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「フォースの覚醒」のライトセーバー戦は“もっさりだからこそ良い”のではないか

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

「スター・ウォーズ フォースの覚醒」についてちょっと辛辣に書かれているレビューを見付けた。私はめちゃくちゃこの映画が気に入っているので最初は「何をぉ!?」と思いつつ読んだのだが、いくつかは「言われてみりゃ、まあね…」という部分もありふむふむと読み進めていたのだけど、中盤で「(今作の)ライトセーバーのバトルがしょぼい。なんなの?旧三部作のしょぼさを踏襲してんの?」と書かれていて、「いや、ちょっと待て…待て待て待て…」と思わず眉間にシワが寄ってしまった。

私はこの「フォースの覚醒」のライトセーバー戦は、この上なく“ドンピシャ”な殺陣だと感じていて、それは演出としてもそうだけど、何より過去6作を踏まえた上てそのどれもを蔑ろにしない進化の形になっていたからこそ、感動を覚えたのだった。先のレビューに反論という訳でもないのだけど、私の思う「フォースの覚醒のライトセーバー戦めっちゃ良くないですか!?」という部分について、良い機会なので書き置いておきたい。


※※※


そもそも論として私が過去6作のライトセーバー戦をどう解釈していたか、という部分からになるのだけど、とても大雑把に分けるなら、旧三部作は「もっさり」、新三部作は「スタイリッシュ」だと感じている。まあちょっと待ってくれ。その発動させたセーバーを収めるんだ。別に旧三部作を貶したい訳じゃない。ご承知のとおり製作された順番が456123なのだから、その順に映像技術も魅せ方も格段にレベルアップしていく。新しいスタイルが確立されていく。これは何もスター・ウォーズに限らず、長期シリーズの映画ではよくあるというか、「前があったからこその魅せ方だよなぁ」というのはおそらく作り手も受け手も頻繁に感じることだと思われる。





だからこそ相対的に、新三部作は跳んで回って振り回してのスピード感抜群の傾向が強くなり、旧三部作は“比べると”どこか「もっさり」とした動きに観えてしまうかもしれなくなった。正直今だから言うけど、EP4を初めて観た時のオビ=ワンとベイダーのセーバー戦は、ぶっちゃけちょっと「しょぼ」って思った。スター・ウォーズに手を出すのが遅かったし、それまで割と近年のアクション映画を好きで観ていたので、「動き遅いし大ぶりだしあんまりカッコよくないな…」というのが本音ではあった。まあ、1977年の映画にぶつくさ言ってるのがそもそもおかしい、という話ではあるのだけど、目の慣れって存外恐ろしくてね…。

だから、456ときて初めて1を観た時に、「こ!これだ!これが俺の観たかったライトセーバー戦だ!」と興奮したのも、正直な感想。ダースモールとの戦闘はスピード感もハラハラ感もケレン味も抜群で、だからこそEP1は世間で言われているより断然好きな作品だ。完全なる後追い組なので古参ファンからの評価は存じ上げないが、個人的な好みは新三部作のスピード感とプロ感のあるセーバー戦“だった”。プロ感というのは演舞的な動きのことを指していて、敵の前であえてクルクルとセーバーを回した後にバッと構えを取ったり、むしろEP3のクライマックスはオビ=ワンもアナキンもクルクルバーンみたいな演舞対決の“魅せる”動きが多く、ジェダイの訓練や歴史を感じるその一見無駄にも思える動きこそが気に入っていた。

そこで改めて456の二周目に入ると、もちろん「もさい」という感想は変わらなかったのだけど、これはこれで新三部作とは違う魅力があることに気付いた。そもそものストーリーの作り方にもよるのだけど、旧三部作は新三部作よりライトセーバーの出番が圧倒的に少ない。EP4なんて主人公であるルークは訓練する程度でクライマックスで使ったりもしない。一方の新三部作は全編にわたってジェダイやシスの面々が日常茶飯事のようにセーバーを起動させ、その技法が彼らに普段から広く身に付いているように描写された。だからこそ、旧三部作での出番の少なさが逆にプレミア感を帯びてくるというか、ここぞ!という場面でやっとこさ「…ブゥン…ッッ」と発光すると「うぉっしゃぁぁあああああきたぁぁあああ」と拳を握ってしまう。





要はこれ、「怪獣がやっとこさ姿を現す」とか「仮面ライダーがここぞという場面で変身する」とか「クライマックスになって印籠がバーンと出てくる」とか、日本人らしいメリハリ付けの作劇なんだな、と後になって気付く。戦闘が始まる前のセーバー起動こそが、それだけでクライマックス。その重みは新三部作には無いもので(むしろこっちは無いからこそ良いと思う)、そこから「間合い」「睨み合い」といった剣道的な戦い方を当時の状況でアメリカ加工したと考えれば「もっさり」を非常に良い物として捉えられた。そう思うと一打一打のインパクトとヒリヒリ感もまた新三部作とは別のベクトルで観えてくるし、更にはEP5のルークとベイダーの戦いなんて暗所で光る二本のセーバーという武器の演出としてこの上なく“正しい”な、と。こうして、「どっちが良いとかじゃないな、どっちも良いんだな」とオタク的な納得を経てシリーズの二周目を楽しんだ。


※※※


さて、それはそれとして、ここで問題が発生する。完全なる大人の事情による製作順の流れを汲んで映像的な進化を経てきたセーバー戦だが、時系列はご承知のとおり123456だ。つまり、「過去の方がスタイリッシュで後にもっさりになった」ということになる。これは参った。逆なら飲み込みやすい。時代と共にセーバーの戦闘技法が進化を重ねたと解釈できる。しかし(「退化」という単語は本来使いたくないのだけど)、スタイリッシュから一転して「もさく」なった理屈付けは、どうにか出来ないものかと。





そこでネットで色々と見たり自分で考えたりして勝手に納得していたのは、「失われた技法」パターン。つまり時系列でいくと、新三部作の頃はジェダイがとても権力を持っていたし、組織としてかなり手広くやっていた。若きジェダイ候補生を制度として育成したりもしていた。だからこそ、それこそ演舞のニュアンスも含めた正統な「流儀」として、ライトセーバー戦闘技法は継承されていたのだろう。よって、皆が皆スピーディーにセーバーを振り回し、跳んで回ってクルクルしていた。しかし、EP3でジェダイは実質的に滅びてしまい、帝国が誕生。ここでジェダイの教えは途絶えてしまった。ルークはオビ=ワンやヨーダに教わっていくことになるが、新三部作の頃のように何年もわたって師事することは叶わなかった。だからこそ、見よう見まねも含めた独学でセーバー戦を乗り切っていった。ということで、多少もっさりしてしまうのは、そりゃ当たり前よね、と。だってちゃんと習っていないんだから。(ちなみに、オビ=ワンやベイダーは単純に歳を取ったという解釈が私の中で有力)

昔は伝統流儀として受け継がれていたが、教えが途絶え、しかし若きジェダイであるルークはフォースの才能を発揮しながら実践を重ねて自らのスタイルを確立させていった。そして!ここで!ここでやっとこさEP7「フォースの覚醒」に戻ってくるのである。もう3,000字くらい書いてるじゃねぇか!前置き長いぞ!


※以下、「フォースの覚醒」のネタバレがあります


私の個人的なセーバー戦の変遷解釈は前述のとおりだが、それを踏まえた上で、今作のセーバー戦は“ドンピシャ”だと感じたのだ。というのも、映像的には更に新三部作から10年経っている訳で、もっとスタイリッシュに、もっと洗練された、近年のアクション映画の組み立ても汲みつつ新しいライトセーバー戦を作り上げることは、そう難しくなかったはずだ。しかし、今作のセーバー戦は、適度に“もさって”いた。これ!これですよ!最高!だって時系列的には旧三部作の続きだから!むしろここでスタイリッシュにしたら、「旧三部作のセーバー戦はやっぱりダサかったよね」ってことにもなりかねない。映像的には新三部作的な戦いができるけど、あえてそれをやらない。そこにまず痺れたのだ。(レイは初心者でレンは手負いという“もっさり”をやる必然性の配置もGOOD)

それでいて、演出的には前述のEP5を思わせるような「雪原で光る二本のセーバー」という光の描写。シリーズトップクラスにエモーショナルさに満ちていて、単純に“画”として綺麗だったのが印象的だ。更には肝心な動きだが、あの時点で初めてセーバーを手にしたレイの動きの危うさ。Twitterでフォロワーの方と話した時に出てきた例えだけど、まるで素人が見よう見まねで取り出した包丁を振り回しているようなハラハラ感。剣だからもちろん斬るものだけど、時には刺すように、殴るように、ぶつけるように、あの漢気溢れるレイが一生懸命にカイロ・レンに挑む。流儀だとか技法とか演舞とか、全然関係ない。完全なる「殺るか殺られるか」の緊張感。新三部作とも、旧三部作とも違う、この「危うさと不出来さ」が、過去6作を踏まえたセーバー戦として“ドンピシャ”だと感じたのだ。





むしろ、だからこそ新三部作の時にスタイリッシュすぎるセーバー戦のアイデンティティが守られた感じもするし、(個人的な解釈ながら)セーバー戦の系譜は脈々と受け継がれていき、最終的にルークと邂逅したレイによってまた新しいスタイルに落ち着いていきそうな、そんな戦闘スタイルひとつに大河な空気を感じることができたのだ。「もっさり」も、「スタイリッシュ」も、どちらも尊重しつつ実はそのどちらでもない。だからこそ、過去作へのリスペクトが効いている。そんなセーバー戦だったのでは、と。

もちろんライトセーバーにも複数の型が存在するとかそういうのもあるんだけど、もっと大局的な部分で大きく3つの流れとして、(脳内後付けも含めた)こういう解釈だと「フォースの覚醒」のセーバー戦が最高に感じられるかもよ、という話でした。それにしてもレイがライトセーバーを手にする瞬間のエモさは本当に何度観ても堪らない…。


(その他の「フォースの覚醒」レビュー)
ハン・ソロから読み解く続三部作としての狙い。「スター・ウォーズ フォースの覚醒」の作劇チャート
【公開日深夜感想】「スター・ウォーズ フォースの覚醒」、その伝承を“認識”せよ。(ネタバレ込み)
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「ソースはWikipedia」という砂上の楼閣

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

主にTwitterなど、SNSという比較的若い世代も使っているフィールドにおいて、「ソースはWikipedia」を目にすることは少なくない。「Wikipediaに〇が×だと載ってた!知らなかった!」「だってウィキに書いてあったから」「Wikipediaを読んで勉強した」。言うまでもなくWikipediaは誰でも自由に編集できるものなので、あそこにある情報の信憑性は極めて怪しい。全てが本当かもしれないし、全てがでっち上げかもしれない。引用元が注釈で明記してあったとしても、それが本当に“そこ”にあった情報なのかを実際に確かめる人はほとんどいないだろう。

「ソースはWikipediaという文言には何の意味もない」。これもまた、すでに使い古されてきた文言だ。私のようにネット黎明期にギリギリ片足を突っ込んでいた世代はその「意味がない」ということを肌で理解しているが、例えば今の自分が10代だとしたら、おそらくWikipediaを何の確証もなく信じていたかもしれない。「信じる」というと少し語弊があって、それを「疑う」ということを考えもしなかったのではないだろうか。自分でネットを使い出した頃には体系的に情報が整理され掲載されていて、調べれば何でも出てくる。物心ついた頃から本棚にあった辞書を使っていたとして、それがもしかしたら嘘っぱちの塊だなんて考えもしないだろう。(ちなみに、Wikipediaが日本語対応したのは2002年9月とのこと。ソースはWikipedia)

しかし、「Wikipediaなんて信用ならん!」と薄っぺらく古参ぶった言動をとってみても、実際のところ私はWikipediaを毎日のように閲覧している。オタクなので、例えばちょっと昔のアニメや特撮番組の放送日程や各話タイトルを調べたくなった時などは、Wikipediaを開けば一発だ。慣れていくと、「これはおそらく正しい情報だろう」「これは怪しいな」というのが“感覚で分かった気になる”。「仮面ライダー〇×」について調べたとして、その放送日時やサブタイトルに担当監督という情報はほぼ掲載されているもので間違いがないだろう …と“なぜか確信を持っている”し、対して「このデザインモチーフは△△である」といったどこから沸いてきたか分からないファンの妄想や俗説のようなものは“おそらくデマに近いだろう”というニュアンスで読んでしまう。そこに「要出典」タグが付いていればもはや“疑うしかない”。

こんな感覚の積み上げも、全くもって信用に足りるものではない。記載されている放送日時は全部1日ずつズレているかもしれないし、関わったスタッフの名前も全部でっち上げかもしれない。パッと見で俗説のように感じたものも実は製作陣の誰かがどこかのインタビューで明言した内容かもしれないし、「要出典」タグがあるからといってそれが間違っているという訳でもない。「ソースはWikipediaという文言には何の意味もない」という心底分かっている前提の上に、我々はなぜか何の確証もなく「でもおそらくこれは正しくてこれはちょっと怪しいよな」という判断基準を持ってはいないだろうか。

一昔前には、この手のオタク情報は個人サイトに掲載されているものが多かった。個人ホームページ全盛期、今思えば拙いレイアウトばかりだったかもしれないが、そこには作った人の溢れんばかりの“網羅してやるぞ!”という信念が込められていたような気もする。アニメでも何でも、各話ごとに放送日時やスタッフを列挙しデータバンクとして貯蔵、そこに自分の感想を書き加える。キリ番報告とかいう今考えると訳の分からない文化もありはしたが、あの頃はWikipediaではなくこの手の個人のホームページから情報を得ていた記憶がある。

しかし、Wikipediaが台頭し、この手の個人データバンクは一気に廃れた。躍起になって皆がWikipediaに情報を詰め込みだし、ブログというホームページとはまた違った情報発信の形が流行り、それがSNSとなり、ネットの敷居は低くなり(誤用)、ネットに自らの城を築いてそこに情報を貯め込む者は少なくなった。いや、利用人口が増えたのだから、この“くくり”ならむしろ増えたのかもしれないが、例に挙げてきたようなオタク文化の基礎情報についてはWikipediaに集約されていった。





とはいえ、個人ホームページだから信用に足りる訳でも、Wikipediaだから間違っている訳でもなく、だからといってWikipediaが正しい訳でもなくて、つまりは「じゃあ正しい情報ってどこにあるの?」という非常に面倒な思考に辿り着くことがある。公式がネットで公表していないデータは、一体どこに“ある”のだろうか。以前、それこそ仮面ライダーのムック本を本屋で発見した時に、その巻末に全話のサブタイトル・放送日時・担当監督や脚本・登場怪人が一覧で記載されていた。「これは資料性があるぞ!」。こういうのを見るとグッと購入意欲が増してしまうのだが、非オタクの嫁さんはそれを見て一言、「それって全部ネットで調べれば足りるんじゃないの?」、と。いや、そうなのだ。そうなんだよ。確かめるまでもなく、おそらくあの一覧表の情報はそっくりそのままWikipediaに載っているだろう。99%間違いないと“何の確証もないけど”そう思う。そう思うけど…。

もっと言うと別に放送日時が正しく分かったからといって何の意味がある訳でもないのだけど、オタクだからこそ何の意味もなく「網羅しておきたい」というフワフワした欲と付き合ってはいないだろうか。かといってネットを調べれば“おそらく”正しい情報はすぐに手に入るし、一昔前のように知識量で殴り合うオタクは減ったのだと思う。実生活でも、例えば仕事で分からない事象と遭遇してもネットを開けば概要をすぐに調べることができる。そうなると、「自分の身の回りや頭の中に情報を貯め込んでおく」ことの意味って、何なんだろう、という気にもなってくる。すぐにどんな情報でも取り出せる四次元ポケットが手元にあるのに、本棚に辞書や百科事典を並べる必要はあるのだろうか。

Wikipediaの情報が正しいかなんてどこにも確証はないのに、なぜかそれを疑いつつ疑いもせず、身の回りの情報を解放してネットに依存していく。だからこそ、一度ネットでデマが発生するとそれを撤回するのは難しい世の中になった。「ソースはWikipedia」と言い張る若者を鼻で笑っているつもりで、私も無意識に「ソースはWikipedia」の楼閣の上で毎日を過ごしている。いつ崩れるかも、分からないのに。


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アラサー男子が観た「ジャニーズ年越しライブ2015-2016」とジャニーズ4属性

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

ここ数日、SMAP解散騒動で連日ニュースを騒がせるジャニーズ事務所。2016年も明けて早半月、そのジャニーズが毎年恒例にしている年越しカントダウンライブ「史上最多の大集合!ジャニーズ年越し生放送」(2015年12月31日23時45分から2016年1月1日0時45分まで中継)の録画を今更ながら鑑賞した。といいつつ私自身は特段ジャニーズのファンという訳ではなく、そして特段ジャニオタでもない嫁さんが録画していたこのカウントダウンライブ(通称「カウコン」と言うらしい)。「HDDの容量がヤバいから年末年始特番をどんどん観ていこう」と録画を流したが、結局1時間の放送を夫婦で大盛り上がりで鑑賞した。たった1時間なのにまるで2時間半のライブ映像のような濃さ…。中々に驚異的なライブだった。





やはり女性だからか嫁さんは私よりはるかにジャニーズのユニットやメンバーに詳しかった。私といえばメンバー全員の名前を言えるのが唯一SMAPほどなので、色々と解説してもらいながら鑑賞。年末年始、年の瀬にドームに集まったファンたちに向けて、総合司会・嵐が次々と事務所のユニットを紹介、休憩もなくドームの四方八方から矢継ぎ早に現れるイケメンたちの特製フェスティバル。ファンでない男性の私でさえ観ていてめちゃくちゃ面白かったので、現地のファンの方々は失神寸前だったのではないだろうか。

観ていて(嫁さんの解説も併せて)、さすがのジャニーズというか、その組織としての面白さにずっと目を奪われていた。というのも、一通りライブを観て感じたのは、「2016年現在のジャニーズユニットはおよそ4属性に分類できるのかな」、というもの。所属全てを網羅した訳ではないが、完全なる私見でそれを図にまとめてみた。





「皇子」タイプは、清潔感と爽やかさ、圧倒的なキラキラ感が魅力的な属性。嵐がここの筆頭。歌も踊りも演技も全てをオールマイティにこなすイメージが強い。「お笑い」タイプは関ジャニ∞が代表的。メンバー同士がワイワイやっている雰囲気が強く、ある意味ジャニーズとしてのプライドをかなぐり捨てて変顔したり体を張ったりスベったりがバッチコイな面子。「チャラい」タイプは決して悪い意味での“チャラさ”ではなく、言うなればエロくてセクシーな魅力が強い属性。清潔感とは真逆の男性的な魅力に溢れていて、メンバーの長髪率も心なしか高め。筆頭はKAT-TUN。最後に「レジェンド」タイプ。もはや上記3つの属性すべてを超越して国民的な称号を獲得しているメンバー。およそ日本のメディアのどこに出没しても一定の数字を獲得できるポテンシャルの高さを持つ。言うまでもなく、SMAPがここに属する。

重ね重ね書くがこれはジャニーズにさほど詳しくないアラサー男子の主観なのでひとつの参考程度に見ていただきたいのだが、およそこの4つの属性の中に全てのユニットが収まるような感覚がある。タッキー&翼はレジェンドながら皇子寄りだし、Kis-My-Ft2はチャラさとお笑いをどちらも内包している。山下智久はもはや突き抜けたチャラさがレジェンドに傾きつつあるし、Hey! Say! JUMPやSexy Zoneはむしろこれからもっとどれかの属性に傾倒していくのかもしれない。ちなみに、ここに出てこない「オラオラ系・土方系・ヤンキー系」の需要を上手くかっさらったのが(第二章以降の)EXILEや三代目J Soul Brothersという印象だ。

自分で分類しておいてなんだが、「清潔感」「爽やかさ」「面白い」「セクシー」等々、ジャニーズ全体を一般的に言われる女性が異性に求める色んな要素の集合体のように取ることもできる。「こんな男性がいいな」「あんな男性が魅力的だな」という様々な要素を時に突き抜けて時に複合的に網羅したユニットを取りそろえることで、世代を超えた多くのファンを獲得する。隙のない組織展開だと思うし、非常に興味深く感じる。

ジャニーズに詳しくない人でも、レジェンドを中心に各属性の先端に属するユニットを知らない人はほぼいないだろう。仮にメンバーの名前は誰ひとり知らなくとも、ユニット名の認知度はすこぶる高い。彼らが牽引するジャニーズ4属性の中で、図の中心寄りのユニットはこれからもっと方向性を顕著にしていくのかもしれない。嵐や山下智久に続くレジェンド寄りのユニットは、果たしてどこになるのだろうか。





