Quantcast
Channel: YU@Kの不定期村
Viewing all articles
Browse latest Browse all 177

ネットはあくまで主観のスクランブル交差点でしかない

$
0
0



こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

「今や、誰もが気軽にネットで情報を発信できるようになった」 …という一文ですら食傷すぎて吐き気を覚えるくらいに、多くの人の目の前にはそれができる環境が当たり前に整っている。SNSが最も間口が広いと思うが、私のようにブログを書いている人も沢山いる。十数年前はどこか「リアルの人」「ネットの人」の間には壁があったように感じているが、最近ではほとんどが二足のわらじではないだろうか。リアルとネット、その双方で多くの人と関わって生きていく現代人。

ネットの総人口が増えてきて、それに伴い色んな属性の人も増えてきた。その昔2ちゃんねるでは「半年ROMれ」という文句が常習化していたが、これほどまでに偉大な文言もないよなあ、と痛感する。ネットも結局はコミュニケーションのひとつであり、電子の海だからと言って他人に無礼を働いても良い理屈はどこにもない。“あっち”のディスプレイの向こうにも確実に人がいるのに、文字だけのインファイトの殴り合いにおいてその常識はしばし忘れられる。「半年ROMる」ことでリアルとはまた少し距離感の異なるネットのコミュニケーションを肌で覚えるのが重要なのだけど、昨今では余りにも間口が広くなりすぎてROMる暇もありゃしない。そうやって、「クソリプ」は生まれ、「炎上」が栄える。

私のブログではコメント欄を公開しているし、Twitterで引用されて呟かれることも多い。基本的には「自分のブログが読まれている」という承認欲求温泉に肩まで入れるので大歓迎なのだけど、ごくたまに、その温泉に重火器を持って飛び込んでくる人がいる。「湯加減が良くない」とか「景観がまだまだ」とか、そういう指摘や批判ならむしろどんどん欲しい。勉強になる。しかし、迷彩服を着こんでいきなりダイブしてきて、温泉の中で銃を乱射する人がいらっしゃるのだ。

例えば映画のレビューを書いた記事に、「その解釈は違いますよ」というコメントが飛んでくることがある。「その解釈は違いますよ!正しくはこうです!以下~~」。なんてこったい。びっくりだ。その“正解”を断言できるのは基本的には作り手のみである。あなたも、そして私も、「自分の解釈」を挙げているだけに過ぎない。なのに、その手の人は自分の解釈が絶対的な正解だと信じ込み、違う者が温泉に浸るのを過激に嫌ってくる。解釈が分かれるのは往々にしてあることだし、特に映画なんてのはそうでなくっちゃあ面白くない。それならそれで、「“私は”こう解釈しましたが」と、そういう表現を用いることはできないのか。

ネットに自分の情報を発信するということは、つまり絶対に「主観」からは逃れられない。ただデータや事実を列挙するだけでも、それをどうセレクトするかという「主観」が多くの場合で混じってくる。私が映画のレビューでどれだけ「〇〇な映画だ!」「××な解釈だ!」と書いても、それは全て「~と、私は思う」であって、そしてその「~と、私は思う」は当たり前すぎる前提なのでわざわざ書きはしない。しかし、「書いていない」と「考えていない」をイコールで結んでしまう人が絶えないので、その人は自分でも気付かぬうちに迷彩服を着こんでしまうハメになる。


「このブログに書いてあることは全て筆者の主観であり、誰かに押し付ける訳でも、万人に対して断定するものでもありません。しかし、(これもまた私の主観において)定性的・一般的な語り口になる場合もしばしばあります。その場合も、どこまで行ってもあくまで個人のひとつの意見であることは変わりません。同時に、意見や解釈の違いによる批判は常に歓迎しております」


私は、この170字が「書かずとも当たり前の前提」だと思っているし、だからこそわざわざ書いていない。本当は全てのブログ記事の文頭に赤文字で載せておきたいくらいだ。よく「批判」と「中傷」を同じニュアンスで捉えている人がいるが、ネットにおける「批判」はあって然るべきだし、その主観の交差がなければ何も発展しないし進まない。決して、「批判を飛ばさないでくれ」と言っている訳ではない。「批判のピントがズレすぎている人がいる」ということを言いたいのだ。

こんなものはわざわざ明文化しなくても、「半年ROMれ」ば自然と身に付く。ネット文化に浸っていれば次第にその泥仕合を俯瞰して見られるようになる。しかし、これもまた当たり前なのだが、「半年ROMれ」と言われてそれに実際に従った輩は“昔の私を含めて”あまりいないのではないか。大なり小なり迷彩服を着た経験があって、それが「ネット中二病」としていつの日か黒歴史化する。顔を真っ赤にしてキーボードを連打した記憶を抹消したくなるのは、私だけではないはずだ。

だから、こんな話は一生解決なんて望めない。誰だって最初の頃は迷彩服を持ち歩くし、むしろ最初から最後まで「その手の泥仕合」に参加せずリアルとほぼイコールなネットコミュニケーションを過ごす人もいるだろう。前述の170字は、いくら頭で理解していても肌感覚で覚えなければ意味がない。次第に、ネットなんて結局はリアルと一緒で、“色んな人”がいるんだと、じわじわとそれが染み込んでいく。その“色んな人”の“色んな面”が、リアルより少しばかり(?)表面化しやすい。要は、ただそれだけなのだ。「主観」が大量に行き交うスクランブル交差点で、肩がぶつかった人にいちいち怒るのか、それを俯瞰で捉える視点を養えるのか。

答えも結論もないこのダラダラとした文章が、もしどこかの誰かの「肌感覚」完成の最後のピースになれれば、今日も気持ち良く温泉に入れることだろう。


※映画・特撮の感想(レビュー)など、全記事一覧はこちら
【Twitter : @slinky_dog_s11 】【はてなブックマーク : slinky_dog_s11 】【LINE : @fgt3013f

【過去記事】
仮面ライダークウガという呪縛
0円電子書籍の「サンプル版11.11」を公開しました(ブロガートライアル05)
「ルパン三世(2015新シリーズ)」が満たす3つの要件、その腰が抜ける面白さを語る
【考察】「ジョン・ウィック」の生き様は果たしてバッドエンドか否か

Viewing all articles
Browse latest Browse all 177

Trending Articles