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「動物戦隊ジュウオウジャー」があまりにも面白すぎて観ているこっちが本能覚醒しちゃうぞ!

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

これを書いている時点で第3話まで放送されている「動物戦隊ジュウオウジャー」。史上40番目のスーパー戦隊ということで、サンバルカン先輩もライブマン先輩もガオレンジャー先輩も魅力を振りまいた超絶王道モチーフ「動物」を司る“群れ”の物語。いやね、正直、これがめちゃくちゃ面白いんですよ…。なんなんだ、この超序盤における謎の安定感は。40番目というメモリアル戦隊なので作り手にも一段と気合が入っているのか…。

前作ニンニンジャーも言わずもがな大好きな訳だけど、こちらは「何が起こるか分からない“おっかなびっくり”の雑多感」みたいなのが当初のウリで、その後彼らなりのラストニンジャとか師匠と弟子(同士のライバル関係)にシフトしていったので、そういう意味でジュウオウジャーの「面白い」とはまた全然違うよなあ、と。ジュウオウジャーはすでに20話近く観てるんじゃないかというくらいの堅実な作りと、それでいてベタさと既視感に溺れない新鮮味も散りばめられていて、非常に高い次元でまとまっている印象を受ける。(以下、考察とか感想とか所感を徒然と…)





脚本の香村純子さんが満を持してのメインライターということで、長年の経験則がこれでもかと発揮されているのか。例えば第3話の大和&アム回。アムの無邪気ながらしっかりしている性格を描きつつ、同時に(番組的に最も目立たせたい)レッドである大和をちゃんと引き立てる話にもなっていて、キーアイテムである“王者の資格”(四角にかかってる?)かと思いきやそれが武装のキリンだったり(唐突な新アイテムをいかに唐突感を薄めて登場させるか、という観点)、土砂崩れに埋もれることで2パターンの合体をスムーズに連続披露する流れだったり、大和が純粋な人間でなくなっていきそうな前フリも挿入しつつの、お見事な起承転結。いやはや、細かな手入れが行き届いたシナリオに思わず拍手ですよこんなの…。

どう考えてもマインクラフトな流行りに乗っかったと思われるキューブ要素も、最初はどうなることかと思ったんですね。だって、あの綺麗な立方体は自然界には通常あり得ないから、自然の賜物である「動物」との相性はどうなんだ、と。食い合わせが悪そうで…。でも蓋を開けてみると、そもそものジューマンの世界が立方体に溢れていて、通常の動物とは違う進化を遂げた彼らなりの“人工物”という作中ロジックが割と腑に落ちる配分だった。ジューマンという二足歩行の動物が作ったからこそ、自然界には無い綺麗な形。もっと言うと、あの“王者の資格”が彼らにその概念を与え特殊な進化をもたらしたオーパーツなんじゃないかとか、色々な妄想が捗るわけですよ。

思わず「動物、プラス人間!」と言いたくなる4+1のメンバー構成は、やはり「未来戦隊タイムレンジャー」を思い出すところ。さっそくジュウオウジャーでも繰り広げられているが、いわゆる“現代にタイムスリップしてきた武士メソッド”はやはり固い。「獣電戦隊キョウリュウジャー」のウッチーも同じで、慣れない文化に驚きつつ接していく異邦人に他メンバーが突っ込むだけでお話の推進力としてはバッチリ。人間の文化を学んだジューマンたちが、後に「人間の文化」から「人間そのもの」に関心をシフトしていく下地も完璧である。





第1話における「人間だって動物だっ!」という大和のセリフは非常に上手にこの番組を象徴していて、問答無用で“生きとし生けるものを守る”というベッタベタなヒーロー特撮の動機付けに成功している。そもそも第1話で人間の建造物等を一切出さなかったのも上手い。純粋に自然が破壊され、草木が燃え動物が逃げ出す。そしてそれを「ゲーム」と称して殺戮を楽しむ輩がいれば、そりゃあ、問答無用に「悪・即・斬」である。重要なのは、視聴者に過不足なく「あ、コイツら許せねぇや」と思わせることなのだ。

さて、偉大なる幻の大先輩カーレッドやカクレッドに弟子入りする新米戦士ジュウオウレッド… という冗談は置いておいてジュウオウイーグルこと大和だけど、鳥のジューマンにどんな力を分け与えられたのかはこの番組の大きなポイント。そもそもあの変身アイテムを使っただけでイーグルの力を行使できるのは「おかしい」訳で(WindowsにどんなUSBをぶっ差してもMacにはならないように)、その「おかしさ」については劇中でもしっかり言及されている。だからこそ、大和は人間のままでいられるのか・そもそもすでに純粋な人間ではないのか、このあたりが気になるところ。個人的には、「ジュウオウヒューマン」的な落とし所を期待したい、が…。







というか、やっぱりすごいのはOPテーマ。なんだあれ最高かよ。もうここ数日ずっと脳内で流れてやがる…。Bメロからの「イーグル!(ドドドン)シャーク!(ドドドン)」がとにかく脳内再生楽しすぎて「本能~ 覚醒~~」で死ぬほど盛り上がる。サビの「王者」と「ジュウオウジャー」をかけた行ったり来たりのフレーズ構成は「海賊戦隊ゴーカイジャー」のOPを思い出す感じで、言葉遊びとリズムの符合がテンドンで美味しくなるパターン。非常にキャッチーで、それでいて力強く、覚えやすい。最高かよ…。劇中での使われ方もお見事で、第2話での乱戦の後に野生解放状態のジュウオウジャーが爆煙の向こうに並び立つのを捉えたカットで ダン!ダン!ダン! ア~~ア~~アァア~~ と流れた時はタイミングがあまりにも絶妙すぎて思わず鳥肌が立った。

演出はさすがの柴崎監督(~第2話)で、この人は個人的にはライダーより戦隊の方が向いてるんじゃないかな、というのが正直なところ。バラエティ豊かで派手だけどとっ散らかってなくて、それでいてギミックの見せ方と工夫がとにかく楽しい。武器の組み替えもしっかり見せつつ斜めからのカットで心なしかパースをつけるように写すし、必殺技での5人が爪になる演出はとにかくかっこよすぎる。野生解放状態のイーグルの視点は、ドローンにカメラでも積んでるのかな?(そういえば「トッキュウvsキョウリュウ」でも印象的な空撮シーンがあったけど、近年東映が買ったのだろうか)

武器のギミックといえば、あれですよ、ジュウオウイーグルの蛇腹剣。どうしても「パシフィック・リム」のチェーンソードを思い出して胸が熱くなるのだけど、あれが鞭のようにしなって猛獣使いの演出になっているのが面白いのよね。ちゃんと1+4の構図が活きてるし、名乗りシーンが終わったら自動的に剣が手元にある、というのが絶妙にかっこいい。イーグルだけの専用武器というのもどことなく「マスター(主従関係)」っぽさがあるし、しかし実際は奔放な4人のジューマンに振り回されまくる超ツッコミ苦労人というギャップも味がある。大和がまた演技が上手いんだ。





他にも、巨大戦で撃破した敵がブロック状で四散するとか、煽りのカットによる巨大感の魅せ方が凝ってるとか(特に第1話)、近年稀に見るガチ殺戮を繰り返すデスガリアンとか、名乗りの時のイーグルの指がかっこよすぎるとか、セラさんが期待通りのツンツンっぷりで素晴らしいとか、セラさんがとにかく美しいとか、セラさんがお風呂キャラというのはどうしようもなくドギマギしてしまうとか、セラさんのEDの踊りめっちゃ可愛いとか、とにかく期待ポイントを挙げていけばキリがないジュウオウジャー。

このまま陽性の雰囲気を保ちつつ、しっかりシビアなところはシビアに、でも突きつけた王道感というバランスで一年間走り抜けて欲しいなあ、と。ジュウオウジャー、超絶!楽しみですな。



日曜朝から「あざますっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」しかなかった。 pic.twitter.com/ALSun9yVZi

— YU@K (@slinky_dog_s11) 2016年2月28日



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駄作の鎖を解き放ち抱きしめたい「仮面ライダーキバ」

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

今でも鮮明に覚えている。「仮面ライダーキバ」放送前に公開された公式ホームページの導入欄に「現代と過去を並行して描き密接にリンクする」「脚本 井上敏樹」とあったのを目にして「おいおい大丈夫かよ…」と漏らしてしまったあの日。22年の時を経たふたつの時代を同時進行で描き数々の要素が絡み合っていく「仮面ライダーキバ」は、売上だけで見れば前作「電王」を大きく下回り、哀しいかな未だに「駄作」の烙印を押す人をネットで見かけることは少なくない。別に“アンチのアンチ”を叫ぶ意図はないのだけど、私としては「た… たしかにアレな部分はあったかもしれない… が!キバは… キバはいいんだぞっ…!」という震える肩を自ら抱くような姿勢を取っている。以下、「キバ」について清濁含めた思いを徒然と綴ってみたい。





前提として、私は井上敏樹脚本作品がこの上なく大好きだ。平成ライダーで一番好きなのは「ファイズ」だと度々書いていて、血迷って自作スピンオフ短編小説なぞを書いてしまうほどだけど、同時にファイズが完全無欠にクオリティの高い作品かと問われたら泣きながらNOと答えるだろう。「もうちょっと上手くやってくれたら…」「あそこのグダグダは…」とか色々と言いたいことはあるし、それでもその全てを“好き”と言い切れる自信もある。『「好き」と「クオリティが高い」は、往々にしてイコールではない』と以前ウルトラマンネクサスの記事に書いたけれど、「ファイズ」もこれに近い感覚を持っている。

例えば「ジェットマン」も「ゴウライガン」も、素晴らしい作品でありながら完全無欠かと問われたら答えには躊躇してしまう。その表現なら「仮面ライダークウガ」や「W」の方がしっかりきっかり組まれていると思うし、こちらもまた心底大好きな作品だ。井上敏樹脚本作品は、時にあまりに濃すぎる色や整合性をかなぐり捨てた展開があるものの、瞬間最大風速はべらぼうに高く、愛憎劇や男同士の(良い意味での)臭すぎる関係性においてはピカイチだと感じている。決して万人ウケする訳ではないかもしれないが、独自のプライドと方法論に基づいた作劇に幾度となく魅了されてきた。

だからこそ、「現代と過去を並行して描き密接にリンクする」という「キバ」の構成は、失礼ながら「大丈夫かよ…」という不安を抱いてしまった。キャラクター云々とは別の意味で時代間リンクの長期的な“パズル”(=整合性)が求められてしまう設定であるし、その“パズル”が井上敏樹脚本と相性が良いかと問われたら、これまた泣きながらNOの札を上げることになるだろう。かくして、「仮面ライダーキバの設定と井上敏樹」という組み合わせに、尊敬している根っからの文系の父親が突如サーフィンに挑戦すると言い出したような感覚を持ってしまった。(言うまでもなく作品設定等はプロデューサーを始め多くの人の手によって決められているが、それを踏まえた上でメインライターとの相性について言及している)





さて、前置きが大変長くなったが、「仮面ライダーキバ」本編について。22年という時を挟んだふたつの時代で、紅音也とその息子・紅渡がそれぞれファンガイアと敵対しながら運命を紡いでいく物語。

ヴァイオリニストである音也を主役に据えた「過去編」では、世に跋扈するファンガイアという種族と戦う素晴らしき青空の会の戦士・麻生ゆりをヒロインとし、やがて開発される初期型イクサシステム、ファンガイア以外の怪人種族との出会い、入り乱れる恋愛関係などを展開していく。一方の「現代編」では、なぜかキバに変身できる力を持っている渡が、父が残したヴァイオリンの響きに導かれ闇に紛れてファンガイアを討伐する。渡の出生の謎や亡き父が辿った真実を抱えながら、物語は次第にファンガイアと人間の種族間抗争にシフトしていく。

親子であるふたりの“紅”が主人公だが、それぞれそのキャラクターとしての前後が明かされぬまま逆方の編で答えだけが提示される。音也は女ったらしで恋多き男だが、誰と結婚し子を儲けるは分からない。しかし現代では実際に子供がいて、その子はなぜかキバという人外の力を宿している。息子である渡は父親がどんな人間だったのか・どんな人生を送ったのかをほとんど知らないが、それをまた同時進行で過去編にて紡いでいく。互いに先にミステリーの答えを配置し、「何がどうなってそうなったのか」という過程部分を1年間かけて解き明かしていくのだ。

…というシリーズ構成的なミステリー要素は大きく存在するものの、基本の2話前後編構成で小さな“パズル”も度々描かれていく。過去編で暴れたファンガイアはなぜ22年の時を経て再び暴れ出したのか、ゲストのキャラクターは過去に音也と関わりがあったようだが彼から何を見聞きしたのか、など、ふたつの時代という設定を活かした人情劇等が毎週展開された。とはいえ、予算の都合か「2週に1体の怪人」というルーティーンの結果、「過去で音也が取り逃がしたファンガイアが現代でまた暴れて“たまたま22年の時を経て”渡と遭遇する」という偶然性の高い構成になって(しまって)いた。この辺りがもうちょっと煮詰めてあったらなあ、という思いは正直拭えない。





結局過去編においてはファンガイアの討伐率が非常に悪くなってしまうし、22年間野放しのファンガイアは何をしていたんだというツッコミと時にそれを回避する物語に尺が取られてしまう。物理的にファンガイアを拘束なり凍結なりしていた、というロジックがほぼ皆無だったため、「たまたま各々の時代でエンカウントして」「22年間野放し」というズブズブな進行には楽しく視聴しつつも「う~ん」と思っていたのが本音である。このような、製作上の事情と物語のロジックがギリギリ噛み合っていない様子が散見されるのが、良くも悪くも「仮面ライダーキバ」といったところだろうか。

余談だが、これが仮に平成2期だったら「怪人を封印するファンガイアカプセル」なる設定があったのだろうか、などと妄想してしまう。過去編で音也たちがファンガイアをカプセルに封印し青空の会がそれを保管していたが、現代でそれが何者かによって解放されてしまう。青空の会はその対策が急務だが、なぜか未確認のファンガイアカプセルを所有しそれで変身やフォームチェンジを行うキバという存在が現れて…(書いてて思ったけどこれほとんど仮面ライダー剣では)。当たり前のようにファンガイアカプセルは食玩とガチャポンにラインナップされてレジェンドライダーカプセルも発売されるとか何とかかんとか……。





さてさて、前述の「製作上の事情と物語のロジックがギリギリ噛み合っていない様子」についてだが、シュードランやパワードイクサーやフェイクフエッスルやブロンブースターといった“極端に出番が少ないけど玩具が発売されたギミック”についても避けては通れない。

キャッスルドランが死したファンガイアの魂を食べる設定は「龍騎」のミラーモンスターらしくてとても好きなのだけど、そのDX玩具は絶望的に面白くないギミックと見た目でしかなかったという闇…。放送終了後に特価980円でドン・キホーテの棚を占領していたキャッスルドラン…君のことは忘れない…。シュードランについては存在自体が抹消されたのでは、という勢いすらあった。まあ、ゼクトマイザーとかスマートパッドとか“死に設定玩具”は割とシリーズに付き物なのだけど、こと「キバ」においてはその数やバラエティが豊富だったな、と。

ガルルとバッシャーとドッガの描き方も前作「電王」におけるイマジンコントのヒットがむしろ足を引っ張っているかな、とか、キバが放つ必殺キック“ダークネスムーンブレイク”(名前かっこよすぎだろ…)で夜になる演出が良かったのにめっきり無くなってしまった、とか、そもそも子供番組で盛大に女の取り合いだの浮気だのをやるのはどうなんだ、とか、前作「電王」の影響が清濁含め強すぎて放送当時のネットではアンチだの信者だのの醜い争いが絶えなかった、とか、「キバ」を取り巻く様々なモヤモヤは挙げていけばキリが無い。

と、言いつつも、それでもやっぱり私は「キバ」が大好きなのである。「ここがダメ」「あれがダメ」という話なら三日くらいは徹夜できるだろうけど、それでも心から好きなんだから仕方がないのだ。何よりまずキバのデザインそのものが最高にかっこいいとか、イクサのセーブモードがこれまた極上にかっこいいとか、デザインワークと造形については言わずもがなである。ファンガイアのステンドグラス調のデザインは「ファイズ」のオルフェノクを想起させる“縛りデザイン”で、個性と美術性に満ちていた。キバやサガなど西洋の鎧・甲冑を引用したゴツくもスマートな佇まいはこれでもかと画になるし、OPにおけるバラの敷き詰められた王の間で王座につくキバのカットはあまりにも強烈だ。痺れる。





また、特筆すべきは武田航平演じる紅音也というキャラクターだ。結城凱、草加雅人に続く「3大井上敏樹果汁100%固形男」とでも言うべき愛すべきマイペース野郎。武田航平がこれでもかとノリッノリで音也を全うし、その存在だけで過去編のドラマ全てを見事に牽引していた。

音楽にかける情熱は人一倍だが、恋が多く楽天的ですぐに調子に乗って、それでもキメるところはバッチリとキメるかっこよすぎな男の中の男。同じ男性として、やはり一種の憧れを抱かざるを得ない。麻生ゆりに宿敵・ルーク妥当のためイクサシステムを放ってよこした時の「フッ…」という仕草に痺れ過ぎて堪らないのだけど、彼の飄々とした演技やそのスタイルは「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロウを参考にしたとのこと。彼を好きになれるか否かが、ひいては「キバ」を好きになれるか否かとほとんどイコールだったのではないだろうか。







過去編では、完成したばかりで不完全さも見られるイクサシステムを武器にファンガイアと戦う音也たちと、同時に三角関係からの浮気発生なドロドロ恋愛模様が描かれる。目の部分が“開かない”セーブモードのイクサが非常にかっこよく、「短時間しか変身できない」という設定はボロボロになっても戦い続ける音也の旨味を増幅させ、時には敵にダメージを与えるアイテムとしても活躍した。

前半ではガルルこと次狼と音也がゆりを巡る恋愛レースを展開し、結果としてそれが音也の勝ちに終わる(次狼がゆりをさらってツタで拘束してウオオオオってやりだした時は色んな意味でどうしようかと思ったが…)。しかし一転、後半は音也がファンガイアである真夜に惹かれてしまい、渡が生まれるまでの愛の崩壊と成就にシフトしていく。外見や性格よりも魂(音)の共鳴を重視する音也だったが、普通に考えて「善くない」行動であり、それでも彼の生き様そのものにどうしようもなく目が奪われるという、井上脚本“らしい”展開であった。

まあ、最終的にキング(バッドファンガイア)がすこぶる割を食った展開だったと言わざるを得ない…。奥さんに浮気されて浮気相手にめちゃくちゃ挑まれて親子にダブルキック喰らって最終的には現代に傀儡として蘇生されてしまいまたもや2対1で宙吊りにされキックされ爆散…。もはや安らかに眠って欲しさしかない。とはいえ、「悪い奴だから倒す」みたいなヒーロー像は「キバ」ではほとんど描かれておらず、良くも悪くも皆が私利私欲のプライドと理想を抱いて交錯し殴り合う感じだったので、これはこれで“らしい”な、と。ちょっと肯定的すぎるかもしれないけれど、「キバ」の物語は結局「魂(音楽)の強い奴が勝つ」みたいな印象があった。

ダークキバや下位互換鎧のサガ、チェックメイトフォーという幹部継承システムなど、ゴシックタッチでまとめられたファンガイア組織も大きな魅力のひとつ。平成ライダーの敵組織はグロンギやスマートブレインのように人間社会に潜み溶け込むニュアンスのものが多かったが、ファンガイアは歴史の闇で暗躍する「しきたりの種族」という“いかにも感”が面白い。しかし、ラッキークローバーと同じで結局敵幹部がズラッと揃ったりすることはほぼ無かったりで、もうちょっとガツガツと(この設定を)活躍させて欲しかったな、という気も…。