話が逸れたが、年越しライブは本当に面白かった。改めてセットリストを振り返っても、これを準備するのは相当なものだ。ユニットを超えたコラボも多いし、メンバー全員が一糸乱れぬ動きで全体を見て行かないと回らない。時折後ろから出てくるのがちょっと遅れるメンバーがいたり、マイクの音が入らなかったり、リアルタイムならではの緊張感がまた良いスパイスとして機能していた。最近夫婦でキスマイにハマっているので「相変わらず舞祭組のメンバーはカメラに映らないな…頑張れ…!」とか、NEWSの手越や嵐の大野くんが歌が上手いとか、KAT-TUNの田口は近年めちゃくちゃ良い感じでエロくなってきたのに辞めちゃうのは寂しいとか、東山紀之の49歳とは思えないキレッキレのパフォーマンスと出てきた時の“生けるレジェンド感”がヤバいとか、ギャーギャーと騒ぎながら楽しく鑑賞した。

特に、NEWSの手越・Hey! Say! JUMPの山田・Sexy Zoneの中島、この3人が驚異的だった。なんというか、オーラが尋常じゃない。グループ全体にカメラが向いていても、その眼光&流し目で観る者の視線を無理やり自分に惹きつける魔力の持ち主たち。言うまでもなく全員が超絶なイケメンで、そしてエロくてセクシーで、己の魅力を自分で120%把握してそれをしっかり振りまく方法まで熟知している。イケメンが自分に酔いしれてイケメンビームを放つのに、男の私から見てもそこに嫌味っぷりがゼロ。まさに正真正銘の「アイドル」だと、心から称賛すべきメンバーだった。

レジェンドなメンバーであるTOKIO・V6・KinKi Kidsあたりは、さすがのパフォーマンスであった。会場の空気も若手ユニットに対するキャーキャー感とはまた違う、“ガチ”な雰囲気。自分たちのやるべきことをしっかりやり、ふざける時はふざけて、キメ顔も漏れなくキメて、貫禄を見せつける。経験則に裏打ちされた所作だったなあ、と。

面白かったのは、ファン投票により選抜された2人が特別にコラボする「初夢2ショット」のコーナーだ。私みたいな門外漢からすれば「なんでこの2人が選ばれたんだろう?」という組み合わせだが、その解説がしっかりテロップで表示される。「プライベートでも仲良し」「モノマネされる側とする側」など、ファンがジャニーズ全体を深く知っているからこその投票結果という印象で、観ていて非常に面白かった。サプライズとなった修二と彰の復活は、「青春アミーゴ」時にまさに高校生だった自分にとっても感動のステージ。あれからもう10年経っただなんて…。ははは…。





余談だが、この「初夢2ショット」の企画で1位だった滝沢秀明×渋谷すばるの解説テロップを読んで、昨今の日本のアイドル事情について色々考えてしまった。それは、「ジュニア時代に東西の顔だったから」というもの。ファンはジュニア時代から彼らをちゃんと知っていて、それぞれ今は別のユニットだけど、“それ”は投票で1位になるくらいにファンにとっては大きな“彼らの物語”なのだ。ジャニーズジュニアといういわゆる下積みの時代からアイドル個人に注目し、彼らが数年単位で表舞台に躍進していく日本式アメリカンドリームな物語。

これっていわゆる、AKBの研究生制度に近いのかもしれないと感じた。一昔前の女性アイドルが持っていた「偶像性(ある意味人間を超えた“うんちしない”存在)」に明確なヒエラルキーを与え、「下積み時代から表舞台に立つ」という共感性が高く人間臭い物語を付与する。ファンはその物語性にこそ感動を覚え、応援を加速させる。そこに「(俺が・私が)育てた」という特有のファン意識が芽生え、良い意味で依存度が増していく。モーニング娘は卒業&新加入という入れ替わり要素でファンを熱中させたが、そこに明確な上下の関係は無かった。AKBはこれに更にジャニーズジュニア的な「ヒエラルキーによる物語性」を持ち込み、更にはそのヒエラルキーをファンの金銭的貢献度によって変動させるという悪魔の手法を取り入れた。ドキュメンタリー映画にも見られるような、その「物語性」がファンを一層中毒にさせていく。

別にジャニーズとAKBが似ていると安易に言いたい訳ではないが、アイドルという偶像が「ヒエラルキーを超える」という人間臭い物語を持った地平にまで“降りてきて”、だからこそファンはその応援を加速させるというサイクルは、近年叫ばれる「アイドル戦国時代」という形容とは決して遠くないのかな、と。

そんなことまでボンヤリと考えてしまうほどに、「史上最多の大集合!ジャニーズ年越し生放送」は興味深く面白いライブだった。誰が出てきた!キャー!今度はこの人たちだ!ギャー!、夫婦で大盛り上がりな1時間で、ぜひ「2016-2017」も観てみたいな、と思わされた体験だった。今年の末も、ぜひ昨年に引き続きTV放映をお願いします…!そしてHDDの容量軽減のために鑑賞したのに面白かったから録画を消せないじゃないか…!くそっ!


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乗り換え変身の無意味さから読み解く「烈車戦隊トッキュウジャー」

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

トッキュウジャーが終わってもう1年が経つと思うと本当に月日が流れるのは早い…。前の会社の40代の上司に「なんで若者に比べて俺たちは毎日が早く感じるか分かるか?」と聞かれたのを思い出す。「20代の君たちにとって、1年間は1/20だ。でも40代だと、1/40になる。そりゃ短く感じる訳だよ。小学生の頃なんて、1年間はとても長かっただろ? あれは1/7だから当たり前なんだ」。もちろん誰にだって流れる時間は同じだけど、「経験」という蓄積はその体感を狂わせていくものなのだろう。そんな「経験」を経ずに大人になっていたのがトッキュウジャーの面々であり、それこそが物語の一番の肝であった。

トッキュウジャーの放送が開始され第1話を観た時に抱いた率直な感想は、「意外と普通だな」、というものだった。初めてスーツデザインを観た時は本当にびっくりした。「なんだこれ…ダサ…いやもはやダサいなんてレベルじゃ…これご当地ヒーローのやられ役一般怪人みたいな感じでは…」。しかし実際に動く映像を観てみると、肩部分に一色ながら衣装の分割が入るようなデザインになっており、思っていたよりも立体的であった。簡素なデザインは胸の数字と腕のブレスを際立てるし、余計な装飾が無いからこそアクターの方々も存分にキャラクターを演じつつアクションが出来るのかな、と。





とは言いつつも、電車のヒーローというとやはりどうしても「仮面ライダー電王」という偉大な先駆者が既視感をもたらしてしまうし(これはメイン視聴者の子供には関係がないのだけど)、ぶっ飛んだデザインのスーツやロボットに比べてお話は割と堅実にまとめ上げられた感じで、開始前に抱いた「破天荒さ」「常識外れっぷり」に対して一種の肩すかしを覚えていたのが本音だ。乗り換えチェンジという胸の数字で個体認識をしてカラーチェンジをするというギミックも、そこに何の意味があるのか全く分からず、「もっと戦闘で活躍するロジックやアイデアを活かしてくれよ…」などと思いながら観ていた。

キャラクターも非常に“子供っぽく”、言動が行き当たりばったりで人間関係の機微にも疎く、ぶっちゃけ自分の中であまり好感度は高くなかった。とはいえメインライターが小林靖子なので「何かあるんだろうな。何か…」と邪推はしていたものの、序盤は心から乗り切れてはいなかった。しかし、中盤でそれが完全にひっくり返る。彼らは実は10歳の子供であり、レインボーライン総裁の手によって大人の姿に変えられていたというのだ。おまけに、その記憶を完全に失い、故郷も家族の思い出も全てを忘れていた、と。そして物語は「子供に戻れない」というリスクと対面していくことになる。

言動が子供っぽいのも完全に仕込みだったということで、「またもや小林靖子に騙された…」とかいう訳のわからない感慨に浸ったあの日。戦隊シリーズは言うまでもなく子供向けをメインとした番組なので、成人前後の役者が演じても子供っぽい言動になることは少なくない。それは「分かりやすさ」重視のデフォルメであり、一種の極端なキャラ付けは「シリーズあるある」のひとつとして(無意識に)整理することができる。だからこそ、トッキュウジャーの面々の「子供っぽい言動」はその「シリーズあるある」が完全なる“煙幕”であり、「子供っぽいけどこれそもそも戦隊シリーズだしこんなもんかねぇ…と思っていたらマジで子供だったくそやられたっ!」という気持ちの良い“騙し”になっていた。





また、「乗り換え変身の無意味さ」についても、終わってみればその「無意味さ」こそに意味があったなあ、と。最初に劇中で乗り換え変身を披露した際も、「これに何の意味があるの?」と演出でセルフツッコミをさせるくらいにはロジックが欠落していた。例えばイマジネーションにも「放つ」「撃つ」「弾く」等の個人によるバリエーションがあり、色準拠でそれぞれに属性等があれば、「レッド(炎)×放つ(1号)=火炎放射」「ブルー(水)×弾く(5号)=水のバリア」といったように、そこに意味を持たせることはいくらでもできただろう。サポートレッシャーにも乗り換えてそっちの販促も強化するとか、素人ながら「こんなことも」「あんなことも」と考えは膨らむばかりだった。

しかし、それをはるかに超える「無意味さ」は、それそのものが子供の「ごっこ遊び」だったのではないだろうか。大人から見れば意味のないようなギミックに一生懸命に凝り、「戦いごっこ」で走り回る子供たち。「取りあえず使ってみよう・やってみよう」「なんだこれ? でもなんか面白いからいいや!わーい」。10歳の子供であれば小学4年生なので、この感覚で乗り換え変身をして「遊ぶ」というのは妙な納得感すらある。しかし、彼らはトッキュウジャーとしての「経験」を積んでいき、乗り換え変身によって敵をかく乱したり、武器を瞬時に移動させたり、持ち寄ることで変身可能時間を延ばしたりと、段々とそれに意味を持たせていくようになる。

乗り換え変身の使われ方の推移は、「ごっこ遊びからの脱却」そのものに見えるのだ。意味のないギミックで遊んでいた彼らが、子供には不釣り合いな戦線を潜り抜けていくにつれて、そこに意味を持たせていく。経験を蓄積し、子供ながら大人になっていく。むしろ、“「ごっこ遊び」じゃいられなくなっていく”という残酷さにこそ意味があり、それは最終的に「子供に戻れなくなるかも」という彼らが対面する最大のリスクに繋がっていく。「無意味な乗り換え変身」は、彼らが後にそれを段々と使いこなすことで初めて意味を持つという「無意味さ」だったのではないだろうか。

もちろんこれは物語的な考察であり、設定的には別の意味が持たされていたのだろう。総裁による対シャドーライン武装として、変身が制限された環境での対抗策として搭載されていたのかもしれない(実際にドリルレッシャーを用いてシャドーラインに突入した際にはこのように使用された)。それとは全く違う「本当は1人だけど5人に見せかける作戦」等に彼らが知恵を絞って使用していたのもまた面白くて、そういった発想の蓄積が経験となり彼らを否が応でも「大人」に近付けてしまったのではないかな、と。そう考えると、「戦えば戦うほどに自分ではなくなる」という(仮面ライダーに代表されるような)石ノ森ヒーローイズムも感じるところで、脚本家繋がりでその数年前の「仮面ライダーオーズ」のクライマックスを思い出したりもするのだ。





しかし、その「ごっこ遊び」から「子供ではいられない彼らの立ち位置」と変遷して使われてきた乗り換え変身が、最終的には「乗り継いで、レインボー」に繋がっていくから美しい。突如発現したあの虹のトッキュウ1号は、もしかしたら彼らがこれまで紡いだ戦いによる経験がもたらしたもので、それが「乗り換え変身」を通して伝わっていったと解釈すると、1年間の5人(+1人)の戦いこそがあの幻の姿を導いたのかもしれないと、なんとなく綺麗な道筋に見えてくる気もする。「子供らしさ(無意味さ)」を捨てて戦ってきたからこそ、「虹」に到達できた。「乗り換え変身」というスタイルは、そんな彼らの1年間の軌跡を象徴するギミックだったのかもしれない。(6号固有の色だったオレンジに乗り換えられのも、彼らの成長と照らし合わせると色々と意味深である)

「ヒーローなのに出来ればもう戦って欲しくない」という感情を持たせてくれたトッキュウジャー。「子供らしさ」と「大人じゃなきゃ戦い抜けない」のジレンマに苦悩しながら、仲間との絆というある種ベタすぎるかもしれないパワーでそれを乗り切った彼ら。最終回でしっかり“子供に戻れた”ことが、この上なくハッピーエンドだったなあ、と。未だに思い出しては少しホロッとしてしまうのだ。 (しかし、今度の「手裏剣戦隊ニンニンジャーVSトッキュウジャー THE MOVIE 忍者・イン・ワンダーランド」の彼らは、一体どこの時間軸の彼らなんだろうか…)


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カクレンジャーから続く忍者戦隊の系譜 ~「人に隠れて悪を斬る」から「忍びなれども忍ばない」へ
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取り返しのつかない告白。私はこんな推理小説・ミステリーが読みたかった

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

私は推理小説やミステリーが好きなのだけど、全然と言っていいほどに詳しくない。名作と呼ばれるもので読んでいないのも死ぬほどあるし、勧められてリスト化して放置しているのも山ほどある。だから、その筋の詳しい人からすれば鼻で笑っちゃいそうなこの「告白」だけど、ズブの素人の戯言と思ってお付き合いいただきたい。

多くの人がそうだと思うのだけど、私はクライマックスで「うわー!やられた!」と頭を抱えるミステリーが好きだ。もう存分に騙してもらいたい。完全に意識の死角を狙われるパターンや、文字の上でしか成立できないケースなど色々あるが、読んでいて「くっそ!くっそ!」と悔しがりながら満面の笑みというあの感情を味わうのが大好きだ。だからそのひとつとして、「信頼できない語り手」という手法はいつも読みながら“選択肢”に加わっている。


「信頼できない語り手」とは、ある小説において事件が叙述される際、真相とは別のことを語っている語り手のことを指しています。例えば子供の語り手、記憶障害者の語り手、あるいは読者をあえて欺こうとしている語り手などがよい例でしょう。容易に想像がつくように、このような語りの手法はミステリとの相性が大変よく、読者をミスリードするためにしばしば用いられてきました。

読書の愉悦 クランチ・ユーザーの小説 CRUNCH MAGAZINE(クランチマガジン)


例えば「恋人と付き合って別れた」という一人称視点の小話があったとして、壮大なラブストーリーが展開されハッピーエンドを迎えるも、最後の最後で語り手も恋人も男であったことが判明すればこれまでの内容もガラッと変わって見えてくるような、そういうやつですね。これ系統の“騙し”のミステリーが本当に好きで、幾重にもパターンを練って読み込むけど綺麗に上をいかれたり、そしてまた読み返して「あー!ここはこうじゃなくてそういう意味か!」などと何度も殴られに行くドM体験を繰り返す。

そのパターンで、ありきたりながら私は「主人公が犯人」のミステリーが読みたいな、と“思ってしまった”。しかしこれは禁断の気付きというか、そのパターンが読みたいと思ってネットで探そうにもそれって必然的に最大の“騙し”に読む前から気付いてしまう… つまりネタバレ不可避な出会い方になってしまうので、探そうにも探せないというジレンマに陥る。これを回避(?)するためにはもうひたすらに未開拓のミステリーを読み続ける物量作戦しかないと思うと頭を抱えてしまう。いや、探せばある。ネットには色々まとめてある。結末に言及していなくても「騙されたい人向け」みたいなくくりでまとめてあるサイトは多いのだけど、でもそれすらもなんだか「落とし穴があります。どう落ちるかはお楽しみ!」というやつで、こっちとしては「落とし穴」にすら気付いてない“ふり”をして読みたい訳ですよ…。しかも私が切望してしまったのは「主人公=犯人」パターン、しかも「主人公が探偵=犯人が一人称視点で語られる」パターンを読んでみたいと思ってしまったので、もうこりゃ完全に“詰んだ”な、と。





「主人公が探偵=犯人」パターン。ミステリーや推理小説に造詣が深い方はこの時点でいくつか挙げられるのだろうけど、私はここから更に妄想を重ねてしまった。私の脳内で展開された物語は、「主人公である探偵の推理行動がそのまま偽装工作に繋がっていたことが後に判明する」というものだ。例えばよくあるパターンと仮定して、主人公は探偵で(彼の一人称視点)、何らかの集まりで交通手段も連絡手段も途絶えた雪山の山荘に閉じ込められたとする。そこで殺人事件が起こり、主人公は捜査に乗り出す。雪の上に残った犯人の足跡などに反応しつつ、他の登場人物をワトソン役としながら推理を展開していく。しかし実は主人公自身が犯人だったことがクライマックスで判明する。足跡に反応していたのは、“探偵だから”ではなく“犯人だから”。自らの犯行時のミスを、推理しながら洗い出し密かに処分し、別の人物の仕業かのように誘導していたのだった。

…という内容で(足跡はあくまで例)、つまりは探偵の一人称視点で「この足跡は犯人のものだ!」が後に「この足跡は犯人のものだ!(ちくしょー!まさかあそこに証拠を残してしまうとは!やっちまったぜ!よし、あれをああしてこうして、この足跡を逆に利用してアイツを犯人に仕立て上げるんだ)」に反転するというトリック。一読目の「探偵としての気付きや焦り」が二読目には「犯人としての気付きや焦り」に、「読者に対する推理展開」がそのまま「偽装工作」にもなっているという二重構造。まあ、こんなのは、全然新しくもなんともないと思うんですよ。絶対沢山書かれていると思う。でも、ここまで妄想してしまったら、“もはや探せない”。完全に投了。妄想が捗ったおかげで自らの首を絞めた形になってしまった。(実はもはやここまで妄想したなら自分で書いてしまうとも思ったが、書き出し30文字あたりで「いや無理だろ」と思ってやめた)

だから、こうやってブログで「告白」することにした。ミステリー・推理小説にお詳しい皆さん、ぜひ教えてください。もう「落とし穴に気付かなかったふり」は諦めました。落とし穴の構造を楽しむ、という方向に舵を切ります。「主人公である探偵の推理行動がそのまま偽装工作に繋がっていたことが後に判明する一人称視点のミステリー」、またはこれに近いトリックのものはありませんか? 無いはずは無いと思うんです。こんな今更な思いつき、絶対昇華されて作品になっているはず。ぜひ、コメント欄やTwitterでこっそりと教えてください。お願いします。(…というようなことを実は前にもTwitterで投げかけたら何冊か勧められて実際に読んでかなり近かったけどそのタイトルすら誰かを「落とし穴に気付かせる行為」としてここには書けないジレンマ…)


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10年ぶりに遊戯王に触れた浦島太郎デュエリストがあまりの環境変化に膝から崩れ落ちてかっとビングした話

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

歳を取ったな、という思いと共に浦島太郎よろしくヒゲを生やし独り愕然としてしまった。10年ぶりに触れた「遊戯王オフィシャルカードゲーム」。もはや「生贄召喚」という単語が用いられていない時点で頭を抱え、あまりの特殊召喚合戦に脳内処理が追いつかなかった。原作連載開始時に小学生だった自分は、東映版のアニメ「遊☆戯☆王」やバンダイから発売されていたカードダスを経て、満を持してKONAMIが繰り出したOCG(オフィシャルカードゲーム)にも思いっきりハマっていった。その後、いわゆる“第三期”(~「ファラオの遺産」)の終盤で離れてしまったために、私の中での遊戯王は完全に「過去のもの」となっていた。





もちろん、ずっとカードゲームが続いていたのは知っていた。今ではルールやセオリーがどんどん変わっているというのも小耳に挟んではいたが、詳細はまったく知らないまま。しかし、2015年にアニメ「遊戯王デュエルモンスターズ」がリマスター版とバトルシティ編で再放送を開始し、この2016年には原作最終回のその後の物語が原作者監修で映画化するという…。「遊戯王第一世代」としてはこの波に乗らない訳にはいかない!…久々にOCGに触れてみようかな、と思い過去のDSのゲーム等の中古を探していたら、「タッグフォーズはいいぞ」というアドバイスをTwitterで頂戴した。(実物カードに触れると金銭沼に沈むからやめた)





最新作「タッグフォース スペシャル」、しかもPS Vitaでも出来る上に半額セール中ではないか。最近のルールはよく分からないけどゲームならチュートリアルもあるし、遊戯王熱を高めるためにもまずは体験版やってみるか! …その結果が「浦島太郎デュエリスト」であった。もはや私がやっていた頃のセオリーは完全に霧散していた。シンクロ召喚…? エクシーズ? おいおい待ってくれよ…。そこには懐かしの故郷はなく、別次元の戦いが繰り広げられていた。


※※※


懐かしの「あの頃」の遊戯王。「サンダー・ボルト」が何よりも強力だった時代。当初は「ブルーアイズ」が超最強モンスターで、彼を葬るには「サンダー・ボルト」くらいしか手が無かったんだ。あとは「はさみ撃ち」とか。





「生贄召喚」というルールが定着してまず思ったのは、「レッドアイズは弱い」、だった。原作漫画やアニメではこれでもかとキーカードなのに、生贄2体で攻撃力2400は弱すぎる。「デーモンの召喚」を見習ってくれ。しかもデーモンなら後に出た「黒き森のウィッチ」等でデッキの中から持ってくることができるんだ。あの頃は誰も守備力なんか見ちゃいなかった。





