこを切り取っても「これがキアヌ・リーブスの新しいアクション映画だ!」という気概に満ち溢れている。
銃の構え方がピタッ→ピタッ→ピタッと30度ずつ狙いを変えていく動きであったり、無駄のない機械のようなプロの動きに心底惚れ惚れ。しかし裏社会から退いた数年のブランクのためか、残弾数把握をミスったり防弾チョッキの上からかなり撃たれたり割と普通に取っ組み合ってピンチになったりと、そのアンバランスさも面白い。何よりジョン本人が「ちくしょう!体がなまってやがる!」と悪態をつくような表情を一瞬だけ見せたりする。しかし引退後も極めていたドライビングテクニックを駆使してのアクションは全くミスが無く、敵を後方に轢き上げてルーフ越しに車内から蜂の巣にするシーンなんかは心の中で拍手喝采。高級車がここまでエンジン音を掻き鳴らす映画も久々に観た気がする。
…ということでひとしきりアクションについては書き置いたので、以下は本題のストーリーについて。(ここから本編のネタバレがあります)
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劇中のジョンがロシアのマフィアを一網打尽にする動機は、「犬を殺された」から。じゃあなぜ「犬を殺された」“程度で”(あえてこう書く)怒っているかというと、それが亡き妻からの贈り物であり形見だったから。時系列順でいくと、裏社会で伝説の殺し屋だったジョンは、愛する女性と出会い殺し屋から引退、後に結婚。しかし妻は病死してしまう。その妻が生前手配していた犬が届き、ジョンはその犬と数日を過ごす。その後チンピラ車泥棒らに強盗に入られ、その際に犬が殺されてしまう。犬はジョンにとってもはや単なる“犬”ではなかった。だからこそ、ジョンは現役時代の武装を掘り起こし、復讐劇を開幕する…。
でも私が思うに、これって実は、犬は犬じゃなくても良かったのではないか。いや、犬は大事、ある意味「妻の化身」としてこの上なく大事なのは確かなんだけど、実は物語の焦点は“そこ”ではなく、「ジョンが裏社会に舞い戻る」事態そのものなんじゃないかと。
そもそもジョンはあれほどのスキルを持っているし、生ける伝説のように語り継がれているのだから、相当裏社会に濃く在籍していたはず。そんな中で「愛する対象」である妻と出会い、引退する。しかし、中盤のマフィアのボス・ヴィゴの台詞にもあったように、「世界はお前を追いかけてくる」。結局ジョンはまた裏社会と大きく関わってしまう。「愛する対象」を得てやっと背を向けられた空間に、舞い戻ってしまったのだ。演出的に、妻との日々も半ば夢のようにしか描かれず(ちょっとのシーンとスマホの動画程度)、ひたすらアクションをするジョンばかりが観る側の脳裏に刻まれる構成になっている。そうなると、うっすらと感じてくるのが、「もしかしてジョンは、裏社会の方がイキイキと生きられるのでは?」という疑念。
生活感の無いモデルハウスのような家で、妻を失い、犬を失い、長年の親友まで失った男が、引き続きそこで生きていくのは本当に幸せなのだろうか。一方の裏社会では、殺し屋御用達ホテルの従業人にも、掟の番人にも、死体処理業者にも、挙句には警官にまで慕われている。彼がその身を置くのに相応しいのは、果たして“どっち”なのか。もしかして裏社会の方が彼にとっての“正解”ではないのか。
亡き妻から贈られた犬と手紙。その文面には、「あなたは何かを愛した方がいい。車はダメよ」というジョンを心配する妻の声が綴られていた。妻はもしかしたら、分かっていたのではないだろうか。何かを愛する、「愛する対象」という、ある種の言い訳であり大義名分が、ジョンを裏社会に戻さないための理屈だったと。「愛する対象」があるから、彼はあの世界に背を向けられる。それは妻だったし、彼女を亡くしてからは犬だったし、引退後も身を案じてくれた親友だったのではないか。