現代編は、「この世アレルギー」にかかった渡が(要は単なる引きこもりだった)、なぜか自らに有するキバの力を使ってファンガイアを討伐していく物語。青空の会の恵や名護はキバの正体を追うが、一方で渡がそれと知らずに仲を深めていく。「キバは世界を滅ぼしかけた」という触れ込みだったが過去編が終わってみてもあまりピンとこなかったり(ダークキバと誤認しているかもとか幻のウェイクアップ3とか言いたいことは山ほどあるが)、あれほど引っ張った名護への渡の正体バレがめちゃくちゃ偶然で消化されてしまったり、名護さんはキャラとしては大好きだと前置いた上でネタキャラ化が凄まじすぎてもうちょっと抑えて欲しかったとか、こちらも引き続き色々とモヤモヤはある。

現代編では、紅渡という人間とファンガイアのハーフな存在が1年間かけて成長していく変遷が描かれた。引きこもりで他人嫌いだった渡が恵や名護やジンジンと知り合いコミュニケーションを覚え、亡き父の背中を追い、恋愛も経験し、自身の出生と血の秘密に苦悩し、義兄弟と争い、そして一人前の男になっていく。終盤ではキャッスルドランの扉を介して過去に行き、実の父親との対面も達成。追い求めてきた“父性”を身近で感じ取ることで、義兄弟との決着に向けた決心が育つ、という流れであった。







演じる瀬戸康史は同時期に連ドラにも出演したりと多忙を極めたが、何よりまずアフレコの上手さに驚いたのを覚えている。「ハァッ!」というキバの戦闘時ボイスは非常にかっこよく、フォームチェンジによって荒ぶったり可愛げがあったり重厚だったりで素晴らしい使い分けだった。1話の時点であれだけ当てられるのは本当にすごい。変身するいざというカットでの睨みつけた視線だったり、ナヨナヨしてからの「キバットっ!」でフッと人が変わる感じとか、人間味と“ファンガイア味”を感じさせてくれるアクトだった。

キバのアクションは縦軸を意識しぶら下がったりキックを叩き込んだりとまさに蝙蝠らしい動きが見所で、腕を手前でクロスしたり斜めに構えたりするキメのポーズは高岩さんの流れるようなボディラインがかっこいい。「ディケイド対大ショッカー」のメイキングだったかで高岩さんがキバのスーツアクターの方に腕から肩にかけてのラインを指導していたが、素人目に見てもあれは難しいよなあ、と。とにかく、動物的かつスマートで、気品があるのだ。

そういえば、「キバ」を語る上で欠かせないのは音楽展開。前作「電王」での音楽人気を継承してか、ちょっと異常なくらいに力の入ったラインナップであった。瀬戸康史をボーカルに迎えたバンド・TETRA-FANGは、キバ・イクサ・サガのイメージソングをそれぞれシングルで発売。ミニアルバムとフルアルバム、更にはイクサコンピレーションアルバムも出しつつの番組放送終了後にアンコール企画盤まで出るという…。もちろん私はその全部を当時アホかと言うくらい聴き込んでいたけど、どれもちゃんと作ってあって最高に聴きごたえがあるのだ…。瀬戸くんの歌唱力の上昇っぷりも目を(耳を?)見張るものがあった。各ミュージックビデオもバラエティ豊かで楽しい。(瀬戸康史の半裸フィーバーPVは色んな意味で直視できないが)







脈略なく語りまくってしまったが(それでもまだ触れられなかった部分が山ほどあるが)、結局何を言いたいかというと、「私はキバが好き」ということだ。同時に、「キバはめちゃくちゃ良く出来た作品ではない」とも思っている。このふたつは一見相対しそうで完全に共存できるものであり、そういうものに限って余計に愛着が沸いて「好き」が濃くなるものだ。ネットを見渡すと本作品をボロクソに叩いている人も多くて、「駄作!」「平成ライダーワースト!」との意見も時に目に入らなくはないのだけど、「そうだよな… そういうダメなとこあったよな… でも、自分はめっちゃ好きなんだよなぁ」と肩を震わせつつ最終的には音也のようなニカッとした笑顔に帰結していく。

改めて俯瞰して見ると、「仮面ライダーキバ」は電王バブルとディケイドバブルに挟まれた作品であり、その後カブトの強いキャラクター性や電王の陽性な作劇が平成2期に色濃く受け継がれたようにも思えるからして、当時にしてすでに「あの頃にしてはどこか懐かしの平成ライダー」だったな、と。色々と残念な要素も散見されるも、それでも、音也と渡が引っ張り続けた「音楽」と「魂」の物語は、私の中では十二分に「駄作」の烙印を寄せ付けない魅力に溢れていたのだ。


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「gooブログ投稿白書2016」にて「2015年にアクセスが急上昇したgooブログ」として紹介されました

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

2014年4月の開設以来ずっとgooブログで書き続けてきた訳だけど、そんなgooブログがめでたく12周年を迎えた2016年3月9日、公式スタッフブログにて『おかげさまでgooブログ12周年を迎えました!』という記事が更新されていまして…。




今回は12周年を記念して、gooブログをご利用いただいているお客様に、アンケートを実施いたしました。アンケート結果と、gooブログが調査したデータを基に、gooブロガーの利用実態や、gooブログ読者の傾向をまとめたページをリリースしています。日々の更新の参考にしてみてください!

(中略)

ご紹介しているデータ
・gooブログの読者の傾向
・2015年にアクセスが急上昇したgooブログは?
・gooブロガーの利用実態調査
など、初公開!のデータが多数あります。



そしてそのアンケート結果等が載った『gooブログ投稿白書2016』なんですけどね。「2015年にアクセスが急上昇したgooブログは?」の欄で、なんとうちのブログが紹介されているんですよ。





思わず、会長とのティッシュくじ引き対決で仕込んだイカサマくじが見つからず大焦りした時のカイジみたいな声が出ました。しかも編集部のコメントがまた感謝感激な内容でして…。




編集部のひとこと

2014年4月に開設して以来、短期間で最もアクセス数が急上昇したYU@Kさんは、アクセスアップのために様々な方法を実践しておられ、スタッフも注目していました。SNSなどで積極的に発言されて誘導を図り、TOPページや各記事に読者が興味を引きそうな記事一覧を置いたり、サイドバーに写真入り人気記事を並べたり細かいところまで配慮されています。ご自身のブログでもその経験や方法を紹介されているので、アクセスアップに悩んでいる方は参考にしてみてはいかがでしょうか?



ありがとうございます、ありがとうございます…っ!何が嬉しいかって、「SNSなどで積極的に発言し誘導を図る」「TOPページや各記事に読者が興味を引きそうな記事一覧を置く」「サイドバーに写真入り人気記事を並べる」という工夫点は、色々と試した中でもやっている本人(私)が特に効果を感じられた上3つなので、(大変失礼ながら)さすがgooブログ公式様ッ!!…という感じでして。「ゴソゴソと自分なりにやっていた工夫が正確に伝わっていた歓び」、ですね。「導線を外向けにも内向けにも多重的に設ける」というのは、以前『ブログを太く強く育てる方法』でも書いた内容。(リンク先はサンプル記事だけど…)

gooブログは、最近だけでも「はてなブックマークとの連携強化」「リアルタイムアクセス解析の導入」「記事ジャンルの充実化」「ツイキャスとの正式コラボ」「テーマ(お題)の実装」と、“書き手の充実感”に訴えるサービス追加が多く、ユーザーとしては嬉しい限り。決してブログサービス界のトップを走っている訳ではないのだけど、12年の歴史を持つ“老舗”ならではの盤石さと安定感、何より分かりやすく使いやすい部分が気に入っています。

まあ、あくまで「“2015年に”アクセスが急上昇したgooブログ」ということで。ぶっちゃけ、昨年の伸び具合は我ながら出来すぎだったので(体育とかエロ本とか予想外の反響がありすぎた)、今年はそこまではないだろうな、と。前にも書いたように、アクセス数は「結果としてついてきたら嬉しい」くらいに捉えていた方が良いと思っているし、gooブログにおけるPV獲得のための改善点も個人の工夫範囲では割と頭打ちだと感じているので、やはり「好きに気ままに記事を書き続けるのみ」だなあ、と。

あ、あと最近では知らぬうちにエキサイトニュースにも載っていたり、昨年末に発売した電子書籍もいつの間にか約3,000部売れていたり…。これらも併せてびっくり事案。


「いらすとや」フリー素材で映画・アニメ再現祭り 万能すぎでスター・ウォーズも「だいたいあってる」 (exciteニュース)


…ということで、ご報告の記事でした。言わずもがな、いつも読んで下さる方がいらっしゃっての結果です。ありがとうございます。そしてgooブログ公式様、今後ともよろしくお願いします。


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サルがぎりぎり出来ない超簡単な「ひとり鍋」レシピをレベル別に公開する

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

春の日差しも差し込む今日この頃、春から新しくひとり暮らしを始める人も多いかと思う。私はもう結婚して数年経ち台所に立つ機会もかなり減ってしまったが、独身時代はひとり暮らしをしていた。そこで問題になってくるのは、食事である。お金に余裕はない、しかし時間はある、それでも調理の腕はない。それまでは実家でただ口を開けて偉大な母親が作ってくれた料理を受け入れるだけだった馬鹿野郎が、いきなり戦線に立たされる。「自炊」という一級戦線だ。

飛び交う銃弾!バキューン!「面倒臭い」!バキューン!「時間がかかる」!バキューン!「知識がない」!バキューン!「洗い物が面倒臭い」!…そんな危険な戦線をわざわざ歩まなくとも、現代人はコンビニエンスストアという文明スポットを活用し楽々と腹を満たすことができる。だから、それはそれで構わない。お金と健康な体が消失していくことになるが…。

ひとり暮らしを始めた当時、私もよく調べものをした。自炊についてだ。ネットで検索して簡単なレシピを調べたり、「ひとり暮らしキッチン!」みたいなタイトルの料理本を本屋で立ち読みしたりもした。しかし、全くの自炊無経験者にはこの時点で相当なハードルがある。




塩:適量
みりん:小さじ一杯



例えばこうサラッと書かれてあったとする。しかしこれ、全くの自炊初心者にはめちゃくちゃ難しい。そもそも「適量」ってなんだよ!テキトーか!? テキトーだろ!知ってるよ!でもそのテキトーや当てずっぽうがそもそも“知らない”からよく分からないんだよ最初期は!!みりん!!そもそも「みりん」という調味料が何からどう出来ているかどんな味や効果があるのか知らない!!誰だよ!!!「小さじ」!!ナメてんのか!???? 計量スプーンなんか持ってるワケねぇだろ!!!テメェの親切心が小さじ一杯にも足りてねぇだろオイ!!!!!

…と、まあ、こんな感じで、数をこなしたりもうちょっと調べたりすれば良いのは十分に分かってるけど、それでも最初期には「小さじ一杯」で“めげる”。そんな超絶料理初心者にオススメしたいのが、「ひとり鍋」だ。春から自炊込みの新生活を始める方に読んでもらうことも想定して、レベル別に分けてみた。袋ラーメンを鍋に入れた水にひたして火をつけてそこから3分を測りはじめた私の弟くらいに超絶初心者の人は、ぜひ【レベル1】を試してもらいたい。





【レベル1】




買うもの:「白だし」、好きな具

1)鍋に6割くらいの水を入れます。
2)「白だし」をドボドボと入れます。
3)食べられそうなサイズに切った具を入れて火をつけます。
4)グツグツします。
5)完成。



<ポイント!>

重要なのは、どこのスーパーにも必ず売っている「白だし」というノーベル賞もビックリな究極液体。水で薄めるだけで高級料亭みたいな味になるぞ!(感想には個人差があります)





これを鍋に入れた水にドボドボして薄める。入れる量が多くても少なくとも決して不味くはならないので、好きに入れてOK。大丈夫、ファミ通の攻略本よりはるかに大丈夫、チョコレートでも入れない限りどう頑張っても不味くはならない。どうしても不安なら味見しながら入れるか、【レベル2】へ。



【レベル2】

「白だしをテキトーに入れるって言われてもどうせならちゃんとした味で食べたいよ~」という君へ。お手元の白だしのラベルを見てみよう。そこに「鍋料理 水〇:だし〇」と書いてあるハズだ(「鍋」が無い場合は「うどん・そば」の分量でOK)。ここで必要なのが、ノーベル賞もこれまたビックリの文明の利器、計量カップ。100均でも買えるよ。これと、義務教育で習った算数の力を使えば、水とだしがそれぞれ何ミリリットルかは分かるはずだ。白だし本来のパフォーマンスを存分に発揮させてあげよう。






【レベル3】

自炊初心者なのにレベル3まで目を通そうとする君は相当な猛者だ。そんな強者に特別なテクニックを伝授しよう。それは、「具を入れる順番」だ。レベル1にもあるように、テキトーにぶち込んでグツグツでも十分美味しい。が、「肉を最初に入れる」「野菜を最後に入れる」、この2点を守ると、美味しさのグレードが飛び級で進学する。


<ポイント!>

野菜は、歯ごたえが残るシャキシャキ系と、トロットロに煮込んだものと、どっちがお好みかな? シャキ派は前述のように2点を厳守、トロ派は思い切って肉と一緒に一番最初に入れてみよう!



【レベル4】

川越シェフもビックリのレベル4では、そのアレンジやバリエーションを解説する。まず、白だしで鍋を作る。ここに買ってきたキムチを入れる。キムチ鍋の完成だ。ウォ~~~。数十円で買える安いうどん麺を買ってきて入れる。煮込みうどんの完成だ。ウォ~~~。食べ終わったら、残り汁を捨てずに取っておく。翌朝、そこにご飯を入れてグツグツして最後に卵を入れてかき混ぜる。雑炊の完成だ。ウォ~~~。…ここまでくれば君はもう完全に自炊マスターへの一歩を踏み出しているぞ…っ!!!





<ポイント!>

ひとり鍋用のこじゃれた鍋を買う必要はないぞ!



▲こういうの

普通の鍋を100均で買った鍋敷きの上にどーーん!これで食欲モンスターな君も沢山食べられるぞ!



▲こういうの


私は独身時代、ヒルクライムもビックリの春夏秋冬フルシーズンでひとり鍋を食べていた。夏の暑い日に、扇風機の風を浴びながら熱い鍋を食べる。これがまたいいんだ…(東北でよくアイスが売れる理論の応用)。ひとり鍋は、超絶お手軽なのに洗い物も少なくどう考えても失敗が訪れない究極楽チン料理。春からの新生活、自炊戦線で生き残りたいと思っている人には、ぜひ試してもらいたい。


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なぜ私は「クラスタ」という呼称に違和感を抱いてしまうのか

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

「クラスタ」という単語がある。言うまでもなく、元は英語の「cluster」。「房」「集団」「群れ」といった意味を持ち、転じて主にTwitter等では「〇〇ファン」「〇〇オタク」に近いニュアンスで用いられる。例えば「アンパンマンクラスタ」なら「アンパンマンを愛好する者たち」といった感じだ。各々、好きな作品名を「クラスタ」の前に置くことで、昨今のネットでは日常的に使用されている。

しかし、私はどうにもこの「クラスタ」という呼称に馴染めないでいる。妙に違和感があり、例えば私は映画が好きなのだが、「映画クラスタ」「洋画クラスタ」といった呼称は“自分からは絶対に使ってやるもんか!”くらいには思っている。しかし、なぜそんなにもモヤモヤを抱えているのか、自分でもよく分からない。この記事では、その謎の要因を探りつつ、オタクの呼称問題について徒然と書き並べてみたい。


※※※


「クラスタ」は私の感覚ではここ2・3年で流行り出した単語という印象だったが、調べてみるとすでに2009年には以下のような記事が書かれていた。




単純にクラスター(Cluster)の単語の意味に群れや房、集団などの意味があります。Twitterで使われるクラスタの意味としては 「○○な人たち」 と言うのを横文字を使ってみましたという感じかな。クラスターと聞いて、クラスター爆弾を思い浮かべた人も居ると思いますが、意味は同じです。 小さな爆弾をまとめたものです。

ネット(主にTwitter)で見かける クラスタ って何?



2011年にも、webニュースとして扱われている。




■ クラスタを使った例文
「クラスタ」を使って例文をいくつかご紹介します。

・ 昨日、AKB48クラスタが盛り上がってたよね
AKB48を好きな人たち、ファンの人たちが、Twitterや2chなどで盛り上がっていた様子を指す。

・仁の初回って、視聴率23.7%だったんでしょ。実況クラスタも大活躍だったしね。
テレビドラマ「仁」が高視聴率スタートをしたよね。放送当日に、ネットでリアルタイムで実況する人たちもたくさんいたよね。という意味。

・「あなたは何クラスタ?」「私は嵐クラスタです。」
実際、こんな自己紹介はないと思いますが、「あなたは何に興味がありますか?」「私は嵐が好き(の集団に所属している)です」のようなイメージで使えると思います。

――相手のクラスタ関連の発言に、即座に反応できたら「この人デキる・・・」と思われるかもしれませんよ!