「強欲な壺」「人喰い虫」といった変則的なカードが出てきだして、そこからやっと“戦略”というものが生まれてきたんだ。その前までは、単なるパワープレイと除去魔法の応酬だった。レアカードを持ってる奴が強い、という原作漫画序盤の雰囲気そのまま。段々と色んなカードが出てきて、「強いレアカードにもいくつかのカードを組み合わせれば勝てる」という土壌が整っていった記憶がある。「セイント・マジシャン」も、みんな必ずデッキに入れてたなあ。「心変わり」とか。





「神の宣告」(通称“かみせん”)というカウンタートラップの登場、「キャノンソルジャー」という物量野郎、使えそうでぶっちゃけ使いづらかったトゥーンモンスターに、みんな大好き「サイコ・ショッカー」。パックが発売されるごとに多彩な効果を持つカードは増えていったが、基本は「生贄というコストをしっかり貯めて払って上級モンスターで殴る(しかし除去系の魔法や罠で反撃される)」がセオリーだった。





だから、生贄素材はなるべく強いモンスターが良い。通常モンスターにおいて長らく前線で活躍したのが「ヴラッド・ヴォルス」「ヂュミナイ・エルフ」。“1900の壁”はあの頃確かに存在した。攻撃力が50劣る「メカ・ハンター」も活躍し、後に「デーモン・ソルジャー」や「サファイヤドラゴン」も登場。まずはこいつらをしっかり場に配置するのが定石だった。





アルティメットレアというレア分類が登場し(「不死王リッチ―」とかいう特殊なやつもいた)、スピリット、ユニオン、という特殊な効果モンスターも出てくるようになった。みんな大好き「八咫烏」が猛威を振るい、カオス系の“墓地除外”という概念が広まったのもこの頃。それまで墓地は本当に墓地でしかなかったのに、次第に「あえて墓地に送る」というプレイングが本格的に流行った。「カオス・ソルジャー -開闢の使者-」「混沌帝龍 -終焉の使者-」の2枚のカードはあまりにも強力だった。






「ギアフリード」に「蝶の短剣エルマ」を装備して魔力カウンターを永久に溜められるのではないか、とか…





「サイバーポッド」で手札に加えるカードは互いに公開するべきか否かで揉めたり…





「トークン」の代わりに要らない雑魚カードを並べたり…






昔は今ほどネットが普及していなかったから、禁止・制限カードはおもちゃ屋が開示する情報でみんな確認していて、そのおもちゃ屋・カード屋が必然的に俺たちのデュエルフィールドだった。学校に遊戯王カードを持ってくることが問題視され、一部のレアカードがショーケースで高値で展示され始め、そうやって遊戯王はいつの間にかワールドワイドなカードゲームになっていた。自分はずっとその第一線にいたつもりだったし、誰とデュエルしても知らないカードなんて無かった。当たり前のように全て覚えていたから。

カードにはざっくり三種類の認識があって、「スタンダードに使えるカード」「状況が整えば使えるカード」「ぶっちゃけ使えないカード」という脳内分類が割と自然に成されていたように思う。何かの属性や種族、効果に絞った“テーマデッキ”を作るのも流行ったが、結局は「強い4星モンスターと強い効果の上級モンスターと使い勝手の良い魔法と罠で除去と蘇生サポート」というスタイルが根強く、皆ほとんどが似たようなカードを使いこなしていた(少なくとも私の周囲では)。ライフポイントが3000を切ったあたりから「上級モンスター1体か4星モンスター2体のダイレクトで死ぬ!」という緊張感が生まれ、ギリギリの攻防戦が盛り上がった。


※※※


そんな環境のタイミングで遊戯王を離れたので、モンスターがレベルアップする「LV」の概念や、E・HEROのシリーズ、宝玉獣など、たまに実家に帰った時の年の離れた弟のカードを目にするくらいで、名前しか知らない…。という状態で10年ぶりの「タッグフォース」だ。まずもって、ルールのチュートリアル画面を何度も何度も読み返した。





「シンクロ召喚」という方法で場に出る白いモンスターカード。特殊召喚扱いということで、通常召喚とは別に出せるとのこと。「チューナー」という属性を持ったモンスターと、それ以外のモンスター、場の2体以上を累計した星の数と合致したシンクロモンスターを、もうひとつの山札であるエクストラデッキから場に召喚する。“星の足し算”という概念が必要になってくるのだ。

いや、これ、やばいでしょ…。やばいっしょ、これは。なんたって、それまでのセオリーが完全に破壊されている。前述したように「シコシコと生贄素材をそろえた上で上級モンスターで殴る」という方法論が、完全に“遅く”なった。特殊召喚扱いだから通常の召喚と同じターンに行えるし、短い準備期間で高レベルのモンスターがポンと出てきてしまう。





そして真っ先に思ったのが、「レベルの低いモンスターが台頭する!」ということだった。ふっと頭に浮かんだのは、例えば「ホワイトシーフ」。相手プレイヤーに戦闘ダメージを与えたら手札を捨てさせることができる効果モンスターだけど、如何せん攻撃力がたったの1000。上にも書いたように、結局は“1900の壁”がある以上、「相手の手札を捨てさせることが出来る」メリットは「攻撃力1000のモンスターを攻撃表示のまま場に放置する」リスクより小さく見積もられていた。だけど、シンクロ召喚をメインフェイズ2で行えば、こういう「効果を発動して絞りかすになったモンスター」を相手の絶好の的にすることなく、しかも更に強いモンスターへの素材として“逃がす”ことができる…。

PS Vitaの画面でルールを読みながら、思わず「やべぇな…」と呟いてしまった。“1900の壁”がある以上、結局は攻撃力の低いモンスターはよほど強い効果が無いと前線には出てこなかったし、下級モンスターのほとんどは星4で固めるのがあの頃のセオリーだった。作る側もそこを分かってたからか、「そこそこ強い効果を持つモンスターは攻撃力や星が低いから実践では中々使いづらい」というバランスで設定されることが多くて、それこそ「ホワイトシーフ」なんかはその手の代表格だったと思う。シンクロ召喚を多用すればそんな“当時の雑魚カード”のリスクが一気に撤廃されるし、日の目を浴びるどころの話じゃないな、と。

つまり、上に書いた「スタンダードに使えるカード」「状況が整えば使えるカード」「ぶっちゃけ使えないカード」という脳内分類が完全に覆されているのを強く感じた。あの頃の私の経験則は完全に死んでしまったのだ。





更には別の特殊召喚、「エクシーズ召喚」というものもあると言うではないか。なになに… とルールを読んでいくと、シンクロと同じように場のモンスター2体を素材として召喚するが、そのモンスターの上に重ねる形でエクシーズモンスター(黒いカード)を出して、まるで魔力カウンターのように下にある素材をコストとして払う(墓地に送る)ことで効果を発動するというのだ。しかも「チューナー」という縛りが無いので、どんなデッキに入れても対応が可能ということになる。登場当時、シンクロ召喚という概念はエクシーズに上書きされてしまったのだろうか…。私は立て続けに悪夢を見ているようで頭がクラクラした。





そして極めつけが「ペンデュラム召喚」。お前デュエルマスターズかよ!って感じのグラデーションを持ったカードは魔法カードとしても扱うことができ、両端のペンデュラムゾーンにそれぞれ配置することで、その間に含まれるレベル数のモンスターを一気に何体でも好きなだけ場に並べることができる。






…って…  お前…


馬鹿野郎っっっ!!!!!!!!!!!!!


こんなの…もう…!!!生贄素材を場にそろえて大切な召喚権を使って上級モンスターを出すというあの頃のセオリーが!!!死んだ!!!いやとっくに死んでたけど!!けど!!シンクロ召喚や!!エクシーズ召喚は!!!!まだ「融合モンスター」の遠い親戚くらいで納得ができる!!!!!!一応の“しばり”の中で場に出すから!!!!でも!!ペンデュラム!!!お前っ!!!!!!それ専用にレベルを組み合わせたデッキを作ってしまえば…!!速攻で強いモンスターが場にEXILEするだろこんなの!!!なんだこれ!!これは…っ!!!!!


馬鹿な!!!馬鹿なっ!!!!!!!!!!これが今の遊戯王かっ!これが!!!10年ぶりに帰ってきたはずの故郷は!!!!!もう地元なんかじゃない!!!!!異国!!!異国の地!!!!ナポレオン!!!インディアン!!!!!!開拓時代!!!!!!!!!覆される概念!!!!!新たなる発見!!!!!先輩面するつもりだった俺は…!!!!!原始人!!!まるでバーバリアン1号!!!!!!!!!!



…という大層なショックを受けたものの、でもこれは当時の「こいつは使える」「こいつは使えない」の概念が根っこからひっくり返されているという環境で、捉えようによっては、過去の遺産として忘れられていたカードたちにも一周して活躍の場が与えられている、ということだ。最初期の頃のカードでも、当時求められたコストを完全無視して別の方法で場に繰り出すことができる。その中で更に今は必中のセオリーが台頭してはいるんだろうけど、新しく入った少年少女も古いカードに触れることのできる機会は設けられているのかな、と。(「最近の遊戯王は数ターンで決着がつく」とは聞いていたが、それが身を持って実感できた。これだけ瞬時に高レベルのモンスターを配置できるとなると、そりゃ8000くらいすぐ尽きる。)

遊戯王、奥が深い…。さすがギネスに認められたカード。舞い戻った浦島太郎デュエリストは「タッグフォース スペシャル」の体験版でショックを受け、「かっとビング!」とかいう訳の分からない奴にモンスターを一気に展開され速攻で敗北した。後に、本ソフトを購入。まずは声優の違う闇遊戯とタッグを組みながらロードを歩むことに決めた。シンクロ、エクシーズ、ペンデュラム…。使いこなしてやるぜ。俺ならできる。あの頃のデュエリストのソウルを思い出すんだ。そして遊戯王熱を高めに高めて今度の映画に臨むんだ…っ!





その昔ダンジョン・ダイス・モンスターズを初めてプレイした遊戯が戸惑いつつも見事なプレイングを見せたように、今、それが自分自身に求められているのだ…!倒せ!ゴッドオーガス!!!!!


(あわせて読みたい)
俺は「遊☆戯☆王リアルタイム世代の熱い思い出」を召喚!ドン☆ (サンプル)
懐かしいぜ!東映版アニメ「遊☆戯☆王」ホームページで思い出に浸ろう! ~90年代の遺産と闇のゲーム!


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2040年のマクドナルドを創る第二世代(現20代)は果たして我が子を不健康に誘えるのか

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

マクドナルド大好き人間として、昨今のネットはどうにも住み辛くなってしまった。こき下ろしてナンボの図式が多く、とはいえそれが行われる原因もとても分かるからこそ辛い。異物混入の対応が非常に悪かったりとスキャンダルなイメージ低下もあるが、価格やメニューの変遷といった根っこの部分で消費者を取りこぼし続けているような気がしてならない。

この記事はマクドナルドが大好きな一介の消費者が「日本マクドナルド」の今後を前向きに(?)考えていく内容なので、マクドナルドに良い印象を持たない人には何も面白くない内容だということを先に記しておきたい。また、私のマクドナルドに対する姿勢は過去記事である『ネットや世間が何と言おうと俺はマクドナルドを食べ続けたい』を参照いただきたい。


※※※


結論から書くと、「日本マクドナルドはこのままだと2040年以降が本格的にマズいことになる」という主張だ(そもそも2040年まで企業として存続できているか、という問題もあるが…)。裏を返せば、「残り5年前後の期間で若者にある程度訴求できるか否か」という意味でもある。まず、以下の図を見ていただきたい。


▲ハッピーセットに並べて記したキャラクターは年末のカレンダー採用のもの


これは日本マクドナルドの「世代」をある程度特定してみた図式である。日本にマクドナルドが初めて出店されたのが1971年、銀座の1号店(冒頭の画像)。そこから約20年かけてマクドナルドは国内で拡大を続け、1990年に晴れて47都道府県出店を達成している。この間、1987年の「サンキューセット」がその年の流行語大賞に選ばれるなど、ハンバーガー商戦を本格的に勝ち抜き国民に広く支持された歴史を感じることができる。

内閣府の調査『平均初婚年齢と母親の平均出生時年齢の年次推移』によると、1990年の第一子出生時の母親の平均年齢は27.0歳。その後年々上がり続け、2012年には30.3歳に達している。また、ネットリサーチDIMSDRIVEの『「ハンバーガーショップ」に関するアンケート(2011)』によると、男女ともに週1回以上ハンバーガーショップを利用するのは20代がトップとなっている。以上のことから「全世代において20代が最もマクドナルドを利用し、およそ平均として30歳前後で子供をもうける」と仮定し、「第一世代」「第二世代」を区分したのが上の図となる。(言うまでもなく男女差や世代差があるので数年の誤差があるであろうことはご承知いただきたい)

マクドナルドが一種の国民食として日常に受け入れられ、1977年のドライブスルー、1987年のハッピーセット開始(当初は「お子さまセット」)を経て人気を高めた時代。ここで20代を過ごした人たちを「第一世代」とするならば、彼らの子供が最もマクドナルドを利用する約20年後、つまり「2016年現在で20代の世代がマクドナルド“第二世代”」であると言える。私もそうなのだが、この第二世代は親が多感な時期にマクドナルドを食べて育ったケースが多く、幼児層を向いたハッピーセットを入り口として「日常的にマクドナルドに通い育ってきた世代」ではないだろうか。その半生においてマクドナルドは一種のソウルフードであり、幼少期からそこでポテトを買って貰ったりハッピーセットのオモチャを貰ったりといった経験が思い出に自然に刻まれている。

つまり、その「第二世代」は2020年に向けた残り5年で「マクドナルドを最も利用する層」から外れていき、また20年後にそこに差しかかる「第三世代」へのバトンを渡し始める。果たして現在20代の「第二世代」は、自分たちの子供をマクドナルドに連れていきたいと思うだろうか。思えるだろうか。その“20代”が多く蔓延るネットの現状を見ると、この未来はあまり明るくないのではないかと思えてならない。


※※※


ハンバーガーが一種の国民食として定着するも、バブル崩壊後の不況の流れもあり、日本マクドナルドは2002年に創業以来初の赤字決算となってしまう。奇しくも上の図を見ると2002年は第一世代と第二世代の“谷”となる時期であり、この頃に「世代交代以前の話としてすでに2000年当時の若者の心を掴めていなかったのでは」と推察することができる(ファンとしては単に不況の煽りだとしておきたいが…)。仮に「第1.5世代」がマクドナルドをあまり食べていなかったとするならば、必然的に「第2.5世代」、要は2030年前後の経営も危ぶまれるのではないだろうか。そして迎えた2040年が「第三世代」と考えると、日本マクドナルドの今後は非常に厳しいものであると考えることができる。

ファンという視点を完全に捨ててマクドナルドを見ると、果たしてそこに行きたくなるかという疑問は捨てきれない。成人男性がお腹いっぱい食べようとすれば、現状ではワンコイン(500円)では足りない。決して健康的なメニューではなく、価格も安くないとすると、じゃあ一体マクドナルドに足を運ぶ理由は何なのか。私は前述のとおり「マクドナルドが好きだから(慣れ親しんだ味だから)」以上の理由は正直なところ無く、それは第一世代である親に幼少期から連れていかれていたことが大きな要因となっている。そうやって「安いファストフードを食べる」より「マクドナルドを食べる」という目的意識が先行するため、不健康でも多少高くても喜んで通う。それが私のマクドナルドだし、大なり小なりそういった感覚を持っている人は同世代に少なくないのではないだろうか。





先のネットリサーチDIMSDRIVEの『「ハンバーガーショップ」に関するアンケート(2011)』において、マクドナルドとモスバーガーの比較を見ると大変面白い結果が出ている。それは、「味に関する満足度」ではモスバーガーがマクドナルドより高く、「価格に関する満足度」ではその逆の結果が出ているという部分だ。「値段ならマック、味はモス」という巷で広く言われる俗説が数字として証明されている。しかし、近年はその“値段なら”の部分が優位性を欠いているため、「じゃあなぜマックに行くのか」という根本的な行き詰まりが見え隠れし始めている。

「なぜマックに行くのか」→「マックが好きだから」。第二世代のひとりとして、答えはこれ以上でもこれ以下でもない。しかしそれは、日本マクドナルドが世代を超えて行ってきた展開の利点でもあり欠点、つまり「マックが好きだから=マックを昔から食べてきたから」という神話が崩壊していくとすれば、「人々がマクドナルドに行く理由」は本格的に失われていく。2020年以降の同社を支えていくのは、初赤字時期に若者だった世代の子供である「第2.5世代」、そし2016年現在20代である我々の子供が相当する「第三世代」だ。彼らは何を動機にしてマクドナルドに足を運ぶのか。「昔から食べてきた慣れ親しんだ味だから」は、現在の第二世代をピークに形骸化していく概念なのかもしれない。


※※※


マックカフェやヘルシー系のバーガーなど、女性やカフェ層を積極的に獲り込もうとしてきたここ十年程だが、コーヒーのおかわり自由も廃止されコンビニのコーヒーが台頭してきた昨今、その展開が実を結んだかと考えると非常に厳しいものがある。そもそも、マクドナルドに健康的な匂いやヘルシーさを求めてやってくる客はどれほどいるのだろうか。それは、前述の調査も併せて考えると、そのベクトルならばモスバーガーの方に利があるのだと思えてならない。





私としては、マクドナルドはもっと不健康かつジャンクで良いとすら感じている。肉と油を味わえる幸せを噛みしめる場であるべきで、その粗雑な味こそが最大の魅力だからだ。ヘルシーさや多様さを求めるよりも、マクドナルドで育った「第二世代」に「油ギッシュで不健康なマック!」をしっかり「日常フード」として定着させ、それをたまに家族で食べるファストフードとして持続させるよう誘導するべきではないだろうか。それなのに、せっかく世代を超えて獲得してきた「第二世代」を、ここ数年の経営によって大いに取りこぼしている。「昔から食べてきたから」という、最も無意味かつ最も説得力のあるこの動機の“利”を、同社は自ら捨ててしまっている。彼らが今最も繋ぎ止めるべきは、現在の20代ではないのか。

ファストフードながら一種のソウルフードにまで上り詰めたマクドナルドは、「ソウルフードだから」こそ、現在の若者(20代)をその動機が活躍できる最後のターゲットとして取り込みつつ、盛大に“離れ”を発生させ続けている。「マクドナルドはソウルフードだから」。この“ソウルフード性”が第二世代を最後に途絶え、味や価格面での利点も潰えた今、果たして同社は何を理由に顧客を獲得できるのか。「不健康さ」を味わえる幸せは、次の世代に継承されていくのだろうか。


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『親友死後の午前業務』

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 親友が死んだので、契約通り事を運ばなければならない。葬式を終え、俺は会社のデスクに直行した。彼と交わした契約書のデータを見付けると、それを頭から読み返す。三度読んで、カラー印刷し、綺麗な封筒に入れて鞄に放り込んだ。翌日の朝一番に向かったのは彼の家だった。葬式が終わり何も手に着かない彼の奥さんを見ると心が痛んだが、俺は半ば強引に家に押し入り、説明を開始した。

 俺が数年前に始めた小さな会社に彼が訪れてきたのは突然だった。密室の打ち合わせスペースでは、深刻な顔で昼間から色んな単語が飛び交った。もうこの時点で部下にも聞かせる訳にはいかない。彼は結婚し、子宝に恵まれ、今から働き盛りだと主張した。だからこそ、万が一の際に後を濁したくないのだという。同じ男として、心底理解できる話であった。彼に専用のシートを手渡し、リストの作成を依頼した。個人口座から月額料金が引き落とせるよう設定し(月々は微々たる金額なので奥さんにはバレないとのこと)、リストに更新があった際の手順を教え込んだ。彼は親友である俺がこの事業を始めたことに、大いに喜んでいた。

 そんな一連の顛末を今や未亡人となった奥さんに話すと、彼女は反応に困っていた。それもそうだ。俺だって逆の立場なら思いきり困惑する。戸惑いと惨めさに襲われるかもしれない。しかし、これは仕事だ。差し出した契約書に奥さんの印を貰い、主人を失った彼の書斎に踏み込んだ。手袋を取り出し、しっかりと部屋に鍵をかける。これから行う作業は、遺族の立ち合いを禁じているからだ。


 まず、彼のパソコンを開く。あらかじめパスワードは聞いているし、そこからの“潜り方”だって申告してもらっている。彼は契約通り包み隠さず教えてくれた。不謹慎ながら、この作業を行う時はいつも高揚感を覚えてしまう。あったぞ、彼の秘蔵フォルダだ。間違っても奥さんには見せられない破廉恥で欲にまみれた画像がご丁寧にジャンルごとに分類されている。俺はそれを隅から隅まで確認した後に、消去した。ゲームのデータ、動画データ、全てをしっかり洗い出して消していく。見つかった家族との思い出の写真、仕事関連らしきテキスト、つまり“健全な”データは、新品のUSBに移した。