この「ジョン・ウィック」は、決して中盤から友情物語にすり替わっていくようなガタガタな構成などではなく、ジョンが「愛する対象」(言い訳・大義名分)を順々に失っていき、もはや「裏社会に戻るしかない」という精神的な四面楚歌に追い込まれるという大きなフレーズなのではないだろうか(だから結局愛車も戻ってこない)。ジョン自身も、果たして最後の方は本当に犬を殺されたから怒っていたのだろうか。もはや手段と目的が曖昧になり、「ドラ息子を殺す」ことが半ば目的になってはいなかったか。そうやって、現役時代の裏社会の“におい”を、また彼自身が否が応にもその身から嗅ぎ直してしまったことが、この「ジョン・ウィック」の物語のキモに思えるのだ。
そう考えると、現役を引退しても顔パスな軍事施設で車を豪快に運転する様は、どこか忘れられないスリルを求めていたとも思えてくる。まるでニコチン中毒者が電子タバコで自分を誤魔化すかのように。ブランクでなまった体に鞭を撃ちながら、ギリギリの戦いを切り抜けていく彼は、そこに充足感を覚えてはいなかったか。それでもジョンは度々「この仕事だけ」「一時的な復帰だ」と自分に言い聞かせ、“自身にとって恵まれた環境”である裏社会からまた目を背けようとする。最後の最後には犬を盗み、新しい「愛する対象」という言い訳を手に入れ、一生懸命自分を誤魔化して夜の街に消えていく。それは妻への義理立てもあるだろうし、甘んじてしまいそうな自分への戒めなのかもしれない。
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裏社会は明暗で言えば“暗”だし、そうであるならばジョンが妻や犬と暮らしていた世界は“明”だ。しかし、彼の本能は、実はそれを逆に捉えていたのではないか。彼にとっては裏社会の方が“明”であり、過ごしやすく幸せな空間なのかもしれない。周囲の人間も、センスも、本能も、環境も、得手不得手も、実はそっちを指さしている。その“におい”を数年ぶりに嗅いでしまったジョンが、「いかんいかん」と首を横に振る。それが、私の感じた「ジョン・ウィック」なのだ。
だから、「犬は犬じゃなくても良かったのではないか」、であり、それは単なる象徴とひとつのきっかけなんじゃないかな、と。犬を殺されて復讐に燃えるジョンの瞳に、たった1%ぽっちも「これでまた暴れられるぞ」という“言い訳”は無かったと、私にはどうにも断言できないのだ。彼の天性と本能は、あの無機質で白い家にはそぐわないだろうから。
最後の雨の決闘で、「愛する対象」である親友を殺した相手からのタイマンの誘いをあえて受けるジョン。本当に復讐だけならそこで一発撃って終わりなのに、あえて銃を手放してファイティングポーズを取る。彼には裏社会のルールや矜持が骨の髄まで染みついているし、今回の一連の出来事でそれがまたジワジワと表面化してしまったことだろう。すでに一度空いた傷口にナイフを誘い込み、腕を折ってそれをを奪い取る。そんな芸当がギリギリの状態で出来るのも、彼が生粋の“そっち側”であることの表れに見えてくる。
ズタボロの状態でスマホの妻の動画を見て、新しい犬を盗み出し、何度も自分に言い聞かせて“暗”に留まる。それはジョン自身にとってはバッドエンドかもしれないし、俯瞰して作品全体で言うならメリーバッドエンドだ(視点を変えればハッピーにもバッドにもなる)。何度も書いているが、私には彼がこのまま裏社会に舞い戻った方が何倍も幸せだと思えてならないのだ。殺人すらも肯定してしまいそうになる美しいアクションは、彼の立ち位置と本能の描写にまで、繋がっていたのではないだろうか。
要は、「テスト勉強しなきゃいけないけど漫画読んでる方がめっちゃ楽しい」の超絶かっこいい版だ。ジョンは漫画を読みたい欲を抑えて、必死に机に向かう。そっち(漫画)の方が楽しいと分かっていても、意固地に背を向ける。そんなフラフラとした生き様が、私には心底魅力的に見えたのだ。
本国では続編の撮影がもう始まっているというが、一体どういうストーリーになるのだろう。前日譚としてヴィゴが語っていた「裏社会から抜けるためにやった無理難題と思われたミッション」か、または新たな動機を得てまた明暗を彷徨い出すジョンを描くのか。どちらにせよ、あまりにもダサいフォントのロシア語字幕だけは次は勘弁願いたい。
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