キミは何クラスタ?ネット語「クラスタ」の意味と使い方



私の感覚よりも更に数年の歴史のある呼称だが、今やTwitterを中心にかなり一般的に広まっているのではないだろうか。

もちろんこの「クラスタ」という単語は前述のように「群れ」を意味するので、何もオタク界隈だけには限らないのだけど、それでもその界隈での「作品名+クラスタ」という使用例が根強いように思える。この「その作品を好む者の総称」という意味では、「〇〇厨」「〇〇マニア」という呼称が一昔前では幅を効かせていたのだろうか。そういえば、昨今では「〇〇厨」という表現を見かける機会はグッと減ったように感じる。





時代と共に流行りの言葉は移り変わるからして、一昔前の「〇〇厨」が現在の「〇〇クラスタ」なのかもしれない。しかし両者が明確に異なる点として、「〇〇厨」は“蔑称”としてのニュアンスが非常に強い。つまりは、ネット上で迷惑行為をしている人に対し、その人(ひいてはその集団)を“叩く・批難する”目的で用いられる。例えばアンパンマンのファンが「今期のアニメはどれもクソ以下。アンパンマンこそが至高」などとネットで発言すると、それに対し「アンパンマン厨は黙ってろ」などと切り返しがくる。と、こういう感じだ。

オタクは、コンテンツと同族との繋がりを求めて現実社会とネット社会の二足のわらじを履くからして、ネットで流行る単語というのはオタク文化と密接な関係性を持つ。何らかのアニメやコラ画像で用いられた台詞が常套句として定着し、今では何が元ネタか知らずに使っている人も無数にいるだろう。そんな閉じた社会は一般的には「ネットの人(=オタク)」という視線で見られ、好意的な目を向けられることはあまり無い。というより、“無かった”と書いた方がもはや正しいのかもしれない。


※※※


いつから、「オタク」という単語は“蔑称”を脱したのだろうか。インターネットが普及し、スマホが一般的になり、ネット社会への敷居は低くなった(誤用)。今では日本の「OTAKU」コンテンツは世界に誇るものになり、クールジャパンという国策も広く知られることとなった。というか、こういった「オタクは広まった」「恥ずべきものではなくなった」的は話はもう何処でも彼処でもやり尽くされてきた訳で、今更私が書けることなんて無いのだけど、どうにも“私個人”は、未だに「オタク=蔑称」の図式が崩れない。




昨今は「オタク」という言葉が一般化され、「○○オタク」となれば「○○に詳しい人、専門家」みたいないいイメージもついて回っています。そのため「オタク」と呼ばれてもあまり気にしないというか、言われてもダメージはありません。しかし「おたく」という言葉は本来「蔑称」であり、アニメを趣味とする人たちにとって「おたく」と呼ばれることはとても恥ずかしいことだったのです。

本来「おたく」は蔑称であった



引用した上の記事では岡田斗司夫氏の名前も挙げつつ「オタク」とう単語について論じているが、私はこの単語が呼ばれ始めた時代よりは後の世代なのだけど、それでもどうしても「オタク=蔑称」のニュアンスが拭いきれない。俗にいう「オタクと言われる人たち」は、現実社会では中々その趣味を受け入れられ難く、ネットを主な趣味嗜好の広場として生息する。中学生辺りで2ちゃんねるが立ち上がった私たちの世代においては、このような認識が強くはないだろうか。

というか、未だに私は初対面の相手に向かって「日曜朝早くからヒーロー特撮番組を観て毎週末映画館に通って新作映画を観ています!」とは絶対に言えない。蔑みの目はさすがに減ったが、どうしても「変な人」という視線は免れないし、「うわっ!?」という表情は避けられない。本当はそんなことは無いのかもしれないけど、ここで真に言いたいのは「私の中にそういう感覚がある」、ということだ。これは、「オタク=蔑称」の図式が中々自分の中で崩れないことと決して縁遠くはないだろう。





「自分が好きな趣味なら胸を張ってそう言えばいい」。私にとってはそれは「そう言えるだけとても恵まれたこと」であり、以前『「宮崎駿に人生を壊された女」に矢を放つオタクたち』でも書いたように、“好きな物を好きと言えない難しさ”はかなりレベルダウンしたとしても未だに決してゼロではないのだろう。とはいえ「オタクは気持ち悪く蔑まれてナンボ」だとも思わないし、じゃあオタクが(今よりもっと)市民権を得た方が嬉しいのかと問われると、どうにもハッキリと答えられない。


※※※


とっても横道に逸れてしまった感があるが、「クラスタ」の話に戻る。つまるところ、私がこの呼称に抱いてしまう違和感の要因は、「蔑称としてのニュアンスが皆無」だからではないだろうか。ここで「べき」の二文字はあまり使いたくないのだけど、「オタクは一般人に比べると比較的隠れてネットを中心に生きる“べき”」という私の中でどうしても拭いきれない(古い)図式が、「自称として用いられる単純に音がかっこいい横文字由来の四文字」である「クラスタ」に拒否反応を示しているのではないか、と。「厨」も、「オタク」も、更には「マニア」も、私の中ではどれも(未だに)蔑称としてカウントされてしまうのに、ほぼ同じ意味で用いられる「クラスタ」にはそのニュアンスが全く無い。これが、違和感の正体なのではないだろうか。

「クラスタ」という単語を用いている方々に抱いてしまっている私の勝手なイメージが、「包み隠さない」「嬉々として名乗る(自称する)」なのかもしれない。それは未だに「蔑称としてのオタク=だからこそ隠れて生きる“べき”」といった価値観を拭いきれない私に、「いやいやいや…」と、「ちょっと待てよ」と、「もうちょっと慎ましくやりませんか」と、何故かそういう感情を誘発させてしまうのだ。

同じネット社会での発言において「慎ましい」も何もありゃしないのは十分承知だし、オタクイベントが莫大な経済効果をもたらし世界に注目されるこのご時世において、「オタク=蔑称」の図式を持っている私が「遅れている」のも分かっている。とはいえ感覚とはそう簡単に拭いきれないもので、その凝り固まった前時代的な認識が、私に「クラスタ」を使わせまいとしているのだろう。「群れ」が意味する通り、「〇〇オタク」等に比べて「クラスタ」は“集団でひとつのコミュニティを形成する”という向きが強く、その「繋がろうぜ~~」なニュアンスがどうにも自分に馴染まないのかな、と。上にも書いたが、単純に音としてかっこいい四文字であることも、その“悪い意味でのギャップ”に拍車をかけている気がする。





重ね重ね言いたいのだけど、私は何も「クラスタ」という単語を用いている人たちを批難したい訳ではない。「私の古く凝り固まった勝手な価値観と認識が、どうしてもその単語に違和感を抱かせているのだろう」。 …これ以上でも、以下でもないのだ。

三十路手前でまだまだオタクとしては“ひよっこ”な世代だと思っていたが、気付けば十代の子からは「なんか昔のオタク(オッサン)が面倒臭いこと言ってる」なのかもしれない。違和感を掘れば掘るほどに、自分が異常なまでに拗らせてしまっていることを証明したに過ぎなかったのかもしれないが、この内容にどんな反応が返ってくるかという恐る恐るの好奇心も含めて、記事公開としたい。


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打ち切りを辿った「アメスパ」は俺たちの中で紡がれ続ける

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

公開を間近に控えるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)最新作「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」。その最新予告に、待ちに待ったスパイダーマンの姿が登場した。トニー・スタークの呼びかけで登場しキャップのシールドを奪ってみせた“新たな蜘蛛男”に、映画ファン界隈は騒然。スーツデザインや白目部分の大きさが変わる目の造形、どのようなオリジンを経てスターク側についたのか、ひいては吹替キャストは誰が担当することになるのか、話題は尽きるところを知らない。

私も「新スパイディうおおおお!」とテンションを上げつつも、内心では「これで真にアメスパが終わりを告げた…」と涙を拭っていた。マーク・ウェブ監督が撮った「アメイジング・スパイダーマン」シリーズは、好評を博したライミ版三部作から設定を一新。アンドリュー・ガーフィールド演じるピーター・パーカーの戦いと葛藤の日々が描かれた。が、様々な“大人の事情”によりシリーズは2作目で中断、予定されていた「シニスター・シックス」「ヴェノム」といったスピンオフ企画も霧散し、遂には「アベンジャーズ」で大成功を収め映画界を爆走し続けるMCUに統合(スパイダーマンの製作・権利をシェア)することとなった。そんな変遷を経ての、「シビルウォー」予告登場である。





ぶっちゃけて言うと、(製作費に対し)「売れなかった」から「コケ」て「続編企画が頓挫」した形であり、その報は何度も何度も映画ファン界隈に届いていた。「なんで映画アベンジャーズにスパイダーマンは出ないの?」というお決まりの問いに「実写映画化の権利をマーベルじゃなくてソニーが持っているからだよ」と答えていたのに、いつのまにか「実写映画化の権利をソニーが持っていたけどアメスパ2があまり売れなかった結果マーベルのMCUに新スパイダーマンを登場させて権利をシェアすることになったけど完全にソニーの手を離れた訳ではないよ」というこの上なく面倒臭い状況になっていた…。

言うまでもなく、原作アメコミのアベンジャーズにはスパイダーマンが参加しており、実写映画でもその並び立ちが拝めるとあってはワクワクが止まらない。トニー・スタークとピーター・パーカーの2人は原作「シビルウォー」においても切っても切れない関係性を見せたし、また新しいスパイダーマンの単独映画(オリジン)が観られるとあってはこちらにも期待が高まる(ベンおじさんは三度死ぬ!?)。そんな「ついにアベンジャーズにスパイディ参戦!きたきた!」という盛り上がりにはひとつも嘘は無い、が、「ついに… アメスパが真に終わったのか…」と心にポッカリ穴が開いてしまったのも事実なのだ。




マーベル・スタジオの新作アクションエンタテインメント「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」で、マーベル・コミックの人気キャラクター、スパイダーマンと最強チーム“アベンジャーズ”の夢の共演が実現する。スパイダーマンの登場シーンを収めたUS版予告編と場面写真が公開された。マーベルキャラクターのなかでも特に人気が高いスパイダーマンは、2002年の「スパイダーマン」を皮切りに5作品が製作されているが、実写映画で他作品のキャラクターと競演するのは今回が初めてだ。このほどのUS版予告編では、19歳の新星トム・ホランド演じる新スパイダーマンがお披露目された。

ついにスパイダーマンがアベンジャーズに合流!「シビル・ウォー」US版予告編で夢の共演!






いや、分かっていた。分かっていた…。「アメスパ2があんまり売れなかったから続編やスピンオフ企画の製作が危ういらしいよ」というニュースが流れた時から、覚悟はしていた…。それでもアメスパ大好き野郎はなんとかMCUにアンドリュー・ガーフィールドのスパイダーマンがそのまま参戦する「俺シナリオ」を妄想してしまい、「スパイダーマン:ワン・モア・デイ」の設定を応用すればアンドリュー続投のままアメスパがMCU入りできるのではないか、などと“不毛な足掻き”としか言いようのない戦いに身を捧げた。もちろんのようにそんなことはなく、アメスパは事実上の打ち切り。トム・ホランドが新たなピーターに選ばれた。

何故にこんなにもアメスパに執着してしまうかというと、やはり「アメイジング・スパイダーマン2」の幕切れがこの上なく劇的だったからと言う他に無い。最愛の恋人グウェン・ステイシーを戦いの中で死なせてしまったピーターは、スパイダーマンとしての活動をやめてしまう。来る日も来る日も彼女の墓の前で後悔に嘆くピーターだったが、ある時新たなる敵が登場し、以前彼に救われた少年がスパイダーマンのコスプレをして敵の前に立つ(ここで泣く!)。「ヒーローとは?」という問いを救った者に教えられたピーターは、もう一度あのマスクを被り、いつもの軽口を叩きながら(ここで泣く!)、グウェンを失った哀しみを乗り越えられずとも内包したまま敵に飛びかかっていく。そこで「2」の物語は幕切れ、彼の終わらない戦いの日々を予感させたままエンドロールに突入するのだ。

グリーン・ゴブリンによるグウェンの死は原作コミックを踏まえる以上予測の範囲内ではあったが、それでもエマ・ストーンが演じることで異常なまでの魅力に溢れていたので、すんでのところで“助からない”一連のシーンにはショックが大きかった。ピーターと同じように観ているこっちも大きな喪失感に包まれてしまい、だからこそ彼がマスクで涙を隠して再起するラストにガツンと殴られたように涙を流してしまう。ピーターが泣かないからこそ、観客が泣く。叔母さんとの会話から少年とのやり取りを経た怒涛のクライマックスは、「ヒーロー映画」としての「ヒーロー論」をこれでもかと熱く打ち出していた。





「2」終盤でグリーン・ゴブリンと結託する謎の存在、一作目ラストで投獄されたカート・コナーズ(リザード)の前に現れた影の男、ハリーとピーターの決着など、様々な要素は完全に放置されたままとなった。言うまでもなく「アメスパ3」に向けての布石だったろうし、スピンオフ企画「シニスター・シックス」にて大きく扱われる設定であったろうことは想像に難くない。だからこそ、アメスパシリーズはそういった意味でどうしようもなく“不完全”な作品だ。同時に、そうであるからして続編が期待されたし、あの戦いに身を賭するピーターの“その後”が「観たいような観たくないような、それでも観たい・むしろ観届けたい」という複雑な興味を煽っていた。

そんな期待と興味は大人の事情で完全にぶった斬られ、遂には叶わない夢となってしまった。しかし、その「続きが無い」という事象が、「2」の劇的なクライマックスを妙に神格化させたような向きもあり、あのピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)の戦いは未来永劫“終わらない”のだという本来あり得ない付加価値を生み出してしまった。グウェンを失った哀しみを抱えつつ、彼はこのままずっとニューヨークで戦い続けるのだろう。その「先が描かれないからこそ」の魅力が、より一層「2」のクライマックスを“重く”仕上げてしまうのだ。そうして、ただでさえ涙が止まらないラストだったあの一連のシーンが、更にインパクトの大きい存在になっていく。

…というような何処にも向けられない恨み言(?)をTwitterで呟いていたら、フォローしている方がこれでもかとドンピシャな例えを呟かれていた。


アメスパは絶頂期に死んだロックスターみたいな作品だもんね

— ozzy (@odubourne) 2016年3月11日

そう、「アメスパ」は、まさに絶頂期で亡くなったロックスターのような作品だ。ファンは彼のその後のパフォーマンスを期待していたが、それは叶わないものとなった。その代わりに、アガりにアガがった今の状態からこれ以上上がることも下がることもなくなり、威光は“遺光”のまま半永久的に語り継がれることになった。「続きが無い」ことがより一層作品をカルト化させるという皮肉の構図である。「アメスパ」の続きを観ることはもう叶わないのだろうけど、それでもこのシリーズを愛する私たちの中で、アンドリュー・ガーフィールド扮するピーター・パーカーの孤独な戦いは永遠に紡がれ続け、必要以上に美化され続けていくのだ。





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「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」は駄作でも傑作でもない


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映画・特撮の何かしらの活動をしている人の宣伝スペースとしてブログを提供できないか、という話

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

おかげさまでブログを書き続けてもうすぐ2年になろうとしているけれど、常々「何か新しいことをしたいなぁ」という思いは拭えず。もちろん、これまで通りこのブログで好き勝手に語り続けるのは継続するし、それは当然の前提とした上で…。

昨年末に「ブログ発の無料電子書籍を作ってみよう!」と思い立ち、お題を募集し、挿絵を描いてくださる方のご協力をいただき、頑張って13万字超の文章を書いて、(気付いたら発売から3ヶ月弱で3,000部が売れていました。ありがとうございます)、これはこれで非常に楽しくやりがいのある挑戦だった。ただ、その御礼記事で「このブログをやる上での目標に餓えるターンにまた戻ってしまった」と書いたように、また次の“何か面白いこと”をやりたいなあ、と。

先の記事で「せっかく(ある程度アクセスのある)個人メディアを持っている訳だから、例えば寄稿を受け付けたり、何かの宣伝・広報の場所として提供したり、逆にこっちから他のメディアに乗り込んでみたり、なにかしら個人ブロガーとして面白いこと出来ないかなあ」と書いたけれど、まさにそんなことをやれないか、と。ということで、「当ブログを宣伝場所として利用してみませんか?」という投げかけを始めてみようかと考えている。

具体的には以下のようなもの。




・一応「映画&特撮レビューブログ」なので、個人で映画や特撮に関する何かしらの活動をされている方の宣伝スペースとして提供したい
・例えば、「大学の特撮サークルで部誌を作った。せっかくなので広めたい」「自主制作の映画を作ってネットで公開している。宣伝したい」「個人でヒーローショーを企画進行している。宣伝したい」みたいなもの
・基本は、一過性のイベント告知等ではなく、中長期的な活動をされている(計画されている)方のみ
・その活動の公式SNSアカウントやブログ、HP等があると紹介しやすいです
・当ブログは、平均月間30~40万PVのブログで、主に映画や特撮を好まれる方に読まれています。『gooブログ投稿白書2016』でも「2015年にアクセスが急上昇したgooブログ」として紹介されました。同時に、フォロワー4,000超の私のTwitterアカウントでも宣伝できます
・ただし宣伝効果の保証はできかねます
・同時に、何かしら不利益が発生したとしても、責任は負いかねます
・法人からのご依頼はお断りします
・お金は双方向に全く発生しません



「映画」や「特撮」は文化的に(今の日本だと)ちょっと限界を感じなくもない… というジャンルで、様々な面で決して潤沢ではない環境の中で第一線の方々が活躍されているのが現状ではないかと思う。一介の消費者として、歯痒くもあり、応援したくもあり…。自分はこうやってブログやTwitterで自分の考えを好き勝手文章にすることくらいしか能がないので、これらのジャンルについて何かを本気でクリエイトをされている方をお手伝い(応援)できるとしたら、こういった「宣伝場所を提供します」くらいしか出来ないのかなあ、と。

…という、「自分はクソみたいな末端消費者だけど少しでも何かしら“好きなジャンル”を盛り立てたい」という純粋な思いと、「ブログで何か面白いこと出来ないかなあ」という思いと、それらが「色々やってるけど宣伝する場所がなく広められなくて困っている」という人たちと利害一致しないかなあ。まあ、むしろそういった意味では30万や40万ぽっちのPVでは微々たるものかもしれないし、「こいつ何を驕ってやがる」とお思いの方もいるかもしれないけど、何かしら「知ってもらう」きっかけくらいはご提供できるのではないかな…。言うまでもなく、「同好の士」的な意味でジャンルとしてピンポイントな方々(読者)に目にしてもらえると思いますので。

とはいえ、じゃあ実際の宣伝記事というのも、何かしらインタビュー(?)した上で私が紹介形式で書くのか、完全にスペースをお貸しして送ってもらった文章を載せるのか、その辺りも全く決めておらず…。もちろんそこは打ち合わせをした上で載せるので、勝手に変なことは書いたりしません。しかし、(ないとは思うけど)ご依頼が極端に多ければ掲載確約は出来ませんし、内容によってはお断りさせていただく場合もあります。どうしようかなあ、こういうの考えてるんだけどなあ、という完全な草案状態で、取りあえずこういった記事を書いている段階です。

ということで、もし「利用させてくれ~」という方がいらっしゃいましたら、当記事のコメント欄やTwitterやメッセージフォーム(PC画面右サイドバー「メッセージ」)でご相談ください。私も、一度やってみれば大枠が掴めるかもしれません。あくまで双方ともに納得した場合のみの掲載ですので、途中で頓挫することもあるかもしれませんが、まあ言うまでもなくお金も要りませんので、お気軽に「どんなもんです?」と話しかけていただけたら、と。(いずれ本格的に募集することになったら、専用のフォームや要項を準備します)

ということで、取りとめのない草案でした。


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Amazonプライム・ビデオで見放題の特撮作品一覧!ライダー・戦隊・ガメラ etc.

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

「仮面ライダーアマゾンズ」が発表され、特撮ファン界隈は騒然。平成ライダー1期を作り上げたレジェンドなスタッフが再集結して送る未体験ライダーバトルとのことで、こりゃあもう「Amazonプライム登録待った無し!」な訳ですよ。…ということで早速登録してみたのだけど、Twitterを見るとまだ登録を迷われている方も多いので、参考までに「Amazonプライム・ビデオで見放題の特撮作品一覧」を書き出してみようかな、と。


#アマゾンズ】東映×Amazonが生み出す『仮面ライダーアマゾンズ』は4月1日より「Amazonプライム・ビデオ」にて毎週一話ずつ配信だぞん!https://t.co/MQJAEqRWLy

— 仮面ライダーアマゾンズ (@rider_amazons) 2016年3月18日


・2016年3月20日調べ
・プライム見放題のみ(別途有料レンタルは除く)


■仮面ライダー
・仮面ライダー(1号)
・仮面ライダーV3
・仮面ライダーBLACK
・仮面ライダーBLACK RX
・仮面ライダークウガ
・仮面ライダー龍騎
・仮面ライダーファイズ
・仮面ライダー剣
・仮面ライダーカブト
・仮面ライダー電王
・仮面ライダーディケイド
・仮面ライダーダブル
・仮面ライダーオーズ
・仮面ライダーアマゾンズ(独占配信)
・劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4
・劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト
・劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE
・劇場版 仮面ライダー電王&キバ クライマックス刑事
・劇場版 さらば仮面ライダー電王 ファイナル・カウントダウン
・劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー
・仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010
・仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ
・仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE
・オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー
・劇場版 仮面ライダーオーズ WONDERFUL 将軍と21のコアメダル
・仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX
・仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦
・仮面ライダーフォーゼ THE MOVIE みんなで宇宙キターッ!
・仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム
・仮面ライダーTHE FIRST


■スーパー戦隊
・忍者戦隊カクレンジャー
・電磁戦隊メガレンジャー
・侍戦隊シンケンジャー
・侍戦隊シンケンジャーVSゴーオンジャー 銀幕BANG!!
・天装戦隊ゴセイジャーVSシンケンジャー エピックON銀幕
・ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦
・海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE


■ガメラ
・大怪獣ガメラ
・大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン
・大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス
・ガメラ対宇宙怪獣バイラス
・ガメラ対大悪獣ギロン
・ガメラ対大魔獣ジャイガー
・ガメラ対深海怪獣ジグラ
・宇宙怪獣ガメラ
・ガメラ 大怪獣空中決戦
・ガメラ2 レギオン襲来
・ガメラ3 邪神覚醒
・小さき勇者たち~ガメラ~


■宇宙刑事
・宇宙刑事ギャバン
・宇宙刑事シャリバン
・宇宙刑事シャイダー
・宇宙刑事ギャバン THE MOVIE


■その他
・宇宙人東京に現る
・大魔神
・大魔神怒る
・大魔神逆襲
・人造人間ハカイダー ディレクターズカット
・デビルマン
・CASSHERN
・キカイダーREBOOT
・宇宙大怪獣ギララ
・仮面の忍者 赤影
・Peeping Life×怪獣酒場 かいじゅうたちがいるところ
・バ怪獣ゴメラ
・009ノ1
・トラベラーズ 次元警察
・ローカルヒーロー大百科


※※※


まずライダーや戦隊でいくとかなり歯抜けな印象が強い。特に昭和勢は弱く、この点はやはり本場の東映特撮FCに加入した方が良いかと思われる。とはいえ、ダブルやシンケンジャーといった人気の高い作品がピンポイントで揃っているので、何度も観たくなる人はこの辺りがオススメか。ガメラシリーズが揃っているのは予想外で嬉しかったけど、ゴジラが全く無いのが残念。まさかエメリッヒもギャレスも無いとは…!