 続いてブラウザを開く。彼からもらった申告書と目の前の履歴を見ながら、使用していたネットサービス、SNS、全てを退会していく。いくらかはもう仕方ないが、消せるものは全て消していく。彼は「SNS死亡報告プラン」には加入していなかったので、フォロワーに対しての報告義務は無い。迷いも無くアカウントを削除する。

 パソコンの処理が終わると、それはブツごと回収する。そういう契約だ。これは責任を持って提携業者に委託し、完全に処分してもらう。部品ひとつ再利用させない。さて、次は彼のコレクション棚だ。アクションフィギュアや美少女フィギュアが飾ってある。押入れを開けると、そのフィギュアの外箱が山のように積まれていた。対応するものを見付けては、丁寧に収納していく。手首のパーツは通常のものに差し替え、外箱が破損しないように気をつけながら、慎重に事を進める。ここが割と正念場だ。ある程度こういった類の物に対する知識が無ければ務まらない。うちの会社ではここを担当できるのは俺を含めて3人しかいない。

 さて、その全てが終わったらリストをチェックする。どうしても手放したくないものが6点。少ない方だ。一度営業車に戻り新品の段ボールを取り出す。そこに6点を詰め込み、封をする。これが最終的にどう扱われるかは遺族次第だが、本人の意を汲んで処分だけは避けて欲しいところだ。俺が見た限りでも、相当なレア物が数点あった。確かにあれは“死んでも”手放したくない。大量の漫画も段ボールに詰め、これは営業車に運び入れる。一度では入りきらないので、午後にもう一度訪れなければならないだろう。奥さんにも申し訳ない。最初から部下と2台で来れば良かったか。


 取りあえず撤収だ。奥さんには“健全な”データのみが収録されたUSBメモリを手渡す。リスト記載の6点が詰まった段ボールの存在、また、回収したフィギュアや漫画を売り払って得た金額の60%をご指定の口座に振り込む旨を説明し、その内訳は後日郵送します、と付け加える。帰り際に視界に入った彼の書斎は、ある意味主人以上に大事な住民を失い、どこか寂しげだった。さて、一度事務所に戻り、部下に回収品の売却業務を指示したら、彼の口座からの月額料金引き落としを止めなければならない。彼は今頃満足しているだろうか。今夜は、彼が好きだったアニメでも借りて帰ろう。



※思い付きで書いた短編小説です。慣れないもので所々お見苦しいかと思いますが、ご了承ください。

(おすすめ記事)
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【過去記事】
2040年のマクドナルドを創る第二世代(現20代)は果たして我が子を不健康に誘えるのか
10年ぶりに遊戯王に触れた浦島太郎デュエリストがあまりの環境変化に膝から崩れ落ちてかっとビングした話
乗り換え変身の無意味さから読み解く「烈車戦隊トッキュウジャー」
「フォースの覚醒」のライトセーバー戦は“もっさりだからこそ良い”のではないか

「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しました

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

いつも当ブログを読んで下さる皆様にご報告です。この度、依頼を頂戴しまして、株式会社洋泉社より2016年2月13日(土)に発売される「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に作品解説を寄稿しました。内容は、「ウルトラマンネクサス」と「ウルトラマンX」の作品紹介&解説となっていまして、どんな作品で何が魅力なのかを私なりにそれぞれ1ページずつ書いています。「ネクサス」は「アベユーイチ監督&長谷川圭一氏のXネクサス回対談」の後に、「X」は「田口清隆監督&中野貴雄氏のX対談」の後に、各ウルトラマンのスチールと共に掲載される予定です。

商業誌(それも「特撮&映画レビューブログ」としては願ったり叶ったりの特撮専門誌!)に寄稿だなんて初めての経験だったので、必要以上に気構えをしてしまった部分もあり、色々とご迷惑をおかけしてしまったのですが…。ブログと違って字数制限がある中で何度も何度も書き直して「言いたいこと」を詰め込む工程は、とても良い経験になりました。特に「ウルトラマンネクサス」は自分が一番好きなウルトラ作品なので、「あれも詰め込みたい!」「これも欠かせない!」という要素が阿呆みたいに溢れてきてしまい(最初に一発書きしたら指定字数の5倍ほどあって顔面蒼白)、足したり削ったりに苦労しました。ぜひ、本誌を手に取っていただければ幸いです。

というか、私の書いたページはともかく、「このタイミング」でアベユーイチ監督&長谷川圭一氏/田口清隆監督&中野貴雄氏の“御四方”が「ネクサス」や「X」について語られる、というのは見逃せないですよ!あんな話やこんな話も載っているとかいないとか…!


「別冊映画秘宝 特撮秘宝vol.3」(Amazon)


大好評のまま最終回を迎え、3月に劇場版公開を控えた『ウルトラマンX』。メイン監督の田口清隆氏&シリーズ構成の中野貴雄氏による対談を掲載!さらに『X』でも話題を呼んだあの「ウルトラマンネクサス回」について、アベユーイチ監督と長谷川圭一氏に対談していただいた!必読!#特撮秘宝vol3

— 特撮秘宝 (@tksthiho) 2016, 2月 6

こちらのYU@Kさんのブログをいつも読ませていただき、今回原稿ご依頼した次第です!

「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しました https://t.co/RRzHc42Ds5 @slinky_dog_s11さんから

— 特撮秘宝 (@tksthiho) 2016, 2月 6

「特撮秘宝」というムックは、私のような平成育ちの後発特撮ファンからするともはや理科か社会の資料集とでも呼ぶべきディープ&カルトな特撮専門誌。そもそもvol.1の表紙がジェットジャガーでvol.2の表紙が宇宙猿人ゴリという時点でターゲット絞りまくりな潔さが眩しい…!読んでも読んでも終わらない物量に嬉しい悲鳴が上がる費用対効果抜群のシリーズです。既刊も読み応えが凄いのでこちらもどうぞ。(vol.2の「ウルトラ再生怪獣対談」等がめちゃくちゃ面白かったのと、ジェットジャガーのデザインの謎を追う連載が楽しみすぎる…!)





ということで、商業誌で書かせていただいた、という初体験のご報告でした。同じ「文章を書く」でもブログとでは全く勝手が違って色々とアタフタしてしまったのですが、その辺りの奮闘録はまた別途…。上ではかっこつけて「ぜひ本誌を手に取っていただければ幸いです」とか書いちゃいましたが、ぶっちゃけると「買ってね!!!」というやつです。よろしくお願いします。


(同カテゴリー記事)
ウルトラマンネクサスがXで魅せた11年ぶりの「夜襲」
復権を兆す怪獣と多様性を失うヒーロー、特撮の行く末
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邦題の意味“長期の放浪”は映画「オデッセイ」の寓話性を惹き立たせ嘘を彩る

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

「インターステラー」より現実的で「ゼロ・グラビティ」より陽気な宇宙放流記映画、「オデッセイ」を公開日に鑑賞した。NASAの火星探索任務中の事故で独り取り残されてしまった宇宙飛行士が、植物学者の知識と持ち前の明るさを活かし、火星で黙々とサバイバルをするSF作品。次の調査隊が来るのは数年後だが、果たして食料は足りるのか、水や空気は大丈夫なのか、何とか地球と交信することは出来ないか、そもそも“生存している”ことをどう伝えれば良いのか…。度重なる死と隣り合わせの難問を科学的にクリアしていく作劇は非常に魅力的であり、「嘘」の配分もとても絶妙な作品だったと思う。


※※※


「オデッセイ」は邦題であり、原題は「The Martian」。原作小説の邦題が「火星の人」として出版されている通り、とっても“そのまんま”なタイトルだ。そんな直球ダイレクトなニュアンスを変更した邦題だが、これまた興味深い単語が当てられている。「オデッセイ」(オデュッセイア)は、詩人ホメーロスの作として伝承されている古代ギリシア長編叙事詩のタイトル。トロイア戦争を終えた英雄オデュッセウスが10年間漂白するお話で、転じて、可算名詞として「長期の放流」「長い冒険」といった意味を持つ。

この邦題の何が面白いかというと、作品自体がとても「非寓話的」であることだ。素人には訳が分からない単語が頻出する膨大な科学考証&解説シーンが連続で紡がれ、「火星で数年間、地球人がサバイバルする」という荒唐無稽な設定に抜群の説得力を与えている。しかもその語り口がユーモアかつリズミカルなので、全くもって“ダレない”し、退屈を覚えない。こうやって、それが必要で、このようにしてそれを得て、こう工夫したから、そうなった。…といった手順が度々示されるので、「なるほどそれなら火星で生きられる!」と自然と納得させられてしまう。理科の教材ビデオを見て「お~なるほど~」となるあの感覚に近い。





だからこそ、物語に没入していくと「あれ、これは実際にあったことが基になった映画だったっけ?」という錯覚に陥っていく。国際間の交渉や固唾を飲んで救出劇を見守る全世界の様子などがとてもドキュメンタリーチックに描かれるため、とても上質な「奇跡体験!アンビリバボー」の再現VTRを観ている気分になるのだ。クライマックスは思わず目の前で両手を握って懇願してしまう。そんな現実味、“リアルさ”、映画という嘘の塊が綺麗に“騙してくれる”錯覚体験。これこそがこの上なく「非寓話的」と言えるのではないか。非常に突飛な設定なのに、どうしようもなく「リアリティラインが高い」。だからこそ面白い。

そんな「非寓話的」な物語に、この上なく「寓話的」である古代ギリシア長編叙事詩のタイトルを当てる。このアンバランスさとミスマッチさが、一歩引いた上での“寓話性”を惹き立てており、「オデッセイ」というタイトルがまるで大きくて古いハードカバーの表紙に金箔押しで綴られているような、そんな特別感を与えてくれる。ここまでリアルでドキュメンタリー的な物語だからこそ、寓話的で、神話的で、伝承されていくべき物語なのだと、その高級感に少しだけ酔えるような喉ごし。「オデッセイ」という邦題は、近年でも随一の“良邦題”と言えるのではないか。


※※※


そんな叙事詩“長期の放浪”は、火星に独り取り残された男の生き様をバリエーション豊かに描いていく。漂流開始直後、自らの境遇に嘆き絶望するより先に、冷静に(ブラック・ジャックばりに)傷口を治療し記録映像を残す。この時点で彼のプロ宇宙飛行士としてのスタイルや、精神面の強さを伺うことができる。私だったらもうあの時点で「うわー!取り残されたー!絶望だ!お終いだ!」とあのまま脱力して死んでしまうだろう…。装備を脱いだら筋肉隆々な身体が綺麗に汗をかいていて、「あ、この人は本当にプロの宇宙飛行士なんだな」という納得感を開始15分ほどで与えてくれる。

その後、仲間の持ち物を整理しつつ使える物をピックアップし、現状をしっかり把握する。火星でジャガイモを栽培するために、真空パックされた仲間の“うんこ”を再活用。レシピ通りに水を作り、ビニールハウスを完成させていく。この「ゼロから作り上げる」感覚というのが非常に小気味よく、私が思い出しだのは映画ドラえもんの「日本誕生」であった。何もない土地というのは、裏返せば全てが可能性なのだ。その全部を自分の好きに加工し、作り上げることができる。とてもストレートな「ピンチはチャンス」の図式として、飲み込みやすい。





主人公はとても陽気に物事を進めていき、彼の生存を確認した地球サイドが冷や汗をかきながら対応する様とのギャップがユーモアとして描かれていく。上司が残したアルバムをガンガン鳴らしながら、リズムを取って作業をする。近年だと「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」でも描かれた“音楽は宇宙でも通じるんだぜ!最高!”な陽性最上級要素が観る者の笑みを誘発する。しかしその「ポジティブさ」は彼のどん底の孤独の裏返しでもあり、どうしようもなく気が狂いそうになる状況を(文字通り)“砂上の”明るさで誤魔化し続けている。「ポジティブいいね」と「ポジティブだからこそ辛いね」の両立。彼が陽気に振る舞えば振る舞うほどに、ふふっ と笑いながら心のどこかが締め付けられていく。

孤独で楽しく、そしてこの上なく惨めな火星放流。一方の地球では、彼をどうにかして助けたい者、政治的にそれに難色を示す者、その関係性は国家共通の難題としてスムーズに展開されていく。「たったひとりの男を助けるために、莫大な資金と時間を費やし、宇宙進出を数年後退させる」。この決断に、国や世界がGOサインを出せるのか。果たして仮にGOが出ても、その救いの手は遠く離れた彼の“生存日数”に間に合うのか。「情熱大陸」と「プロフェッショナル 仕事の流儀」と「プロジェクトX」を融合したかのような緊迫感のある“超長期的救出劇”は、火星サバイバルとは全く別の魅力を持っている。だからこそ、並行して全く交わらなかったふたつの物語が次第に絡み合いひとつに“戻る”まで、そこに壮大なるカタルシスがあることを観客全員が期待して観ることになる。



※以下、本編の結末に関するネタバレがあります。


クライマックスで非常に魅力的だったのは、主人公が自身を「宇宙海賊」だと嘯き、火星を後にするシーンだ。使い古した機器たちに別れを告げ、地球に還る機会を先延ばしにしてまで会いに来てくれた仲間たちと遂に直接交信に至る。それまで陽気でポジティブに振る舞っていた彼が、むしろ「救出作戦の本番は今から」なのに、仲間の声を聞いただけで思わず涙を堪えきれなくなる。カットバックで全世界の人間が中継を見守る様子が挿入され、否が応でも物語が終局に向け盛り上がっていく。ここで私は思いっきり泣いてしまった。彼の張りつめた緊張と自分に対する“嘘”が剥がれていき、遠い存在の地球をとっても身近に感じたあの瞬間。オンボロのビニールを張った脱出ポッドの中での男泣きは、非常に胸にこみ上げるものがあった。

そして待ちに待った「邂逅」の瞬間。ここまで来たら、観客の全員が分かっているのだ。「どうせ助かるんでしょ」、と。しかし、分かっていてもハラハラし、雪崩のように襲い来るアクシデントに緊張を覚える。「アイアンマン」ネタに思わず笑みをこぼしつつ、ロープを手繰り寄せてついにピックアップに成功する。

この「ロープ」がとにかく素晴らしい。あれがあるからこそ、「あ、掴め… ない!」のハラハラ感が物語としての起伏になっているが、同時に、美術的に、映像的に、とても「綺麗」なのだ。まるで新体操のロープのように、無限の軌道を描いて宇宙空間にロープが舞う。その中心で遂に再会する仲間たち。物語としてのアイテムが、映像的な美しさやハッタリにまでシームレスに昇華されるあの瞬間は、控えめに言っても「極上」であった。ただ手と手を繋ぐだけのあの工程が、“寓話”のクライマックスとして、フィクショナルで感動的な映像として完成されており、それを持って観る側の感情も最高潮に達する。綿密に計算された映像美と言えるだろう。





リアルな寓話、“長期の放浪”こと「オデッセイ」は、兎にも角にも嘘が上手い。執拗な科学考証と、ドラマチックに手と手を取り合う地球サイド。本物があるからこそ嘘が活きるし、嘘があるからこそ本物が真実味を増す。常々映画には「上手く騙して欲しい」と願っているが、2016年も開幕早々、秀逸なイリュージョンにまんまとやられてしまった。何が凄いかって、この映画を観ると、仮に自分が同じように火星に取り残されても「なんとか生き延びられそうな気がする」のだ。絶対に無理なのに、何となくそんな気がする。この嘘こそが、最高なのである。


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【過去記事】
「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しました
2040年のマクドナルドを創る第二世代(現20代)は果たして我が子を不健康に誘えるのか
10年ぶりに遊戯王に触れた浦島太郎デュエリストがあまりの環境変化に膝から崩れ落ちてかっとビングした話
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初の雑誌寄稿依頼はブログと勝手が違い戸惑いつつ原稿を必死でライザップした奮闘録

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

「好きな物を気ままに書く」というモットーで特撮や映画のレビューを中心に2年弱もの間このブログを運営してきた訳ですが、別途ご報告しましたように“超絶ありがたや事案”とエンカウントし、出版社から依頼を受け雑誌に寄稿という体験を得ることが出来ました。とはいえ特撮の専門誌に「ウルトラマンネクサス」と「ウルトラマンX」の作品解説と紹介をそれぞれ1,200字で1ページずつというのは …なかなか勉強になりましたよ、色んな意味で。今回はこれに「ただ奮闘していた」、という初寄稿体験談なのでお暇な方だけ読んでくださいね。


【詳細】
「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しました


そもそもこのブログ、多分平均的なブログより文字数が多いんですよ。おそらく毎回3,000字近くは書いているし、5,000字超えはよくあること…。これって要は「簡潔にまとめる能力に欠けている」ということで、いつもダラダラと書いて書いて書き綴ってちょこちょこと校正してハイ公開! …という流れなので、「1,200字でお願いできますか」と依頼を頂戴した時は「あぁぁぁあありがとうございますぅぅぅいやほぉぉぉぉおおおぉやらせていただきますぅぅううう!」と嬉ションまき散らしながら内心では「ふむ…」と顔を強張らせていた訳ですね。

だって、「ウルトラマンネクサス」と「ウルトラマンX」の作品概要と魅力点って、多分それぞれ1万字はくだらないんですよ、これ。もう死ぬほど書けるじゃないか…!両作品とも“ウルトラ史”的に色々と欠かせない要素がありすぎて、そもそも作品や物語そのものに言及する前に字数オーバーばっちこい!ですよこんなの。しかもあろうことか特撮専門のムック本に載るとなるとある程度目の肥えた方々に読まれるので半端は通らない。とはいえ、「いつ放送されて」「こういうあらすじで」「こんな番組でした」“だけ”を羅列しても、“面白くない”じゃないですか!やっぱり!

つまりは慢心も含めて、「この文字数で全てを詰め込んで、かつ、自分自身の文章の色も出せれば120点だぜ!ぐへへ!」とか欲張ってしまう訳ですよ、せっかくの機会なので。


※※※


まあ、取りあえず、兎にも角にも、まずは書いてみましょう …ということで「ウルトラマンネクサスとは~」と書き出したら、数十分後、そこには5,000字を超える作品レビューが!!! なんてこったい…。お前馬鹿かよ… 1,200字って言われてたじゃねぇか… 5,000字から1,200字って… ここからどう頑張ってライザップするんだよ… 結果にコミットできるのかよこれ…。

いつものブログ記事は、全体構成なぞ考えずに書きながらリアルタイムで組み上げていくという、とても行き当たりばったりな作り方をしているので、そのやり方で5,000字になってしまったのならもうしょうがない。一旦それを横に置いて、「こういう導入で」「これは欠かせない」「これもポイント」「締めはこんな感じで」と箇条書きで要素を抽出。1,200字なのでおよそ4つか5つの段落に分けてそれぞれ300字弱くらいで構成して切り貼りしよう、と。すごい!いつものブログ記事の何倍も真面目!! …ってな感じで組み上げて1,500字くらいには出来たので、そこから「こことここは意味が近いから列挙してニコイチに!」とか「これはもう段落ごと消しちゃえ!」とか、そうやって文字数を微調整。手元のWordでちょうど1,200字に収まったぜイェーーイと喜んでいたのだが、実はここからが本番なのであった。

つまりは単純に1,200字が載るのではなく、「N字×N行」という条件がある訳ですよ。誌面構成に合わせる形で、それも含めて1,200字。英数字の半角か全角かで全体の調整に大きな影響が出る上、段落ごとに改行すると文字スペースが改行の数だけいくらか死んでいくということで、Wordの縦横やフォントを調整して厳密に測ると2行くらいオーバーしてるじゃねぇか!!くそ!!ばか!! …ってね、これ実際の誌面に載せる文章を書いた経験のある人からすれば「何を当たり前のことを…」と真顔になると思うんですけど、なにぶんね、初めてなのでね。自由に何万字でも書けるブログというぬるま湯で好き勝手やってきた私にとって“誌面字数制限”は結構な壁(勉強)だった、という話でございます。


【参考にしたページ】
Word :文字数・行数を指定して文書を作成する方法


まあ、字数制限だけでなく「こんな要素も盛り込んで…」「こんなターゲット層に…」という条件もいくつかいただきましたので、限りある字数の中で、頑張って詰め込んだつもりです。とはいえ、とても好きに(&自由に)書かせていただけたので、とても楽しかったんですよ。いつもと違ってアウトプット前に他の方の手が入っているし(丁寧に校正していただきとても嬉しかった…!)、その中で「自分らしさ」も込められていますし(多分)、いつものブログ更新とは全く違う貴重な体験でした。

そして、「OK」をいただいた数日後に最終チェックのためのゲラを送っていただいて、思わず「お~~~」と。パソコンを前に本当に声を出して「お~~~」と漏らしたのはいつぶりのことか。感動しましたね、やっぱり。だって私の文章とウルトラマンのスチールが並んで配置されているんですよ。そりゃあ、「お~~~」しかないでしょ。


※※※


補足としてどこかの誰かの参考になるかもしれないので「依頼を頂戴した背景」を書き置いておくと、ブログのトップページにしっかりインフォメーションを設けていたのが功を奏したかな、と。




▲PC閲覧時のサイドバーに設置しているプロフィール+メッセージフォーム


ブログ経由の「メッセージ」もTwitterも、スマホで常に確認できるようにしているので。以前も「映画レビューアプリの紹介」という依頼を頂戴したことがあったので、それ以来、窓口を分かりやすく作っておいた甲斐がありました。あと、依頼を受けたその後のやり取りのためのメールアドレスをフリーメールでどこかにひとつ持っておくとスムーズかもしれません。最近だと全くの別案件で映画のマスコミ試写のお誘いを頂戴したこともあったけど、これも前述の「メッセージ」経由で。まあ、こちらは遠方過ぎて断念したんですけどね…。(当ブログはgooブログ備え付けのメッセージフォームを使っていますが、フリーの物も沢山あるようです)

「基本はTwitterだけど長文を書くのには向いていないからその“はけ口”としてブログをやろう」。そんな動機で始めたブログをおかげさまで2年弱も続けることができて、その結果、願ったり叶ったりである自分の好きなジャンルの専門誌に寄稿依頼を頂戴する。こんなに嬉しいことがありますか…。ブログやってて良かったな、と心底思いますよ。この上なく良い記念になりました。もしまたこういう機会に恵まれたらぜひチャレンジしたいと思います。

そんなこんなで、「いつもと勝手が違ってアタフタしたけど頑張って書きました」という体験記でした。結果にコミットできたであろう完成品の文章は、ぜひ本誌を手に取っていただければと思います。


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おいTwitter!今すぐ有料サービス!有料プランを!開始を!頼む!月額280円でこんな機能はどうだ!