メタルヒーローも宇宙刑事三部作のみ。他には関連しそうな映画をザッと見て挙げたのが「その他」の欄。良くも悪くも凸凹なメンツが揃っているので好きな人にはある意味たまらないのかも…?

まとめると、ぶっちゃけ特撮目的で登録するにはかなり不十分と言わざるを得ない、かもしれない。しかし「仮面ライダーアマゾンズ」が独占配信ということで、あくまで「アマゾンズが観られる!そのオマケ」という観点であれば、そこそこバラエティ豊かなのかな、と。あと、Amazonプライム公式Twitterが下記のように呟いていたので、アマゾンズ放送開始と共に状況が一変するかもしれない。


#アマゾンズ 】『 #仮面ライダーアマゾンズ 』配信日の4月1日は、これまでAmazonプライム・ビデオで未配信だった仮面ライダーTVシリーズ&劇場版も同時配信開始予定!

— Amazonビデオ(アマゾン ビデオ) (@AmazonVideo_JP) 2016年3月18日

あと、学生は安い。

「仮面ライダーアマゾンズ」を観ようとアマゾンプライム新規加入をご検討中の“学生”の皆さん、学生向け格安プライムこと「Amazon Student」なら6ヶ月無料体験の上に月額換算159円かつ1,000円分のポイントが貰えますよ。 https://t.co/Z7ZhtNafhf

— YU@K (@slinky_dog_s11) 2016年3月18日

(関連記事)
仮面ライダー4号にみる“THE”シリーズ復権の兆し ~東映・白倉伸一郎の思惑を量る
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打ち切りを辿った「アメスパ」は俺たちの中で紡がれ続ける
サルがぎりぎり出来ない超簡単な「ひとり鍋」レシピをレベル別に公開する
「いらすとや」のフリー素材のみで「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を全編作ってみた
「動物戦隊ジュウオウジャー」があまりにも面白すぎて観ているこっちが本能覚醒しちゃうぞ!

念願のオタク趣味部屋を製作し薄型で背の高い本棚に凝ってみた話

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

最近色々と忙しくて全くブログが書けなかった…。間もなく開設2周年となりますが、タイトル通り「不定期」更新なので引き続きよろしくお願いします。

さて、忙しかったといってもそれは遊びや自分の時間も含めての話。前々からどうしてもやりたかった「趣味部屋製作」。嫁さんにはかなり前から根回しをしていたので、ついに色んな状況が整ったタイミングで一気に物品購入。その中でも目玉(?)となるのが、大きな本棚。学生時代に買いまくった漫画は段ボールのまま実家の押入れに山積みになっていて、いつかはそれを全部引き取ってバーッと並べてみたいなあ、と考えていた。

とはいえ、大きな本棚を取りあえず買えば良いという訳でもなく、本棚は本棚で吟味しなければ! …いうのが楽しくも難儀なところ。今回最優先したのは、「奥行きの浅さ」。例えば誰もがやったことのあるカラーボックスへの漫画収納とかだと、どうしても前列と後列が発生してしまう。そうすると後ろの漫画はタイトルすら見えなくなるし、コレクション行為の楽しさは感じ辛い。





つまり、漫画一冊で奥行きが埋まる薄い本棚を買って、それをとにかく並べてみよう、と。探し回った結果、楽天で売っていたこの本棚に決定。





サイズや価格のバランスを考えるとこの辺りが現実的な落とし所。幅を変えれば大型コミックもBlu-rayやDVDも難なく並べられるので、とりあえず2つ注文。良かったので更に2つ注文。4つを並べて、間にフィギュアも陳列して、寂しい上部にも色々並べて……





ついに完成!!






基本は右から漫画・小説・映像ソフトという流れだけど、関連作はその垣根を越えて並べてみたり。


ファイズコーナーとか…





ジョジョコーナーとか…





上部には未開封品フィギュアやライダーのベルトを陳列。ウィザードライバーや戦極ドライバーはどこか置物のようなかっこよさがあるなあ、と再確認。





大問題なのはすでに入りきっていない漫画やソフトがまだ沢山あること…。壁の広さと相談しつつ、また追い追い買い足していこうかな。


※※※


本棚以外にも、趣味部屋は結構完成してきてます。











最終的にはプロジェクターとスクリーンを設置して「マイシネマズ」まで持っていく予定。前々から作ってみたかった「100%趣味空間」、こだわりはとことんやってみますよ。


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ブログ「YU@Kの不定期村」は開設2周年!怒涛の活動記録を振り返る

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

2016年4月16日を持ちまして、当ブログ「YU@Kの不定期村」が開設2周年を迎えます。16日当日には記事が更新できなさそうなので、前日の更新にはなりましたが…。最近は何かとバタバタで更新ペースが落ちていますが、今後も自由気ままにマイペースでやっていきたいと思います。2年続けられたのも、いつも読んでくださる皆様のおかげです。本当にありがとうございます。

…ということで、沿革ページに残していた記録を引用しながら、当ブログ2年目の主な活動記録を振り返ってみようかな、と。


※※※


2015年04月16日 ブログ1年記念記事更新
…ちょうど1年前。承認欲求やらSEO対策やら、「せっかくブログ書くんならこだわりたい部分」と「それでも持ち続けたい自分のペース」やらについてあれこれグチグチ書いている内容。「自由気ままに好き勝手書く」と度々表明しているけど、この頃かな、それが強固になったのは。


2015年06月25日 2015年上半期新作映画ランキング更新
…マッドマックスやらチャッピーやら、いい意味で「いっちゃってる」映画が豊作だった昨年上半期。


2015年07月21日 実は月間30万PV規模だった事が発覚する
…当ブログ的にはまあまあの大事件。細々とやっていたつもりが、実は思っていた数倍読まれていたという嬉し恥ずかしな事態が発覚。


2015年07月31日 更新通知用LINEアカウント開設
…現在では100名以上の方が登録してくださっています。ありがとうございます。


2015年08月19日 沿革作成
…文字通り、沿革ページ作成。こうやって振り返りに使えるし、作って良かったかな。


2015年08月28日 初の月間50万PVを達成
…忘れもしない実写進撃公開月。その関連記事が阿呆みたいな数字を叩き出してびっくり。


2015年10月19日 「体育とスポーツ嫌い」について書いた記事が盛大にバスる
…結構長々と書いたものだけどかなりの人に読んでもらえて、一介の書き手としてとても嬉しかった体験。内容は全然嬉しくない話だけど。


2015年10月19日 「NARUTO」1万字レビュー記事がはてなニュースに取り上げられる
…当人の盛り上がりを第三者から冷静な目で綴られるとここまで恥ずかしいのかと…。


2015年10月22日 依頼を受け映画レビューアプリ紹介記事を執筆
…文字を書いて物理的な対価を頂戴した初めての体験。


2015年11月20日 「男性のエロ本・AV所持」について書いた記事が盛大にバズる
…前述の体育の記事に引き続き深い闇に踏み込む内容だったけど、これも多くの人に読んでもらえて嬉しかった。記事タイトルがTwitterのトレンドに載ったのも思い出。


2015年12月28日 無料電子書籍『THE BEST』を出版。2,000部以上売れる
…非常に楽しい製作過程だったなあ。現在はもう3,000部突破しています。ありがとうございます。


2015年12月29日 2015年新作映画ランキングTOP10を更新
…本当に良作揃いというか、とにかく楽しかったなあ、と。


2016年01月05日 2015年読まれた記事ランキングTOP10を更新
…中身としてはこの沿革と密接なリンク、というか同じようなものです。当然ながら。


2016年02月13日 依頼を受け『別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3』に寄稿
…なんというか個人的にはマジで一大ニュースでした。ありがたや、ありがたや…。


2016年03月03日 「スター・ウォーズをフリー素材で再現」した記事が盛大にバズる
…頑張ったかいがありました。(遠い目)


2016年03月09日 「gooブログ投稿白書2016」にて「2015年にアクセスが急上昇したgooブログ」として紹介される
…開設2年目の最後にはまさかのgooブログ公式からこのようなご紹介をいただきました。重ね重ね、ありがとうございます。


※※※


という感じで、私としてはまさに色んな意味で「怒涛」だった訳です。ぶっちゃけ様々な面で“恵まれた”1年でもあったので、今年はこう上手くはいかないだろうとは思いますが。お恥ずかしながら、コメントもろくにお返事できていないくらいで…。

月並みですが、今後ともどうか「YU@Kの不定期村」をよろしくお願いします。


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“続編を製作する意義”に一切の妥協なし。映画「遊戯王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS」

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

原作連載開始20周年となる2016年に公開された新作映画「劇場版 遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS」。連載をずっとリアルタイムで追い、東映アニメ版も、カードダスも、デュエルモンスターズも、OCGも、あらゆる“遊戯王”にひたすら浸かっていた自分にとって、今回の新作映画には並々ならぬ思いがあった。というのも、遊戯王という作品はとっくに完結を迎えた物語であり、しかもこの上なく素晴らしいエンディングだったからだ。原作終了から10年以上が経った今、記憶の中で神格化されている作品に“続き”が出来る。正直、不安の方が大きかった。





遊戯王の続編が作られることへの不安は、原作が好きな人同士ならある程度共有できるのではないだろうか。原作終盤は原作者・高橋先生の体調が思わしくなく少し“巻き”の展開ではあったが、テーマとしては恐ろしく完璧に幕が引かれている。千年アイテムに宿っていた古代エジプトの王の魂ことアテム(闇遊戯)、その宿主として時に彼以上の強さを持っている一見気弱な高校生・武藤遊戯。このふたりの遊戯が闘い合い、そして表の遊戯が自身の憧れであり目標でもあったアテムを下す。武藤遊戯という少年の克己と自立の成果として、アテムは胸を張って冥界に旅立っていく。この壮絶で美麗なエンディングは、原作の大ファンとして何度読んでも涙がにじむ。安置された死者蘇生のカード、そして消滅するオシリス、最後の一撃、勝ったのに涙を流し崩れ落ちる遊戯と、勝者を称えるアテム。「武藤遊戯の物語」は、これ以上ない終わりを迎えたはずだった。

今回の映画は、その原作の正当な続編になっている。アテムの魂が冥界に旅立った今、遊戯は完全なるひとりの青年として高校卒業を控えていた。一方、宿命のライバル・海馬はアテムとの決着に執着し、新たなるデュエルシステムの開発や千年パズルの発掘に憑りつかれている。原作者が製作総指揮を務めるとあっては、どう転ぼうとこれが真の完結編。果たしてそれをやる意味と覚悟を、どこまでクリアできるのか。

遊戯王の続編が難しい理由は沢山ある。その最大の不安要素は、「アテムは安易に戻ってきてはいけない」という点。遊戯がアテムを超え、彼を冥界に返すことこそに意味のあるエンディングだっただけに、例えば遊戯がピンチの際にアテムがふわーっと戻ってきて「そっちのカードの方がいいぜ!相棒!」なんて言い出したらぶち壊しである。遊戯の中にアテムがいない、それが成長の証として確固たる帰結だったのだから、ここを安易に覆してはセルフレイプである。

原作文庫本8巻のあとがきにおいても、原作者自らこう語っている。




実は、幻の劇場用 『遊☆戯☆王』 の企画がありました。『遊☆戯☆王』 のアニメが終了し、続編作品として舞台背景とキャラクター設定を引き受けた 『遊☆戯☆王GX』 の放映も、一年を迎えようとした頃、劇場用の話が持ち上がったのです。これは面白そうかも!と思い、こんなタイトルさえ用意していたのです。『遊☆戯☆王 vs GX!!』。昔、「マジンガーZ 対 デビルマン」 とか期待させた劇場まで行った挙げ句 (歳バレるなぁ…)、全然闘わないじゃねぇか!!と怒った懐かしい幼少の頃から、この手のタイトルには、何故か胸がときめくものがあったのです。

ストーリーはこんな感じです。

伝説の決闘者達の街-童実野町に修学旅行で訪れたアカデミアの生徒達。その中に、一際眼光の鋭い天才決闘者が、遊戯達を倒すべく機会をうかがっていた。それが神秘のタロット使い・斎王琢魔というキャラクターでした。ひょんな事から出会った遊戯・城之内と十代達。そして海馬コーポレーションに接触し、陰謀を謀る斎王。童実野町が、新たな決闘の舞台になるという!壮大な展開?だったのです。

問題は、アテムを復活させるかどうかを悩んだのですが、やはり、原作のテーマを裏切る事になるので、今後も姿を見せる事はしないと決めています。結局、この企画は流れてしまいましたが、久しぶりに頭の中で、遊戯達が活躍したので楽しかったです。

遊戯と十代? もちろんヒーロー同士は闘いませんよ。 映画ではね!



アテムを復活させないことこそが、原作自身への最大の敬意である。私もここには大いに同意であるし、多くのファンもそう思っているのではないだろうか。とはいえ。とはいえ、だ。遊戯王の冠を持つ作品で、闇遊戯が出てこないというのは、それはそれで寂しくはないだろうか。闇遊戯が不敵な笑みでタクティクスを披露し、敵を下す。それもまた間違いなく“観たい”のだ。「アテムには復活して欲しくない。でも、彼の活躍は正直観たい」。完全なる二律背反だが、遊戯王ファンとしてどちらも譲れない思いであった。だからこそ、新作映画がこのどちらに転んでしまうのか、そのジャッジが下ってしまうことこそが私には恐怖だったのだ。





他にも、「千年アイテム関連をオカルトグッズと貶し常に過去を見ずに未来を突き詰めてばかりだった海馬社長があろうことか過去(アテム)に執着してしまって良いのか」「遊戯王OCGはその後もルールが細かく追加改定されていったがちゃんと“あの頃のデュエル”をあのまま観せてくれるのか」「海馬のアテムに対する認識含め原作とアニメ版では大きく異なる設定が多いがその辺りの線引きはちゃんと整理されているのか」等々、好きだからこそ不安な点が多すぎて、なんかもうむしろ観ない方が良いんじゃないかと思う時さえあった。これでもし単なるアニバーサリームービーとしてお祭りワッショイ細かいことはどうでもいいぜ!…な内容に仕上がっていたら、その精神的ダメージから立ち直る方法が分からないからだ。私の半生に重く突き刺さっている作品だからこそ、慎重にメンタルをコントロールし、やはり観定めない訳にはいかないと公開日に映画館に向かった。

これは、間違いなく私と映画との世紀のデュエルだった。

結論からいくと、大満足であった。上で挙げた全ての不安ポイントをことごとくクリアし、全問正解した上でさらに超えてくる力強さ。アテムに戻ってきて欲しくない、でも戻ってきてほしい。そんな矛盾した願いを最高の形で汲み取ってくれた。遊戯が、海馬が、あの頃のあのキャラクターたちが生き生きと動き回り、美麗作画のもとでこれでもかと信念をぶつけ合う。クライマックスでは号泣し、「オエ…オゥゥオエエオエエエエ…」という嗚咽をこらえるのに必死だった。とにかくどこをどう語って良いか分からないくらいなので、ストーリーを追いながら順に考察を含めた感想を残していきたい。



※以下、映画本編のネタバレがあります。



まず冒頭、マルチバース理論(パンフより)の映像化として、光の中で連なるいくつもの地球が映し出される。まずここで早くも涙ぐんでしまった。というのも、アニメ(デュエルモンスターズ)最終話のタイトルが「光の中へ完結する物語」だったからだ。光の向こうに旅立っていくアテムを見送るエンディング。その続編として、光が明け宇宙が広がり、同時に幕が上がっていく。「ああ、これは確かにあの遊戯王の続きなんだ。始まってしまったんだ」と、つい感慨深くなってしまった。そして宇宙にて千年パズルと対峙する海馬。間髪入れずタイトルカット。完璧なる導入だった。





物語は必要最低限の背景説明をこなしながら、海馬の執念を軸にグングンと推進力を増していく。アニメ版でひと際美麗な作画を披露した加々美高浩が総作画監督を務めており、彼の手によって回想シーンながら「闘いの儀」が描かれたのは本当に感動した(加々美高浩はアニメ版では王の記憶編以降関わっておらず、最後のOP・ED映像がラストアクトであった)。その時点でギャラリーに海馬がいなかったことから、これはあくまで原作の続編であり、アニメ版であるデュエルモンスターズを引き継いだものではない、ということが名言されている。御伽の父親の登場からもそれは一目瞭然である。

というのも、アニメ版では海馬における遊戯の認識が原作とは大きく違ってきている。原作では王の記憶編以降出番がほぼ無かったのに対し、アニメでは海馬も遊戯たちと同じく記憶戦争のゲーム世界に入り込み、彼らのアシストまでやってのけている。闘いの儀ではふたりの遊戯のデュエルを観戦し、3枚の神のカードを場にそろえたアテムを見て「勝敗は決した」と場を去ろうとするが、遊戯に「海馬くんには見ていて欲しい」と呼び止められたりもする。そのためアニメ版では海馬はある程度覚悟を持ってアテムを見送っているのだが、原作はそうではない。完全に放っておかれているのだ。

パンフのインタビューによると、高橋先生がこの映画をやろうと思い立った最初の動機は「海馬というキャラクターをもう少し描いてみたい」だったという。バトルシティ準決勝で遊戯に敗北したまま、アテムは自分勝手に冥界に向けて旅立ってしまった。互いを認め合ったライバルとして、海馬の中の怒りは決して少なくはなかったのだろう。その結果、新しいデュエルシステムの開発に入れあげ、千年パズルを組み立てるために宇宙進出まで果たしてしまった。真っすぐな狂気である。そんな海馬は自身の記憶の中のアテムとデュエルを繰り広げる。“あのBGM”が鳴る中で、抜群のリズムで応酬される戦術とパワープレイ。そして、海馬はアテムに「勝利してしまう」。彼にとって、楽しくも、何の感慨も無い闘いだったのだろう。「アテムに勝ちたいが、“このアテム”に勝っても意味がない」。彼の執念が分かるシーンであった。





一方、遊戯たちは残り少ない高校生活を満喫していた。将来の夢はゲームクリエイターになると言う遊戯。アテムと別れ、また一段と成長した彼が夢を語るシーンだけでもウルッとくるものだ。不穏なクラスメイト・藍神を登場させつつ、彼が集団認識をコントロールする能力の持ち主であることが描かれていく。互いに互いを認識することで初めて成立するのだという、「この世界の秘密」。これは原作終盤の王の記憶編が実はアテムとバクラのTRPGだったことが明かされたシーンのようでもある。世界そのものにもう一段階上の次元があり、紐解くと実はシンプルな真実のみがそこにある。高橋先生によると、これはSNS等で実質相互監視が当たり前となった現代社会を模した設定だという。

「互いに認識する」という行為は、遊戯王には欠かせない要素だ。「見えるんだけど、見えないもの」に始まり、城之内たちとの友情、海馬との成長していくライバル関係、そして遊戯とアテムの人格交流。次第に認識が深まることで、しかし絶対に曲がらない信念がそこにあるからこそ火花が散る。遊戯王とは、間違いなくそういう物語であった。海馬はアテムに今一度自分を“認識させたがって”いるし、遊戯はアテムと“認識し合えない”からこそ拭い切れない喪失感を抱えている。藍神、もといディーヴァが操る集団認識は、この作品の根幹にあるテーマだと言っても過言ではないだろう。





そんな藍神は、自身の選民思想を曲げさせないために、千年パズルの復活を阻止、つまり海馬の行動を阻止しようとする。いつの間にか街の支配者になっていた社長に笑いつつ、怒涛の勢いで幕を開ける次元領域デュエル。デュエリストのマインドパワーによりモンスターの攻撃力が決定し、撃破の際のダメージはモンスターの攻撃力とイコール。そんな変則デュエルに戸惑いつつ追いつめられる海馬だったが、闘いの儀の“場の記憶”とでもいうべきオベリスクを地面から引き抜き、挽回する。この展開はアニメオリジナル展開ドーマ編において海馬がデッキに入っていない「クリティウスの牙」を引き当てたシーンを思い出す良い意味でのトンデモ具合で、好意的に捉えればアニメオリジナル要素まで肯定していくのかと感動しっ放しであった。(オベリスクはちゃんといつものBGMと共に活躍してくれて、大満足!)