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

Twitter、タイムラインのトップに広告動画が表示される「First View」発表』ということで、またもやTwitterに新たな広告が増えるとういうニュースを目にし、「うむむ~」と声にならない声を出してしまった。在りし日のmixiのように、「現状のままでいいのに余計なものが沢山くっ付いてユーザーが離れていく」現象に陥らなければいいが…。先日も「タイムラインの時系列表示を変更する」という報道がなされ、それが誤報だと二の矢・三の矢が飛び交ったりと、どうにも安定感に欠ける印象が拭えないTwitterサービス。

以前『Twitterがブックマークを殺した』という記事にも書いたように、私は完全なるTwitter中毒であるが、それ以上にTwitterが完全なる“情報収集の場”になっているので、それのみを活用している状態だ。今や、これが無くては趣味関連のアンテナに大きな影響を及ぼしてしまう…。


今、ブックマーク機能は全く使っていない。端的に言えば、Twitterがその全てを無にしてしまった。意味が無くなってしまったのだ。自分から情報を獲りに行く労力をかけずとも、上手くアカウントをフォローして自分だけのタイムラインさえ作ってしまえば、それで十分になった。映画関連の情報も応援したいアーティストのあれこれもニュースも何もかも、その全てがタイムラインに表示されるようになった。ただ漫然と、それを眺めていれば全ての情報が手に入る。自分から、「(自分だけの)城」(ブックマーク群)を小まめに巡回する必要が無くなった。

観たい映画の公式サイトも、見る頻度がガクッと減った。昔はこれでもかとアクセスしに行っていたのに、その広報Twitterが発信する情報を眺めていれば足りるようになった。個人ブログも、昔は毎日アクセスして「今日は更新されてないな」とか言っていたのに、今では更新通知が本人のアカウントからタイムラインに発信される。観ているドラマやアニメの公式サイトも、ついこの間まではコンテンツの隅々まで閲覧していたのに、今ではそのドラマを語る人をタイムラインで見かけたりタグで追って見るだけでどこか満足できるようになった。

(略)

少なくとも私は、Twitterの登場によってブックマーク機能をほぼ使わなくなった。それと同時に、「情報に対する嗅覚」も、「情報を自ら獲りに行くバイタリティ」も、全て失ってしまったような気がする。

Twitterがブックマークを殺した


Twitterというのは本当に便利なもので、全ての情報をそこに集約できてしまえる。しかも「情報収集」と「コミュニケーション」が一体化しているため、中毒性が高く、依存度も半端じゃない。下手をすればタイムラインを眺めているだけで一日を終えられてしまうし、日記帳を振り返るよりもツイートのログを閲覧した方がはるかに“正確な日記”になっていたりする。

私のアカウントもいつの間にか4,000以上のフォロワーに達していて、このブログの更新通知を毎回そこに流し、Twitterから沢山のアクセスを頂戴している。ブログを2年ほど続けてこられたのも、他でもないTwitterのおかげだ。他にも、はてなブックマークでのブックマークもTwitterに流すようにしているし、リアルタイムで起きたニュースや事件や自然災害の詳細等は下手するとどこよりもTwitterを開いた方が手っ取り速かったりする。今や、私の「インターネット」はその大部分が「Twitter」になってしまった。うん、全くもって褒められた話じゃない。


そんなTwitterが…っ!今や!!広告盛りだくさんっ!!なんか変な機能たっぷり!!1万字とかいらないから!!企業として先行きが危なそうだし!!!重いし!調子悪くなることもあるし!頼む!頼むぜ…っっ!!Twitter!お前がいなきゃ俺はどうしていいか分からないよ!!Twitter!!!おい!!


※※※


ということで、前々から思っていたことだけど、そろそろ本当に「有料サービス(有料プラン)」を検討して欲しい、と思っている。月額280円くらいでどうだろうか(適当)。主な機能としては…


・読み込みの高速化
・広告ツイートの非表示
・ブロックしたアカウントのツイートはたとえRTでも非表示
・フォロー制限数解除
・凍結条件緩和
・お気に入り(いいね)の登録順表示
・RTされた先のひとつ後の呟きをツイート単位でピックアップ
・ツイート単位で通知ミュート


…こんな感じでどうだろうか。むしろ個人的には280円でも安いような気がする。あくまで「有料プラン導入」として「全面有料化」でなければ、大幅なユーザー離れは起きないような気はするけども。ちょっとデータが古いけど、日本でのユーザー数は2014年6月時点で1,980万人&アクティブ率が60.5%ということで、仮にアクティブユーザーの30%が月額280円の有料プランに加入したとすれば、月に10億ですよ!10億!これでどうにかなりませんかね、Twitterさん!!

ちなみに、「広告ツイートの非表示」はリストを作ってそっちを疑似タイムラインにしてしまえば一応解決できて、「お気に入り(いいね)の登録順表示」は『favolog』というサービスを使えばもっと詳細に管理が可能、「RTされた先のひとつ後の呟きをツイート単位でピックアップ」は『リツイート直後のツイートを表示するやつ』を活用すればスムーズに閲覧できる。現状、色々と駆使してやっているけども、お金を払うから公式でカバーして欲しいなあ、というのが本音である。

頼むよ、頼むよTwitter。SNS戦国時代をこれからも勝ち抜いてくれ…!


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【過去記事】
初の雑誌寄稿依頼はブログと勝手が違い戸惑いつつ原稿を必死でライザップした奮闘録
「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しました
邦題の意味“長期の放浪”は映画「オデッセイ」の寓話性を惹き立たせ嘘を彩る
10年ぶりに遊戯王に触れた浦島太郎デュエリストがあまりの環境変化に膝から崩れ落ちてかっとビングした話

DVDはまだか!妙作「ウルトラマンパワード」の怪獣デザインは「シン・ゴジラ」にて胎動する

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

ここ数年、歴代ウルトラマンのソフト化が加速している。ティガやダイナ、初代マンやセブンなどがBlu-ray化され、最新のギンガやXも特典映像満載のBOXを定期的に繰り出している。Amazonの「欲しいものリスト」にそれらを入れてはニヤニヤしつつ財布を開いて白目を剥く日々だが、個人的にはそろそろ「ウルトラマンパワード」のソフト化がどうにかならないものかと…。私の、ある種のウルトラ原体験に近い作品であり、思い入れが非常に強い。未だにOPテーマを聴くとサビ終盤の「ウッルットラッマ~ン(テレテレレ~↑」の上がり調子なフレーズでグッと込み上げるものがある。

「ウルトラマンパワード」は、1993年にアメリカにて製作されたシリーズ。同じく海外で製作された「ウルトラマンG(グレート)」の好評を受けての“海外ウルトラマン第二弾”であり、日本では1995年に放映された。主演は特撮ファンにはお馴染みのケイン・コスギ(改めて振り返るとゴジラにもスーパー戦隊にもウルトラマンにも出演していてすこぶる輝かしいご経歴…!)。アメリカの雄大な大地で戦うウルトラマンは目が青く、クリーチャー然とリファインされた初代マン怪獣たちは非常に魅力的だ。





物語はウルトラマンのスタンダードを地で行くタイプであり、一心同体となった異星人であるパワードと地球人のケンイチ・カイ隊員が共に怪獣と戦っていく構成。怪獣が全て初代「ウルトラマン」に出てきた怪獣のリデザインであり、便宜上「パワード〇〇」として語られる。ライバル的な存在がバルタン星人で、最終戦がゼットンと、これまた初代マンらしさが満載である。多少語弊があるかもしれないが、ご存じない方には「初代ウルトラマンの海外リメイク作品」とでも説明すれば輪郭が掴みやすいだろうか。

とはいえ本作最大の問題点(?)が、肝心要のウルトラマンのアクションそのもの…。アメリカの表現規制により、殴ったり蹴ったりといった動きが基本的にNGとなった結果、パワードさんは全力で怪獣を「押す」とか、光線技を「撃つ」とか、相撲のように「取っ組み合う」とか、非常に独特な動きばかりを強いられた。結果、(最大限にポジティブに解釈するのなら)アジアンテイストが見られる柔道や相撲や太極拳のようなどこか礼節を感じるアクションになっており、端的に悪く言えば、「モサい」「しょっぱい」のである。





パワードはアクロバティックな跳躍で敵怪獣の背後を取り、そっ… と「押す」のだ。撫でられた怪獣は時によろけたり時に思いっきり吹き飛ばされたりするが、そうやってパワードさんが探り探り(のように)怪獣と対峙する様がハイスピードカメラで捉えられ、一応の巨大感や存在感は演出されている。が、ミニチュアの配置や見せ方が痒いところに手が届かない感じもあり(“特撮”本家本元の日本製作品と比べるのも酷な話なのだが…)、ともすれば、だだっ広い運動公園でふわふわと巨体が押し合っているような映像にも見えてしまう。

そんな大人の事情バリバリの独特の動きすら、幼少期の自分には確かに「かっこいい」ものであった。日本のそれとはまた違う質感の画面で、「カイジュウ」と「クリーチャー」を折半したような巨体がのっそのっそと動き回る。オープンセットの太陽光の下で“押し合う”ウルトラマンや怪獣に、どこか国内ウルトラマンとは違った“リアルさ”を感じていた記憶がある。アメリカは日本より極端に湿度が低いし、カラッとしたあの空気感もまた新鮮だったのかもしれない(適当)。




▲圧倒的なまでの「ウルトラ大地」…っ!手前にビルを置いてくれ…!


その怪獣は、前述のとおり初代「ウルトラマン」に登場した怪獣のリメイクになっている。怪獣系統の奴らは動物性やクリーチャーっぽさが強調され、異星人タイプは全体的にシャープさが増した。比較して分かりやすいのは他でもないバルタン星人で、パワードバルタンの一見すると骨皮筋衛門のようなフォルムは非常に独特である。




▲夜の高層ビル街にそびえ立つパワードバルタンは異彩を放つ。




▲レッドキングは名実ともに“レッド”となった。




▲ご尊顔もこんなに凶暴に。




▲最も「誰だお前…」状態なジャミラ。宇宙服がそのままクリーチャー化したような印象を受けるが、“彼”の境遇を考えると納得のいくデザイン。




▲本作でもレッドキングと一戦交えたドラコは、裾から小刀を取り出す仕事人のように描かれた。




▲セットでお馴染みのアボラスとバニラは体表が少しグロテスクで生物感に溢れている。




▲他にもお馴染みの怪獣・星人たちがのっそのっそと動き回る。




▲パワード怪獣のデザイン画は「語れ!ウルトラ怪獣」に収録されている。


そして、この怪獣造形を担当されたのが樋口真嗣や前田真宏なんですね。Twitterで先日パワードトーク(パワードを温かい目で語る会)をしていた時にフォロワーの方に気付かされたのですが、そっくりそのまま「シン・ゴジラ」のスタッフという…。前掲の(特に)アボラスやバニラを見てからシンゴジを見ると、なるほど確かにこの造形は…!と妙な感動が込み上げてくる。実在しない超生物である巨大怪獣を、本当に存在しそうなリアリティと造形で魅せる。一瞬の違和感こそが一周してチャーミングというか…。早くシンゴジの全体像を拝んでみたいものです。





ウルトラマンパワード、グレートのソフト化は、海を越えての交渉事と過去の契約が色々絡んでいるとかで、簡単にはいかないというのは、分かるんですよ…。分かるんですよ円谷様…。でも、この2016年にVHSとLDでしか出ていないというのは…ちょっと…寂しすぎやしませんか… しますよね… するんですよ…。Blu-rayだなんて贅沢は口が裂けても言いませんので、何とかどうにかしてDVDを… 出してはくれませんか… パワードさんの「押し」や怪獣たちの驚異的な造形、そして森川智之や戸田恵子といった豪華吹替キャストの熱演を… 日常的に拝める平和な世界を……っ!





カイ隊員と完全分離して単身ゼットンとの最後の戦いに臨むパワードさんの転がっては光線を撃って反射させてやけにさくっと勝利を収めるあのしょっぱい感じを是非DVDで!DVDで!お願いします!




▲ちなみに、パワードはLDのジャケットイラストが非常にかっこいい。




▲バンダイから3DOで出たゲームも印象的。




▲そしてなんといってもパワードといえばサウンドバトラー!


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元保険屋が真面目に怪獣保険について考えたら保険料は年間8,150円という計算になった

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

何度か書いていますが以前は保険の営業マンをやっていたので、それでいて特撮が好きということでゴジラやウルトラマンを観ていると、毎度思うのが「これって保険おりるのかな…」というやつ。数日前から久々に初代「ウルトラマン」を1話から観ているのだけど、3話にてネロンガが豪快に火力発電所を破壊していて、ついつい「うわー、損害やべぇぞこれ」などとボヤいてしまったり。まあ、そもそもが野暮なツッコミではあるのだけど、シミュレーションも兼ねて「もし怪獣が暴れ回る世界だったら損害保険はどう扱われているのか」について考えてみたいと思う。


※※※


大前提として、損害保険(自動車保険や火災保険)には漏れなく「免責事由」というのが決められており、これに該当するものは支払われない決まりになっている。例えば「わざと破損させるのはダメですよ」とか「酒に酔った運転時の事故はダメですよ」とか、契約時に配布される約款というものにこれでもかと細かい字で書かれている。ということで一般の火災保険の「免責事由」を見てみると、怪獣災害に関係しそうなのはこの辺り。




第5条(保険金をお支払いしない場合)
当会社は、下表のいずれかに該当する事由によって生じた損害または下表のいずれかに該当する損害に対しては、保険金を支払いません。

(中略)

7.地震もしくは噴火またはこれらによる津波。

トータルアシスト住まいの保険・地震保険(東京海上)



こんな感じで火災保険は基本的に「天変地異では支払いません」というルールになっていて、別途保険料を払って地震保険を契約すれば、そのルールを“外す”ことができる(地震やそれによる津波等の発生時に払えるようになる)、というシステムになっている。だから地震保険単体の商品というのは一般向けには無くて、あくまで火災保険に上乗せで付けることができる、という整理。

ではここで問題なのは、怪獣が暴れて家屋を破壊するのは果たして「地震もしくは噴火またはこれらによる津波」に該当するのか否か。言葉通り捉えるなら答えはNOであり、「保険金をお支払いしない場合」には該当しないという結論になる。ということで、この前項にある補償内容(保険金を支払う場合)の「建物の外部からの物体の衝突等による損害」か「その他偶然な破損事故等による損害」あたりが適用され、支払われるのではないかな、と考えられる。

とはいえ、ウルトラマンやゴジラの世界では割と当然のように怪獣の存在が認知されているパターンが多く、そのための防衛隊が国際的に組織されていたり、ゴジラ専門の対策本部が編成されていたりする。つまり、怪獣が出現することが災害のひとつとして捉えられている傾向が強い(もちろん人類と怪獣のファーストコンタクトを取り上げた作品もある)。上で引用した約款はあくまで「怪獣がいない現実世界の話」なので、おそらくこの手の怪獣が認知済みの特撮作品の劇中では…




7.地震もしくは噴火、怪獣やそれに類する巨大生物による損害、またはこれらによる津波。



…といった内容になっているのではないか、と。つまり、免責事由(保険金をお支払いしない場合)に「怪獣災害」が組み込まれていて、その上で「怪獣保険」がまるで地震保険のように存在している。追加の保険料を払い、通常の火災保険に上乗せして契約する形になっているような気がする。





ただし、怪獣が特定の科学者によって人為的に操られているケースや、国家間の戦争兵器として用いられている場合等は、これに類しない。破壊活動を目的としている場合は損害保険の必須支払要件である「偶然性」に欠けると判断されるだろうし、戦争や外国の武力行使はそもそもの免責事由に定められているからである。補足として、「戦争」が一律でダメなので、宇宙人が攻めてきた場合も支払は難しいだろう。

よって、例えばゴジラが海から出てきて街を破壊した時に、通常の火災保険に上乗せして怪獣保険に加入していれば破壊された家屋に保険金は支払われる。が、一方で、バルタン星人のように地球を侵略しようとした異星人によって家屋を破壊された場合は、「戦争」やそれに類するものと判断され、保険金はおりないものと思われる。(前述の約款の例のように、「戦争」の欄に「異星人による侵略等」といった文言が付け加えられていそう)


※※※


ゴジラやウルトラマンの「あの世界」に辿り着くまでに、おそらく保険業界はかなりの四苦八苦を経験していくのだろう…。怪獣保険がしっかり業界に根付くまでの流れはおよそ想像できる。仮に怪獣保険があったとした場合、それに一番近いのは前述のとおり地震保険だが、これは大正や昭和に起きた震災で火災保険が役に立たなかったことを受けて国が法で定めて行ったものであり、おそらく怪獣災害も同様の流れを経ていくと思われる。「地震保険に関する法律」のように、「怪獣保険に関する法律」が定められるのだろう。

あ、でも、最初の引用のように怪獣災害は現状では想定されていないので、怪獣が出現したら保険会社は保険金を支払うしかなく、程なくして怪獣災害を「保険金をお支払いしない場合」に追記し「怪獣保険」を追加する商品改定が行われるのだろう。それまでは保険金を吐き出し続けなければならず、保険会社は想定外の収支バランスに頭を抱えることになるのかな…。(上には「異星人からの侵略は保険対象外」と書いたけれど、これも事例が頻発するのなら、国の主導で何らかのケアがなされるかもしれない)





では、怪獣保険が仮にあったとしたら、その保険料(掛け金)はいったいいくらになるのか。損害保険は過去何年の間にどれくらい保険金請求があったか(災害が起きたか)を統計的に処理し、そこから保険料を設定している。大雑把に言えば、めちゃくちゃ大きな地震が起きてしまえば後々保険料は上がるし、何百年も全く起きなければ安くなる。危険度が高いほど掛け金も高いという、至極当然のカラクリである。

とはいえ損害保険会社の持っている統計データは完全なブラックボックスなので、ネットで拾える数値でざっくりと当たりをつけてみたい。例えば前述の東京海上の地震保険はこのページで試算ができるが、東京都で木造建築の場合、1年間の保険料は3,260円。これを、火災保険にプラスして払うことになる。(割引制度は考えないものとする)

怪獣の全長などその規模にもよるが、人里離れた山奥や海底に出現し建築物に影響を与えないケースもある訳で、例えばここでは震度5以上の地震(とそれによる津波)を怪獣災害と仮定してみる。日本気象協会のデータでは日本における震度5以上の地震は過去6年間で118回。年間約20回という計算になる。つまり、「震度5以上の地震が年間20回ペースで発生する現状において東京都の木造建築だと年間3,260円の保険料」ということで、これを基に怪獣保険の保険料を計算する。

ウルトラマンの放送が1年間だったとして、年間で登場する怪獣は約50体(厳密には50回の災害、というカウント)。年間20回で3,260円なので、50回なら8,150円だ。これがゴジラ等の年に1回の映画だとすると、2ヵ所以上で怪獣がそれぞれ出現して最後に雌雄を決するゴジラVSシリーズをサンプルに累計年3回の災害発生として、こちらは年間489円。うーん、安すぎる。でも、持ち家を持っていたらウルトラマンの世界よりゴジラの世界に住んだ方が年間の出費が抑えられそう、ということが分かった。(ここまで計算しておいて今更だけど、怪獣が暴れたら震度5どころじゃない上に、保険料も災害頻度によって単純に倍化して良いものではないだろうな……)