さて、中盤はまさかの原作補完大会であった。原作において背景がよく分からないままになっていた存在・シャーディー。彼の本名はシャーディー・シンで、なんとバクラにより殺害されており、藍神たちの保護者でもあったというのだ。設定だけの登場だったバクラの父親も姿を現し(相変わらずこの作品の父親にはろくな奴がいない…)、原作で唯一未消化だった過去が明かされていく。




──昨年アメリカで行われたコミックコンベンションに先生がご登壇された際には、「原作のアフターエピソードとして、これまで描かれてこなかった謎の部分を描いています」とおっしゃっていましたが、映画のストーリー構想はいつ頃からあったのでしょうか。

今回のエピソードは原作本編で描く予定だったのですが、ストーリーの流れの中で入れるタイミングを失ってしまいまして。それが映画で明らかになります。

「遊☆戯☆王」特集、高橋和希インタビュー - コミックナタリー Power Push



おそらく、この辺りのシャーディーの過去やバクラ復活の経緯などが、この「原作本編で描く予定だった」部分に該当するのではないだろうか。バトルシティ編におけるバクラの「!!そいつは…シャーディー…!!バカな…!!五年前なら奴はすでに…!!」の台詞がまさか10年以上も経ってこういう形で拾われるとは、思ってもみなかった。「五年前なら奴はすでに(俺が殺したはず)…!!」という意味だと思われるが、時間軸ではその後遊戯に闇のゲーム(試練)を仕掛けたりもしているので、生死と歴史を超越して存在できるのだろう。





彼が藍神たちを救い保護した理由は何だったのか。バクラの父が千年リングを売ってくれと迫った際に、シャーディーは「そのリングの持ち主はすでに決まっている」と言った。これは私の予想だが、藍神たちは「千年アイテムの所有候補者」としてシャーディーの手駒にあったのではないか、と。キューブを使い高次元へ旅立つ、その資格がある人物を選抜し、千年アイテムを所有させる。そう考えると、原作序盤で遊戯の前に現れたのも、「千年アイテム所有者」としての遊戯が本当に相応しいかを見極めるためだったのかもしれない。そんなシャーディーの選民思想をそっくりそのまま引き継いだ藍神だったが、バクラへの復讐の念がそれを妙に誤った方向に増幅させていたようにも感じる。





藍神の復讐の対象は主人公である遊戯とみせかけて、バクラであった。その前に藍神の視線カットで遊戯とバクラが同時に映っていたりして、ミスリードが上手い。城之内が異次元に飛ばされ、ここで序盤「必要か?」と思われた商店街の人々とのやり取りが活きてくる。そんな凡骨の窮地を救ったのはアテムだったが、これまた見えそうで見えない後光具合が焦らしてくれる。

雨の中、交差点のど真ん中で邂逅する遊戯と海馬。海馬はあくまで遊戯は“器”であると主張し、千年パズルによって戻ってくるであろうアテムとの再戦を迫る。海馬は、遊戯を目の前にして、遊戯を見ていない。相手はあくまでアテムであるという。一方の遊戯は、千年パズルが仮にもう一度完成しても、その中にもうアテムがいないことに気付いていた。その事実を、遊戯は嘆きも悔いもしない。粛々と、ひとりで受け止め、受け入れている。「アテムが戻ってこない方が良い」という我々ファンの願いなんてものは、実は作中の遊戯自身が一番分かっているのだ。「アテム不在」の意味。受け止められない海馬と、とうに受け止めている遊戯。原作と「過去を追う者・未来を見る者」の構図が逆転している。







その後、パズルのピースを分断させることで実質トーナメント戦の構図を作り上げる作劇が上手い。遊戯が「僕が藍神くんと戦う」と海馬に主張した際に、「絶対“よかろう”って言うんだろうな」と思ったらマジで「よかろう」だったので心中爆笑しつつ、実質準決勝である藍神VS遊戯のデュエルが始まる。次元領域デュエルにおけるヴィジャムを核とした連続攻撃コンボに苦戦する遊戯だったが、3枚の罠カードによる永続ループを完成させ、連続効果ダメージで辛勝。言うまでもなく「ループコンボで勝利」はバトルシティ編の遊戯VS人形(マリク)の結末と同じであり、遊戯があのアテムと同じようなタクティクスを披露したことこそに成長を感じ、泣ける。

「俺たちのデュエルをするぞ」。海馬のこの言葉が重い。ルールが次元領域のそれではない、という意味も込めつつ、この闘いの持つ意味こそが“俺たちの”なのだ。遊戯を前にしてもアテムしか見えていない海馬、そんな海馬と互角に渡り合う遊戯。往年のモンスターが新たな姿で多数登場し、もうこの時点で涙が止まらない。海馬はアテムこそが宿敵であり、遊戯はあくまでその器だと思っていたが、自身を追いつめる遊戯の渾身の一撃にうっすらと笑みを浮かべる。記憶の傀儡であるアテムとの戦いでは渋い顔をしていた彼が、あろうことか下に見ていた器の遊戯に“求めていた高揚感”を覚えている。この瞬間、原作開始20年にして、初めて海馬が表の遊戯を対等なデュエリストとして認めたのだ。ここまでくるのに本当に長かった…。武藤遊戯がアテムと別れ自立を果たし、そしてついに海馬から「認識」されたのだ。

しかし事態は急展開。千年リングの闇の意思が藍神を暴走させ、世界は闇に包まれようとする。このトンデモファンタジー展開とそこから行われるラズボスとのタッグデュエルは、これまたアニメオリジナルのドーマ編クライマックスのようである(先に海馬が散るのも同じ)。海馬は、遊戯を対等なデュエリストと認めたからこそ「まだ闘えるな?」と共闘を促す。ライフポイントの減少により浸食されていく身体というルールは原作マリク戦のようでもあるし、複数人デュエルのターン制は「10thアニバーサリー 劇場版 遊☆戯☆王 ~超融合!時空を越えた絆~」を思い出したりもする。とにかく、「うわ!遊戯王を観ている!」が満載なのだ。





そして、いよいよ、アテムの帰還である。遊戯によって「アテムはもうパズルの中にいない」と一度“復活の否定”があったからこそ、彼の帰還に意味がある。「アテムに戻ってきて欲しくない、でも戻ってきてほしい」というファンの願いを、物語的に・映画的に・原作のテーマ的に、その全てを肯定した上でやってのけた驚異のバランス。海馬がアテムを信じて散っていく様は涙なしには観られないし、あの千年パズルのツーーン!とした発動SEが鳴るだけで全身が震える。まるで蘇った不死鳥のように神々しい業火の中で登場したアテムは、その鋭い眼光のままにドローし、「守護神官マハード」を召喚する。王に忠誠を誓うポーズで場に繰り出されたマハードこそが、アテムの“今のブラックマジシャン”なのだ。




▲まさかの公開4週目入場者特典…!


私が一番感動したポイントは、「アテムが喋らない」という演出を採用したことだ。これは大英断だし、これしかない正解だったと思う。アテムはもう俗世界の存在ではなく、言わば幽霊のようなものだ。言葉を発しないことに意味があり、神々しさが増し、腕の筋肉がより力強く見え、眼差しが強く映る。おまけに、そんな「喋らない」アテムと「話せた」と報告する遊戯のシーンにも繋がっていくのだ。本当に話せたのか(描写されていないのか)、目と目で交わしたことが彼らの会話なのか、それは分からない。が、遊戯とアテムが再び相対する以上の“意味”は、本来必要ないのである。この辺は本当に感情がカンストしていて、「オエ…オゥゥオエエオエエエエ…」と悲鳴のような嗚咽を零していた(実際には声にならないように抑えるのが大変だった)。ありがとう、ありがとう。本当に、ありがとう。

そして終盤。彼らのイニシエーションはすでに済んでいるので、別れにおいて涙はない。笑顔でそれぞれの道を歩む仲間たち。そして海馬は、キューブの力を使って高次元へ再び挑戦していた。ジャンプに載った読み切り版ではモクバによって止められてしまったが、今回は成功し、冥界次元にてアテムの前に姿を現す。ついに相対した宿敵同士、そして、海馬を真っすぐと見据えるアテム。その眼光によって映画は閉幕となる。この上なく、余白と思い切りを両立させたエンディングだと言えるだろう。おめでとう、海馬。





私の持論として、「遊戯王はカード漫画ではない」というものがある。あくまで手段やギミックがカードであるだけで、彼らがカードを通し交わしていた魂のやり取りこそがメインなのだ。互いに認識し、認め合い、時に争い、信念を貫く。その果ての自立の物語。だからこそ、遊戯王において真に重要なのはデュエルでは無いのだ。そして、“だからこそ”デュエルシーンの面白さやカタルシスが作品を鮮やかに彩っていく。今回の映画のデュエルはアニメ版特有の読み合い描写を徹底的に省き、アクションの応酬かのような画面が展開された。デュエルディスクは盾、カードは剣、そして交わすのは各々の信念なのだ。





原作終了から10年が経った今、“続編を製作する意義”に一切の妥協がない、正真正銘の「遊戯王」が剛速球ストレートで帰ってきた。こんなにも真正面から作品のテーマと向き合い、難しいポイントを全てクリアし、その上でサービスもパワーも物語も120%全速前進であった。あえて言うならば、中盤少しテンポが怠いとか、シャーディーと藍神の過去描写は時間軸が分かりにくいとか、言いたいことが無い訳ではない。しかし、圧倒的な“加点”がそれらを見事に吹き飛ばしてしまった。


遊戯王が好きで、本当に良かった。ありがとう。


 

▲パンフレットは設定集やスタッフ・キャストの裏話が満載なので購入必至。


(あわせて読みたい)
10年ぶりに遊戯王に触れた浦島太郎デュエリストがあまりの環境変化に膝から崩れ落ちてかっとビングした話
俺は「遊☆戯☆王リアルタイム世代の熱い思い出」を召喚!ドン☆ (サンプル)
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なぜシビル・ウォーは勃発するのか。逆転するキャップとトニーの主張、MCUフェイズ2が仕掛けた布石

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

これを書いている数日後に公開されるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)最新作「シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ」。MCUはもう何年も追っているが、あのシビル・ウォーがついに実写映画化され慣れ親しみまくったトニーとキャップが争うなんて、観たいような観たくないような、そんな歪なワクワクを抱えている。ストーリーは以下の公式サイト引用の通りだが、アベンジャーズとう存在をどう扱うべきか、言うまでもなく「アベンジャーズ2.5」という作品になっている。




数々の危機を救ってきた“アベンジャーズ”が、国連の管理下に置かれることを巡り、激しく対立するアイアンマンとキャプテン・アメリカ。さらに、ウィーンで起こった壮絶なテロ事件の犯人として、キャプテン・アメリカの旧友バッキーが指名手配されたのを機に、アベンジャーズのメンバーは大きな決断を迫られる。過去を共にした無二の親友か、未来を共にする仲間たちとの友情か――ふたつの絆で揺れるキャプテン・アメリカがある決断をしたとき、世界を揺るがす“禁断の戦い(シビル・ウォー)”が幕を開ける。

作品情報|シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ|映画|マーベル



このシビル・ウォーが実際どんな映画に仕上がっているかは公開日にならなければ分からないし、この公開直前にその中身に関してあれこれ妄想をしてもすでにタイムリミットのような気がする。それとは別に、自分のためにも改めて整理しておきたいのは、“シビル・ウォーの話”ではなく、“シビル・ウォー以前の話”である。つまりは、MCUというシリーズは主にフェイズ2の3年間をかけて、このシビル・ウォーへの布石を着々と積み上げてきたのではないか、という趣旨だ。

というのも、改めてシビル・ウォーのあらすじを読むと、キャップの親友バッキーの処遇と、アベンジャーズを国連の管理下に置くか否かという議題と、大きく2つの問題がキャップに降りかかるとのこと。私がポイントと捉えているのは主に後者の方で、つまりは「本来軍人であるキャップ(スティーブ・ロジャース)が組織の管理下で戦うことを拒む」というシークエンスだ。「ザ・ファースト・アベンジャー」で描かれたように、スティーブは本来“恵まれなかった人間”であり、だからこそ軍人になり国家に尽くすことを渇望した存在だ。超人になってからは軍備的・政治的の双方の意味で、アメリカ国軍の先頭に立った。軍という組織下で、ひとつの命令系統の中で、そこで“個”を持ってあたることに高潔さを見出す。スティーブ・ロジャースとは本来そういう人物だったのではないか。





対するアイアンマンことトニー・スタークは、自社の製品がテロリストに利用されていることを知り、兵器事業から手を引き、お手製のパワードスーツでその尻拭いをしていく人生を選んだ。過去シリーズではアイアンマンスーツが個人所有であることを批難されたりもしたが、軍への提供を固辞。「私がアイアンマンだ」の台詞が1作目と3作目を彩るように、徹底してトニー・スタークという“個”にこだわり抜いてきた男だ。その男が、あろうことか今作シビル・ウォーでは「アベンジャーズは国連の管理下にあるべき」という主張サイドで行動する。

この主義主張の逆転は、MCUフェイズ2が3年をかけて描いてきた作劇によるものだろう。まずキャップだが、彼に起きた一大事といえば言うまでもなく「キャプテン・アメリカ / ウィンター・ソルジャー」におけるシールド崩壊である。軍人として華々しく氷山にその身を捧げた彼だったが、目覚めたらシールドの管理下でアベンジャーズに加入しろと勧誘される。当初はそれを訝しがっていたが、凸凹なメンバーがコールソンの死を契機にまとまり、正真正銘のヒーローチームとして完成する。彼にとって“アメリカ軍”の次に身を置いたのが“シールド”だった訳だが、そのシールドには多数のヒドラ残党が転覆を狙って潜んでおり、結果崩壊してしまう。彼はその身を置いた組織を生涯を通して2つ失ってきており、更にはそういった体制そのものに(ヒドラを含む)不信感と疑心の目を拭い切れないだろう。





トニー・スタークの逆転イベントは、やはり「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」だ。彼の作ってしまったウルトロンという存在が、結局は街ひとつを無に帰する大惨事を招いてしまう。しかし、彼は外敵により仲間や大切な人が傷つくのを心の底から恐れており、実はああいうキャラクターでありながら誰よりも繊細で“弱い”心を持っている。その純然たる恐怖心がウルトロンを造ってしまい、結果、チーム全体が彼の尻拭いをすることとなった。アベンジャーズという存在が何もプラスだけではなく、時にマイナスを生み出す。偉大なる前例を“作ってしまった”のは、他でもないトニーなのだ。自身の恐怖心と、それを外に見せない気丈でマイペースなキャラクター、自身の研究欲とそれを止められないことも誰よりも本人が分かっている。「ウルトロンの罪」を考えるに、超人チームが時に引き起こしてしまうマイナス面を誰かに制御してもらうべきではないか、それが今回“国連の管理下”という形に現れたとするならば…。

もっと言ってしまえば、トニーは誰かに自分を止めて欲しいのかもしれない。もう自分のあらゆる要素が引き返せない局面まで到達しており、ウルトロンの件も含め、何が正しくて何が“間違ってしまう”かの線引きに自信が持てない。それを正直に告白して弱さを露呈することもプライドが許さない。「自分の弱さ」と「揺らぐアベンジャーズの必要性」を意識的か無意識か混同させ、国連の管理下に一票を投じているのではないだろうか。





昨年のAOUのレビュー記事で、私は以下のように書いた。




そんなホークアイだからこそ、前田有一が批判した、そしてウルトロンが問いかける、「アベンジャーズは必要なのか?」のカウンターポジションになれる。終盤、スカーレット・ウィッチと家屋に逃げ込んだ際に、彼は彼女を諭す。「自分のせいだとか、今はそんなのはどうでもいい。戦えないなら戦わなくていい。だが、ここから外に出たなら、君もアベンジャーズだ」。つまり「アベンジャーズ」とは、「アイアンマンとキャプテン・アメリカとソーを中心としたヒーローチーム」という意味を超えた、何かなのだ。それは一種の象徴であり、存在であり、脅威であり、憧れであり、希望。「アベンジャーズがアベンジャーズでなくなる」ことが、このAOUが踏み出した一歩であり、今後のMCUを別次元に押し上げていくのだ。

「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」は駄作でも傑作でもない



AOUを経て「アベンジャーズがアベンジャーズでなくなる」シークエンスに突入し、次なる「じゃあ、アベンジャーズは今後どうなるの? 彼らは何のために存在して何のために戦うの?」という議題において、組織に属することを是としない軍人と、組織に自信の弱さを担保して貰おうとする実業家が、互いに先陣をきって激突する。これこそがシビル・ウォーという作品の構図であり、MCUがフェイズ2で3年をかけて作ってきた土台ではないだろうか。

「アベンジャーズとは一体何なのか」「何であるべきなのか」。この難題に挑む映画だが、冠はあくまで「キャプテン・アメリカ」である。つまりスティーブ・ロジャースという“個”の何らかの決断と意思表明がクライマックスにあると思われるが、果たしてどんな結末が待っているのか。ここで下されたジャッジが、自動的に来るべき「インフィニティ・ウォー」の構図を明らかにしていくことだろう。


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ブログ「YU@Kの不定期村」は開設2周年!怒涛の活動記録を振り返る
念願のオタク趣味部屋を製作し薄型で背の高い本棚に凝ってみた話

「流星キック」(東北芸術工科大学 特撮サークル広報誌)に感じた「特撮」の根元的な魅力

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

最近本当に忙しくなってしまい、ブログの更新頻度がガタ落ち状態…。まあ、そもそもが“不定期更新”を謳ったブログなので、そこは何とかご了承いただきたい。とはいえ、忙しくてもオタクライフはそれなりに続けていて、先日更新したように念願の趣味部屋を作ったこともあり、数年間段ボールに籠っていた漫画と久々の再会(再読)を繰り返したり。何年にもわたって読み返し続けている漫画は、読む度に「あー、この頃はああだったなあ、こうだったなあ」という実生活を伴った思い出がフラッシュバクしてきて、初見の漫画を楽しむ時とは違う味わいもあるなあ、と。

という感じでブログ更新をサボってでもオタク成分は日々充実しているのだけど、そのひとつとして、以前からTwitterで仲良くさせていただいている方から一冊の広報誌を頂戴した。東北芸術工科大学の特撮サークル「特撮研究室Q」が発行している広報誌「流星キック」(vol.1)。これが特撮オタク的に無性にワクワクする内容で、私の方から「ぜひブログで紹介させてください」とお願いし(快く許可を頂き)、この度サークルブログでPDF版が公開されたので、こうやって紹介記事を書いている、という流れ。