※※※


最後に、怪獣と戦うウルトラマンが壊してしまった家屋について考えていたのだけど、こちらは考えれば考えるほどに保険から遠のいていく…。現実問題として「警官が犯人追跡の職務中に窓ガラスを割ってしまうケース」が最も近いのかもしれなくて、即時強制と賠償の法的ロジックを調べたりしていたけど、そもそもウルトラマンって警察官でも何でもないんだよな…。作品にもよるけど、正式な提携や交渉などはなくて、彼らは彼らの善意によって(勝手に)人間社会を守り怪獣退治をしてくれる。つまり守ってくれる行為そのものもある種の怪獣災害と同じ側面があって、しかしそれは「偶然性」に欠けるという捉え方もできるから、もしかしたら保険金がおりないかもしれない。





「こっちは怪獣が出てきた時に踏み潰した家屋で、契約者は怪獣保険に加入していたので支払われます。しかしあっちはウルトラマンが怪獣を意図した方向に投げ飛ばした際に潰れたものですので、たとえ怪獣保険に加入していても偶然性を満たさないとして補償対象外です(ウルトラマンに求償することは出来ないので)」、なんてことになったら悲惨すぎる…。まあ、そもそも「ウルトラマンの人格をどう定義するのか」「怪獣によってはこちらも自らの意思で破壊を行う場合がある」「巨大生物の“巨大”の定義ってどこからだ」「緊急時に誰がその記録を正確につけるのか」といった根本的な問題が山積みなのだけど、ぜひその際は日本政府がウルトラ警備隊としっかり折衝を重ねて損害賠償に備えた法的ケアをしてくれることを期待したい…。(ちなみに、歴史上「宇宙人誘拐保険」というものは実際に存在した)

ウルトラマンも勝手に守ったら守ったで逆に攻め立てられる、そんな哀しい世界なのかもしれません。「放っておいて!怪獣に自由に壊させて!保険がおりなくなる!」なんて声は、上げたくないなぁ…。


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Twitterネタバレ問題&マナー論争最終決着論。唯一の解決案「自衛」と伏字回避の有効性について

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

2016年2月上旬、「ネタバレ嫌」という単語がTwitterのトレンドに載った。放送中の人気アニメについて「まだ放送を観ていない人がいるからネタバレツイートを控えて欲しい」と主張するツイートが大量にリツイートされ、論争が白熱した。その少し前には、週刊少年漫画誌の表紙にスポーツ漫画の試合勝敗が記されており、コミックス派やアニメ派に配慮が欠けるのではとそれを載せた雑誌の公式アカウントに苦言を呈す人が出現。雑誌の早バレがタイムラインに流れてきて憤慨する人も日々後を絶たず、「Twitter」と「ネタバレ」についてはいつもどこかで意見が飛び交っている。

この記事では、「Twitterにおけるネタバレ問題」について、2014年の4月に当ブログで公開した『Twitterにおけるネタバレの扱い。ネタバレは「ダメ、ゼッタイ」なのか?』という記事をリライトする形で、「ネタバレは何が(誰が)悪いのか」「対抗策はあるのか」「どこまでの配慮が必要なのか」について、Twitterを長年やってきてこの問題について延々と考えてきた自分なりの“最終決着論”をまとめてみたい。

※例として、文中に漫画「デスノート」に関するネタバレを取り扱っています。


※※※


まずは根本的に、「ネタバレ」の定義から考える。




【意味】
ネタバレとは、小説や映画、ゲームなど作品の詳細や核心部分が文章の中に入っていること。

【解説】
ネタバレとはインターネットの掲示板、ブログ、SNS(mixiなど)の日記などで、小説やコンサート、ゲーム、映画といった作品の感想、批評を書く際、文章の中に作品の詳細や核心部分を書くことをいう。ちなみにネタバレのネタは種の倒語、バレは秘密・嘘などが露顕することを意味する「バレる」からきている。当初、掲示板で「ネタバレ禁止(作品の内容がわかる書き込みは禁止の意)」といった使い方が多く見られた。また、ブログやSNSの日記タイトルにネタバレと書いたり、文章の途中から作品の内容に触れる際に「以下ネタバレ」と書くことで、作品にこれから触れようとする人が読んでしまわない様、警告としても用いられる。

日本語俗語辞書



多くの人の認識として、ほぼ間違いなくこの意味で用いられているだろう。問題は、文中にある「作品の詳細や核心」の部分であり、それがタイムラインに流れてきてしまうことに対してモヤモヤを抱く人は決して少なくない、というのがこの問題の発端である。モヤモヤ、つまりなぜ「ネタバレ」がヘイトを集めてしまうかというと、それは「他人の想像する自由を奪う行為」であるから、と答えることができる。

例えば、週刊少年ジャンプで連載されていた漫画「デスノート」だが、その第一部にて主人公である夜神月と名探偵Lの決着が物語のクライマックスとなった。大量殺人犯・キラとしてデスノートの所有権や死神の存在を駆使して戦う月と、圧倒的な推理力と財力でそれを追い詰める変人L。ふたりの頭脳戦は「夜神月の勝利」という形で幕を閉じたが、この勝敗結果は間違いなく作中最大の「ネタバレ」だ。





これからデスノートを初めて読み始める人の横で、「実は夜神月がLを殺して勝つんだよ」と囁いたら、それは果たしてネタバレだろうか。月が勝つか、Lが勝つか、どちらが勝つかワクワクしながら読むのが楽しいのであって、その結果を先んじて知らせてしまうのは「他人の想像する自由を奪う行為」と言えるだろう。プロ野球の結果を、いきなり未来人が応援席にタイムスリップして来て「阪神負けるよ!」と叫んだら、間違いなくブーイングが起きるだろう。阪神の応援席でも、巨人の応援席でも。

知らないからこそ楽しい、想像できるからこそ面白い、という物事は、世の中に沢山溢れている。フィクションである漫画やアニメや映画なら、その性格は尚更強いと言えるだろう。


※※※


では、「ネタバレ」の定義は前述のとおりだとして、今度はその種類について考えてみたい。一概に「ネタバレ」と言っても、それは無数に区分けすることができる。引き続き「デスノート」を例に挙げながら、ネタバレラインをカウントしていくが、本作最大のネタバレである「Lは月に負けて死ぬ」、その展開が広まる一連の段階をサンプルとする。




第1次ネタバレライン:作者や編集者からの情報漏えい
色んな意味で最もあってはならないネタバレ。作者が書いたプロットがデータ流出、編集者の原稿紛失、流通業者が業務中に雑誌を撮影しネットにアップなどがこれに相当する。

第2次ネタバレライン:発売直前の一般人から
いわゆる「ジャンプの早売りバレ」がこれに当たる。本誌発売日である月曜日のその前の週の末には出回ることが多い。「【デスノネタバレ】L死亡ワロタwwwwwwww」というまとめサイトの記事等がネットを駆け巡るパターン。

第3次ネタバレライン:ジャンプ発売日
週刊少年ジャンプ本誌の発売日。皆が等しく正しく「デスノート」を読める段階。しかし、ジャンプを全国の読者が発売日に必ず読めるとは限らない。「ジャンプ読んだ? L負けて死んだな!びっくりだよ!」「え? 私はまだ読んでないけど…」。辺鄙な土地ではジャンプの流通も遅れるだろうし、買ったけどじっくり読む時間を確保できなかった人もいるだろう。

第4次ネタバレライン:単行本発売日
単行本派の読者も決して少なくない。週刊連載における最新情報の矢をかいくぐり、無事に発売日まで辿り着く。溜めた分を一気に読み進め、展開を目撃する。

第5次ネタバレライン:メディアミックス化
「デスノート」はアニメにも実写映画にもドラマにもなった。当然、そこからこの作品にハマった人もいる。例としての「デスノート」は現時点でその全ての放送・公開が終わっているが、今も絶賛放送中のアニメは沢山ある。置換して解釈していただきたい。Lが負けるという顛末を知らずにワクワクしている層は、確かにいるのだ。加えて「第3次→第4次」同様に放送・公開からソフト発売までのタイムラグも存在する。映画だと特にここがひとつの線引きと言えるだろう。

第6次ネタバレライン:興味はあるけど触れてない人たち
連載もアニメも映画も、何もかも終わった。ソフトも全て発売された。しかし、まだ安心はできない。「デスノート、興味はあるけどまだ読んでないんだよね!」、これである。この人相手に「めっちゃ面白いよ!L死ぬけどな!」と言い放ったら、それは「ネタバレするな!」と指を差されても否定はできないだろう。



地域格差や環境差によっていくらでも細分化は可能だが、大別するとこの6つと言えるのではないだろうか。ネット、そしてTwitterのネタバレ問題を語る上で、そもそもこの「どのネタバレ」について語っているのか、というのをごっちゃにしてはいけない。

更には、ネタバレには2つのタイプも存在する。分かりやすいように「悪意ネタバレ」「結果的ネタバレ」と分類するが、要は「わざとか否か」という分け方だ。Twitterにおいて、例えばまだ読んでいない人に向けて「L死んだぞ!!」とリプライを送りつけるのは立派な「悪意ネタバレ」であり(こんな酔狂な人はそういないだろうが)、「Lが死んだけどこの展開には納得がいかないな~」とツイートしたらそれがフォロワーの“まだ読んでいない人”に結果として届いてしまうのが「結果的ネタバレ」である。

「第〇次」すべてのネタバレラインにおいてこのふたつのタイプ別が存在しているので、つまり、図にするとこのようになる。





Twitterユーザーの数だけ、「ここまでは個人的にはネタバレではない」「この辺りまでは自分も注意している」というパターンがあるだろう。言うまでもなく、「悪意ネタバレ」は比較的“低い”ネタバレラインにて頻出し、「結果的ネタバレ」は第4次や5次で待ち構えている人が最もダメージを喰らいやすいだろう。

このように、「ネタバレ」と一概に言ってもその性質は多岐に渡る。大まかに「他人の想像する自由を奪う行為」と上で定義したが、誰がどこに「想像」の重きを置いているのか、「自由」を感じているのかは、千差万別だ。別に展開を知ってしまってもキャラクターが実際に動いて喋る部分が楽しみなのであまり痛くない人や、お話の起承転結こそが何よりのポイントという人もいる。つまるところ、「ネタバレ」の定義は「発信する側」ではなくそれを目にした「受けとる側」によって常に変化するのである。

私はTwitterで映画をよく観る人をフォローしているが、ある人がある映画の試写会に当選し、その感想を呟いていた。もちろん詳細な中身に言及はしておらず、「感動した」「楽しかった」という抽象的な表現に留まっていた。その映画を私も楽しみにしていたので、公開前の盛り上がりを共有したく試写会感想ツイートをリツイートしたのだが、フォロワーから「試写会の感想はネタバレです!リツイートしないでください!」とリプライが届いたことがある。

これはどちらが正しいとかそういう話ではなく、上で書いた「ネタバレの定義は受け手によって違う」ことを意味している。私は「ストーリー展開やキャラクターの細かな言動」“のみ”がネタバレだとこの頃信じて疑っていなかったが、その人にとっては「その映画に関する全ての感想」がネタバレなのだろう。是も非も何も目にせず、フラットで真っ白な認識のままで公開日を迎えたいのであれば、確かにそうなる。つまりは、発信側がいくら配慮してもそれは受け手によってネタバレになってしまうことがあり、そしてTwitterでツイートするということはフォロワーのみならず全世界に発信することと同義なので、極端なことを言うと、全世界70億人で70億パターンの「ネタバレの定義」が存在してしまうことになる。

受け手の数だけネタバレが存在してしまうとすれば、それは大変だ。だって、発信する側がどれだけ気を付けても完全なる全方位回避が不可能ということになってしまう。さてさて、前置きが大変長くなったが、実はここからが「ネタバレ問題」の本番である。


※※※


Twitterはおそらく「結果的ネタバレ」がほとんどであり、この手の議論において「悪意ネタバレ」はテーブルに乗る前に断罪される。言うまでもなく、発売前の雑誌やカタログをネットで発信するのはネタバレマナー云々とはまた別の次元の話なので、それについては発信者のマナーや認識がすこぶる“なっていない”と言う他にない。(この部分はむしろネタバレ問題ですら無く、正確にはネットリテラシーの話になる)

真に「ネタバレ問題」なのは、「結果的ネタバレ」なのだ。東京で放送されたアニメは地方では(例えば)2日遅れ。その2日の間に、Twitterには「結果的ネタバレ」が大量に出回るだろう。その全てが受け手によっては何をおいてもネタバレになるのだとしたら、Twitterで作品の感想をツイートすることは、もう絶対に駄目なのだろうか。まだ観ていない・読んでいない人、つまり第6次ネタバレラインまで警戒するのならば、ある意味、未来永劫それを話題にすることはできなくなる。

ここで先に結論を書いてしまうが、つまるところ、「Twitterにおけるネタバレは防げない」。極端な話、「防ぎようがない」。何を書いてもネタバレなのだから、Twitterをやめる以外に完全防御は達成できない。

Twitterにはフォローという行為が存在するので、「“自分にとっての”ネタバレをする人」を自らのタイムラインに招き入れたのは他でもない自分であり、往々にしてここに「自己責任論」が発生する。Twitterにおけるネタバレ論争は、この「自己責任論」を押し付け合って白熱し、毎度のようにこじれる。ネタバレをする人も、下ネタを連投する人も、宗教の話ばかりする人も、自身が招き入れた相手である。ネタバレが嫌なら招かなければ良いし、既に招いていたのなら帰ってもらうか締め出してしまえば良いのだ。そのために、リムーブ・ミュート・ブロックという機能が存在し、誰でも活用できるようになっている。これがまた、「自己責任論」を強固にする一因だ。


「じゃあ、なんだ? 好き勝手ツイートして良いのか? なぜネタバレ被害者がそんな手間をかけなきゃいけないんだ!そもそも、ネタバレをツイートをしたそいつ自身が悪いんだろ!」


…という意見が出てくるのも、何も不思議ではない。「自己責任論」を語る上で、必然のように挙がる声である。しかし、“現実問題として”、交通事故において車が悪くても、ケガをするのは歩行者なのだ。だからこそ歩行者は、周囲をよく観察し、信号を見て、道を横断する。Twitterにおける「結果的ネタバレ」との遭遇事案は、まるで不幸な交通事故なのだ。

言うまでもなく、車の運転手にも配慮が求められる。雑誌発売日朝イチ・映画公開日当日のネタバレツイートは避けるべきかもしれないし、文頭に「ネタバレ注意」と記した方が良いのかもしれない。しかし、前述のように「結果的ネタバレ」はいつどこで発生するか分からない。当人が全くネタバレと思っていない「詳細を省いた感想」だったとしても、相手によっては憤慨ものである。これを読んでいる貴方がこれまで呟いた数多くのツイートは、そのどれもが絶対に全世界誰にもどの時点でもネタバレになってない、そう言い切れるだろうか。





歩行者は、日本中を走る全てのドライバーに「絶対に歩行者に気を付けるんだぞ!事故を起こすなよ!」と言って回ることはできない。それよりもっと“現実的な”有効手段は、歩行者自身が自ら気を付ける他にない。ちゃんと信号を見て、周囲の音を聞いて、時には手を挙げて、行動する。言うまでもなく、ドライバーも気を付けている。細心の注意を払っている。でも、ドライバーにだって過失はあるし、歩行者の動きや状況・環境も千差万別だ。だから、日本中で事故が絶えないのだ。

「まさか飛び出してくるとは思わなかった」。そう、「まさかネタバレになるとは思わなかった」のである。ネタバレの定義が受け手によって変わるのであれば、もう受け手が自分自身で自衛策を取る以外に「現実的な手段はない」。自分の中の定規に沿って、タイムラインを形成していく他にない。世の中すべてのTwitterアカウントに対して「〇日までは××についてツイートしないでください!」と声掛けして周ることは不可能であり、声を掛けられた人がそれを守る理由もどこにもない。理想論を捨て、現実として落とし込むと、結局は「歩行者が気を配って自衛する」=「受け手それぞれが自衛する」が唯一最良の策に「なってしまう」のである。


※※※


こう結論付けると高確率で誤解されそうなので再度書いておくが、私は「ツイートする側は好き勝手ネタバレして良い」と言いたい訳ではない。「受け手それぞれが自衛する」と「発信者それぞれが配慮する」は決して二者択一ではないからだ。しかし、発信者にも各々のネタバレの定義があり、何度も書いているように受け手にもそれがある。つまり、発信者の配慮が“貴方の定義”に沿っている保証はどこにもなく、沿わなければならない責任もどこにもないのだ。(前述のリテラシーとはこれまた別の話で、ネタバレが大歓迎という人も少なくない)

実際のところネタバレ防止のための伏字ツールや、ネタバレ専用アカウントやハッシュタグを活用するテクニックは存在するが、それは本質的には意味を成さない。あくまで「発信者それぞれが配慮する」テーブルの話であり、フォローした人の10人が10人必ずそれを使う訳ではないからである。「受け手それぞれが自衛する」テーブルにおいて、伏字機能は選択肢に挙げても意味がない。10人中9人がネタバレに完璧に配慮しても、1人が普通にツイートすればそれでジ・エンドだからだ。


フォースの覚醒で個人的に気になるのは○○○○○○○○○○○○○○○○、という部分。台詞では○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○、とあるが、○○○○○○○○○○。 https://t.co/A02xTqJPGL

— YU@K (@slinky_dog_s11) 2015, 12月 29
▲映画「スター・ウォーズ」のネタバレを「ふせったー」でツイートした例


「ネタバレは嫌です!配慮してください!まだ観ていない人がいるんですよ!」。言いたい気持ちはとても分かる。心底、同情はできる。しかし、その叫びは現実として何の意味も持たないのだ。「ネタバレが嫌なら、自衛しかない」。理想論は全員が全員に完璧な配慮をする幸せな世界かもしれない。が、それはTwitterというSNSの性格上、絶対に現実にはならない。だからこそ、ネタバレが嫌な人ができる唯一無二の行動は、「自衛」しかないのだ。例え相手が「マナーに反した悪意ある第1次・2次ネタバレ」を発信していたとしても、それでも「自衛」以外に現実的な防衛策は無い。(言うまでもなく、これは「その発信者を批難するな」とイコールではない。その是非ではなく、現実的な解決策が論点である)

貴方のネタバレの定義は、貴方しか知らない。貴方自身の判断で、タイムラインを整理し、ミュートやリムーブを駆使し、時にはTwitterを閉じ、薄目に頼り、“解禁”まで耐え忍ぶ他に出来ることはない。そして、自分が発信者になった時には、その分だけしっかり(自分なりに)配慮をする。どこまで行っても、そこには「自分なりの定義」しか拠り所はなく、それを誰かに押し付けることもできないのだ。

映画の試写会の感想で「泣けた!」とツイートする。これもフラットに映画を観たい人にはネタバレ。アニメを観ながら実況する。これも録画組や地方民にはネタバレ。どれがネタバレでどれがネタバレでないかを判断するのは、ツイートする側ではなく、受け手なのである。判断基準を持っている者が自分なりに策を講じる以外に、“現実的な”解決手段は無いのだ。


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【過去記事】
元保険屋が真面目に怪獣保険について考えたら保険料は年間8,150円という計算になった
DVDはまだか!妙作「ウルトラマンパワード」の怪獣デザインは「シン・ゴジラ」にて胎動する
「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しました
邦題の意味“長期の放浪”は映画「オデッセイ」の寓話性を惹き立たせ嘘を彩る

ドラマ「ダメ恋」最上くんはこのまま負け戦でいいのかよ!!!!!!ディーンは独身貴族よろしく!!!

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。



…って挨拶してる場合じゃねぇえええ!!!最上!!最上!!!最上くん!!!!TBSで火曜22時から放送中の深キョン主演ドラマ「ダメな私に恋してください」の26歳爽やかイケメンやり手営業マンの最上くん!!!!!!!!お前!!くっそ!!お前!!!元々この手のドラマはほとんど観ないのに!!!嫁さんが観始めたら!!!!なんだかんだツッコミつつ観てるうちに!!!ハマっちゃったじゃねぇか!!!!!!!!!!!くそ!!最上!!!!!!!!!!お前!!!ここから負け戦かよ!!!ここから!!せっかくプロポーズしたのに!!!!!くっそ!!!!!!





そもそも30歳でこんな可愛いのに男性経験のない深キョンがいるかよ!!!!!!お前なんだ!!!!なんなんだよ!!!!!!「30歳処女の深キョン」とか「陸上競技場のアンコウ」だろそんなの!!!!!!!!アホか!!!!!!いるわきゃねぇだろ!!!!!!くっそ!!!!可愛い!!!!!!!!!!!!!!!!!





お前!!!!!!!!!!!!くっそ!!!!!!!!!





可愛い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





男性経験がなくて貢ぎ癖があって貧乏で不器用でもしかしたら結構な地雷案件かもしれないけど可愛い!!!!!!!!!!深キョン!!!!!!!くっそ!!!!!!!!!