ページ数としては20ページに満たないボリュームで決して「分厚い!」というものでは無いのだけど(すみません!)、重ねて、例えば特定の特撮作品について深く討論されたり調査されたりという事も無いのだけど(本当にすみません!)、私はこの頂戴した広報誌を読みながら、「つまるところ“特撮”ってこういうことなんだよなあ…」、と、妙にスッキリと、そして非常に羨ましく思ったのだ。




以前からサークルTwitterアカウント等で告知していましたサークル広報誌の創刊号全ページのデータを無料公開致します。

今回、編集長としてこの本を作って、想像を遥かに上回る需要に大変驚きました。当初は学内配布とデータ公開のみの予定でしたが、実物が欲しいという声を学外の方から沢山いただき、20人以上の方と実物を郵送でやり取りするまでに至りました。

実物をお手にとってくださったみなさん、応援してくださったみなさん。反応をくださったみなさん、本当にありがとうございました。

本誌は不定期刊行ですが、次号はできるだけ早く、より良いものを皆さんにお届けしますので、よろしくお願い致します。

サークル広報誌「流星キック」vol.1 全ページPDF公開(流星通信)
▲こちらの記事からPDF版が閲覧可能です



この広報誌「流星キック」には“特撮”の根っこにある「自ら何かを造る楽しさ」が沢山散りばめられていて、それはサークルオリジナルヒーローであるカモシカイザーのスーツ作製模様に限らず、サークルを作っていく・組織を作っていく・そしてまさにこの広報誌を作っていくことがとにかく「楽しそうだなあ」、と。ただただ単純に、それが私には羨ましく思える、という話なのだ。

幼い頃からVHSでウルトラマンを観て気付いたら特撮オタクになっていて、かといって自分の生活圏内には完全なる同志とコミュニケーションを図れる環境が少なく、ならいっそ …と自分で特撮オフ会を計画してここ数年不定期にそれを開催したり。そういう意味では自分なりに大満足なのだけど、やはり「サークル」という大義名分、「部活」という側面を持った環境が日常的にあるのは単純に羨ましく、その方々がこうやって広報誌を作り、自分たちのコンテンツやジャンルへの愛情を「造る楽しさ」という“それ”の根っこにある性格で表現するのは、「楽しそうだなあ」の一言に尽きる。

言うまでもなく「特撮」は、画面の端々に作り手の創意工夫と血と汗があるからこそ観ていて面白くて、それを好む者として、高いビルを目にしては「あ、ここから怪獣がヌッと出てきたら面白いかも」とか「この高架下でヒーローが闘い合ったら絵的にかっこいいぞ」とか脳内で勝手に“造ってしまう”のが性(さが)な訳で、そういう妄想とイメージが形になっていくことが「特撮」の根元的な醍醐味だと、私は常にそう思っている。

だからこそ、広報誌を作る・サークルを立ち上げる、そういう行為も広義の「妄想とイメージを形にする」だし、失礼ながら、決してこの広報誌も一から十までスムーズにはいかなくて、原稿が集まらないとか、デザインで悩むとか、製本が手間だとか、これまた広義の「作り手の創意工夫と血と汗があるからこそ」、だと思う。何かを造るという行為はそれがそっくり「特撮」の魅力や大変さとイコールだと思うし、“それ”を好きな人たちが“それ”をやっているというのが、もはやサークルなんて一生関わらないであろう準オッサンには心底羨ましく、楽しそうに映るのだ。





散りばめられた特撮ネタがありつつ、かといってオタク“だけ”が楽しめるのではなく、興味がない人が読んでも分かるように調整されていたり、とはいいつつも各種ロゴはしっかり“オタクにしか分からないネタ”であったり、そのバランスがとても読んでいて楽しかった。オリジナルヒーローのロゴを作っちゃったり、巻末に未公開設定画を載せっちゃったり、そういう「分かる分かる、やりたくなる」的な構成になっていて、色んな観点から読める内容だなあ、と。

中々、「特撮」を本気でやろうとするとどうしてもマネーとパワーが必要になってきて、だからこそ日本においても「特撮サークル」というのは決して多くはない。地方のローカルヒーローがここ数年市民権を得てきており、少し風向きは良くなってきたようにも感じるが、「みんなで集まって“特撮”やろうぜ!」はどう考えても低いハードルではない。だからこそ一介の特撮オタクとして、そういう活動をしている人を少しでも応援したいなあ、と。つまりは、この紹介記事はそういう動機で書かれたのである。(本当に「少しでも」だけど…)

願わくば、明日の朝起きたら石油王になっていて、取りあえずオリジナルの怪獣映画とヒーロー映画の製作に着手したいなあ、と。日々仕事をしながらもそういう妄想が2ミリくらいは常に脳内にこびりついているのだ。


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なぜシビル・ウォーは勃発するのか。逆転するキャップとトニーの主張、MCUフェイズ2が仕掛けた布石
“続編を製作する意義”に一切の妥協なし。映画「遊戯王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS」
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仕事に必要な「コミュ力」とは「効率的な責任逃れ」が目的なのではないか

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

新社会人で営業マンをしていた時、それなりに仕事は楽しかったが、ぶっちゃけ仕事の回し方は“下手”だったという自覚がある。当時の先輩や上司からも、「優先順位の付け方が甘い」とか「仕事を腐らせるな」とか「ボールを投げ返し続けろ」とか散々叱られて、理屈では分かったつもりでも実務には全く活かせていなかった。中でも、当時の就職氷河期も手伝ってやたら叫ばれた「社会人に必要なスキルはコミュニケーション能力」という文言について、「仲良くなれば仕事も円滑」以上の解釈が無く、心の中では「はいはいコミュ力コミュ力(鼻ホジ~」くらいの感覚であった。

私のいた当時の会社では「営業マンひとりにつき事務担当者ひとり」という体制を取っていて、常にペアで仕事を回すルールになっていた。つまり、営業マンが外回りをして、そのサポートを事務担当者が行う、というものだ。新社会人の私とペアになったのは歳が10ほど上の女性社員で、非常に気さくで優しくて一緒に仕事をしていて気持ちの良い人だった。が、結局はこの体制は「営業マンが事務担当者に事務仕事をお願いする」ことにより“回る”もので、私は肝心のそれが全く駄目だった。要は、「仕事の頼み方」が分からなかったのである。

別に営業担当者がメインで事務担当者がサブとかそういう上下感覚は無くて、あくまでペアでやるという土壌であったが、私はその年上の女性社員に事務仕事を頼むことが出来ず、先輩や上司の指導が入るも、その会社を転職で去るまで良いサイクルは築けなかった(念のため、転職の理由はこれではない)。言うまでもなく相手は年上の先輩社員で、その相手に向かって「この書類の整理をお願いします」とか「この入力をお願いします」とかは言えなくて、最初からそういう業務分担で相手もそれを重々承知してくれているのに、それでも“回す”ことが出来なかった。結果、自分だけで膨大な量の仕事を溜め込み、手が回らず、自滅したこともしばしば…。非常に、苦い思い出だ。


※※※


「仕事においてコミュニケーションが重要」とは、つまりどういうことなのか。

転職した次の会社で、それをずっと考えながら、反省とチャレンジを繰り返した。何度も自分の仕事の“回し方”を試行錯誤した。そこから数年かけて経験則で会得した(つもりな)のだが、要は「仕事におけるコミュニケーション」とは、「効率的な責任逃れ」のためにあるのではないか、と。

「責任逃れ」というと非常にネガティブでズルいニュアンスに聞こえるが、かっこつけて言えば、「リスク分散」である。例えば自分が受け持った仕事において大小に関わらず「あ、これ長引きそうだな」「こじれそうだな」と思ったら、すぐさま同僚や上司に“それ”を話す。別に答えを求める訳でもなく、「自分はこれに取り組んでいる」「悩んでいる最中です」という経過を伝えておく。それによって、万が一その仕事が地雷原に成長してしまったり、忙しくて手が回らなくなったとしても、それは“自分だけの仕事”では無くなる。「あ、この前言ってたやつね」、と、手伝ってくれたり、自分には無い解決策や情報を提供してくれたりもする。そうやって、“自分だけの責任”を“みんなの責任”にしてしまうのだ。

今これを読んでいて、「結局は報告・連絡・相談かよ」とか「自分の仕事を押し付けてくる奴はウザい」とか色々思うところがある人もいると思う。それもそうなんだけど、丸っきりそういうことでもなく、つまりはここに「日々のコミュニケーション」が活きてくるんだなあ… と、そういう話なのだ。

「コミュニケーション能力」は別に「ペラペラ喋るスキル」とイコールではなくて、平たく言えば「誰かと仲良くなれる能力」なんだと思う。相手のことを想って、助け合って、時には厳しくして(されて)、各々に適した距離感を作っていく。つまりはそういうコミュニケーションを普段から取っておくことで、“責任逃れ”が“逃れ”にならなくなる、ということを言いたいのだ。例えば、大して仲良くない相手から雑務を頼まれたら内心ムカっとなるが、仲の良い相手から頼まれたら自然と「なんとか手伝えないかな」という思考に向いてはいかないだろうか。

だからといって「仕事を頼む」だけでは言うまでもなくギブ&テイクの原則に反するので、効率的で清潔な“責任逃れ”をしたいのなら、同時に自分が常に誰かの“逃れ先”になっておかなければならない(仕事を“被り合う”スタンスが求められる)し、そういう相互に矢印が向いた状態こそが、最良の「リスク分散」なのだと思う。また、自分の仕事の進捗や姿勢を誰かと共有するということは、常にその中身が“見られる”可能性があり、常時「後ろめたさが無い状態」にしておかねばならないことも、また必然である。


※※※


思えば、最初の会社で尊敬していた「デキる先輩」も、よく自分が取り組んでいる仕事の内容を私に話していた。でもそれを聞くのは全く苦ではなく、今考えれば“そういう話が普通に出来る仲”に先輩が持って行ってくれていたのだな、と。それによって先輩が多忙の際に仕事を任されても「あ、この前喋ってたアレだ。これは誰と誰に聞けば自分でも出来るやつだ」と判断が出来るし、同時に先輩もよく率先して私の仕事を手伝ってくれた。単に「いい人だなあ」くらいに感じていたが、これは先輩なりの仕事の“回し方”であり、メソッドだったのかもしれない。

あの頃言われた「仕事を腐らせるな」も「ボールを投げ返し続けろ」も、要は「自分の仕事を自分だけで抱えすぎるな」というニュアンスだったのだろう。そのために、常に誰かと仕事を共有し、被り合い、そしてそれが互いにストレスなく行える関係性をこれまた常に意識して構築しておく。これがつまるところの「仕事においてコミュニケーションスキルが重要」の意味だったのではないかと、何年も働いてやっと辿り着いたような気がするのだ。

もう叶わないけれど、あの年上の女性社員の方ともう一度一緒にバリバリ仕事をしてみたい、と何度も悔やんでしまうのだ。今なら、「仕事をお願いする」の認識が、当時と全く違っているだろうから。


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効率フェチが就活で実践した履歴書量産メソッド ~履歴書は“作る”から時間がかかる

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

Twitterのタイムラインを眺めていると就活に精を出している大学生が沢山いて、何年も前にそれを終えた自分は「頑張れ~」と心の中でエールを送っている。今は社会人になってもう数年が経ったが、就活時に体感した“効率的にやりくりする面白さ”は今でも身についていて、仕事をしながらも「いかに効率的にやれるか、無駄なく出来るか、未来の自分が楽をできるか」を常に考える癖がある。ゲーム用語でいうこところの「効率厨」と呼ばれても仕方がないだろうな…。

就活は効率的にやればやるほど結果が返ってくるシステムなので、スケジュールの組み方ひとつから、面接のアポ設定、練習、書類作成など、“プレ仕事”としての楽しさを感じて仕方がなかった。面接の予定で手帳が真っ黒になる時の達成感といったら…。

というのは、まあ、置いておいて。就活時に最も「地味に手間がかかる」のが履歴書の量産なのだが、これもまた効率よくやるのが楽しくて、当時の自分は色々と試行錯誤しながら自分なりの方法を身に着けていた。一応それを活用しながら就職氷河期を乗り越えたので、おそらく経験者には「そんなの当たり前だろ」と思われるかもしれないが、これから就活に挑む学生の参考になればと思い、書き置いておくことにする。


※※※


まず最大のポイントは、履歴書はなぜ作成に時間がかかるのか、ということだ。それは、“考えて作る”から。考えるからこそ、時間がかかる。大学生活で頑張ったこと、身に着けた素養、志望動機、アピールポイント。それらをじっくり考えて文字に起こし、更には書き間違えたりして、そうやって時間が過ぎていく。

そもそも論として、履歴書を見てみる。





試しに、氏名・学歴・資格等の“共通事項”の部分を塗りつぶすと、こうなる。






これはJIS規格のもので実際の就活ではもっと他に書く欄があるのだけど、あくまで考え方として、履歴書というのはその大部分が“同じ”なのだ。どの業界でも、どんな職種でも、どんな部門でも、そう大して差はない。企業が独自に配布&指定するエントリーシートも、実は項目名が違うだけで中身はほぼ履歴書と同じだ。独自の質問が、“共通事項”に付随されているだけである。

つまりはそういうことで、まずはその“共通事項”だけを埋めた履歴書を、ひたすら作るのである。大学が指定する履歴書フォーマット等があると思うが、それを事前に数十枚単位で購入し揃えて、“共通事項”をとにかく書いておく。音楽でも聴きながら、テレビでも流しながら、ただ単純に作業をするのだ。私は就活当時、常にこの「共通事項だけを埋めた履歴書」を10枚はキープしていた。足りなくなったら、都度補充。履歴書専用のクリアファイルに、後から後から数を足して、前のものからガンガン使っていく。そんなルールを設けていた。

ここで重要なのが2つあって、ひとつは「印鑑を先に打つ」こと。全部書き終わった後に印鑑を打ち間違えて汚れてしまったら、絶望は半端じゃないからだ。もうひとつは、「特定のペンで書く」こと。要は、志望動機を中心とした“その会社専用の独自部分”だけを空欄にしておくのだから、その時に違うペンでそれを書いてしまうと、作り溜めがバレバレになってしまう。履歴書用のペンをひとつ決めてしまい、いつどこでどの欄を書こうとも、必ずそのペンを使用するのだ。

就活というのは意外と時間が“余る”もので、面接と面接の合間や、心配で早く会場近くに着いてしまった時や、予定を開けていた二次面接がポシャった時など、ある時にポツンと“そこだけ”時間が空いたりする。そういう時に、ファミレスでもファストフード店でもカフェでもどこでも良いのでサクっと入店して、音楽でも聴きながら脳を使わずに履歴書を書くのだ。というより正確には、ただ書き写すのだ。


※※※


さて、そうやって「共通事項だけを埋めた履歴書」を常に備蓄しておくのだけど、本題はここからで、要は何が難しいかって“志望動機”なのだ。または、“学生生活で学んだこと”。これらを、受ける会社ごとにチューニングするから時間がかかる。私も当時、最初は一回一回その会社に向けた内容を考えていたのだけど、実は自分にはそんなに手札が豊富でないことに気付いた。ボランティア団体に所属して海外留学をした後にサークル長を務めあげ学祭を大成功させた人材ではなかったので、ぶっちゃけアピールできることは限られている。

だからこそ、「マスター」を作ってしまうのだ。あらかじめ、「アクティブさをアピールできる自己PR」「真面目さ・堅実さをアピールできる自己PR」「特異性をアピールできる自己PR」の3つくらいを考えておき、その全てを大学の就職課の先生に検閲してもらう。何度か推敲して、完成。あとは、受ける会社の職種や社風に合わせて引っ張り出し、書き写すだけだ。志望動機も、ある程度の型やパターンを決めてしまい、そこに事前の説明会で収集した「その会社が欲しそうな人材」的なワードをはめ込んでおくだけ。数分間「これとこれを組み合わせてこうしよう」と悩んで、後はまた同じように黙々と書き写すだけ。脳を使わない作業だ。

そうやって、履歴書を作るにあたっての「考える」をいかに排除できるかを繰り返し、「マスター」を作って、スキマ時間にどんどん量産を繰り返していた。

また、言うまでもなく大事なのは、「決して就活本に書いてあるような定型的なマスターを作らない」ことと、「常にマスターの微調整や更新をくり返す」ことである。提出した履歴書は全てコピーを取っておき、空欄に日付と提出した会社をメモっておく。書類審査の合否は数日で返ってくるので、「通った履歴書」「落ちた履歴書」が双方積み上がっていく。そうすると自ずと、「人事にウケる履歴書(人事にウケる単語や言い回し)」と「人事にウケない履歴書」が分かってくるのだ。あ、この志望動機は打率が高いな、これはしくじったな、というデータを積み重ね、「マスター」にその結果を反映させていく。肝心の履歴書作成は、どこまで行っても「ただ書き写す」だけで済む。




▲当時はマクドナルドのコーヒーがお代わり自由だったので、よく通っていた。


勝負は“就活が本格化する前”で、時間に余裕のあるこの時期にしっかりとした「マスター」さえ作れていれば、あとはそう履歴書に時間は喰わない。好きな映画でも部屋で流しながら、淡々と書き写していくだけである。履歴書は、“作る”のではなく、ただただ“書き写す”。それが、私が就活当時に自分なりにやっていた方法論である。(まあ、「そもそも手書きの履歴書なんて…」という話もあるのだけど、実際問題として就活生の立場になって考えるとそこの議論に熱中しても明確な答えは無いので、それよりは1枚でも多く書き写しておく方をオススメしたい)

就活は確かに大変だけど、一度どこかに就職してしまうと“その業界”に染まってしまうので、色んな業界を薄くつまみ食いできる良い機会と思って、ぜひ楽しんで乗り切って欲しい。就活時に抱いた感想や疑問は、意外と就職した後から役に立ったりするのだ。


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【総括】小説で真に完結する「仮面ライダー鎧武」。リプライズされるシリーズへの色目と継承の物語

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

発売から約2ヶ月が経ってしまったが、やっとこさ「小説 仮面ライダー鎧武」を読了した。TVシリーズ最終回後、もっと正確に言うと「MOVIE大戦フルスロットル」におけるメガヘクス襲来やOV鎧武外伝におけるナックル奮闘劇の、その更に後の時系列に当たる物語。そこでは、呉島兄弟を中心とする“残されたライダーたち”の戦いが描かれていた。これがまた非常に面白く、鎧武シリーズ全てを総括する内容でありながら、「平成ライダーシリーズにおける仮面ライダー鎧武」という立ち位置までおさらいしてしまうような、とても豪華な仕上がりであった。

改めて「仮面ライダー鎧武」とは、一体全体、何だったのか。幾度となくこのブログでも作品の特異性には触れてきたが、一言でいえば「二度とは出てこない作品」だったなあ、と。それは、良い意味でも、悪い意味でも。平成二期ライダーが一種の飽和状態を迎えたからこそ、それを打破しようともがいた製作陣の奮闘。特撮ヒーロー畑に不慣れながら、己の持ち味をドロドロに零し上げた虚淵脚本。フレッシュなキャスト陣による体当たりの一年間に、史上単体最高額なコレクション玩具であったロックシード。もちろん、挑戦には綻びも付き物で、荒削りな面や突っ込みたい部分も沢山あった。とはいえ、それらも全て飲み込んで未曾有の勢いにしてしまえるくらいには、何とも形容しがたいパワーのあった作品だったと思えてならない。





玩具を沢山売らなきゃならないのなら、玩具が沢山出てきても違和感のないそれらを奪い合うストーリーに。主人公だけに強化アイテムこと追加玩具が多発するのならば、主人公はいずれ神になってしまうほど歪に優遇された立ち位置に。どこまでが意図された物かは分からないが、平成二期ライダーが迎えていた「玩具販促による物語展開のしばり」を逆に利用してやろうと、そういう気概が見え隠れしていたような気がする。そんなロードマップの中で、特撮ヒーロードラマの経験が無かった脚本家(チーム)による物語は、台詞回しや演出がこれまでのシリーズとは一線を画しており、良くも悪くも「なんか違う」映像を楽しむことができた。

ストーリーはハードな自然侵略物としての輪郭を持ちながら、ファイズを思わせる怪しい巨大企業の計画、龍騎を思わせるライダーバトル展開、アギトを思わせる神話的な設定から、クウガのような人から堕ちゆく自己犠牲の精神など、意図的に散りばめられた「平成ライダーらしさ」がまたひとつのポイントとなっており、好きな人にはシリーズへの好意的な目配せに、好まない人には見飽きた二番煎じに、そうやってネットでは毎週のように毛・不毛な議論が交わされた。もはや、遠い日の懐かしさに成り果てているけれども。

そんな鎧武の物語は、前述のような自然侵略物として、ヘルヘイムの地球侵略(押し付けによる進化促進自動プログラム)という圧倒的な“津波”の前に、なす術なく首を垂れるのか、第三の道を模索し戦い抜くのか、選択を迫られた人間たちの濃密な群像劇に仕上がった。東北の震災を経ての「大きすぎる自然災害の恐怖」を描いたとメインライターの虚淵玄は語っているが(星海社「仮面ライダー鎧武 ザ・ガイド」)、同時に、特にクウガの頃に色濃かった「気づかぬ身近にある死の恐怖」という面も、まさに初瀬というキャラクターを通して描かれたのかもしれない。

彼は、最後まで自分が一体何に巻き込まれて死んだのか分からなかっただろうし、主人公である紘汰が(クリスマスロックシード争奪戦を開催することで)彼の死の遠因を担ってしまったのも、非常に皮肉な話である。重ね重ね、そういった分かりやすいまでの平成ライダー(一期)への目配せがウザったらしい人もいただろうし、とはいえ私は「二期ビジネスの中で一期の頃のシリアス&ハードをやってみる」という挑戦そのものが非常に面白く、成果物の歪さに毎週楽しませてもらっていた。





さて、鎧武のストーリーは語り出せばいくらでもフックがあるが、Twitterでも何度も呟いたように、私には個人的なこだわりがある。それは、「鎧武 第5話の重要性」だ。鎧武という物語は第5話がひとつの頂点というか、これが実は全てのストーリーをコンパクトにパッケージしたような面白さを持っているのだと、私はそう信じて疑っていない。




そんな戦いの現場に紘汰が舞(志田友美=二役)と駆けつけた。龍玄を助けたい紘汰だが、変身しないと誓った今、「逃げろ!ミッチ」と声をかけるのが精いっぱいだ。それでも戦うことをあきらめない龍玄。「負けられない…紘汰さんが…舞さんが、見てる…ッ!」。一方的にバロン、インベスの攻撃を浴び続けながらも龍玄は逃げようとしない。

そんな龍玄を見た舞が、紘汰の前でポツリとつぶやく。「きっと、紘汰が見ているからだよ」。龍玄=光実は紘汰に憧れ、励まされて自らも強くなろうとした。そんな光実が紘汰の前で逃げ出せるはずがない。 そんな舞の言葉にショックを受ける紘汰。「舞、ベルトをくれ」。逡巡する舞に向かって、今度こそ自分のために戦いたい、と力強く言い放つ紘汰。舞もその言葉に気圧されるようにガレージへと戻ると、鎧武(ガイム)の戦極ドライバーとロックシードを持ち出し、紘汰に投げる。

俺にしかできないことを引き受ける!ついに紘汰は仮面ライダー鎧武(ガイム)に再び変身!「ここからは俺のステージだ!」。高らかに宣言すると、龍玄とバロン、インベスの戦いに割って入る。

力を示し、弱者を支配することが強さだというバロンに対し、誰かを励まし、勇気を与える力こそが本当の強さだ、と戦う鎧武。そんな鎧武の言葉に打たれた龍玄も復活。イチゴのロックシードを鎧武に投げると、鎧武はイチゴアームズにチェンジする。そして、鎧武と龍玄は力を合わせ必殺技を。2体のインベスをみごとに撃破する。

第5話「復活!友情のイチゴアームズ!」[2013/11/10](テレビ朝日「仮面ライダー鎧武」公式HP「ストーリー」)







鎧武とは、どういう物語だったのか。紘汰と戒斗、主義主張の異なるふたりが信念を懸けて闘い合い、それに複数のライダーが群像劇のように絡み合い、最後には紘汰とミッチによる“継承”の関係性がひとつの落とし所となっていた。第5話にはこれが全て詰め込まれており、(まだヘルヘイムの「ヘ」の字も出てきていないダンスチームの縄張り抗争だったとはいえ)、紘汰とミッチが互いに互いの強さで強くなり、そして戒斗と紘汰が強さの定義を拳に込めて殴り合う。これは、TVシリーズ第45話のインベスを引き連れた両雄決闘のシーンがリプライズになっていたり、言うまでもなく最終回に紘汰の助けを借りつつ奮闘するミッチの姿にまで繋がっていく。鎧武という物語が一年かけてやってきたストーリーの、そのポイントとミソを必要最低限拾い上げ、プレロードマップ的にひとつのストーリーに落とし込む。それが、仮面ライダー鎧武の第5話だと思えてならないのだ。

そうであるからして、私にとっての鎧武の物語は、ひいては「ミッチの物語」というのがひとつの解釈のゴールになっている。これは「MOVIE大戦フルスロットル」におけるメガヘクス襲来編でも部分的に証明されたというか、つまりは運命に翻弄されたのが紘汰と戒斗で、両者ともそれまでの形(普通の人間)から脱し(人外化・死亡)、その運命の濁流を全て受け止め今後に活かさねばならぬ“生き残ってしまったからこそ”の生き方を全うしなければならないのが、呉島兄弟という構図である。思えば第1話アバンタイトルでも鎧武とバロンの激突を高い位置から呉島兄弟が眺めており、彼らが生き残り、“見届け受け止める役割”を担うに至ったのは、ある種の必然だったのかもしれない。この場合、主義主張に盛大に散った方が、あるいは幸福だったのかもしれないのだから。





その他、鎧武という作品の特異性や気になる点は過去記事『「鎧武」は相当な難産だったのではないか ~製作逆順で「魔法少女まどか☆マギカ」を観て感じた事』等でも散々書いてきたが、大きくふたつのポイントを挙げるのならば、「平成ライダーシリーズとしての仮面ライダー鎧武」、そして「ミッチという存在に収束していく強さと継承の物語」、これが私の感じる“鎧武とは”の解答である。そもそもの作品が持つカウンター性を考えるならば「平成ライダーとして」のメタ的な視点はカウントせざるを得ないし、当初は死を遂げる予定であったミッチが最後には生き残り真の主人公として成立した流れは、やはり1年間の長丁場を走り抜ける醍醐味であると言えるだろう。

「継承」、つまり「受け継がれる」という点では、OVで展開された鎧武外伝シリーズも、また色濃くそのニュアンスを持っていた。「仮面ライダーナックル」では戒斗の意思を継いだザックの戦いが描かれたし、「仮面ライダーバロン」でも一人二役の中で強さと意思が受け継がれる展開があった(シャプールはまさかの小説版での再登場を果たす)。その中でも、今回の「小説 仮面ライダー鎧武」に直接繋がってくるのが「仮面ライダーデューク」であり、亡き戦極凌馬からの「継承」を“自称”する狗道供界が企む謀が、またもや最終的には「ミッチの物語」の新譜を残すのだ。




鎧武とバロンの最終決戦が行われたのち、終末思想を信奉する秘密結社「黒の菩提樹」が暗躍を始める。そして、異空間をさまよう謎の男・狗道供界。謎のロックシードが沢芽市にばらまかれ、ふたたび混乱が訪れる。狗道供界と「黒の菩提樹」を倒すため、呉島貴虎、光実たちが立ち上がる!





著者:砂阿久雁、鋼屋ジン
監修:虚淵玄
原作:石ノ森章太郎

講談社キャラクター文庫「小説 仮面ライダー鎧武」




※以下、「小説 仮面ライダー鎧武」のネタバレがあります。



この小説版のプロットそのものは非常にシンプルであり、死んだはずの狗道供界がロックシードをばら撒いているぞ! → みんなで倒そう! …と、要はこれだけの話である。とはいえ、まるで映像を観ているかのように“あのまま”のクオリティで生き生きと動き回るキャラクターたちに、懐かしさと、それでいて「外伝シリーズも佳境だからして、もう次は無いかもしれない…」という一抹の寂しさすら感じさせる。呉島兄弟は誰よりもストイックに問題解決に真摯だし(ふたりとも背徳感と責任感を重く捉えすぎるキャラクターで、この辺りは似た兄弟だなあ、と感じつつ)、ザックは自身のOVでキャラクターが“完成”してしまったからか熱さ&勢い一辺倒な面はあれどそれもまた魅力で、いつもと変わらない凰蓮と城乃内の師弟コンビは抜群の安定感を魅せてくれる。





物語としては、前述の「平成ライダーシリーズとしての仮面ライダー鎧武」「ミッチという存在に収束していく強さと継承の物語」のふたつのポイントをどちらも満たす、まさに“これぞ鎧武”な内容だ。

前者の大きな特長として、圧倒的な戦力を持つ敵が作り出した混濁した異世界において、ミッチは仮面ライダーディケイド(と思われる存在)と邂逅する。ディケイドというより、正確には門矢士。彼は幻惑の中で何度も何度も死を繰り返すミッチの前を“通りすがり”、「お前もまたそんな男を知っているはずだ」と問いかける。ミッチの脳裏を過るのは、「力無き人々が理不尽な暴力を前に、ただ涙を流すしか術を持たない時」に「誰よりも速く駆けつける『騎士』(ライダー)」という存在。つまり、彼にとっての葛葉紘汰そのものであった。そんな紘汰のような存在に、騎士(ライダー)になるのだと、ミッチは誓ったはずだった。そう促し、「挫けるには早すぎる。お前はまだ旅の途中だ。誰もが自分と戦い、歩き続ける」と焚きつける士。

世界に目を向ければ、そこには無数の世界と、無数の物語がある。ミッチは、士に導かれるように、クウガからドライブまでの平成ライダーの世界を垣間見る。まるでディケイド第1話で紅渡が士にそう説明したように、ミッチの目の前にはいくつもの地球が宇宙ともつかない空間に並んでいたのかもしれない。




究極の闇に抗いながら戦った戦士がいた。創造主から人の運命を取り戻す戦士がいた。自らの命を捨ててまで、争いを止めようとした戦士がいた。
夢を守るために戦った戦士がいた。世界と友の両方を救うため、運命と戦い続ける戦士がいた。鍛え抜かれた鬼の戦士がいた。
超加速し、時間の狭間で戦う戦士がいた。時の列車で時間を駆ける戦士がいた。人と魔のハーフとして生まれた戦士がいた。
二人で一人の、探偵にして戦士がいた。どこまでも届く腕を求めた戦士がいた。多くの友と青春を生きる戦士がいた。
希望の魔法使いである戦士がいた。スーパービークルを駆る、刑事にして戦士がいた。
無数の世界の、無数の物語。そのすべてで戦いは起こるのだろう。無数の悲嘆と苦痛に満たされるのだろう。
だが、それでもこの世は地獄ではない。世界の守り手たる彼らがいる。ヒーローたちがいる。そして、誰の心の中にもヒーローはいる。
――誰だってヒーローになれる。

・「小説 仮面ライダー鎧武」(第四章 P196)



前述のようにTVシリーズ本編で幾度となく過去の平成ライダーシリーズへの目配せ(オマージュ)を散りばめてきた本作だが、ここにきて遂に、直接的にその位置付けを主張してきた。「仮面ライダー鎧武」は、確かに「鎧武」の物語として単体の存在はあれど、企画の成立経緯からメインライター虚淵玄の平成ライダーフリークな側面も加わり、「平成ライダーシリーズとしての仮面ライダー鎧武」というメタ的なポジショニングは決して無視できず、それを時に武器に(時に批難の対象に)してこその「鎧武」だったのではないのかと、私にはそう思えてならないのだ。

だからこそ今回の小説版で、ついに正史の系列で平成ライダーシリーズそのものとクロスオーバーしたことが、どこか感慨深く、「やっちまった」感もあり、しかしその清濁込みの推進力こそが他の何者でもなく「鎧武」だなあ、と。思い返せば、鎧武のデビュー戦は「仮面ライダーウィザード」のラスト2話で成る特別編だったが、あれもまた人々の助けの声に「誰よりも速く駆けつける『騎士』(ライダー)」としての鎧武が描かれたのであった。紘汰は迷いなく謎空間に飛び込み、ウィザードの世界にてディケイド率いる平成ライダー一同と共闘を繰り広げた。

回り回って、TVシリーズを終え、MOVIE大戦を終え、外伝を経て、遂に行き着いた完結編とも言うべきこの小説版で、今度は鎧武という世界に平成ライダーそのものが“通りすがる”。綺麗な円環構造とも言うべきこの展開は、鎧武という作品の成立性にも関わってくる極上のサービスシーンでもあり、フィナーレとして非常に意味のあるものだったと感じている。





他にも、武神ライダーといった「戦国MOVIE大合戦」の要素を拾ってみせたり、「親指を突き立てる」に「サムズアップ」のルビを振ってみせたり、重ね重ねではあるが、やはりとても「平成ライダー」というコンテンツそのものを意識した構成だったなあ、と。だからこそ、もしかしたら鎧武単体のそれを求めていた人には余計な色目を使うなと思われたかもしれないが、私としては前述の通り「これでこそ鎧武」だったのだ。

続けて、ミッチの奮闘劇は言わずもがなである。美味しいところで兄である貴虎が助けに来る王道パターンも含めて、彼が贖罪のために戦い続ける姿はやはり胸にくる。「紘汰さん!」。最後に、宇宙の彼方から助けに来てくれた紘汰こと白銀の戦士に向かって、ミッチは叫ぶ。「僕だっていつまでも助けられてるだけじゃありません!紘汰さんや舞さんがピンチの時は、たとえ宇宙の果てでも駆けつけますから!僕たちずっと仲間です!」。彼は、コウガネやメガヘクスに続きまた紘汰の助けを借りてしまったことがとても悔しかっただろうし、とはいえ、不謹慎ながらまたの再会に心からこみ上げる喜びもあったのだろう。この台詞が少し涙ぐんだトーンでの高杉真宙の声で明確に脳内再生されるからして、呉島光実というキャラクターの存在は鎧武を象徴するこの上ない帰結だったなあ、と。

かくして、「平成ライダーとしての鎧武」「ミッチの継承の物語」というふたつのポイントは、鎧武の企画背景に始まり第5話や最終話で描かれたそれらに呼応するものであり、「小説 仮面ライダー鎧武」は間違いなく「鎧武」だったと、単純な文面ながらそれしかない感想が浮かび上がってくる。ただただ、鎧武であった。私の主張するところの「第5話はTVシリーズ全体をコンパクトにまとめたもの」に準じるならば、「小説版はシリーズの変遷に始まりTVシリーズ・劇場版・外伝シリーズ全てをコンパクトにまとめたもの」とも表現できるだろう。ふさわしく、相変わらず突き抜けていて、同時に書き手の書きたいことがガツガツとこちらを殴ってくる。熾烈にTVの前に座り込んだあの一年間を思い出す、そんなクオリティであった。





また、長年(?)ファンの語り草でもあったジンバーメロンの登場であったり、小説版限定のジンバードラゴンフルーツや魔蛇アームズなど、鎧武の世界観の中で繰り広げられるファンサービス合戦も見応えがあった。加えて、P218の5行目から「JUST LIVE MORE」を、P228から「YOUR SONG」を再生して読むと、一層ガツンとくるであろうことは言うまでもない。特に「YOUR SONG」は、その後の「鎧武シリーズ時系列」をエンドロール風に脳内再生していけば、素晴らしいクールダウンとして効いてくるはずだ。

「自らの死を超越し、英雄と共に戦った戦士がいた」。そんな一文が今後も加えられていくであろう鎧武の世界。混濁した賛否は今なお根強いが、“だからこその鎧武”を、私はこれからも愛好していきたい。


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【総括】「仮面ライダーアマゾンズ シーズン1」 “仮想敵”を喰っちゃいけない理由なんて、どこにもない

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

「仮面ライダーアマゾン」は私の特撮オタクの師匠(?)にあたる叔父が好んでいた作品で、昔から彼の「アマゾンみたいなのが“いい”んだよ」という教育を受けていた。とはいえ幼心にアマゾンに正統派なカッコよさを覚えることはなく、しかし謎の存在感と異色性だけはピカイチで、VHSで何度もあの荒々しい闘いを鑑賞していた。いい歳して仮面ライダーを愛好する今になって、叔父の「アマゾンこそが“いい”」という切り口が非常にオタクライクな感性からくるものだったと感じるくらいには、このコンテンツとの付き合いを続けてきた。

「最近のライダーは面白いですか? 個人的には、ここ数年あまりおもしろいと思っていない」。特撮オタク界隈に何千回目かの不毛な騒動をもたらした東映・白倉プロデューサーのこの言葉は、「仮面ライダーアマゾンズ」製作発表の場で発せられた。元よりそういった炎上ニュアンスを含む言論や企画が専売特許のプロデューサーだが、私個人は、この発言にはドキリとしたものを感じざるを得なかった。「おもしろい」とは非常に多角的な表現であり、funnyかもしれなくて、interestingかもしれなくて、でも私がこと平成ライダーについてこの言葉を用いるならば、「熾烈さ」というボンヤリとした指標と近いのかな、と思っている。





何度も「個人的な感想」だと前置いておくけれど、私もここ数年の仮面ライダーには「熾烈さ」を感じなくなっている。クウガやファイズを小中学生の頃に観た世代だが、録画した内容を週に何度も何度もテープが擦り切れるまで鑑賞して、アーデモ・コーデモと稚拙ながら考察と妄想を展開し、毎週日曜の朝にギンギンの眼でテレビの前に正座する。そういった“熾烈に仮面ライダーを楽しんでいた私”は、ここ数年鳴りを潜めているのが本音だ。言うまでもなくこれは鎧武が例外に当たるのだが、その「熾烈さ」を白倉プロデューサーの言う「おもしろさ」と同じだと仮置くのなら、彼のセンセーションな言説には頷く他にない。(プロデューサーの立場として発言内容が適当だったかはここでは触れないことにする)

これは、いわゆる“平成2期”の作風だとか、販促の縛りだとか、表現規制だとか、勿論のように観る側である私の好みや感性の変化も含めて、一概に「面白い・面白くない/良い・悪い」と言えるものではないし(言うつもりもないし)、とはいえそれら全てを度外視して、単純に私個人にとって「熾烈にハマることがなくなったな」と、ただそれだけの話なのだ。だから、「最近のライダーは~」とプロデューサー自ら言ってのけた「仮面ライダーアマゾンズ」は、作風だとか表現規制だとかそういう事象以前に、ごくシンプルに「また熾烈にハマらせてくれるだろうか」という期待と不安を抱かせるものだった。

全話を観終わってみて、なるほど確かに「平成1期ドリームチーム」が手掛けただけはあるな、というのが率直な感想だった。それは、どこまでいっても「良くも悪くも」。先に断言してしまうと、実は表面的な要素としては微塵も目新しさは無く、グロい殺人方法はクウガが、怪人と人間のアイデンティティに悩む様はファイズが、種の生存における選択を迫られるドラマは剣が、それぞれ平成ライダー1期と呼ばれる作品群が取り扱ってきた内容だ。アマゾンズで繰り広げられたこれらはほとんど新鮮味に乏しく、しかし、だからこそこれを“2016年の今”にやってのけることが、企画趣旨だったのだと納得を得ている。(新鮮味はなくとも“踏み込んだであろう点”については後述)