そんな深キョンは職を失って路頭に迷い始める!!!!!!そんな彼女を拾ったのが!!!!!!!!!!!!!深キョンの元上司のディーーーーン!!!!!!お前!!!ディーン・フジオカ!!!!正確にはDEAN FUJIOKA!!!!!!!!!!!なんだこの名前!!!よくある系の「俺が面倒みてやる俺様時にちょっと可愛いところもあるじゃんでも性格悪い系ドS男子」!!!!!!!!!!!!!!!お前!!!!!!!!何度目だ!!!!!!こういうキャラ出てくるドラマ何度目だ!!!!!!!!!嫁が観てた韓ドラにも大量発生してたぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!養殖か!!!!!養殖イケメンか!!!!!!!!!!!!!でもかっこいい!!!!!!!!!くっそ!!!脱サラして喫茶店のマスターとか!!!!!お前!!!!!!!!当店自慢のオムライス!!!!!!くっそ!!!イケメンか!!!!!!!!!







拾われた深キョンはディーンの家に住み込みでバイト!!!!!!!!!!ディーンと喧嘩しまくりながらこき使われていく!!!!!!!!!!しかし!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!職が見つかって再就職!!!そこで出会ったのが!!!!!!!!!!





最上くん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





最上!!!!!!!!!!!!!!!





MOGAMI!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





歳下イケメンやり手営業マン爽やか優しい皇子系男子の最上!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


くっっっっそ!!!!!!!!!!!!!!!だいたいこういうやつは負け戦なんだよ!!!!!!!!!この手のドラマじゃ!!!!!!!!!彼の若さに深キョンがついていけなくなるとか!!!!!!!!!!なんか過去の女が出てきてモメるとか!!!!!!!!!!でも!!!!!!!でも!!!!!!!!!!色んな疑念を潜り抜けた結果!!!!!!!!!





最上は完全無欠のイケメンだった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



過失、0!!!!!!!!!!!!!!!!





常に深キョンを気遣ってくれる!!!!!!!!!!!!!仕事できる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!優しい!!!!!!!イケメン!!!!!!!!!!!!!!親思い!!!!!!!!!!!!!!

深キョンに惚れてくれた!!!!!!!!!!!!付き合う!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





もういいだろ!!!!!!!!!最上!!!!!!!最上にしとけ!!!!!最上!!!!!!!!!これでいい!!!!!!!!全8話くらいで終われ!!!!!!!!!!!!!!最上最高!!!!!!!!!最上!!!!最上!!!!!!営業先の客からの評判も最高!!!!!!!!!!!最上!!!!!!!!!!!



なのに!!!!!!!!!!なのに!!!!!!!!!最上は!!!!!!!深キョンにチラつくディーンの影を振り払おうと急いでプロポーズしちゃった!!!!!!!!!!!深キョンのピンチを救うのは!!!!!!!!!!いつもディーン!!!!!!!!深キョンとディーンは!!!!!!!!!互いに自然体でいられる仲!!!!!!!!!最上はそれに気付いているから名実ともに深キョンを自分のものにしようとプロポーズした!!!!!!!!!!!焦ってる!!!!!!!!!!!指輪!!!!!!!!アーカーの指輪だった!!!!!!!!!嫁が叫んでた!!!!!!!!!





でも!!!!!!!!この展開はダメ!!!!!!!!!!!!!ダメ…っ!!!!!!最上!!!敗戦必至っ…!!!!!1クールのドラマの中盤で主人公にプロポーズする歳下イケメン!!!!!!!!!!!!!!これは敗戦!!!負け戦!!!!!!!!!!!!!!!!!!!くそっ!!!!最上!!!!!最上にしとけよ!!!!!!!!!!


どうせ!!!!!!!!! 「ディーンさんと一緒にいる時の柴田さん(深キョン)、僕には見せてくれない笑顔だから・・・」 とか言い出して!!!!!!!身を引く!!!!!!!!!!!!!最上は身を引く!!!!!!!!このパターン!!!!!!!!!!くっそ!!!!最上最上最上!!!!!!!!!!!!





最上!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





何でもしてくれる最高完全無欠イケメンより自然体でいられる俺様野郎!!!!!!!!!!!!!!!!この風潮!!!!!!!!!!!!パターン!!!!!!!!!!くっそ!!!!!!!!!!!!!!!!!!ディーン!!!!!!!!!!!!てめぇえええええ!!!!!!!!!!!!!!!!





最上は!!!!!!最上くんは!!!!!!!!笑顔が素敵で!!!!!!!!!可愛くて!!!!!!!!いつも深キョンのこと見てて!!!!!!!!!!!!仕事もできて!!!!!!!!!いい奴なんだぞ!!!!!!!!!!最上!!!!!!!!!!最上!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


お前本当にこのまま負け戦なのかよ!!!!!!!!!


お前それでいいのかよ!!!!!!!!!!!



くっそ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



最上!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



だいたいこの前やってた石原さとみと山ピーの月9「5→9 ~私に恋したお坊さん~」も!!!!!!俺は清宮さん派だった!!!!!!!!!!!!!!!!!!あそこで亡くなった奥さんの写真が見つからなければ清宮さん勝ってた!!!!!!!!!!!!!!!!なのに誤解を解くのが遅れて手遅れになった!!!!!!!!!!!!!くっそ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!いいやつが負ける!!!!!!!!!正統派な爽やか完全無欠が負ける!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!勝つのは!!!!!!!!!勝つのは!!!!!!!!!いつも俺様養殖イケメン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





いやディーンかっこいいけど!!!!!!!!!!!くっそ!!!!!!中国語喋るディーンかっこよかったけど!!!!!!!最上!!!!!!!!!!!!!!もう今度の放送で終わろう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最上と深キョンの披露宴の食事でドヤ顔で自作オムライスを運んでくるディーンでエンディングにしよう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!このままだと最上が下降する!!!!!!!!!!!してしまう!!!!!!!!!



ぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!



最上くん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!頑張れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


ディーンはこのまま独身貴族で喫茶店経営繁盛チェーン化よろしく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



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【過去記事】
Twitterネタバレ問題&マナー論争最終決着論。唯一の解決案「自衛」と伏字回避の有効性について
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「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しました

フィクションの嘘と70億通りのリアリティラインに今日もまた騙されたい

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

火星サバイバル映画「オデッセイ」が日本でも好成績ということで、この映画が心底気に入った身としては喜ばしく思う今日この頃。と、同時に、「この映画って本当に“リアル”なの?」という議論や指摘は後を絶たない。火星の大気を考慮するとそもそもあんな感じの遭難事故は起こらないのでは… という類の科学的な指摘を挙げているブログ記事等も多く、私のようなクソ文系人間にはその指摘内容がチンプンカンプンだったりする。だから、それらの指摘が正しいか否かは私にはさっぱり分からないのだけど、これに関連して、つい「映画の嘘とリアリティライン」について考え込んでしまう。


【過去記事】
邦題の意味“長期の放浪”は映画「オデッセイ」の寓話性を惹き立たせ嘘を彩る


例えば誰もが知っている映画として「ハリー・ポッター」を挙げたとして、あの映画が「リアルか」「リアルでないか」という質問をされたら、あなたはどう答えるだろうか。そもそも原作小説というステップがあるのだけどそれは一旦置いておいて、私はあの映画ハリポタの世界は結構「リアル」であると感じている。「リアル」というと頭をかすめるのは「現実味」の三文字で、じゃああの煌びやかな魔法世界が現実としてあるかというと、そりゃあ、「無い」と答えるしかない。このふたつの答えは、決して二者択一ではないのだ。




リアリティを感じるときに、その「リアル」が現実に起き得るか否かはあまり関係ない。その作品中で、その「リアル」が起き得ることを説得させれば良いのである。例えば、推理小説の最後に何の説明も無く「密室殺人は霧状に変化した吸血鬼の仕業でした」では読者を説得することはできない。しかし、その推理小説中に吸血鬼がいるような話を構築できれば読者を説得できるだろう。共に、荒唐無稽な推理小説ではあるが前者はリアリティが無いと断じられるに違いない。

作品にリアリティを持たせるために上手に嘘とつき合う(最終防衛ライン3)



こちらのブログ記事に書かれているように、私にとってのあのハリポタの魔法世界は、とても「説得力」があるのだ。魔法省という政府機関があり、魔法族とマグル(人間)が折り合いをつけて生活するためのエージェントが常に世界を飛び回っている。未成年は学校外で魔法を使うと罰せられるが、それはマグルに対し魔法界の存在をしっかり隠蔽するためのルールだし、もっと言うと人間界のお偉いさんと魔法界のお偉いさんは互いの世界を認知した上で秘密裏に結託している。マグルの血を毛嫌う差別意識があったり、逆にマグルの文化をオタク的に愛する魔法使いがいたりと、つい「実はひた隠しにされているだけで本当に魔法使いの世界があるのではないか」という妄想をしてしまう。

この「説得力」はディティールの細かさや煮詰められた設定によるものだが、これらを総じて「フィクションのリアル」、つまりは「映画の嘘」と捉えることができる。





だから、私は「ハリー・ポッター」という映画シリーズは「嘘が上手い」と感じているし、それこそが「リアル」だと考えている。一歩引いて考えれば映画なんてドキュメンタリー系を除きどれも嘘八百な訳で、その嘘の中にどれだけリアルを持ち込めるか、つまり、嘘の説得力をどこまで追求できるかという点は、映画に限らずフィクション全てと向き合う際に常に頭のどこかに持っている定規だ。


※※※


映画を離れてみると、例えば週刊少年ジャンプで連載されている「ニセコイ」というラブコメ漫画がある。

ギャングとヤクザの娘と息子が組織抗争を避けるために偽りのカップルを演じるという筋書きだが、ギャグ満載のラブコメとはいえ、作中で「惚れ薬」が登場した際に私はつい眉間にシワが寄ってしまった。そりゃあ確かに、ツッコミがてら殴って どーん と飛んでいったり、荒唐無稽なプロの仕事人が出てきたりするのだけど、それらも併せて「この作品はリアリティラインがブレブレ」という感想を抱いている。どこまでが本当なのか、どこまでが嘘なのか、“どのくらいのリアリティラインで読めばいいのか”が、すこぶる不親切に思えてしまうのだ。(そしてどう考えても千棘より小野寺最高なのに最近やはり千棘ルート確定すぎて辛いとかキムチ事変の方が問題とか色々他にも言いたいことはあるけど…!)





ただ、「そういう漫画」として「ニセコイ」を読んでいる人も大勢いるだろうし、「こういうギャグラブコメ作品に対しリアルが云々ガタガタ抜かすな」と思った人も少なくはないだろう。そういったブレブレである種ごった煮な要素こそが“ニセコイリアル”なのかもしれないし、私が単にその境地に達していないだけの話かもしれない。そういえばラブコメ漫画は胸を張れるほどに数を読んでいないので、サンプル数が少ない故の未成熟な目による判断という可能性だってある。


※※※


つまりは「リアリティライン」というのは人によって大きく異なるのではないか …という流れでまた映画に戻るが、昨年公開され話題になった作品に「セッション」というものがある。

ミスター恫喝とでも言うべき強烈な指導者と、手から血を流しドラムを叩く主人公。狂気の先に待つものとは… という作品なのだが、この作品の音楽描写について一種の「議論」が巻き起こったのは記憶に新しい。私は20年ほど音楽(それも打楽器)をやっているが、その経験を踏まえた上でこの映画が「音楽のリアル」を追求していると受け取ったし、逆に経験者やプロだからこそ、この映画は「音楽のリアルではない」と斬った人もいる。どちらが正しいかという話ではないし、私の素人に毛が生えた程度の音楽経験値がプロのそれと肩を並べられるとも到底思っていない。が、「セッションが音楽(業界)的にリアルか否か」というジャッジは、程度の差こそあれ「音楽をやった人」でも意見が分かれる、ということを言いたいのだ。





【過去記事】
なぜ「セッション」のラスト9分19秒は素晴らしいのか? ~血とビートの殴り合い、恫喝の向こうの涙


ということで、「オデッセイ」の科学描写がリアルだったかと問われれば、私のような科学ナニソレ人間にはこの上なく「リアル」で「説得力」があったし、そちらに詳しい方からすれば「非リアル」で「説得力に欠ける」物語だったのかもしれない。受け手によって線引きが変わってくるというと先日書いたTwitterネタバレ議論と同じ帰結にもなってくるのだけど、全世界で70億人いれば70億通りの「リアリティライン」があるとすれば、じゃあ「ハリー・ポッター」「ニセコイ」「セッション」「オデッセイ」は、各々果たしてどれだけの人のリアリティラインに説得力を持って“クリア”とすることができたのだろうか。

まあ、「特定の文化(知識)に詳しい人はリアリティラインが厳しくなる」というのも、一概に言えた話ではない。ロボット工学を学ぶ人がそろって「パシフィック・リム」を斬る訳でもないだろう。「フィクション」と「現実」を切り離した目を用いて、その観点の中で「リアルなのか」を論じるか否かというのは、これまた最大70億通りの話である。そういう意味で「オデッセイ」の科学考証に指摘が挙がるのは、この映画が「フィクション」と「現実」を無意識に結びつけてしまう程に(広義の)“現実味”を持っていた、とも言えてしまうだろう。





ジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」という映画がある。主人公の人生は広大なセットの中で作られたリアリティ番組であり、周囲の人間は妻でさえも仕掛け人で、生まれ故郷は全部が作りもの。そんな現実を知った主人公が箱庭から外に踏み出すまでを描いた、取りようによってはこの上なく毒と風刺の効いた作品だ。

この映画の中盤、死んだはずの主人公の父親(に扮する仕掛け人)がセットに忍び込み主人公と対面してしまうアクシデントが発生する。これを機に主人公は「世界そのもの」を疑い始める流れになるのだが、一連の危機に対し名物プロデューサーは「父親は実は記憶喪失で生きていた」という“設定”を持ち込み、彼を“復帰”させることでドラマを成立させようとする。

この父と息子の再会シーンで、隠し撮りのカメラが抱き合う彼らを捉えながら、“いかにも”な音楽がリアルタイムで演奏され、全世界の放送を見守る人たちは涙を流す。この上なく「作りものの再会」、つまりは史上最大の「嘘」だと皆が分かっていながら、それでも(作中の)観ている人は感動するし、なぜか(作外・つまり我々)観ている人もジーンときたりする。それはジム・キャリー演じるトゥルーマンという主人公が振りまく「キャラクターとしてのリアル(存在感)」あってこそ成立する図式だし、これが成り立って“しまう”ことこそがこの映画の“毒”そのものなのだ。

今日もまた、映画を観て漫画を読んでドラマを観ながら、「“私にとっての上手な嘘”にしっかり騙して欲しい」と、ワガママなまでにそれを作り手に求めてしまうのである。


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【過去記事】
ドラマ「ダメ恋」最上くんはこのまま負け戦でいいのかよ!!!!!!ディーンは独身貴族よろしく!!!
元保険屋が真面目に怪獣保険について考えたら保険料は年間8,150円という計算になった
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「別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3」に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しました

映画好き1,800人が答えた「おすすめの映画教えて」の切り抜け方

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

なんでもない雑談や世間話の中で、「休みの日なにやってるのー?」などと聞かれ「映画観に行ったり…」「へぇ、映画好きなんだ」と話が続くと、「じゃあ、おすすめの映画教えてよ」と問いかけられた経験、ありませんか?

自分の趣味に映画をカウントしている人で、それを他人に公言しているのならば、結構な確率で聞かれるんじゃないかというこの質問。これが中々、なんというか、「映画好き殺し」な質問だったりする。もちろん「自分の好きな映画」について喋るのは大歓迎!…という人は多そうだけど、この“おすすめの”という装飾が時にこの上なく難解だったりするんですよね。(まあ、これは映画に限ったことではなく、「漫画」「アニメ」「音楽」と色々と置換できるお話)


オススメの映画…!?!!そりゃあ、自分がとにかく好きなのは『〇〇〇』だけど、これ知らない人多いしタイトル言っても「え?」って微妙な反応されそうだからちょっと言うの躊躇するな…。そもそも“おすすめ”ってどっち?「聞かれた自分が好きな映画」?「聞いてきた相手が好きそうな映画」? それでいてこれは世間話の一環として間を持たせるために言ってるの? それとも今晩にでもTSUTAYA行っちゃうテンションで聞いてきてるの? 恋愛系とかホラー系とか好みが分かれそうなジャンルもあるけどそういうのはもしかして苦手だったりしないの? …古いやつというか、いわゆる名作系でも大丈夫なのかな。とはいえ洋画・邦画片方しか観ない人もいるし…!それとも映画館に行こうと思ってて公開中のやつで“おすすめ”を聞いてきてるの? どうする? どうする俺っ!?!!


…と、まあ、ほんの2秒くらいでなんかこういうのが一瞬で駆け巡ったり巡らなかったりする訳だけど、この質問を「映画好き」を自認する方々がどう切り抜けているのかな、というのは前々から興味があったので、Twitterのアンケート機能を使って質問してみることにした。最終回答数は1,830ということで、答えてくださった方々、リツイートしてくださった方々、どうもありがとうございました。肝心の質問は、以下のように設定。




【映画好きに質問】
世間話や雑談中に「おすすめの映画を教えて?」と聞かれた時の対応で最も近い答えはどれ?(聞いてきた相手は会社の同僚程度で特に親しくも疎遠でも無い仲とする)

(1)マイナーでも自分が好きな作品
(2)公開中で既に観て面白かった作品
(3)有名で広くウケる作品
(4)むしろ好きなジャンルを聞き返す



もちろんこの質問に対する答えが4つしかないということはあり得ないのだけど、「最も近い答え」ということでご容赦ください。また最後のカッコ書きによる条件設定も、あくまで相手の情報があまり無いことを前提にしたかったので…。そりゃあ、例えば二十年来の親友に「おすすめの映画教えて」と聞かれたら「お前〇〇は面白いって言ってたよな、××は苦手で、△△はもう観たってフェイスブックに書いてたね」などといくらでも絞り込めるので、こういう千差万別な状況はばっさりカット。あくまで「あまり相手の情報が無い中でふと聞かれた時の対応」を調査することに。


※※※


そんなこんなで、『リツイート直後のツイートを表示するやつ』を使ってアンケート記載ツイートをリツイートしてくださった方々の意見をピックアップしたので、項目ごとに引用紹介しつつ下位から順に結果発表。



第4位【有名で広くウケる作品】15%

詳しくは後述するけど、私だったらこれを選ぶんですけどね、というのがまさかの4位。

「〇〇〇がオススメだよ」と答えたとして、「それはもう観た」「真っ先に挙げるのがそれなのね…」などという答えが返ってくるのを恐れた結果か…? この手の“オススメ質問”で最も怖いのが「自信を持って答えた内容が相手の興味に全く合致しない」という事態なので、そのリスクを高確率で避けつつ最速で答えるためにはこの選択肢が妥当かと思われる。

とりあえず、「ホームアローン」「ジブリ作品」「天使にラブソングを…」あたりを言えばいいのでは…>RT この三つは、粗筋を説明しやすく、コメディなので観た後で相手が面白かったよというコメントを言いやすい。

— 時金 (@tokikane1984) 2016, 2月 23

誰にでも喜ばれる作品は、誰にも喜ばれないと思うから好きなジャンル聞く

— Lc-K (@LcK0812) 2016, 2月 23



第3位【マイナーでも自分が好きな作品】21%

「おすすめの映画教えて」の質問に対し真っ直ぐに反応したパターン。つまり、「あなたが好きな映画を教えて」に読み替えて、それが例えマイナーでも古くても世間的評価がイマイチだったとしても、好きな物は好きだから、正直にそう答える。

まあ、相手の反応が気になるから選択肢の中でも迷う訳で、素直にいくとこの答えかな、とも思うんですけどね。とはいえ、「なにそれ知らない…」「えー、でもあれつまらないんでしょ?」などと華麗に殴り返される可能性や、教えたものがレンタル解禁されていなかったりする場合もあるので、ある意味最も取り扱いが難しい答えかもしれない。

美容院とかで「好きな映画は?(音楽は?)」て訊かれると、悩む。私「ホット・ファズすきです!」美容師「何それ?どんな映画?」私「イギリスのアクション映画です。パロディいっぱいで面白い!」美容師「私、邦画しか見ないからわかんないや」 きくなぁあ!ってなったことある。辛かった。

— 田中キリコ (@0kiriko0) 2016, 2月 24

マイナーだろうがなんだろうが自分の好きな作品を布教するに決まってるぜ☆

— レイヴンン (@kokonoe_nn) 2016, 2月 24

RTのこと>私自身メジャーであろうハリウッド映画やドラマ(海外ドラマ=アメドラだけ言われるとわからん)で個人的にピンと来るのが少なく見てないから勧めようがなく、メジャーな映画の話期待されてもわからんので、自分の好きな映画勧める。トム・シリングさんとかダーク・ボガードさまとか。

— 永月弥生 (@nagathuki) 2016, 2月 24

普通に自分の好きな作品を答えて相手の反応を見てメジャーなのを足すねぇ。で、相手の好みを聞き返す>RT

— あなろぐ (@analop5) 2016, 2月 23

これ、答える機会多いんだけど(映画見るのが好きとか趣味って返すから)、だいたいあまり映画見なさそうだったり恋愛もの見てそうな人にはその手のジャンルの自分も見たことあるやつとかを『薦める』し、映画好きって人にはマイナーでも面白かったやつの話する

— \こしば ShowTime!!/ (@_siba_) 2016, 2月 23

有名で面白いのはネットやテレビみりゃわかるから自分の好みでチョイスしていいやろ。わざわざあたしに聞いたなら覚悟しておススメって話だけでも聞いてけやってなるやろ。

— 木同莉生 Always (@kirio_kk) 2016, 2月 23

映画ファンではないどころか流行りものにも詳しくないので・・・っていうのもあるけど、おすすめというからには僕の好みを押し付けますね

— わたる (@wata0903) 2016, 2月 23

「おすすめの映画(漫画)教えて」と聞かれたら、何系が好きか聞いてから好きそうなのを挙げるのが当然だと思ってたが、全然ジャンル違いのものとの出会いをもたらすという意味で、いきなり「私の好きな映画」を出すのも、なるほどアリだなぁ。

— いない (@nyaccy) 2016, 2月 23



第2位【公開中で既に観て面白かった作品】27%

公開中の映画はそれに関する宣伝も多数メディアでなされていて、旬の俳優・女優が出ていたりもするので、何かと話のとっかかりやアンテナが多くその後の(会話の)展開も期待できる選択肢。

私も「映画はなるべく映画館で観たい派」なので、そういう意味でも「ぜひ映画館に足を運んでみて~」というファン心理も含めた2位ランクインかな? とはいえ、映画好きと一口に言っても全員がロードショーを追っている訳でもないと思うので、そこそこ新作を観に行く習慣のある人なら自信を持って選べるのかな、と。

今ならあれが面白いって聞いたよーとかかなー。意外と洋画好きが職場にいる

— 靴下@腐向けハンター生活 (@knitsocks) 2016, 2月 24

最初「相手の好みを聞き返す」にしようとしたんだけど、聞いたところで私の脳内ライブラリは偏りに偏ってて意味が無いことに気付いたので、今聞かれたらなんて返すかなーと考えて「今公開中で面白かったやつ」にした。オデッセイ、オススメです!