ひとつひとつの側面を紐解いていくと、まずは肝心要のライダースーツのデザインだが、主人公である水澤悠が変身するアマゾンオメガはいかにも平成ライダーなメタリックボディであり、対する鷹山仁のアマゾンアルファは原典アマゾンを直球ストレートに現代版に再解釈したものとなっている。それぞれ、オメガが「養殖」、アルファが「野生」と銘打たれているが、アクション(動き)の方向性は真逆。養殖オメガが誰よりも荒々しい動きを披露し、野生アルファが理知的な佇まいを魅せる。研ぎ澄まされた経験則を身に着けた野生動物は無駄のない洗練された動きをするというが、まさにそれが垣間見えるバランスであった。アルファがあのファイティングスタイルに辿り着くまでに幾多の戦いで体中の傷を負ったと考えると、とても男の子心をくすぐられる。

スタッフとして、特筆すべきはメインライターの小林靖子。平成ライダーでは言うまでもなく龍騎・電王・オーズを手掛けた脚本家であり、彼女がアマゾンズの全13話をひとりで書き上げている。監督陣も石田秀範・田﨑竜太・金田治と平成ライダーを観てきた人にとっては「なるほど」なメンバー。まさに「平成1期ドリームチーム」といったところだ。シナリオ、もといストーリー展開については後述するとして、映像も非常に凝ったものが作られていた。全編でテレビ用ではなく映画用のレンズが用いられており、常に青みがかった陰鬱な空気とダークな色調。時に暗すぎる気がしなくもなかったが、人体損壊描写も含め、今の日曜朝8時には絶対できない映像だったと言えるだろう。

各監督の担当として、石田監督は詩的でメッセージ的な映像を、田崎監督はアイデアとハッタリに満ちたロジカルな映像を、金田監督は正統派に違和感のフックを織り交ぜた特異な映像を、それぞれ披露してくれた。とはいえ正直に言うと所々古臭さを感じないといったら嘘で、こういった部分が「良くも悪くも平成1期ドリームチーム」だと、そういう感想に落ち着ている。





キャスト陣は、とにかく熱演が光っていた。いかにも今風なイケメンというか、線の細い優男とも言ってしまえる水澤悠役の藤田富は、序盤の(役作りも含めた)ナヨナヨさが終盤には一変して引き締まった表情に変わっており、現場での奮闘が見て取れる。最終回の変身までの一連の演技に代表されるように、彼の絶妙に焦点の合わない視線が(最終的な)どこか達観したようなキャラクター造形に寄与していた。鷹山仁役の谷口賢志はゴーゴーファイブのゴーブルーとして親しみ深いが、言ってしまえばオーソドックスな「マイペース年上キャラ」を熱演。チャラチャラしていて、だらしなくて、でも常に瞳の奥は燃えている。周囲より何倍も経験を積んでいて、過酷な戦いをとうに潜り終えている。だからこそ、割り切っている自分を俯瞰して捉えることもできる。

紅三点な女性キャストも魅力的だったが、最大の功績は主題歌「Armour Zone」である。毎回、「ええ!?」という展開の最後にあのエキセントリックなイントロが流れ、「イェェェェェイイ」な歌い出しに入ると、否が応でもテンションが上がってしまう。「風を切れ、声を枯らして、獣が嗤うこの街で。喰うか喰われるかの運命」。このサビをバックに繰り出される次回予告に、毎度必要以上かもしれないワクワクを抱かされてきた。

…という感じで語れば角度は尽きないが、最大の妙であるストーリーに、やはり最も文字数を割いておきたい。



※以下、「仮面ライダーアマゾンズ」のストーリーに関するネタバレがあります。


言うまでもなく、本作最大の魅力はそのストーリーといえる。前述のように平成ライダー1期の要素を色濃く持ちながら、ネット配信だからこそ踏み込める領域。それは、人間誰しもが根本的に抱える問題、「弱肉強食による捕食関係=種族差別問題」。これがアマゾンズの物語の核となっている。

タンパク質の摂取量等の物語的理屈は去ることながら、そもそもが「強い者が弱い者を殺して喰って何が悪いのか」という種の根源的なメッセージであり、平然と暮らしている我々数十億人の誰もがこの問いからは逃れられない。宗派の違いはあれど、人は誰もが植物や肉や魚の命を殺めることで自らの命を繋ぎとめている。人がこの地球の頂点に立ってから、それは法律などという明文化される以前の話として、「動物は殺して喰っても構わない」「植物を摘み取って喰っても構わない」という倫理観は、粛々と受け継がれてきた。

そこに明確な理由があるのか・無いのか(理由を持てるのか・持てないのか)、それは有史以来の哲学者が考え込んできたのだろうが、その答えを常に持っている人がどれだけいるのだろうか。理屈以前に感情として、「喰って良いから喰って良い」、なのだ。それ以上でもそれ以下でも無い。

では、植物でも肉でも魚でもない、新しい生命体が人間より上の捕食カーストに突如出現した時に、人間はその「文化的に全く慣れの無い」存在相手にどう立ち回るのか。そして、その新しい生命体は下位の人間とどう向き合うべきなのか。「人間が捕食カーストの“頂点では無くなった”ら?」。それが、アマゾンズが提示した「決して答えの無いテーマ」である。





種の差別に関しては、それこそ平成ライダー1期で何度も繰り返し描かれてきた。特にファイズはそれこそが主軸で、「最悪な人間」も「善良なオルフェノク」も存在して、それならばその生物の是非はどこで判断できるのか、という問題提起にこそ旨味があった。アマゾンズメインライターの小林靖子作品で挙げるなら、浅倉という極悪な人間もいたし、モモタロスやアンクといった人間以上に人間味溢れる人外もいた。では、“そいつ”の善し悪しを決めるのは、果たして「種」なのか。そうで無いなら、誰がそれを見極め、決定を下すのか。そうやって、これまでの平成ライダーも意欲的に踏み込んできた側面に、アマゾンズは更に「捕食カースト」による倫理観問題までプラスしているのだ。何よりも平成ライダー的で、更にタブー染みている。(あえて言うならば、最も近いのはキバと言えるだろう)

新生命体「アマゾン」は、一度人肉を口にすると人間に対する捕食衝動を抑えきれなくなる。終盤のモグラアマゾンことマモルに顕著だったが、それは既存の人間関係を全て無に帰してしまうほどの衝動。カニバリズムという宗教儀礼による人肉摂取習慣そのものは存在するが、構造はもっとシンプルで、我々人間が食欲・睡眠欲・性欲を時にどうしても我慢できない、ただ“それだけのこと”なのだろう。アマゾンたちは、その全個体が好きで人間を食べている訳では無かった。加工されたハンバーグを自身の衝動遅延のために食べる者も、人間を襲ったことを後悔し続ける者もいた。

そんなアマゾンたちの苦悩が繰り広げられた最後の最後で、主人公・悠はこれぞ日曜の朝には絶対にタブーな台詞を叫んでのける。「正直、人を食べちゃいけない理由なんて分かんない!そのせいで、アマゾンが生きてちゃいけない理由なんて分かんない!」。私は、どんなグロ描写より、どんな陰鬱な要素より、この台詞ひとつが最大級の「アマゾンズらしさ」だったのではないかと、強く感じている。我々人間が牛肉や鶏肉を食べるように、魚を食べるように、野菜を貪るように、同じように人間を食べる。そこに根源的な欲求があるのなら、じゃあ何故それはタブーなのか。法律も意味を持たない人間より上位の生命体が、下位の存在を喰っちゃいけない理由は何なのか。人間は、自分たちより下位の生き物を幾年と喰ってきたのに。

「人間は、自分たちが捕食カーストの最上位だと信じて疑っていない」。その奢りこそがアマゾンズが視聴者に向けて突いた死角であり、企画そのものの仮想敵である平成ライダー1期がギリギリ踏み込めなかったタブー領域なのだ。





そして、この問いかけと“驕り”に絶対的な答えは無い。答えられるのは(その権利があるのは)、人間にずっと捕食され続けてきた動物や植物だけだからだ。だからこそ、作品テーマとして「これ!」という解答は用意できないからして、必然的に「見解の相違による対立」が落とし所になってくる。かくして、悠と仁は捕食カースト問題で決定的に袂を分かち、命を削って戦い合うのだ。

視聴者は、悠と仁のどちらにより共感できるのか(もしくはどちらも理解不能か)の三択を無意識に突きつけられる。悠の考えはどこまでいっても「甘ちゃん」であり、例えアマゾンでも暴走したら粛清するしかないと、究極のワガママをパワープレイで貫き通そうとしている。対する仁は、卵を食べるのと同じように、殺された者は喰われて然るべきだと、元来からのアマゾンへの過剰な恨みを決して曲げようとはしない。ブレる線引きを力尽くで主張するアマゾンと、ブレられない意固地な線引きを力尽くで主張するアマゾン。億単位の人間誰もが種レベルでの解答を提示できないのだから、後は争うしかない。意見が違えば争い合う、これに限っては、人間に限らない多くの生物が繰り返してきた所作なのだから。

だから、私はこの「対立エンド」がこの上なくアマゾンズらしい帰結であり、中途半端でも何でもなくて、ドンピシャな落とし所だったと捉えている。悠は、自分が明確な答えを示せないからこそ、その「示せない」だけは貫く。そうやって、アマゾンだけのコミュニティのぶれぶれな長(おさ)として君臨する。あの海辺では、何度もアルファとオメガの戦いが繰り返されてきたのだろうし、これからも続いていくのだろう。だからこそ捕食カーストで、だからこそアマゾンズなのだ。あの戦いが、詰まるところ「主張のぶつかり合い」が、永遠に続いていく(解答が提示されない)。これこそが、この問題を手がけたからこそ落ち着くべき地点なのだ。





とはいえ、「仁がどうしてそこまでアマゾン殲滅に固執するのか」や「他でもない悠が人間に対する捕食衝動で苦悩する」辺りをもうちょっと尺長く描いて欲しかった気もするし、特に序盤は長尺なシーンばかりで非常にダレたし、所々「惜しい」と感じるポイントも少なくは無かった。でも、答えがないことを答えと解釈するのならば、シーズン2はもはや無い方が良いんじゃないかと、そんな思いも過ってくる。




おそらく、日曜朝の平成ライダーという仮想敵があるからこそ出来たのではないかとも思っていて。あの枠の規定路線のようなものがあり、それが判断基準やベースとなって、それとは違うもの、すごいものを作ってやろうという、一歩踏み出すモチベーションが湧いてきたのではないかと。

・フィギュア王 NO.221 『仮面ライダーアマゾンズ』チーフプロデューサー 白倉伸一郎 インタビュー



アマゾンズの仮想敵は、言うまでもなく平成ライダーそのもの。作り手も、観る側も、平成ライダーという仮想敵が常に脳内にあり、ひとつひとつのシーンにクウガやファイズ等々が悠然と立ちはだかってくる。時に打ち負かされ、時にかわしながら、でも最終回を観た時に、私はその更に斜め上に登り詰めたアマゾンズの姿を垣間見たような気がして、心底「熾烈さ」を感じたのだ。海岸で叫びながら殴り合う両雄は、私を十年以上前の“あの頃”に引き戻してくれたような、そんな錯覚を与えてくれた。何より、この作品が世に出た流れに感情を大きく翻弄されたという体験こそを、これからも大事にしていきたい。


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予算10万円で叶えられる夢のホームシアター!実際に買ったおすすめ機材まとめ

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

以前からどうしても欲しかった、ホームシアター。以前このブログでも書いたように自分の趣味部屋に凝っているタイミングだったので、どうせならと同時期に揃えちゃいました。とはいえ、決して安い買い物では無いので、一年ほど前から嫁さんに稟議をあげて時期を見計らいつつ根回しをしていたというカラクリでして…。


これはひょっとして人生始まったのでは。 pic.twitter.com/zmtG3l48KX

— YU@K (@slinky_dog_s11) 2016年7月12日

肝心要のプロジェクターを買うにあたって色々調べたけれど、やはり重要なのは明るさ。そして、投写距離。「何型で観たければ最低これくらいの明るさが必要」という情報はネットには沢山溢れていて、それと実際に取り付けたい部屋の間取りとの兼ね合いで落とし所を見つけていく感じ。あとは、「斜めからの投影が可能か」「3Dに対応しているか」あたりにこだわると、少しずつ値段が上がっていく。


EPSON dreamio ホームプロジェクター 2,000lm 3D対応 Full HD(1080p) EH-TW5200

候補は沢山あったが、自分が買ったのはこのエプソンの「EH-TW5200」。実はすでにこれの後継機もリリースされているけど、そもそもがホームシアターど素人だし(入門機だし)、むしろ後継機があるからこそ値段が落ち着いている面もあったので。




▲やはり一発目はパシリムを選んでしまった…。細かい造形までクッキリ堪能できる。





【参考】
お手軽コンパクトな3D対応プロジェクター、エプソン「EH-TW5200」
「非日常を身近に」。10万円のエプソン新フルHDプロジェクタ


実際に買ってみて投写してみると、これがもう思っていたのより何倍も綺麗。もっとプロジェクタープロジェクターした色味を覚悟していたけれど、発色が良くてパッと見なんら不満はない。youtubeも流してみたけれど、やはりBlu-rayの美麗さは頭一つ飛び抜けている印象。

部屋のソファ横からスクリーンに向かって投写するので、位置関係的に繋ぎたいPS3はスクリーンの真下。ということで、すでにあるTVにも繋げられつつプロジェクターにもスイッチできるように、5mのHDMIケーブルと中継アダプタを購入。これで部屋の壁側を這わせてしっかり接続。ゲームをしても全く遅延なしで、とっても良い感じ。(3D対応のケーブルなので、後に対応メガネを買えば3Dも楽しめる)


HORIC ハイスピードHDMIケーブル 5.0m シルバー 4K/60p 3D HEC ARC リンク機能 HDM50-885SV
HORIC HDMI 中継アダプタ シルバー HDMIタイプAメス-HDMIタイプAメス HDMIF-HDMIF

さて、対するはスクリーン。これがある意味プロジェクター以上に選択肢が多くて参った。そもそも、60型なのか80型なのか100型なのか、そこからして迷う。本当は100型が良かったけど、部屋のスペースと投写距離を考えると80型が現実的だったので、まずはそこを絞る。そして今度は、立ち上げ型・巻き型・スタンド型と、形状を選ぶフェイズに突入。

とはいえやはりロマンというか、スクリーンというのは「格納できてこそ」みたいなの、あると思うんですよ。使うときにだけ、シュバーって。そのシュバーってのがやりたいんじゃあないか、ということで、本音はリモコン使って電動で降りてくるのが欲しいけど冗談みたいな値段になるので、オーソドックスな引っ張ってグルグルなタイプをセレクト。値段と質のバランスを考えて、最も良いと思ったのが「イーサプライ」のアイテム。


イーサプライ プロジェクタースクリーン 吊り下げ 壁固定 84インチ EEX-PST1-84

ちなみにここの会社のスクリーン、Amazonやらで買うよりここの自社ホームページで買った方が配達が速い。(もちろん、地方により異なるけども)




▲気づけば、大きなスクリーンであればあるほど映える映画ばかり持っていた。


お次は音響。プロジェクターが内蔵しているスピーカーは本当にオマケのようなもので、薄くぺら~~っとした音しか聴こえてこない。オーディオオタクの義父に以前もらったKENWOODのコンポがあったので、プロジェクターからAUXコード経由で接続。スピーカーを部屋前面の両端に置けば、なんちゃって音響設備の完成。本当は四隅のスピーカーが良いんだけどね、まあ、これは追い追い。


JVCケンウッド アヴィーノ SL-3MD-N マイクロコンポ (ゴールド)

最後に、プロジェクターの取り付け。これも色々考えたけれど、せっかく斜めからの投影も可能なモデルなので、天井固定等はせずにソファの横に立たせることに(そもそも賃貸なので壁に穴が開けられず設置のバリエーションは自ずと限られる)。あらかじめダンボールを積み上げて適当な高さを図り、それを元にネットで検索を重ねる。ちょっくらメーカー元が不安だったけど、買ったのはこのスタンド。100センチを超える高さでこの価格はそう無かった。


[ノーブランド品] プロジェクタースタンド 三脚式 高さ調整機能付き 省スペースタイプ 折り畳み アルミ オフィス用 家用 シルバ



▲コード類は後に綺麗にまとめた。


結果は大満足。ソファの横に置いているので少しだけファンの音がするけども、コンポからの音響に比べれば問題なし。

そうして、念願のホームシアターが完成。「EH-TW5200」は夜に観るならシネマモード、昼間ならリビングモードで、色褪せた感じを出さない機能が付いている。もちろんゲームも出来るし、特に迫力のある特撮映画やVFX大盛り映画はスクリーンならではの迫力。









合計10万程と言ったら決して安くはないけれど、それでもいざ部屋に設置して点けてみると微塵も後悔は訪れない。「あ、元とったな」と、数分で痛感する凄さ。ホームシアター、オススメですよ。


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【過去記事】
【総括】「仮面ライダーアマゾンズ シーズン1」 “仮想敵”を喰っちゃいけない理由なんて、どこにもない
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『別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.4』に「ウルトラマンG」「パワード」「進撃の巨人」の作品解説を寄稿しました

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こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。

今年始めの頃に依頼を頂戴し、『別冊映画秘宝 特撮秘宝 vol.3』(洋泉社)に「ウルトラマンネクサス」「ウルトラマンX」の作品解説を寄稿しましたが、引き続き『vol.4』(7月27日発売)にも参加させていただきました。今回は、Blu-ray化も決まった「ウルトラマングレート」「ウルトラマンパワード」、そして「進撃の巨人(前後篇)」の計3作を担当しています。「グレート」は単独特集内で、「パワード」「進撃」は言わずもがなの“某新作”を読み解く特集内で、それぞれ解説&紹介を軸に私の思う作品の魅力を書かせていただきました。

パワードとグレートはまさにダイレクト世代なので、久々にVHSを引っ張り出しては懐かしさに浸りつつ…。Blu-rayももちろん予約済みなのですが、こういう形で幼少期にお世話になった作品と関われるのは心底嬉しいなあ、と。進撃は他2作に比べると字数は少ないですが、簡潔にポイントを押さえつつ紹介できるよう組んだつもりです。前回同様、どうにも根が「好き勝手にダラダラと書けるブログ」なので、文字数制限や行数指定を相手に頭をこねくり回しました。御見苦しい点もあるかと思いますが、ぜひお手に取っていただけたら幸いです。




◆『シン・ゴジラ』『レッドマン』『キンゴジ』4K、話題の特撮作品をどこよりも掘り下げる特濃特撮ムックの第4弾!

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斉藤チヤ子のその後 文・加藤義彦

レジェンドインタビュー 比留間伸志

怪獣写真館 薩摩剣八郎 

※洋泉社HP『別冊映画秘宝 特撮秘宝vol.4』取り扱いページリンク



まあ、私の担当箇所は置いておいて、「シン・ゴジラ」公開のまさにど真ん中なタイミングで界隈でもトップクラスに濃厚な“特撮本”が発売される訳で、言うまでもなくその筋の方々には注目の一冊なんじゃないかと。大特集の「シン・ゴジラ」は勿論のこと、最新の「ウルトラマンオーブ」から巷で話題の「レッドマン」まで特集されていますので。

最近は仕事やらがどうにも忙しくてブログの更新頻度も落ちていますが、引き続き「YU@Kの不定期村」をどうかよろしくお願いします。(あと、近々もうひとつご報告ができると思います!)


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