— RTbotと化したCEOざる蕎麦 (@zarusoba0001) 2016, 2月 24

「おすすめの映画教えて」は本当に映画ファン殺しの質問だけど、やはりどうしてもされることはある。まず「今公開してる作品か?」と聞いてから、そうであれば答えるし、そうでないのなら好きなジャンルを聞く。面倒くさいときは「ジュラシックパークに思い入れがありますね」と斜め下の答えを返す。

— ヤッスン (@Daino11) 2016, 2月 23

よく知らんけど今やってるアレ面白そうじゃないっすかね〜?派

— はるた (@_halta) 2016, 2月 23

映画館で見るだけで面白補正かかると思ってるから公開中のやつ好きなジャンルを聞いて絞ったうえで答えて「面白くなかった」言われたらって考えたらハードル高いので堅実にいきます

— 狭須があこ (@okiwotashikani) 2016, 2月 23



第1位【むしろ好きなジャンルを聞き返す】37%

割と拮抗した本調査において首位を獲得したのが「むしろ好きなジャンルを聞き返す」。おそらく、「じゃあ例えば最近観て面白かったのは?」「苦手なジャンルはあるの?」という逆質問系を想像した人は、皆さんこれを選んだのではないだろうか。

「質問を質問で返すなあーっ!」とは吉良吉影のセリフだが、とはいえあまりにも膨大な数がありすぎる「映画」において少しでも相手の好みという“指針”が欲しくなるのはもっともな話。しかし、例えば自分は戦争映画が苦手なのだけど、そこで「じゃあ戦争系を教えて」と言われてしまったら自ら首を締める格好な訳で、ある程度広く観ているという自信のある人こそが選べる選択肢なのかもしれない…。

とりあえず一番良かった作品3つほど聞くかな..

— mogibox(モギ) (@mogi49) 2016, 2月 24

RTの映画をすすめるときの質問のこと。4つめの、「好きなジャンルを聞き返す」だなあ……こういうのが好きそう、というイメージがあったらその付近で何かを挙げる傾向がある。私の中のそのひとと、そのひと自身が一致するわけではないので、たぶん時々すごく的外れなことを言っているだろうなあ……

— ネコメヤ⚘ヒロショ準備中 (@necomeya) 2016, 2月 24

好きなジャンルや好きな俳優さんでオススメするかな。私が好きなのはB級やカルト、ホラーだから、薦めてもあまり受け入れられない。

— みずいまさ (@Mizzycca) 2016, 2月 24

絶対ジャンル聞いたほうがいいけどオススメしても見ない確率79%くらい

— あみばば (@marukomonster) 2016, 2月 24

今映画館でみたいのか家でみたいのか、エログロホモアニメいけるのか、好きなジャンルはあるのか、誰と見るのか、どういう気持ちになりたいのか。を一応聞いてから言うり

— 東雲の声で風野Pの世界は色づく (@tubasawind) 2016, 2月 23

聞き返す…かな…アクションとかアニメ映画とかなら少し言えるけど恋愛ものとか聞かれちゃったら答えられない気がするなあ。

— にはち (@28nihachi) 2016, 2月 23

問われたままに、(一応気を使って)まだ映画館で観られるような最近観たばかりの映画を答えるけれど、「どんなジャンルが好き?」と質問に質問で返して話を膨らませるのがよいのかなぁという気がしてきた。

— 時是流 (@Ourok) 2016, 2月 23

映画好きってほど観てないけど、聞き返す、かなぁ。レンタル店にあるくらいの範囲なら本当に趣味に合致しそうなものなら借りるくらいまで行くかもしれなし

— yossi (@Yoshirorossi) 2016, 2月 23


※※※


【映画好きに質問】世間話や雑談中に「おすすめの映画を教えて?」と聞かれた時の対応で最も近い答えはどれ?(聞いてきた相手は会社の同僚程度で特に親しくも疎遠でも無い仲とする)

— YU@K (@slinky_dog_s11) 2016, 2月 23

という訳で、非常に票の割れた調査でした。「思ったより偏らなかったなぁ」というのが正直なところ。そもそも論として「相手は本当に映画のタイトルそのものを聞きたいのか」「ただの世間話の一環でオススメを実際に観るなんてことは本当にあるのか」という、日々のコミュニケーションの積み重ねとケース・バイ・ケースな場面は沢山あるので、その辺りは個々人で適宜“最適解”を導き出すしかないよね、と。単なる何でもない会話において必要以上に熱く語っちゃってマズい空気になったりしたら目も当てられない訳で…。

ちなみに私個人は、この手の質問と遭遇したら「有名で広くウケる作品」を挙げてから二の矢として「公開中で既に観て面白かった作品」に移行するのがいつものパターン。というのも、「本当に好きで好きでたまらない&有名で広くウケる作品」として、「トイ・ストーリー」シリーズと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズがあるので、誰に何と言われようがまずはこれをジャブとして挙げてみるのが常。このセレクトに「ベタすぎる」と返してくる相手なら、「じゃあ“アレ”言っても大丈夫だな」と、そんな感じ。





あと、「むしろ好きなジャンルを聞き返す」もたまにやるけれど、これって実は「えー、うーん、好きなの…うーん…なんだろうなぁ…」と相手が言葉に詰まってしまいどこか微妙な空気になること、ありません…? といったところで、「貴方ならどう答えますか?」という決まり文句で締めつつ、私がオススメする昨年公開作品のまとめ記事を貼り付けて終わっておきます。


不定期村が選ぶ2015年映画ベスト10 ~遥か銀河の彼方で殺し屋と忍がドラムを叩くデス・ロード!


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祝アカデミー賞“V6”達成!ヒャッハーだけじゃない「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を読みほぐす

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

何度目にしても「怒りのデス・ロード」という副題は面白い。そもそもこの単語の羅列だけでは映画の内容がさっぱり分からない。しかし、強い感情を表す“怒”の文字と、死を意味する“デス”、そしてそれらが“ロード”で紡がれるという、実際に作品を観た後だとこの上なくドンピシャに思えてくる独特のセンスだ。ガソリンと汗と砂の香りが副題からプンプン臭ってくる。実際にはこれに血と脳漿と銀スプレーもプラスなのだけど、本当に色んなものがプンプン臭ってくるのにあり得ないほどに交通整理が行き届いた映画だったなあ、と。

「マッドマックス」シリーズ第4弾「怒りのデス・ロード」。観たことが無い人にはもはや順序が逆だが「北斗の拳っぽい世界観」と伝えた方が分かりやすい異常に荒廃した世界で、そこを支配する存在とそれに反撃の狼煙をあげる存在が火花を散らしながらカーチェイスをする“だけ”の映画だ。この“だけ”というのは非常に面白い部分で、(この映画に限っての)同義語で「ヒャッハーするだけの映画」という評し方がある。





「ただ単にカーチェイスするだけ」「観ている側が頭を空っぽにしてヒャッハーできる映画」。こういう字面を見るとどうしても「細けぇ辻褄とかはどうでもいい!最高に盛り上がる映画!」というボンクラ映画なニュアンスを感じがちだが、この「怒りのデス・ロード」はそれらとは確実に一線を画している。そしてその「一線を画すっぷり」は、後にアカデミー賞での6部門受賞までもを達成。この記事では、作品内に積み上げられた美麗な数式をひたすらに分解し、私なりに「いかに計算されたヒャッハーか」というポイントを読みほぐしてみたい。


※※※


核戦争により荒廃した世界で砦(シタデル)を支配する存在、イモータン・ジョー。彼が従える武装勢力に囚われた元警官のマックスは、過去に救えなかった存在への後悔とジレンマに悩まされていた。そんな折、武装勢力の大隊長フュリオサはイモータン・ジョーに反旗を翻し、彼の女たちごと砦からの逃亡を図る。執拗な追撃を加える武装集団ウォーボーイズに“輸血袋”として扱われていたマックスだったが、乱戦の末にフュリオサたちと行動を共にすることになる。果たして、目指す緑の大地に無事辿り着くことはできるのか?

改めてあらすじを最低限だけ並べただけでも色々と血圧の高そうな単語ばかりが並んでしまい面白いのだけど、要はよくある“支配からの脱却と反抗”パターンである。レジスタンスと言えば聞こえは良いが戦力的には圧倒的に不利なフュリオサ一行が、イモータンの軍勢といかに渡り合うのか。そして、長距離カーチェイスは目的地で折り返してまたもや乱戦に次ぐ乱戦。この映画の総走行距離は果たしてどれくらいなのかと思わず白目を剥いてしまう。

“支配からの脱却と反抗”を効率よく描くためにまず必要なのは、その“支配”がいかに圧倒的にその世界に根付いているか、という描写である。その点で、この映画の開始からわずか15分ほどは非常にロジカルに構成されている。まず冒頭のモノローグでかなり“ざっくりと”核戦争やらの背景が語られ、つまりは「めっちゃ荒廃してて無法地帯ですから!」というルール説明のためなのだが、その“ざっくり”具合と割り切りがまた非常に面白い。「あ、このくらいのフィクションラインで観ればいいのか」という目線の準備運動をさせてくれる。そして、汚染されていることが一発で目視できる双頭のトカゲ。薄汚れた車とその傍に佇む男、広がるオレンジ色の大地と渇いた空気感。もうここまでのビジュアルで一発ガツンと、「こういう映画だから!!」が伝わってくるのだ。ほんの、ものの開始1分そこらである。





その後、マックスがウォーボーイズに囚われるシーン。理由も勧告もなく問答無用で襲撃され、最初からいきなりド派手に車が横転する。そういう倫理観がまかり通る世界なんだと痛感させられながら、マックスは砦に連行されていく。焼印を押されながらも逃亡を図るマックスだったが、数の利には敵わない。ここの追っかけっこで、砦の構造や中の風景が画面の端々で描写され、更には高所で物理的に“砦”であることが分かるようにもなっている。マックスが危うく落下しそうになるほどの高低差をしっかり見せた後に、イモータンがその高低差を利用して水を撒き、自らの支配を盛大に誇示する。ここが非常に巧い。水に群がる貧相な群衆たちのはるか上でほくそ笑むイモータンは、その直後に自分だけのテリトリーであるこの上なく青々と茂った緑の中を歩く。不恰好に水を求める人がいれば、こんなにも茂った緑を有する存在もいる。圧倒的な支配階級がそこで描かれていく。

また、この開始15分の間に数回もマックスの脳内フラッシュバックのシーンが挿入されている。次第にその詳細が明らかになりそうで …ならない塩梅なのだけど、「彼の目の前で幼い命が消えた」「彼はそれを阻止できなかった」「救えなかった」「そしてそれを非常に後悔している」というニュアンスだけはビンビン伝わってくる構成だ。ここまでで、「圧倒的な支配を行うイモータン」と「誰かを救えなかった苦しみを抱えるマックス」が示され、観客は無意識に「じゃあこの映画はマックスがイモータンの支配に苦しむ誰かを助ける物語なんだな」という上映時間120分における完璧な“心構え”ができるのだ。これがもう、本当に素晴らしい。

一切の過不足なく、ビジュアルとキャラクターの言動と演出をロジカルに組み上げ、観客に作品の醍醐味を漏らすことなく伝えている。カーチェイスが始まる前に、実はこの「怒りのデス・ロード」の物語は8割方完結しているのだ。そして、残り2割の“行って帰ってくる”がまたこの上なく面白いもんだから、観終ったあとの観客の満足度が盛大に膨れ上がっていく。


※※※


先日家で改めてBlu-rayを鑑賞した際に壁にかけた時計と見比べながら楽しんだのだが、この作品は実はほぼ30分おきに起承転結が切り替わっていく。

マックスがフュリオサに出会うまで、そこから逃亡劇が始まり渓谷を抜けきるまで、夜のシーンになり砦に引き返すことを決めるまで、そしてクライマックス。この四部構成がほぼ30分単位に割り当てられており、同じような荒廃した地平の大地でも「砦の構造とサンドストーム」「渓谷」「夜」「全てを逆から辿った場合」とちゃんと味が変わるように組み上げられている。しかも、順に「マックス込みで結成されるフュリオサ一行」「ニュークスの加入」「最高ババア集団(鉄馬の女たち)加入」「次々と倒れていく仲間たち」と細かくメンバー編成が変わっており、「ただカーチェイスで行って帰ってくる」という単純かもしれないストーリーラインをいかに飽きさせずに観せるか、という部分は正直いくらでも紐解くことができる。





恐ろしいまでのロジカルパズルは全編に行き届いており、例えばマックスとフュリオサとニュークスの(序盤の)三つ巴のアクションシーンは本当に見事だ。「マックスとフュリオサは敵対関係にある」「ニュークスとマックスは利害一致の関係にある(繋がれている)」という状況を各人が瞬時に判断し、細かい一挙手一投足にまでそれが反映されている。銃を取った者勝ちの駆け引きやチェーンを使った位置関係の戦い、そして隙を見て参戦してくる子産み女たち(彼女たちも全編通して絶対に誰の足も引っ張らず、しかしピンチな時にはしっかりピンチになってくれる)。

敬意を持ってこの映画の登場人物は「馬鹿ばかり」だと断言したいが、それは何も字面だけのニュアンスではなく、「(置かれた状況において常に最善の言動をしっかり思考した末に選ぶことができるその思い切りの良さがいわゆる)馬鹿ばかり」なのだ。

また、渓谷でのフュリオサの取引シーンも面白い。「馬鹿野郎!と叫んだら教えた通りにエンジンをかけて走らせて」、そう言われたマックスは子産み女たちと運転室の床底に隠れる。緊迫したやり取りの末にフュリオサが「馬鹿野郎ッ!」と叫ぶと、その直後のカットではすでにマックスがエンジンをふかしてスタートさせている。ここで「マックスが床下から飛び出すシーン」も「マックスがスイッチを順番通りに押してエンジンを点火させるシーン」も、一切描かれない。それはもちろん、当然やっているのだが、あえてこれらを省くことでマックスの反射神経と判断能力、フュリオサとすでに築かれつつあるタッグ感、そして何より逃走を図るというスピーディーな展開への一役を買っているのだ。編集の妙である。


※※※


復路においては、やはり渓谷シーンでの一連のアクションが見所だ。それまでは一対多の車両が縦横無尽に絡み合う乱戦だったが、ここで道が狭くなり車両が縦列でしか走れなくなる。それによって、横から上から攻めてくる敵がただ“前後”に限定され、さらには車を近づければ互いに乗り移ることができるようになる。それまでは飛び道具がメインだったのに対し、ここからいきなり肉体同士の近接戦闘が、それも走行中の車の上で行われる。同じ「走りながらの乱戦」でも、こうやって舞台装置を少しずつ変えてあるのだ。そうして、“前後”、縦列でいくと“縦”の構造で争うことになる。自身の傷をかばいながら躍進するフュリオサ、嘘の助けを求めて敵の車に飛び乗る子産み女、そしてマックスはその更に後ろから援軍&遊撃隊として活躍する。





「この人とこの人の位置関係はこれなので、この攻撃が有効」「この人はこの相手には危害を加えることができない」。そういった乱戦ならではの互いの条件が一々歯車として噛み合うのが非常に痛快であり、前述の「マックスとニュークスとフュリオサの三つ巴の戦い」にも似たロジックバトルが繰り広げられる。最後に、反旗を翻した旗頭であるフュリオサがしっかりイモータン・ジョーを倒し(しかも印象的だったイモータンのマスクにこれまた印象的だった自らの義手を引っかけて道連れにして殺害、というこの組み合わせが最高である)、更にはニュークスの「俺を見ろ」からの命を犠牲にした転倒で渓谷を塞ぐ。言うまでもなく「俺を見ろ」は彼がイモータンへの盲信ぶりを発揮する時に叫んでいた台詞であるが、ここではその盲信から脱却した一人の男として、女に向かってこの言葉を放ち、散っていくのである。なんと気の利いた構成だろうか。

このように、「後の展開」を活かすために呼応する要素をしっかり配置しているのも素晴らしい。「俺を見ろ」はもちろんのこと、マックスがフュリオサに名を名乗るくだりであったり、彼が輸血袋として強制的に抜かれていた血が最終的に戦友の命を救う展開であったり、「後の展開」のための逆算ともいえる種蒔きがとにかく秀逸である。と同時に遊び心的な要素も多く、「棒高跳びで襲ってくる敵勢力」「走行中に前方で土を巻き上げて消化する」「ガソリン吹きかけ選手権」「ババア大活躍」など、ワンポイントで「うお!すごいなこれ!」と良い意味での半笑いが起きる要素が随所に散りばめられている。これにより、がっしりとした土台の上で観ている側の感情が小さく(しかし深く)起伏していくのだ。


※※※


つまり簡単にまとめると、「怒りのデス・ロード」はこのように組み上がっているのではないか。




・まず開始15分で物語の本筋を明らかにし、世界観を余すことなく提示する
・起承転結がほぼ等間隔の尺で進行する
・4つの場面で舞台やメンバーがしっかり異なる
・全ての登場人物がちゃんと考えた上で馬鹿をやる
・必要最低限のカット割りでスピード感を演出する
・乱戦に位置関係のバリエーションを持たせる
・呼応する要素を全編を通して多数配置する
・遊び心の要素を全編にバランスよく散りばめる



なんという緻密なパズル。恐ろしいほどに繊細である。そして何より素晴らしいのが、これらを全て積み上げた末の最終的な“見え”が「ただ単にカーチェイスするだけ」「観ている側が頭を空っぽにしてヒャッハーできる映画」に仕上がっていることだ。地面の底ではものすごい基礎工事が組み合わさっていて、その最後にコンクリートを綺麗に敷く。そんな完璧に出来上がってコンクリもまだ黒いままの道路を、我々は裸足のまま、全裸のまま、両手を挙げて馬鹿になって心から全力疾走することができる。それを「どうぞ全力疾走してね」と促してくれる。観ている側が安心して馬鹿になることができるように、神経質なまでのお膳立てがされているのだ。

…という意味で、書き出しで「それらとは確実に一線を画している」という表現を用いた。“見え”だけならいくらでも簡単で単純な作りだと言えてしまうかもしれないが、実は私のこのレビューもまだまだ序の口で一部分に過ぎない。元ネタとされている世界各地の英雄神話の応用であったり、常に緊迫感と重厚感のある音楽の使い方であったり、“綺麗な汚し”と世界観への説得力に満ちた衣装や美術など、分解して読み解けば一晩では終わらないだろう。そんな“とことん読みほぐしがいのあるヒャッハー映画”として、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は日本国内において2015年随一のカルト人気を獲得したのである。

日本ではどうしてもボンクラ的な熱量で語られ、ひたすらに祭られた向きが強かったが(とはいえあまりにも局地的ではあったが)、後に賞レースでも大活躍したところを見ると、やはり「ヒャッハーだけじゃない」、神経質なまでの組み上げ方が大きな特色だったな、と強く思えてくる。むしろ、だったからこそ息長くいくらでも盛り上がることが出来たという意味で、これまた稀有な作品だと唸らされるばかりである。


※この記事は、2015年末に公開した無料電子書籍『THE BEST』収録記事をアカデミー賞最多部門受賞記念にリライトし、サンプル版から全体公開に変更したものです。


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